2025年02月09日

第25回取材旅行 その7

今朝のジェッダは晴れ。
気温は日中28度前後で、朝晩が22度くらい。
終日、乾いた海風が吹き、とても気持ちがいいです。

僕らが投宿しているのは旧市街から500メートルほど北にあるホテル。
その周辺が今回の主な取材地です。
旧市街は崩壊寸前の古い建物が迷路を形成しているユニークなところで、
午前中は廃墟に見えますが、夕方になるとお店が次々と開きだし、
お客さんも集まって、すごい盛り上がりに。

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閑散とした昼間の佇まい

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日が沈むと店がどんどん開き、活気を取り戻します

言葉は当然アラビア語ですが、思いのほか英語が通じます。
(これはクウェートとバーレーンも同じ)
そこで例によって現地語は挨拶のみで失礼。
だけど、それだけでも場が和むのですよ。
発音は簡単で、
正しくは「こんにちは」が「アッサラーム アライクム」ですが、
右手を左胸に当て、「サラーム」というだけでもオーケー。
「ありがとう」も「シュクラン」ですから覚えやすいでしょ?

言葉と言えば、この3日間で接した移民は、
バングラデッシュかネパールの出身でした。
彼らにとって見慣れない僕らは興味をそそるのか、
レストランや道端でも、「どこから来ましたか?」と訊いてきたりします。
いずれも「以前、あなたの国に行ったことがありますよ」
それに続いて覚えていたバングラ語などで挨拶すると、
驚いた表情の後に満面の笑みが広がりますね。
(そういえばベルリンのレストランで、
バングラデッシュ出身の人からコーヒーをご馳走になったっけ)

どこの国で会ってもそうですが、移民は親切な人が多いです。
たぶん、長い外国暮らしで苦労しているからでしょうか。
タクシードライバー、ウェイター、ホテルの清掃係などに就く彼らは、
訊けばたいてい10年以上、家族と離れて生活しています。
痛みを知る人は、他人の痛みも理解できる。
だから困った人がいれば、相手が誰であろうと、
助けようとするのかもしれません。

さて、取材に行くにあたって準備したのがこれ。

shopping_bh.jpg
バーレーンのスーク(市場)で真剣に品定め中
5BD(バーレーンディナール)はおおむね2,000円

サウジアラビアの規則ではアバヤ着用義務がなくなりましたが、
「目立たない」のが僕らの旅のモットー。
なるべく周囲に溶け込めるよう、
ともこはアバヤ&ヒジャブで「変装」することに。

cosplay_sa.jpg

さいわい現地でのドレスコードはあまり厳格ではなく、
なかには半袖のTシャツやショートパンツ姿のローカル男性も。
僅かながら見かけた白人の観光客も、露出度を抑えただけで、
普通の洋装のままでした。

ともこいわく、アバヤはぴっちりしていないので、
意外と涼しいそうな。
しかしヒジャブは暑くて、すぐ取ってしまいました。

今日はこれから港の魚市場を取材し、
日が暮れてからまた旧市街へ出かける予定。
そうだ、どこかでサウジシャンペンを探さねば!
なにかと忙しい僕らなのでございます。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 16:09| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2025年02月07日

第25回取材旅行 その6

Assalamu alaikum!
(今回は3か国ともアラビア語です)

僕らは予定どおり、今回の最後の渡航国、
サウジアラビアに到着しました。

cityview_sa.jpg
ジェッダの街並み

ほんの5年前まで観光ビザを発行しなかった国だけに、
ジェッダのキング・アブドゥルアズィーズ国際空港に降り立ったときは、
感慨深いものがありましたね。

そして別の意味で、バーレーン国際空港の、
サウディア(サウジアラビア航空)搭乗ゲートに並んだときから、
並々ならぬ緊張感が・・・

airport_bh.jpg
美術館のようなバーレーン国際空港

いや、東アジア人の搭乗者が僕らだけだったからではありません。
ほぼ全員がムスリムで、
しかも1/3くらいは白装束のウムラ(※)の人々となると、
異教徒の僕らは何とも場違いのような・・・

加えて最近は女性のアバヤ着用義務が緩和されたとはいえ、
そこかしこで宗教警察が目を光らせていると聞けば、
いやがうえにも気分はピリピリ。
はてさて入国の瞬間から何が僕らを待っているのか?

と、かなり身構えて飛行機を降りたのですが・・・

あっさり入ってしまいました。

イミグレは全員女性のインスペクターで、
その大半が目だけ出しているブルカ姿。
さすがはメッカのゲートウェイ空港という雰囲気でしたが、
手続きは事前にネットで取得したe-VISAとパスポートを提出し、
指紋と顔写真を撮っただけで終了。
(自撮り棒のような細いポールの上に、
キャノンの一眼レフカメラ取り付けられていた!)
質問はなぜか「お名前は?」だけ。
最初は命令口調だった彼女も、
最後に「シュクラン(ありがとう)」と言ったら、
目が笑って「アフワン(どういたしまして)」と返してくれました。

バゲッジクレームに行けば、
バックパックは5分と待たずに出てきて税関もスルー。
こうして僕らはバーレーン入国に勝るとも劣らないスピードで、
アライバルロビーに到着したのです。
しかしUberのタクシーを呼ぼうとしたら・・・

・・・ん? ネットどころか電話が繋がらないじゃん?

そう、サウジアラビアではソフトバンクのSIMは使えないのです。
そこでSTCなるローカルキャリアのSIM(約2,800円)を買い、
電話&ネットに繋いで配車依頼。
空港からホテルまでは25キロほど離れていましたが、
これまた70サウジアラビアリアル(約2,800円)とお手頃価格で行けました。

そんな車内で僕らが声を合わせて言ったのは、

「みんなフレンドリーだね!」

そう、サウジアラビアはひとりの王様が全権を掌握する、
閉鎖的な宗教国家というイメージがありましたけど、
少なくとも初日に受けた印象は、
これまで訪れたどのムスリムの国と比べても友好的だというもの。

たとえば空港のアライバルロビーで、
ATMやSIM売り場を探してうろちょろしていたとき、
声をかけてくる人の言葉は、

Hello Brother! Do you need taxi? (or SIM?)」

のように、Brother(兄弟)から始まるもの。
これは僕がムスリムであることを前提としていたとは思いますが、
違っていても非常に親しみを感じるトーンでした。
その言い方がとても自然なんですよ。
断ってもしつこくないし。

そして夜、食事に出かけたレストランで。
そこは1階がテイクアウト、2階が男性席、
3階が女性を含むファミリー席というわかり難い建物。
さらに、それぞれの階にある注文カウンターでオーダーし、
個室で食べる慣れないシステムに戸惑っていたら、
スタッフだけではなく、偶然出会ったお客さんまで、
皆さん、とても親切に教えてくれました。
ともこの服からして、
あきらかに僕らがムスリムではないとわかっていたにもかかわらずね。

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どういうわけだか、こんな個室に通されて・・・

zrabian_sa.jpg
ズラビアンチキン
めちゃおいしいアラブ風スパイシー炊き込みご飯
なんだけど、この量は・・・

僕らが食事に行こうとホテルを出たとき、
ロビーにはインドネシアからきたウムラツアーの人々が沢山いました。
ほとんどの方が海外旅行は初めてなのか、
揃ってやや緊張した面持ちでしたが、その表情には同時に、
ムスリムとしてメッカを訪れる喜びに輝いていたように思います。

あなたのこの旅が、実り多いものとなりますように。

そう呟いて、僕らは夜のジェッダを歩き始めました。

to be continued...

えーじ

※ ウムラ
ムスリムの義務のひとつである巡礼月の大巡礼、ハッジ。
しかし巡礼月のメッカは大変混雑する上に、
国ごとの渡航人数制限があるため、
インドネシアなどムスリム人口が多い国では、
何年も順番を待たねばなりません。
そこで巡礼月以外に巡礼する人もおり、それをウムラといいます。
posted by ととら at 21:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2025年02月05日

第25回取材旅行 その5

今朝のマナーマは晴れ。

というか、7日前、
クウェートに着いてからここまで、ず〜っと晴れ。
天候に変化なし。
気温もほぼ変わらず、日中は20度くらいで朝晩が10度前後。

そして変わらないといえば、人。

奇妙に聞こえるかもしれませんが、
クウェートやバーレーンに滞在中、
クウェート人やバーレーン人に会うことは稀なのですよ。
特に公共の交通機関で移動し、
市井の食堂で取材するような僕らの旅の場合はね。

この傾向は今回に限らず、
以前、UAEやカタールを訪れたときも同じで、
僕らが顔を見て話すのは、
バングラデッシュやパキスタン、インドネシアなど、
アジアのムスリムが多い国か、
インド、ネパール、フィリピン、タイなどから来た外国人ばかり。

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ともこがヒジャブを買ったお店で。
スタッフはバングラデッシュ人とインド人。

たまに、「お、アラブ系だ」と思っても、
それはエジプトをはじめとする、
北アフリカから来ている人々だったりします。

で、当該国人と確実に会える場所はといえば、
クウェートのThe AvenueやUAEのドバイモールのような高級モール。
アラブの民族衣装を着て、
ベビーカーを押すアジア系メイドさんを連れたご夫婦は、
ほぼ確実にローカルでしょう。
ま、こういう方々と話をする機会はほとんどありませんけどね。
皮肉なことに、経済的な陰りが出てきたバーレーンが、
一番ローカルと接するチャンスがあったかも。

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やたらおカネがかかっている月面基地のようなThe Avenue

これ、産油国社会の特徴で、
同じアラビア半島にありながらも地下資源に恵まれなかった、
オマーン、レバノン、ヨルダンではまず見られない傾向でした。

そして、この状況は街の作りにも大きく影響しており、
人口の半分前後を占める労働力としての移民が
リトルインディアのようなエリアをそこかしこに作り上げています。

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マナーマのパキスタン人エリア

円安で海外旅行は厳しいといわれて久しくなりましたが、
こうした街で移民がやっている移民のための店に入れば、
ここバーレーンでもかなり安く上げることができます。
たとえばシャワルマ屋だと、ふたりでお腹いっぱい食べて、
概ね3バーレーンディナール前後。(約1,200円)
これがけっこうおいしい!
ビリヤニやカレーを食べてもだいたい同じくらいのコストです。
ま、こういう小さなローカル食堂は、
ハエがぶんぶんで、たいていトイレもありませんけどね。

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僕らが投宿しているホテルに近いケバブ横丁

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バーレーン風スパイシーお好み焼き(?)のマハヤワ

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ジョージェケバブ
これと上のマハヤナにミネラルウォーターを合わせて約1,500円
一人当たり750円で済んでしまいます。

おっと、それから産油国のもうひとつの目立った特徴がこれ。

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ベイエリアに林立する奇抜な形のビル群。
もっとも有名なのはドバイのブルジュ・ハリファでしょうか。
ここバーレーンでも負けじと、
「中はどうなってるのかしらん?」な建物がいくつかあります。

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あ、それと見る人を圧倒する巨大なモスクも定番ですね。

しかし、これらの英華を誇る国々が、
ほんの100年足らずの歴史しか持っておらず、
(最も早かったバーレーン油田でさえ採掘に成功したのは1932年)
それがまた極端なモノカルチャーに支えられているだけだと思うと、
(しかも富は棚ボタ型だし)
なんとも脆い砂の城を見ているような気分になるのは僕だけかしらん?
実際、昨日歩いたムハラク地区はFor Sale For Rent物件の他、
すでに廃墟になった空き家が目立っていましたし。

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いま住んでいるのは・・・

オイルマネーの枯渇と同時に仕事をなくした移民が去り、
電力を中心としたインフラが機能不全に陥れば、
40度を超える厳しい夏をどのように乗り切ったらいいのか?
いや、今は水道をひねれば出てくる水でさえ、
そのほとんどは電力に頼った海水浄化装置で得ているものでしょう?

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都市の生命線、水

ん〜・・・そう遠くない未来に、
僕らはひとつの文明が滅ぶ姿を目にするのかもしれません。
それでもなお、
世界の超富裕層はドバイの高級不動産を買い漁っているそうな。

「人間の賢愚は大金を手にしたときの使い方で分かる」
とは誰の言葉だったかな? ねぇ、トランプさん?

余計なおせっかいかもしれませんが、
アラビア半島が第2のソドムとゴモラにならないことを祈ってやみません。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 03:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年02月03日

第25回取材旅行 その4

Assalamu alaikum!
(アッサラーム アライクム!(こんにちは!))

僕らは昨日の12時過ぎ、バーレーンのマナーマに到着しました。

flightmap_bh.jpg

例によってクウェートの出国からバーレーンの入国までは出たとこ勝負。
やるべきことは空港までの移動、航空会社のチェックイン、保安検査、
出国手続き、ボーディング、入国手続き、バゲッジクレーム、税関、
そしてホテルまでの移動というのが一連の流れなのですけど、
そのディティールはホント、行ってみなければ分からないのですよ。

たとえば「その1」でお話したクウェートのVISA取得。
(というか「入国料」の支払い)
ほんの数か月前に通過した旅人のブログでは、
イミグレフロアのVISAブースが開いており、
そこで取得していたようです。
ところが僕らの場合は・・・だったでしょ?

こうして何の前触れもなく、ころっと変わってしまいますから、
事前に情報があったとしても、結局、参考程度にしかならないのですよ。

ちなみにクウェートの出国では入国時に発行されたVISAが回収され、
なぜかこの段階で顔写真の撮影と指紋のスキャンが行われました。
ん〜・・・なんの意味があるのかしらん?

そして同じく入国料型VISAのあるバーレーンは、

「わぁ、新しくてきれいな空港だね」
「で、さっそくVISAなんだけど、どこへ行けばいいんだ?」
「VISAって表示はどこにもないよ」

こんなときは訊くのが早道。
そこでさっそく近くを通りかかった警察官に、

「すみません、VISAはどこで取得するのでしょう?」
「ああ、イミグレのブースですよ」

とな?

で、取りあえずフツーにブースへ行くと、

「ようこそ、パスポートとクレジットカードを」

はぁ〜、そういうわけね。
こりゃ、まさしく名実ともに「入国料」でした。
で、お代はひとり2,000円なり。

バゲッジクレームではすぐバックパックが出てきて税関もスルー。
あっさりとアライバルロビーに出てきた僕らでした。
そして最後のステップがタクシー。(バーレーンも鉄道はありません)

「ほぉ〜ら、やっぱりいない」

booking.comの予約画面には、
アライバルゲートのところで名前を表示して待っていてくれと、
書いておいたのですけどね。
そこでまたWhat's UPを繋げば、
「カーパーキングビルのレベル1まで来てください」とな。

やれやれ・・・

見ればご丁寧にその場所まで行く写真まで送ってきています。
しかし、そこへ着くと・・・

「いないじゃん」

しかも次に着信したメッセージは、これまたお約束の、

「Where are you, Sir?」

はぁ〜、まったく・・・

で、レベル1ゲートの入り口で手を振っているともこの写真を撮り、
送信! すると、

「I'm coming!」

じゃないでしょ〜。

1分後にやってきたのはフツーのタクシー。
ドライバーは南西アジア系(たいていバングラかパキスタン)で、

「Have you waited long?」

さんきゅうべりまっち。

こんな調子でホテルを目指した僕らでした。

mainroad_bh.jpg
空港からホテルまではこんな道路を走って20分くらい

to be continued...

えーじ

atcafe_bh.jpg
チェックインしたら近くのカフェでお疲れさま
posted by ととら at 03:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年02月01日

第25回取材旅行 その3

旅程5日目にして取材は順調です。

毎回苦労するのが、
事前に調査対象料理をリストアップしていても、
それを提供している飲食店がなかなか見つからないこと。
少なくとも同じ料理を別の店で3回食べてみないと、
その本質を理解するのは難しいのですよ。
これが何かとすんなりいかなくてね。
それが今回、幸運にも第1ターゲットの料理から見つかりまして。

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Gaboot

これは珍しい、中東のギョーザともいえるガボート。
他では見かけたことがなかったので、
どうやらクウェート料理と言えそうです。
内容もユニークで、
グリーンドライレーズンとネギを小麦粉の生地で包み、
スパイシーかつ、ほんのり酸味の効いたラムシチューで煮込んだもの。
皮はもちもちで厚く、ニョッキに近い食感です。

gaboot02_kw.jpg
ガボートを分解したところ

3店それぞれのバージョンを比較してみた結果、
シチューの具材やソースの味付けに若干の差異はあったものの、
ダンプリングの中身にグリーンドライレーズンとネギを入れること、
シチューの具材にラムを用いること、
風味はカルダモンとクミン、ターメリックで付けること、
そしてドライライムで酸味を加えることが共通していました。
これまで各地で20種類近いギョーザを探してきましたが、
なかでもこれは異色の存在です。

それから中東のぶっかけ飯ともいえるシャブジー。

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Sabzi

豆と肉、葉菜をスパイシーなカルダモン風味のソースで煮込み、
ライスを添えて食べるもの。
肉抜きのベジタリアンバージョンもありました。
全体的にやさしい味わいですが、
グリーンペッパーソースで辛み足すと個人的にはかなりイケると思います。

それから余ったパンを無駄にしないよう考えられたと思しきタシュリーブ。

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Tashreeb

一説によると、サウジアラビアのメッカで生まれた古い料理らしく、
かのマホメットをして最高の料理と言わしめたそうな。
発想と調理方法はパンの文化圏で共通例が見られ、
イタリアのリボリータなどはそっくりですね。
しかしながらパンを煮込むソースはご当地柄スパイシー。
バージョンによってはラムやチキン、シーフードを入れることもあり、
なかなかボリュームがありました。

そして甘みが強すぎて敬遠しがちの中東スイーツで、
パレスチナのクナーファと並び、例外的に僕らが飛びついたデーツケーキ。

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Dates Cake

しっとりしたデーツ入りのスポンジに、
ピーナッツかキャラメルのソースを添え、熱々を頂きます。
これは南アのマルバプディングと並び、
ととら亭でもウケること必至でしょう。

さて、そんなこんなで短いながらも密度の濃い取材を終え、
明日は午前中にバーレーンのマナーマへ移動します。
そこでクウェートの最後を飾るのはこの風景。

sunset_kw.jpg

先ほど港で見ていたアラビア湾に沈む夕日です。
いかがです? 美しいでしょう?
僕らは旅に出たとき、
どこかでこうして日が沈むのをゆっくり眺めることにしているのです。
世界遺産など、有名観光地も結構ですが、
こうして太陽が沈むひとときを静かに味わうなんて、
東京の日常ではなかなかできませんからね。
ある意味、僕らの旅のハイライトのひとつなのですよ。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 03:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年01月31日

第25回取材旅行 その2

今日のクウェートシティは晴れ。
というか、場所がら天気予報はず〜っと晴れ。
気温は最低が10度、最高が20度と、
東京の4月中旬の陽気といったところでしょうか。
朝、近くのカフェに行ったときはちょっと肌寒かったくらい。
空気が乾燥しているため、とても過ごし易いです。

blueportview_kw.jpg

日本との時差はマイナス6時間。
僕がこれを書いているのは現地時間9時35分ですから、
日本は15時35分というわけですね。

クウェートといえば日本では湾岸戦争で知られた国ですが、
あれから35年たった今、市内の中心部を見る限り、
戦争の痕跡はまったくありません。
立ち並ぶ高層ビル群がおしなべて新しいことから、
街全体が「再開発」された感じですけどね。

nightview_kw.jpg

鉄道はなく、完全な車社会。
そのせいか歩行者のことはあまり考慮されておらず、
道路を渡るなら気合と体力が必要です。
ま、そもそも歩道をてくてく歩いていたのは、
一部の労働者と僕らくらいでしたが。

人口構成も湾岸諸国のご多分に漏れず、
クウェート人は45パーセントくらい。
ブルーカラーの殆どは、他の国のアラブ人かインド、ネパールなど、
南西アジア諸国出身の外国人です。
(僕らが入国したときも、
ネパールからの集団就職組と思しき女性たちが列を作っていました)
経済は極端な石油中心のモノカルチャーのため、
スーパーマーケットに並ぶ商品はほぼすべてが輸入品。
食料自給率なんて10パーセント未満ではないかしらん?

それから、今回の出発にあたり、
異口同音に聞いた「大丈夫ですか?」の治安ですが、
この2日間に限って言うなら東京と何ら変わりません。
反対に、日本での生活より強く感じたのが人々のフレンドリーさ。
東洋人の旅行者が珍しいからかな?
とにかくそこかしこで声をかけられます。
昨日1日だけでも何人から挨拶されたか覚えていないくらい。
当然、飲食店のスタッフもおしなべてラブリーで、
とても親切なのですよ。

たとえば昨日のランチで入ったローカル食堂で。
思ったとおり、英語のメニューがなく、
さて、どうしたものかと考えていたら、
スタッフのお兄さんが片言の英語で説明してくれました。
そこでありついたのが、こんな料理。

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アラブ風のキーマと、フムス、
そしてシュクシャカと思しきスクランブルエッグ。
これをピタパンと一緒に頂くのですが、そのおいしいことといったら!

そこへ不意にやってきたのが、
ともこの後ろのテーブルで食事をしていた若いご夫婦のご主人。
彼も片言の英語でがんばり、

「どこから来たのですか?」
「日本ですよ」
「やぁ、そうですか、いつか仕事で行けたらと思ってます。
 ここの食事はいかがでしたか?」
「どれもすごくおいしかったです。僕らは中東の料理が大好きでして」
「それはよかった!
 で、クウェートは初めてでしょう?」
「ええ」

続けてスマホを取り出し、

「メモできますか?」
「・・・?」
「僕の電話番号を教えますので、
 もし滞在中に困ったことがあったら、いつでも連絡してください」

こうして彼は最後に名前を告げて去っていったのですが、
本当のサプライズはこのすぐ後でした。

「おいしかったね!」
「ああ、お腹いっぱいだ。食べすぎちゃった。
 じゃ、ここはキャッシュで払ってくるよ」

とキャッシャーに行くと、
さっきのスタッフが何やら意味深な笑顔を浮かべています。

「シュクラン(どうもありがとう)。 会計をお願いします」
「終わりました」

・・・? 言葉が通じてないのかな?

僕はもう一度、「Check, please」と繰り返すも、
彼はまだその表情のまま、「It's dune.」

「いやいや、僕はまだお金を払っていませんよ」
「ええ、お金は彼が払いましたから」
と走り去ろうとする自動車を指差したではないですか。

あいやぁ〜、気付かない間にご馳走になってしまったとは!

その後、彼の電話番号あてにWhat's Upでお礼のメッセージを送ると、

「いや、お礼には及びません。
 クウェートのホスピタリティを知っていただきたかったでけですよ」

との短い返信が。

僕らが取材先の料理を可能な限りリアルに再現しようとする思いは、
現地でのこうした経験に後押しされているからなのですよ。
ささやかな恩返しとして・・・ね。

さて、今日も頑張って料理を探しに行きますか!

to be continued...

えーじ

withpeople_kw.jpg
ローカル食堂のスタッフたちと。
中央の彼はスリランカ出身で、来月に里帰りするとのこと。
Have a good trip!
posted by ととら at 01:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年01月29日

第25回取材旅行 その1

Assalamu alaikum!
(アッサラーム アライクム!(こんにちは!))

僕たちは予定どおり現地時間、昨日の午前10時5分に、
クウェート国際空港に到着しました。

というと、無難な振り出しに聞こえますが、
例によって「想定外が想定内」は僕らの旅のお約束。
そこをお話する前に、まずは時計を27日(月)の夜に戻しましょうか。

青砥駅を発着するスカイライナーの時間が微妙なため、
(16時〜18時間がすこんと抜けているのですよ)
チェックインの3時間前に成田空港第2ターミナルへ。

ここで余裕を持ったのは、もうひとつ理由があります。
それは食事。
成田空港第2ターミナルは出国してしまうと、
飲食店が極端に減ってしまうのですよ。
しかもほとんどの店のラストオーダーは21時。
くわえて値段の高さは外国並みときているでしょ?
そこで早めに行って、選択肢が多く、
値段も妥当な出国前のお店でゆっくりディナー。

これ、外国の空港に行くと毎回思うのですが、
日本の国際空港って、なんでこうも飲食店が少なく、
その営業時間が短いのでしょうね。
ま、成田空港は24時間営業でないから仕方ないにしても、
羽田空港で夜間や早朝のフライトのときは、かなり不便なんですよ。
以前、ホットドッグくらい齧って行こうか、と思ったら、
僅かに開いているお店に乗客が殺到し、
40分並んで買ったことがありました。
以来、こういう時間帯の場合はコンビニのサンドウイッチが定番です。
せっかくの旅の始まりに、さみしい話ではないですか。

さて、そんな思いを吹き飛ばしてくれたのが機内食。
今回お世話になったカタール航空さんの、
以前と変わらない、
いや、それを越えるホスピタリティーには感激しました。
日本発の便にもかかわらず、
出てきたチキンビリヤニのおいしさといったら、

airmeal_qa.jpg

ふたりして思わず「こ、これはっ!」とうなる本格派じゃないですか。
機内食ケータリング企業の努力は並々ならぬものがありますね。

と、感動しつつも食べ終わった僕らはこれまた予定どおり気絶。
気が付けば、着陸2時間半前の朝食です。
そしてこれまた眠さを理由にパスしちゃ後悔する、
おいしいパンケーキのスウィートポテトピューレ添え。
こうして12時間30分のフライトタイムもあっという間に過ぎたのでした。

久しぶりのハマド国際空港は10周年記念でイベント中。
以前の不便な離れ小島型ターミナル群を知る身としては、
まさしく10年一日でしょうか。

airport_qa.jpg

謎のイエローベアーが鎮座する近未来型空港は、
そのファッショナブルなデザインもさることながら、
機能的に充実しており、
何より飲食店が豊富なところがいいですね。

で、クウェート国際空港です。
着陸した滑走路はいかにも中東らしい、埃っぽく殺伐とした様子。

airport_kw.jpg

そしてターミナルに入ったところで予想どおりの展開に・・・

「え? なんだこりゃ、出発ゲートじゃん」

そう、一般的にはボーディングブリッジを渡り、
ターミナルに入ったら、「Arrival」なり「Transit」のサインに従って、
通路を進んで行くでしょう?
ところがそこはお店が立ち並ぶ出発ゲートのフロア。
こういうのは以前トランジットで通過したコスタリカやパナマなど、
中米の空港であったきり。

で、ごちゃごちゃした中から「Arrival」サインを見つけ出し、
そこへ向かったときに目に入ったのが「VISA Insurance」のサイン。
しかし「おや?」と思いつつ「Arrival」サインに導かれて階下へ。

「あれ、どこでVISA代を払うんだろう?」

そう、クウェートのVISAは審査型ではなく、
エジプトやオマーンと同様の単純な入国料の支払いなのですよ。
自販機で印紙を買うとの情報もありましたが、
そんなものはどこにもありません。

「お、あそこにVISAカウンターがあるぞ!」

と近寄ってみれば、ブースの中は誰もいない。
そこで通りがかった警察官に、

「すみません、VISAはどこで申請するのですか?」
「上のフロアです」

なんと! さっき見かけたショップ街の前にあったところか!
で、そこへ戻ると入り口に申請手順が書いてあり、

1.整理券を取る
2.パスポートを自分でコピーする
  (その表示の左横にボロいコピー機がありました。無料)
3.申請用紙に記入する
  (右側に記入台あり)

次に窓口へ行って並んだら、フロアにいたスタッフが、

「番号が表示されますから座ってお待ちください」

なるほどブースの上には役所や銀行の窓口よろしく、
整理券番号が表示されています。

しかし番号は僕らのものより大きい数字。
どうやら申請用紙の記入に手間取っていたら、
スキップされてしまったようです。
そこで整理券を取り直してリトライ。

窓口でパスポート、パスポートのコピー、申請用紙、
クレジットカードを出し、料金はひとり9ドルとのこと。
やがてパスポート情報が記載されたA4の書類を渡され、
スタンプをポン。
さらにパスポートにも入国スタンプが押されていました。
で、「レシートを下さい」といえば、
「紙が詰まりました」とジャムったターミナルを見せられて終了。

さんきゅうべりまっち。

次にその書類を持って隣のブースへ行けば、
素早くスタンプの有無だけ確認して、
別の丸形スタンプを押したかと思うと、
「下へ行ってください」

visa_kw.jpg

う〜む、イミグレへ行くのはいいのだけど、
パスポートはすでに入国スタンプが押されているから、
意味があるのだろうか?
エジプトやオマーンでは、支払い証明書かシールをもらい、
それをイミグレで出してスタンプを押されたけど、
ここはどうなってるんだ?

と、並んでみれば、僕らと同じ運命だったと思しき白人旅行者が、
巡回している警察官に何かを尋ね、
普通はありえないイミグレブースの間にある隙間のような通路を抜け、
ノーチェックで行ってしまったじゃないですか。
案の定、僕らもさっきの書類を見せると、
「バイバイ!」の一言で以上終了。

遅れて着いたバゲッジクレームでは、
既に僕らが乗った便のターンテーブルは終了しており、
哀れなふたつのバックパックは部屋の隅に積み重ねられていました。

とまぁ、こんな具合で入国の流れというのは前情報が乏しく、
結局のところ、現場で臨機応変に切り抜けるしかないのですよ。

そうしてようやくアライバルフロアに出た僕らですが、
「待っていた」のは、
予約していたタクシーのドライバーが「待っていない」逆説的状況。

ったくもう! とWhat's Upでコンタクトしようとしたら、
国際空港なのにフリーのWIFIがないじゃん!
がっでむ! と毒づいて電話回線経由でインターネットに接続し、
メッセージを送ろうとしたら、どういうわけか通信エラー。
さなばびっち! と暴言レベルを上げれば先方からWhat's Upのコールがあり、
「Hello!」といえども応答なし。「Can you hear me?」と続ければ、
向こうは向こうで「Hello. Hello. Where are you, Sir?」と繰り返すばかり。
まざ〜ふぁ×××!とついにF系で通信を切り、
再度こちらから電話でコールするも、今度は呼び出し音が鳴らず。
しかし、ここで向こうからかかった電話に出たら、

「Where are you, Sir?」
「I'm waiting for you in front of the arrival gate!」
「Oh, I see, I see you!」

そういいながら近づいてきたのは30歳代のアラブ系。
こうなると想定していたので、
予約したときに、見つけやすい場所で、
僕の名前を表示していてくれと伝えておいたのですけどね。

ま、ここは中東。
インシャラー(神の御心のままに)の世界ですから、
郷に入れば郷に従うしかないのでございます。
はてさて、これからどうなることやら・・・

to be continued...

えーじ

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2025年01月27日

第25回取材旅行の準備 その3

取材旅行出発前のドタバタはお約束ですが、
今回はそれにメニュー替えや年末年始の営業も重なって、
いつも通りの寝不足に。

となれば、機内食を食べて気絶するのもシナリオどおりかな?
毎回こんな調子なので、飛行機に乗るとほっとするのですよ。
やれやれ、これでひと段落ついたな、と。

そうなれば、目の前の旅に集中することが出来ます。
今回の渡航先、クウェート、バーレーン、サウジアラビアは、
いずれも初めて行く国ですから、
意識が散漫だと、どこでしくじるかわかりません。
いくら旅慣れていても、油断すればルーキーと同じですからね。
とりわけサウジはこれまで訪れたどの国とも習慣が違うようなので、
両替や食事、公共の場での振る舞いなど、
ちょっとしたことでも要注意。
ま、落ち着いて行きましょう。

今日のフライトは21時55分発。
今回お世話になるのはカタール航空さんです。
ドーハを経由するのは久しぶりだな。
最後はコロナ前のいつだったかしらん?
新しいハマド国際空港はファシリティが充実していて、
トランジットも楽しみなんですよね。
往路の滞在時間は4時間あるから、ゆっくり様子を見れるかな?

それでは行ってきます!

えーじ
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2025年01月26日

それぞれの正解

「次はベトナムに行くんですよ」
「この前、トルコへ行ってきました」

ととら亭は旅の食堂。
となれば、自ずと旅人たちが集まってきます。

「9月にニュージーランドへ行こうと思って」
「もしかしたら仕事でモルドバへ行けるかも」

その彼、彼女たちから聞く、それぞれのストーリーは、
いつも新鮮で、期待に満ちたものばかり。

そして、そのスタイルもさまざまです。
パックツアーに参加される方、
現地の家族を尋ねるという方、
それから僕らのような個人旅行も。

そんな中で、ときおり、
「外国は怖いから・・・」
「英語が話せないから・・・」
とパックツアーに参加することを、
ちょっと後ろめたくおっしゃる方もいます。
そして、続く、
「個人旅行なんて、スゴイですね」というお褒めの言葉。

でもね、旅のスタイルに、
良し悪しも、優劣もないんですよ。
それぞれの人に、それぞれの人生があるように、
それぞれの旅がある。

言い換えれば、旅のスタイルに唯一の正解なんてありません。
あなたの選んだ旅が、あなたの正解なのです。

それは行き先にも当てはまり、
僕らにしても外国の料理を紹介するという手前、
話題は海外に偏りがちですが、
外国専門というわけではありません。
そう、海外旅行だけが旅ではない。

「このまえ行った天草はとっても良かったの」

こう楽しそうに話していた方がいらっしゃいました。
それを受けて、

「いやぁ、長崎はいいですよね!
 僕もライダー時代に何度か行きました。
 特に天草パールラインで見た夕焼けは格別だったなぁ」

さらにそれは遠出に限らず、
住み慣れた街の、歩いたことがない道を散歩することだって、
ひとつの旅になり得るでしょう。
たとえば仕事の帰りにひと駅前で降り、
スマホを見るのではなく、気の向くままに歩いて自宅を目指すとか。
そこにはきっと、何年住んでも気付かなかった、
小さな発見があるはずです。

そして究極的には、
病院のベッドに寝ながら空を見上げ、心の旅ができること。
それは僕にとって、ひとつの理想に他なりません。

そう、それぞれの旅が、それぞれの正解なんですよ。

えーじ
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2025年01月23日

A Farewell to violence and dirty money

学校で教えてくれない歴史とは、
いま、目の前にある現実でもあります。

それは、人類の秩序が平和的な話し合いやフェアな取引ではなく、
暴力と脅迫によって作られ、
次に暴力がお金にとって変わられたという事実。

そしてそれは野蛮な中世の話ではなく、
人類を100回滅亡させてもまだ余る核兵器を作り出した今でも、
秩序が入れ替わるたびに繰り返されている。

その残酷な誕生のプロセスは、
ウクライナやパレスチナで、今まさに進行中です。

これに新自由主義を具現化したアメリカが、
よりスマートに、おカネで参加し始めました。

民族主義の名のもとに憎悪を煽り、
経済的繁栄の御旗を掲げて強欲を賛美する。
そう、隣人も、自然も、
自分の銀行口座の数字に寄与する要素でしかない。

おもしろおかしく生きて行ければいい。
他人なんてどうでもいい社会。

僕たちが望んでいるのは、そんな世界なのでしょうか?

いや、まだ選択肢はある。

僕はそう信じています。

Are you stay with me?

えーじ
posted by ととら at 09:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年01月20日

旅という教室

先の長旅についてはいろいろなご質問を頂戴しておりますが、
ちょっと前にお話した「いちばん良かった場所」に次いで多いのが、

何にいちばん苦労しましたか?

僕らの旅の場合、苦労はフツーに付きものですから、
(残念ながら)
今さら1番も2番もないのですけど、
今回、かなり手を焼いたのが旅行シーズンに伴う「大混雑」。
これは想定を大きく上回っておりました。
いやぁ〜、7月から9月のヨーロッパがあんな状態とはね。
とにかくどこもかしこも混んでいて、
出たとこ勝負ではどうしようもありません。

そこで仕方なく、事前に宿や交通手段から、
レストランまでブッキングしまくったものの、
今度はそれが仇となって、
スケジュールは融通の利かないがちがちに。
レンタカーで移動していたときなど、疲れて一泊したくても、
予約した宿のある街まで根性で走らねばならなかったり。

レンタカーといえば、これも大失敗でした。
いや、ディーゼル事件の件ではありません。
ヨーロッパの道路があんなに混んでいるとは知らなかったのですよ。
しかも皆さん、えらいスピードで走っていますから、
よそ者の僕がとろとろやっていると煽られる、煽られる・・・

さらに取材といえば古い飲食店の多い旧市街でしょ?
で、旧市街といえば、文字通り「旧い」街ですから、
道路は現代の自動車ではなく、歩行者や馬車を基準に作られています。
その細く曲がりくねった道を走ることの恐ろしさといったらもう・・・
ボディをこすりそうになるだけではなく、
突然、狭い路地から電動キックボードが飛び出してきたり。
加えてトラムがやたらと走っているじゃないですか。
軌道内を走行中、あれに追いかけられたときなんか、
生きた心地がしませんでした。
ほんと、よく無事故で戻れたものです。

取材そのものでの苦労といえば、
いちばん大変だったのが、お目当ての料理のあるレストランを探すこと。
郷土料理であればどこにでもあるというわけではなく、
場合によっては、街中がファーストフード店ばかりになっていて、
なかなか、ここだ! という店が見つからないのです。
ボスニアやイタリア、モロッコなど、
簡単に探し出せた国もあれば、
イギリスやモンテネグロなど、
かなり難航したケースも珍しくありません。

そして取材といえば、やはり問題だったのが一皿の量。
クロアチアのザグレブで入ったレストランなど、
場合によってはととら亭の量の4倍はありましたからね。
あれはマジできつかった!

そんなこんなで、
とにかく苦労の絶えない4カ月間ではありましたが、
そんな想定外も想定内なのが僕らの旅。
今から思えば、そうしたハードルを乗り越えたプロセスもまた、
いい思い出のひとつです。
次はこれらから学んだ教訓を活かし、
より密度の高い旅をして行きたいと思います。

えーじ
posted by ととら at 00:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年01月17日

第25回取材旅行の準備 その2

旅の準備といえば、まず渡航先の文化と料理の下調べ、
そして航空券の手配から、
VISAや保険など入出国に関する手続きとなりますが、
忘れてはならないのが体の調整。

僕らの場合、バックパッカーなので、
一般的な旅行より身体能力が求められるのですよ。
なんといってもメインザックの重さが約17キログラム、
サブザックが約8キログラム、
これに挟まれたサンドウイッチマンスタイルで旅をしていますからね。

sandwichmen.jpg

というわけで61歳にして、
筋トレやらジョギングやらやらねばならんわけですが、
体の仕上がりの目安となるのが体重と運動時の心拍数。
いつぞやお話しましたように、僕はもともとひょろひょろ君ですので、
旅の出発前には筋肉量を3キロ前後増やさねばなりません。
なので、もうちょい上げて68キログラム前後を目指しています。

それから階段ダッシュを入れたジョギングで、
最大心拍数を150bpm以下にする。
(体がダレた状態だと180くらい打ってしまう)
これは完全に調整が終わると、安静時に55bpmくらいまで下げられます。
(入院してた時に50くらいまで下がり、死にそうだと思われたことも)

この基準に照らすと、今日現在、出発前10日にして、
仕上がりは65パーセントくらいでしょうか。
このまま続ければ、まぁ、どうにかなるかな?
今回のルートで高地はありませんし、
長距離徒歩移動やフル装備ダッシュなど、
あまり過激なことはやらなくて済みそうなので。
(たぶん・・・I hope so.)

さいわい健康診断の結果は二人ともオールグリーン。
今の年齢にしては上出来でしょう。
これをいつまで維持できるかな?
ん〜・・・ここ4、5年のうちに、
アフリカや南米など、しんどいところはクリアしておきたいなぁ。

旅の食堂などというのは因果な商売でして。
日本にいても、外国にいても、
体が資本なのでございます。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 12:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年01月14日

第25回取材旅行の準備 その1

長い旅の余韻も冷めやらぬうちから、
パラレルで進めていたのが中東の旅の準備。
当初はもう少し後でと考えていましたが、
昨年末、シリアのアサド政権が崩壊し、
アラビア半島はさらなる混迷の瀬戸際に・・・
そこで急遽、前倒しして行かねば! となったのでございます。

まぁ、圧制者が去って地に平和が訪れた、
こんなハリウッド映画のようなシナリオになればいいのですけどね。
シリア料理は隣国のレバノンと並び、
以前から調べてみたいと思っていましたから。

ところがイラクやリビアの例を鑑みますと、
前政権が封殺していた他勢力同士の権力争いが先鋭化し、
圧制より悪いカオスになってしまうこともじゅうぶん考えられます。
どっちに転ぶかは現時点で誰も何とも言えないでしょう。

今回のルートはカタールのドーハを経由し、
クウェート、バーレーン、サウジアラビアと周るもの。
急がねばと思った理由はサウジで、
シリア情勢には深くイランが関与しており、
イランはイスラエルの宿敵、
イスラエルの宿敵といえば、
パレスチナのハマスやレバノンのヒズボラのほか、
イエメンのフーシ派がおり、
フーシ派はイランと連携してサウジと敵対している。

つまり、シリアというドミノを倒すと、
先に挙げた関係者が連鎖的に反応する可能性があり、
そうなれば地図を見るまでもなく、
アラビア半島全体が危険なムードになる可能性が高いのです。

別の要素として、かつてムスリムに改宗するか、
ビジネスビザを取る以外に入国できなかったサウジが、
いつまた入れなくなるかわからない、というのもあります。
観光ビザを出すようになったのもついこの前、2019年のことなのですよ。
しかも国の全権を掌握するのはたったひとりの王さまですから、
(サルマン・ビン・アブドルアジーズ・アール・サウード国王)
いつまた「やっぱ、やぁ〜めた!」と心変わりするかもしれない。
というわけで、行くなら早いに越したことなし。

期間は1月27日(月)から2月12日(水)の17日間。

はてさて、どうなることやら。
いま以上に不確定要素が増えないことを祈りつつ、
準備を進めて行きたいと思います。

All we need is PEACE.

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 11:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年01月10日

長い旅を振り返り

ヨーロッパ横断の旅から戻って1カ月。
しかし、本当の区切りがついたのは昨日でした。

旅は実際に現地を移動している期間だけではありません。
その準備から、帰国後の整理を含めて、
ひとつの大きな流れを作っているのです。

とりわけ今回のように生活と仕事が一体化した長い旅は、
さまざまな前後のすり合わせが求められ、
クロスフェードの期間もそれなりに長くなりました。

帰国後のみを振り返っても、
まず日本での生活と、ととら亭の再起動に始まり、
病院巡りによる体調チェック、
今回はそれに旅のメニュー替え(世界のギョーザ特集)と年末年始営業、
最後にもう一度メニュー替え(スウェーデン料理特集)があり、
これらが終わってようやくひと段落となったのです。

もちろんこれが完全に終了という意味ではなく、
フェーズ2として4か月に及ぶ膨大なインプットを取りまとめ、
個別のテーマでアウトプットして行く作業がありますけどね。
これは国内での通常営業とパラレルで進めて行く予定。

で、肝心のフェーズ1の評価ですが、
初めての試みにしては上出来だった、と自己評価しております。
ま、ご存知のとおり、あれこれアクシデントはあったものの、
「想定外は想定内」が僕らの旅。
いずれも基本技である「柔軟な発想と粘り強い行動」で、
何とか切り抜けられましたから。

帰国後から昨日までの期間も、
ゼロからの再起動が10日間でできるか、
感染症が流行るなか健康をキープできるか、
リソースに余裕がない状態で繁忙期を越えられるか、など、
いくつかの不安要素はありましたけど、
結果的にいい形で着地できて、ほっとしております。

これらから得られたフィードバックを活かし、
次の旅をよりブラッシュアップされたものにしたいと思っています。
まずは今月27日スタートの中東3カ国を巡る取材旅行。
シリアの政変を受けて予定をだいぶ前倒ししたため、
かなり忙しい準備となっていますが、
まぁ、何とかなる・・・でしょう。

今年も早々に新しいことへのチャレンジの始まりです。

えーじ
posted by ととら at 09:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年01月07日

旅の入り口

「海外旅行に行きたいのですけど、お勧めの国はありますか?」

ここ最近、柴又でも30歳前後の若手のお客さまが増えてきました。
そこでしばしば頂くのがこのご質問。

ふ〜む・・・
まだ経験の浅い彼、彼女たちにどこを勧めたらいいだろう?

「そうだね、ちょっとコストは高いけど、北欧はどうだい?」

実際、僕も自分が旅したときに、
ああ、ここはぜひ若い人に来てほしいなぁ・・・
と思ったものです。
なぜなら、この美しい国々という鏡に映った日本の姿は、
きっと既存の印象を変えるだろうから。

日本はG7(主要国首脳会議)の中の一国。
当然、「先進国」だという自負を、
ほとんどの人が持っているでしょう。
しかし、北欧5カ国のリアルな姿を目の当たりにしたら、
そう安穏としてはいられなくなるかもしれません。

一般的に「福祉が進んでいる」という印象は持たれていますけど、
それは氷山の一角に過ぎないのですよ。
経済から、労働の質、教育、人権、政治、医療など、
広い範囲で驚くほど先に進んでいる。
取材前の下調べである程度は把握していたものの、
実際に現地でその現実を垣間見たとき、
これほどまでに引き離されているとは思いませんでした。

たとえばノルウェー人の平均収入は、日本人の約1.6倍。
では彼らが僕らを上回るワーカホリックなのかというと、
労働時間は逆の0.8倍という数字が出ています。
(いずれも2018年に各国のゼネラルインフォを調べたものですが)
確かにデンマークでも17時となるや、続々と人々が帰宅して行く。
まるで「残業」という言葉を知らないかのように。
ちょうど夏至の頃に訪れたスウェーデンでは、
観光客が溢れる書き入れ時にも関わらず、
長期休業に入っているレストランをしばしば見かけました。
(1年で一番いい季節を家族と過ごすために!)
とにかくワークライフバランスが違い過ぎる。

教育もそう。
全員が同じ教育を同時に受けることが「平等のモデル」である日本に対し、
彼らは個々人の学習速度に応じて個別にカリキュラムを組んでいる。
だから自ずと落ちこぼれる確率も低い。

人権に至っては、日本が今ごろ議論しているLGBTQの問題も、
スウェーデンではさっさと半世紀前に差別を禁止する法案を通している。

僕はここで自国を卑下するつもりはありませんが、
たとえば少数民族の言語を人口比率に応じて公用語にしている件だけでも、
沖縄で琉球語を、北海道のアイヌ人口が多い地域でアイヌ語を、
それぞれ公用語にするとしたら、どれくらいの時間がかかると思います?
(そもそもその気はないかもしれませんけど)

繰り返しになりますが、僕は若者に劣等感を植え付けようとして、
北欧を勧めているのではありません。
僕たちはけしてベストではない、と知ってほしいだけ。

それはつまり、成長の余地があるという意味であり、
また、現状の行き詰まりで絶望することはないのだという、
メッセージでもあります。

あ、話がマクロになりました。

そんなわけで、未来への扉のひとつになればいいな、
と思ってやります。

スウェーデン料理特集

ここから君たちの旅が始まりますように。

えーじ
posted by ととら at 00:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年01月04日

今年の抱負2025

今年の抱負。

これをお仕事風にいうと「事業計画」になりますが、
僕らの場合、予定を線表に落としたところで絵に描いた餅なんですよ。
それと申しますのも、
全体を通して自力ではいかんともし難い要素が多いため、
細かい計画を立てても、
結局、最後は出たとこ勝負になってしまうから。

たとえば先のヨーロッパ横断旅行。
8月5日の出発時をプランAとしますと、
12月9日の帰国時にはプランJになっていたじゃないですか。
そう、計画変更は数えること9回!

詳細はブログ「第24回取材旅行」シリーズに譲るとして、
鉄道やフェリーのストライキによる欠航や、
僕らの体調不良など、
いろいろな理由からルートを変更したり、
ホテルや交通手段の再ブッキングを強いられていたのです。

とはいえ、沈没したり迷走したりしていたわけではありません。
変えていたのはあくまでも手段であって、
旅の目的そのものは、最後までブレませんでしたからね。
今はその成果を少しずつまとめているところです。

さて、このように的を広げたレベルであれば、
今年も旅のインプットに軸足を置いて行きたいと考えています。
まずは今月末の中東3カ国と、
それに続く6月のボルネオ島の取材で外堀を埋め、
9月末から来年1月にかけての中東‐アジア横断で、
ユーラシア大陸の旅を一時終了しようと思っています。

それから忘れちゃいけない旅のフィードバック。
来週の水曜日からスウェーデン料理特集が始まりますが、
年内にその他の新作もリリース予定。

ともあれ、今の国際情勢や気候変動と僕らの健康状態を鑑みますと、
(老朽化が進んでいますからねぇ・・・)
いつ何が起こっても不思議ではありません。

今日のお話がプランAだとしますと、
年末には何になっているのかな?

ん〜・・・
何とかプランCかDくらいでフィニュッシュしたいなぁ。

まぁ、これは希望的観測ですけど。

えーじ
posted by ととら at 07:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年01月01日

仕事始め2025

あけましておめでとうございます!

昨日はフルマラソン、
いや、トライアスロンを完走したような気分と申しますか、
疲労感とともに、心地良い達成感に浸って、
大晦日を過ごしました。

余力を残さずゴールすると、
その結果がたとえ最下位であっても満足できるものです。
やるだけやったということは、
もうそれ以上できなかったということですから。

ととら亭は今日が仕事始め。

今年も最後まで走り切りたいと思います。

えーじ
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2024年12月31日

End Roll of 2024

今年は旅をいっぱいできた充実した1年でした。
長いあいだ夢みていたユーラシア大陸横断の旅もスタートできました。
そして柴又でも、野方からも、そしてもっと遠い所からも、
「お帰りなさい!」と言ってくれる、
お客さまが沢山いることに幸せを感じました。

旅も大好きだし、ととら亭での日々も大切なので、
毎日が新鮮で、一日が、一年があっという間に感じます。

夢を持てたこと、夢に向かってがんばれること、
そして、夢を一緒に楽しむ相棒がいることが私の宝物です。

来年は今年以上にワクワクする毎日になりそうです。
パワー全開で、走り続けたいと思います。

ともこ

2月に行ったメキシコの旅。
6月に行ったフィリピンと台湾の旅。
8月から12月にかけて横断したヨーロッパの旅。
そして、柴又で送る日々の旅。

今年もこれらの途上で、たくさんの人々のお世話になりました。
僕らの旅は、基本的にD.I.Y.ですが、
さりとて、すべてが自力で出来たわけではありません。

本当にありがとうございました。

それから、ときに厳しく、困難なことの多い旅を、
一緒に歩いてくれたともこへ。

お疲れさまでした。

来年もよろしくお願いいたします。

えーじ

thanks2024.jpg
Thank you sooooo much!
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2024年12月30日

仕事納め2024

今日は今年の営業最終日。

息を切らせて山を登っているとき、
見えているのは、すぐ目の前の退屈な斜面ですが、
立ち止まって振り返れば、
それまで踏破した遠大な世界が広がっています。

今年は僕らにとって特別な年だったせいか、
ここから見渡せるのは、
1年を越えて、ずっと、ずっと彼方まで続く、、
ととら亭と歩んだ15年の月日でした。

北千住に始まり、野方を経由し、柴又へ続く、
長く、曲がりくねった道。

ふたたび自由な旅に出られるようになるまで、
なんとも長い時間がかかりましたけど、
それでもどうやら、
僕らは正しい方向へ進んできたのかな?

さて、あともう少し登れば頂上。
そこから今度は過去ではなく、未来の風景を眺めてみましょう。
そしてルートを定めたら、また歩き始めるのです。

旅とは、そういうものですから。

えーじ
posted by ととら at 00:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年12月26日

クリスマスも Let it be

昨日はクリスマス。
例によって、ととら亭にリースの飾りつけなし、
クリスマスツリーも、特別メニューもなし、
僕もサンタのコスプレをしないで営業しておりました。

え? 一昨日のイブ?
休んじゃいましたよ、定休日ですから。

こんなことを続けて15年になりますが、
その理由はと申しますと、
僕らが「つむじ曲がりのへそ曲がり」だからでございます。

この協調性に欠ける性格は遺伝子レベルなのか、
「×××はかくあるべし」のような、
暗黙の了解というか、いま風に言えば同調圧力を感じると、
本能的に逆を行ってしまうのですよ。

その一例がこれ。

クリスマスだから何なんだ?

いや、僕は、
クリスチャンでもないのに真似ごとだけするとはけしからん!
と、のたまう原理主義者ではありません。

やりたい人はやればよろしい。
(実は僕も若かりし頃、さんざんやりましたので・・・)

ただ、ぷいっと横を向いてしまうのは、
「クリスマスだからこう過ごさなくちゃ」
というイデオロギーなんですよ。

そこでこうしたムードに加担したくなかったから、
ととら亭では(販促)イベントとしてのクリスマスを、
特別あつかいしないのです。
(宗教行事じゃないでしょ?
ことクリスチャンが人口の2パーセント程度しかいない日本では)

もっというと、
イブの晩にひとりで牛丼食べて何が悪い?
と同じように、

40歳過ぎて結婚していなくて何が悪い?
(僕らも政略ならぬ「戦略」結婚ですし)

結婚したのに子供がいなくて何が悪い?
(わが家は自分たちの意思で作りませんでしたし)

男性が男性を、女性が女性を好きになって何が悪い?
(僕らはヘテロセクシャルですが)

こう延々と続きます。
いずれも他人さまに迷惑をかけていないにもかかわらず、
周りがあれこれプレッシャーをかけることの方に違和感を感じている。

「わたし、わき毛がぼうぼうなんですけど、どう思います?」

以前、20歳前後の女性から唐突にこう訊かれたことがありました。
(一瞬たじろぎましたが・・・)

そこで僕はこう答えたのです。

「君が望むのなら、それでいいじゃないか」

Let it be.

あるがまま、それが自然じゃないですか?

えーじ
posted by ととら at 08:53| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2024年12月23日

終わるまもなく始まりへ

今年も残すところ、あと9日。
いろいろお世話になりました。

と、巷はエンディングモードですが、
僕らはフライングのまま走り始めております。
ととら亭の再起動は、そのままスタートですからね。

そしてこの週末の営業で、さらにやる気はレッドゾーン!
待っていてくれた方々の声は、まさに気合の源です。
僕らのような仕事でいちばん励みになるのは、
売上高や集客数ではなく、
個々のお客さまのご理解と、その反応なのですよ。

さっそくご紹介したモルドバのコルティナシや、
シュトゥットガルト版マウルタッシェンの食べっぷりを見ていると、
ああ、あの旅に出て良かったな・・・
と、しみじみ思いました。

それからこのブログを通して、
いろいろなことをシェア出来たことも嬉しく思っています。

残念ながら、僕は答えを持っていません。
ご存知のように、見たなり、感じたなりを、
ダイレクトにお伝えしているだけ。

でも、それはいわゆる丸投げや、次世代への責任転嫁ではなく、
(少なくとも本人はそう思ってます)
一緒に考えてもらうきっかけになれば、
と願ってのことなのですよ。

僕らが開けられるドアはけして大きなものではありません。
しかし、そこを抜けた君が思索し、旅する世界は広大です。

終わるまもなく始まりへ。
僕らは次の旅へ向けて走り出しました。
この年末年始も、どうやらのんびりしてはいられないようです。

さぁ、旅を続けましょう。

えーじ
posted by ととら at 00:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年12月20日

ととら亭再起動202412

4カ月間の旅は初めてのチャレンジでしたが、
同じく4カ月間留守にして、
お店を再起動するのも初めてのこと。

取りあえず余裕をみて準備期間は10日間とっておいたものの、
ふたを開けてみれば・・・

ぎりぎりでした。

メニュー替えが重なったこともさることながら、
公私の「私」の部分が尋常ではなかったのですよ。
ふたりして病院関係だけでも何軒はしごしたことか。
(まぁ、そういう年齢なんでねぇ・・・)

それから掃除はすべてが大掃除級。
食器もすべて洗わなくてはならないし。
とにかくやってもやっても終わらない。

「ふふ・・・はは・・・わははは〜、終わらねぇ〜!」

と最後は意味不明の笑いが出る始末でありました。

それでもご予約が入るたびに、はっとわれに返り、
そうだ、待っていてくれた人たちがいるんだ!
と思うと、がんばれるものですね。

2009年の長旅との、この違いは大きい。
あのときは、ほんとに僕たち二人きりでしたから。

さて、ともこは概ね終わったようだし、
僕の方も原稿があらかた仕上がったので、
あとは印刷してメニューブックに綴じるだけ。

旅のメニューの特集は、
さっそく今回の旅の成果が反映されています。

世界のギョーザ特集パート7

気合を入れていくぜ。

えーじ
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2024年12月17日

難しい質問

「どこがいちばん良かったですか?」

この仕事を始めて14年余。
最も頂いた回数が多く、
また、回答の難しいご質問がこれ。

とりわけ今回のように1回で20カ国以上を周った旅となると、
いちばんどころか、
ベスト3に絞るだけでもほぼ不可能なのですよ。

逆説的に申しますと、今まで行った国で、
「もう2度と行きたくない」ところはありません。
むしろ、どこももう一度行きたいところばかり。

では答えになっていませんよね?
それも分かります。

そこで僕らの「感動する」傾向を掘り下げてみますと、
大都市より小さな地方都市を好むような気がします。
たとえばイタリアではローマやミラノより、
サッサリ(サルデーニャ島)や、
ちょっと大きくてもジェノバくらいとか。

それから二人とも根がアウトドア派のせいか、
都会より、自然の方に惹かれますね。
オーストラリアを旅したときなど、
おお! と思ったのは、メルボルンやアデレードではなく、
ウルル・カタジュタやアーネムランドでしたから。

そこから振り返ると、
スイスのツェルマットなんか理想的なのかな?

いや、絞り込む前に、もうひとつ大切なことを忘れていました。
なるべく自分の日常と違うところがいい。
となると、スイスはちょっと近過ぎるか。

では今回のヨーロッパ横断で、
小さくて、自然があって、東京と経済レベル、文化ともに違う場所、
それは・・・

北マケドニアのオフリドやコソボのペーヤあたりが該当するかな?
あ、ボスニアのモスタルもいいかも。
あとクロアチアのスプリトとか。

いずれもおいしい郷土料理のレストランが多く、
それでいて観光地スレしていないところがいい。
こうした街なら1週間から10日くらい滞在して、
じっくりいろいろ調べたいですね。

あ、これらはあくまでも僕らの好みの話で、
けして「お勧め」という意味ではありませんよ。
別の観点で共通する特徴は、
アクセスが悪く、インフラが不便で、
英語もあまり通じない、ですから。

えーじ
posted by ととら at 13:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年12月14日

再起動へ向けて

お待たせいたしました!

再起動の目途がたちましたので、
12月と1月の営業スケジュールを発表します。
(ご予約の受付も開始です!)

いやはや今回の長旅は初めてのチャレンジでしたから、
帰国後の再起動プロセスも異次元レベルになっていたのですよ。
とりわけともこの担当部分は、すべてゼロからのスタート。
ここまで冷蔵庫から冷凍ストッカーが空っぽになったのは、
開業準備以来ではないかしらん?
仕込みを始める以前に、大量の仕入れもしなければならず、
ここ数日、納品と片付けだけでもえらいこっちゃになっておりました。
彼女は今朝も早くからキッチンにこもり、
ケンシロー並みのスピードで下処理等をやっています。

僕の担当部分も、
山となった郵便物を捌くだけで半日以上かかりました。
(溢れた郵便物を一時保管してくれた郵便局さん、
ご迷惑をおかけしました。ありがとうございます!)
部屋の掃除からウェブサイトの更新など、
その他の雑務で、あっという間に一日が終わってしまいますね。

それでも4カ月ぶりに生活習慣が元に戻せて、
体調はとてもいいです。
「取材で食べる」というのは実のところ、
そのときの気分ではないものを、
腹の空き具合を無視して食べるわけでして、
ま、確かにおいしいとはいえ、
心身ともに負担がかかるのは避けられません。

それからトレーニングも再開できました。
少しずつですけどね。
帰国して体重を測ったら、やっぱり4キロほど落ちてました。
僕はもともとヒョロヒョロ体形なので、
筋トレをさぼると3カ月ほどで元に戻ってしまうのですよ。
ここは次の取材旅行までに調整し直さなくては。

さて、今日はランチを食べたら、
メニュー作りと写真データの整理だな。
おっと店頭の営業スケジュールも張り出さなくちゃ。
がんばります!

えーじ
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2024年12月10日

第24回取材旅行 その48(最終回)

帰ってまいりました!

昨日、僕らが柴又に戻ったのはちょうど21時。
東京の気候は直前にいたイスタンブールとあまり変わらず、
環境適応の必要はありませんでした。

しかし、この心持はどう説明したらいいでしょうね?
帰国後になかなか頭が切り替わらないのはいつものことですけど、
今回は今までにない、妙な感じになっておりまして。

いや、これは帰ってからではなく、
帰国プロセスに入った、この1週間くらい前から始まったのかな?
何だか旅がずっと、ずっと、
どこまでも続いているような気がしてならないのですよ。

だから東京に「帰った」、「戻った」ではなく、
「到着した」と言った方がしっくりくるような・・・
自宅に入ったときも「帰宅」というより、
「チェックイン」したような・・・
たぶん、これも4カ月を超える旅の余韻なのかもしれませんね。

そんな浦島太郎の頭を現実に引き戻してくれたのは、
商店街のフェローたちでした。
今朝、長旅から戻った挨拶に回っていて、
彼、彼女たちと話をしていたら、ようやく、
ああ、僕は帰ってきたんだ、ここは僕の街なんだ、
という実感が湧いてきたのです。
そういえば、初めて訪れる街を流れ流れて旅をしているときは、
知っている人に挨拶する機会なんてありませんからね。

昨夜は5カ月ぶりくらいの風呂に入り、
(シャワーは浴びてましたよ!)
ベッドで体を伸ばして眠ったせいか、二人ともすっかり元気です。
疲れもほとんど残っていません。
体質的に時差ボケもしませんし。

そこで朝食後から、さっそく旅装の片付けや洗濯、
(もうどれもこれもドロドロのボロボロ・・・)
食材の発注から山積みになった郵便物さばきを始めました。
ついでにインフルエンザの予防接種も。
(流行っているようですね)

この辺の大まかな流れは通常の取材旅行と同じ。
ただし今回は営業中の店を休眠し、
過去最長の4カ月を超える旅行期間となったので、
量、質ともに内容が変わってきました。
実はこの辺のデータを細かく集めておりまして。
このあと課題を洗い出したら、
次回の長旅にフィードバックしようと思っています。

旅慣れているとはよく言われますが、
旅の内容が変われば僕らとて素人に変わりはありません。
とりわけ今回は、
準備段階からルーキーのつもりで取り組んでいました。
やったことのない旅ですからね。
なので最初から最後まで「げげっ!」となっても毒づかず、
クールに応急処置をしてデータを取る。
だいたい100点満点なんて、あり得ないのですよ。
初めてのチャレンジなんですから。

今回はインプットが膨大すぎて、
消化するのにもだいぶ時間がかかりそうです。
でも、手ごたえは予想以上にしっかりしたものでした。
これらをどのような形で皆さんとシェアするか?
まずは年末の特集で予告編くらいできるかな?
営業スケジュールの発表とご予約の受付は、
12月14日(土)までお待ちを。

応援ありがとうございました!

End

えーじ

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See you on the next TRIP!!
posted by ととら at 17:42| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記

2024年12月08日

第24回取材旅行 その47

ともこです。

ユーラシア大陸を横断しよう!

もうずいぶん前のことですけど、えーじからこう聞かされたときは、
まさか本当に行けるなんて、まったく思っていませんでした。
大きな夢を持つのはいいことだよね、くらいにしか考えられなくて。
その夢が現実になり、出発してから新しいことの連続で、
ワクワクしっぱなしでした。

振り返れば大変だったこともたくさんありました。
でも、それを二人で協力して乗り切れたことが、
大きな自信に繋がったと思います。
(えーじがひとりでやってたこともありましたけど・・・)
それでパート1のゴールのイスタンブールに着いたとき、
前に普通の取材できた時には感じられなかった達成感があったのかな?

きっとアジアを旅するパート2は、
今回と比べものにならないくらい、いろいろ起こる気がします。
それにもワクワクしながら今回の経験を活かせるよう、がんばらなくちゃ。

こうして旅を続けられる幸せを感じつつ、
さらに見たことのない場所、
食べたことのない料理を探して行きたいと思います。

to be continued...

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イスタンブール空港にて
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2024年12月07日

第24回取材旅行 その46

Merhaba!(メルハバ(こんにちは!))

昨日の昼過ぎ、僕らはイスタンブールに到着しました。
ここはユーラシア大陸横断旅行のパート1、
ヨーロッパ編のゴール。
途中、予想どおりの時間切れでジャンプしましたが、
金角湾を渡る橋から旧市街を見渡したときには、
ああ、遂にここまで来たぜ・・・という気持ちになりました。

会社で携わった大きなプロジェクトが終わったとき、
その会社を辞めたとき、
南米を3か月間旅したとき、
野方のととら亭を立ち上げたとき、
そして柴又に移転したとき・・・

自分が歩いてきた長い道を振り返ったときにだけ見渡せるこの光景。

誰かに認められたいからではなく、
報酬のためでもなく、
自分の価値観で、自分の意志で、自分の力で、自分のやり方で歩いた旅。

わかってるよ。100点満点じゃない。
間違いを犯し、失敗を繰り返してここまで来たんだ。
それでも、お前にしちゃあ、上出来じゃないか?

そして傍らに立つ相棒を見て思う、信頼と感謝の気持ち。

そうだ、ひとりじゃできなかった。
このチームだからこそ、ここまで来れたんだ。

「はい、コニチワ! サバサンド、めっちゃウマイよ!」

エミノニュの港に着けば、
イスタンブールは以前と変わらず、
喧騒と荒っぽいやさしさで僕らを迎えてくれました。

「もう昼過ぎか」
「ちょっとお腹が空いたね」
「そうだな、ここで小腹満たしといくか?」
「うん、サバサンドはお約束だよ!」

海鳥が飛び交い、足元を猫と犬がうろつき、
物売りが現れては消えて行く・・・

ああ、これが旅なんだ。

僕らは夢中でバリックエキメッキにかぶりついていました。

to be continued...

えーじ

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posted by ととら at 16:32| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2024年12月06日

第24回取材旅行 その45

今朝のキシナウの天気は曇り。
気温はマイナス2度です。
この旅も残すところ4日となりました。
取材という意味では今日が最終日。

出発当初から予想はしていましたが、
127日間というのも振り返れば「あっという間」ですね。
最初は「4か月以上か〜、かなり長いな」と思っていたのが、
1か月が経ち、2か月が過ぎた頃には、
「わぁ、もう60日も経ったのか? 半分おわっちゃった!」
という具合に。

そしてまた不思議なのは、
前半部分を数年前の別の旅だったように感じていること。
たとえば8月のモロッコや9月のスペインを巡っていた部分は、
だいぶ前の旅だったような気がしてならないのですよ。
まぁ、確かに季節があの頃は40度を超える真夏でしたしね。
それに移動もバスや電車とレンタカーでは別物です。

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灼熱のサハラ砂漠で

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酷暑のラ・マンチャで風車の撮影中

加えて文化が違うことも、
連続性が感覚的に途切れる大きな要因かもしれません。
西ヨーロッパとバルカンを「欧州」の一言で括るには無理がありますし。
個別に見ても、同じラテン語系の言語を話すモルドバとイタリアに、
ほとんど共通点は見出せませんから。

しかし料理は、
いつも僕らをひと繋がりの世界に引き戻すきっかけとなってくれます。
なぜならそこには「オリジナル」とか「元祖」という、
排他的な独立性なんてありませんから。
すべてはどこかで何かと繋がっており、
伝播の方向も特定するのが難しい。
ときにはそれが一度消滅し、空間と時間を飛び越えて、
別のところに現れることさえある。

たとえば以前もお話したアゼルバイジャンのギューザと、
サルデーニャ島のクルルジョネス。

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アゼルバイジャンのギューザ
2014年にバクーで撮影

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サルデーニャ島(イタリア)のクルルジョネス
今回の旅で撮影

ご覧のとおり、ちょっとまねできない特徴的な包み方は同じですが、
地理的距離は直線で4000キロメートル以上も離れており、
歴史的に直接つながるエビデンスは今のところ見出せません。
さらに、その中間の地域で両者に共通する手がかりも見つからない。
にもかかわらず、
無関係とは考えにくい複雑な包み方の料理が離れて存在している。
ということは、今はまだわかりませんが、
どこかで何かが繋がっているとしか考えられない。

はてさて真相はどうなのでしょうね?
ここは来年行く予定のコーカサス地方で何か見つかるかも。

さて、今日は取材ノートをまとめつつ、
明朝から始まる帰国プロセスの準備も進めています。
まずは明日9時55分のフライトでイスタンブールへ。
ここではオフもかねて2日間ゆっくり過ごし、
(実質的には1日半かな?)
8日、日曜日の14時にトランジットポイントのドバイへ向かいます。
そして9日早朝のフライトでいよいよ成田へ。
予定どおりなら、
日本時間12月9日、月曜日の17時過ぎには到着するかな?

ん〜・・・ここでもまた奇妙な感じがします。
まるで東京に帰るのではなく、次の取材地へ向かうような・・・
感覚的には、旅がずっと続いている・・・そんな気がして。
ととら亭に戻ったら、どんな感じがするかな?
取材先のレストラン?
それじゃ2階の自宅へ上がったら?
今夜のゲストハウスにチェックイン?

かもしれませんね。

to be continued...

えーじ

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キシナウのValea Morilor Parkにあるカスケードで
もうすぐ帰ります!
posted by ととら at 04:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年12月04日

第24回取材旅行 その44

「あ、ママ、ガイジンだよ!」(と言ったと思う)

カテドラル公園を歩いていたとき、
5歳くらいの子供が僕を指さしました。
それくらいアジア系が少ない国、モルドバの首都キシナウに滞在しています。

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カテドラル公園の中心にあるナステレア大聖堂

確かに中華系観光客の姿すらまったく見ませんね。
モルドバは観光資源が少ないからかな?
外務省のウェブサイトによれば、
在モルドバ邦人数も、たった33人だそうで。
大使館関係者を除くと実質15人くらいなのではないかしらん?
(一方で在日モルドバ人は173人)

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質素な社会主義デザインのままのキシナウ国際空港
規模は日本の地方空港くらい

それから移民もほとんど見かけません。
ま、それも無理からぬお話で。
モルドバは今でもコソボと共に欧州最貧国といわれ、
実際、1991年のソビエト崩壊後、30年以上が経ってなお、
キシナウ市内には社会主義時代の残骸が放置されたままです。

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かつての多目的競技場のゲート
内部の広大な土地はうっそうとした林に

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行政機関が入っていたのか?
こうした廃墟が首都の中心にいくつもあります

当然、懐事情はジェネラルインフォメーションを参照するまでもなく、
道を歩けば一目瞭然。

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傷んだまま放置されている歩道
日本で例えるなら東京都千代田区に相当する場所で

しかし、それを政治家の怠慢に帰することはできません。
国民が怠惰だからでもない。
この国の生まれ(歴史)、そして置かれた状況を鑑みると、
同情を禁じ得ない、というのが僕の個人的な所感です。

端的に言ってしまうと、もめごとが絶えないコーカサスの国々と同様に、
(今もまさにジョージアが、えらいこっちゃですね)
国境の画定が当該国同士によるものではなく、
近所の大国(当時のオスマン帝国やロシア帝国)のパワーゲームによって行われ、
その歪みが現在も尾を引いているのですから。

さらに、これまた旧ソビエト連邦構成国のお約束と申しますか、
国内のロシア人人口が多かった地域で内戦が起こり、
「自国民の救済」をお題目にロシアが参戦することで、
未承認国家(トランスリストニア地域)を抱えてしまっていること。
(ジョージアではアブハジア、南オセチア、ウクライナではドネツク、ルガンスク)

皆さんもご存じ、戦場と化したウクライナの延長線上に
モルドバもあるといってよく、字義どおり他人事ではないムードになっています。
実際、キシナウからオデッサまで200キロメートルも離れておらず、
自動車でなら3時間ほどで行ける距離しかありません。
その隣国が武力で蹂躙され、避難民を受け入れているリアルな現状は、
経済のみならず、人々の心にも大きな影を落としているでしょう。

一見無関係に見える僕らの専門、料理の面ですら、
レストランのメニューを一瞥しただけで、
この複雑な状況を看て取ることができます。

現在、モルドバは独立国家ですが、
文化的、民族的にはほぼルーマニアなのですよ。
(モルドバ語とは実のところルーマニア語)
ですからミティティやサルマーレ、ママリガなど、
ルーマニアで一般的な料理がここでも日常的に食べられています。
しかしまた、そこにはハンガリーのグラーシュ(マジャール語ではグヤーシュ)から、
トルコのチェバプ(ケバブ)、ロシアのペリメニも混在しており、
伝播した料理を換骨奪胎したものまである。

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ペリメニ ロシア(コミ族)のギョーザ
サンクトペテルブルグで食べたものと同じ

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コルディナシ モルドバのギョーザ
これはポーランドのピエロギのようなフルーツバージョン
中身がチェリーコンポートで添えられているのがチェリージャム
このほかに肉、ポテト、チーズそれぞれのバージョンがある

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何かの間違い?
としか思えないほど変化してしまったグラーシュ 汁気がない!
黄色がママリガ、白い液状のものがサワークリーム、
粉末状がヤギの乳で作るショプスカチーズ

こうした料理を現地で取材しながらいつも感じるのは、
料理だけではなく、政治も、民族も、宗教も、
同じテーブルの上に並んで、人々の幸福に貢献できないものか、ということ。

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クリスマスが近づき、デコレーションが点灯し始めた市中のカフェで、
両親に連れられた子供がケーキを口いっぱいに頬張っていました。
楽しそうな3人の笑顔。
方や氷点下の北風が吹く戸外で、施しを求めて立ちすくむ老婆。

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街の中心に位置するシュテファン・チェル・マレ大通り

今、僕らが戦うべき相手とは、隣国の軍人ではなく、
身近な同胞の困窮の根なのではないか?
そしてその根とは、他人の庭にあるのではなく、
自分の尻の下に張り巡らされているのではないか?

かじかんだ手をさすりながら、僕はそんなことを考えておりました。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 01:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年12月01日

第24回取材旅行 その43

Добар дан! (ドーバルダン!(こんにちは!))

一昨日のクロアチア、セルビア間の国境越えは、
コソボの問題からどうなることやらと気合を入れて臨みましたが・・・

あっけなく通りました。

というより、ぜんぜんパスポートの情報を見てないし。
ブースに二人いた若い女性のインスペクターは、
機械的にパスポートをスキャンし、
ぱぱっと余白を探して入国スタンプをがしゃん!

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中央がセルビアの入国スタンプ
何もこう込み入った場所に押さなくても・・・

こうして7年ぶりのベオグラードに着いたわけですが、
国際バスを降ろされたここはどこ?

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今回のバルカンルートで何度かお世話になったFlixBus
使い勝手、乗り心地、コストともに良かったです

GoogleMAPで位置を確認すると、
繁華街のあるサバ川東岸の反対側じゃないですか。
それも造りが新しい。
2017年に来たときは、
ベオグラード駅前にあった古いバスターミナルに着いたのですけどね。
あそこからなら今夜のホテルまで徒歩圏内だったのに。
と、思いつつ、トラムに乗れば、これがなぜか無料・・・
で、いいのかしらん? ま、いいか。
翌日、市場の取材で出かけた際に、
以前のターミナルがあった場所まで行ってわかりましたが、
駅も何も解体されて工事中でした。どうやら再開発が進んでいるようです。

しかし、懐かしい街並みは変わっていませんでした。
僕らが投宿しているのは雑然としたスカダルリア地区。

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郷土料理レストランが多いので取材しやすかったです

いろいろな商店が並び、人通りの絶えないクネズ・ミハイロ通り。

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そして何より、サバ川が広大なドナウ川と合流するところ。
7年前も、ここでこうしてこの風景を見ていたんだな・・・
そう思うと、旅情と一言では言えない気持ちになりました。

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手前のサバ川が後ろのドナウ川に合流する場所。
さすがは17か国を通る国際河川の雄大さが感じられます

また、レベルの高いウォールアートで知られるベオグラード。

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今回も新しい作品を楽しませてもらっていますが、
なかでもうれしかったのは、「この人」との再会。

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覚えていらっしゃる方は相当なととらマニアですね。
短い期間ですが、
前回撮影したものを店内のディスプレイに使っていたことがありまして。
どこで撮ったかは覚えていなかっただけに、
限られた時間で勘を頼りに歩いていて、
「あっ!」と思ったときには向こうから、
「よぉ、久しぶりじゃないか!」と声をかけられた気がしました。
この不敵な表情、いかにもバルカン的なんですよね。

前回はマケドニア(当時)で崩した体調が完全に回復せず、
到着した夜に再びダウンしてしまったため、
この中心部以外は行けませんでしたが、
今回はこうして少し離れたところまで足を延ばしています。
取材も順調・・・

ですが、困っているのが喫煙。

これ、セルビアに限らず、
EU未加盟のバルカン諸国では常に非喫煙者の悩みのタネでして。
端的に申しますと、日本に例えるなら「昭和の世界」なのですよ。
どこもかしこも喫煙オーケー。しかも喫煙率がとても高い!
屋外ならまだしも、狭いレストランやカフェに入ろうものなら、
ほとんど全身が燻製されてしまいます。
この状況下で取材するのはマジできつい。
アルバニアの某レストランでは、さすがの僕もたまりかねて、
寒い店外の席へ移動してしまいました。
ですから取材時は、お目当ての料理のあるなしだけではなく、
外から大気汚染度を確認するのも必須なのです。
まぁ、最初は良くても後で悪化するのは避けられませんけどね。

さて、8時間の時差がある日本は、もう日付が変わって12月。
僕らの長い旅も、残すところあと9日になりました。
モロッコのタンジェであわや金欠、
スペインではガソリン車にディーゼル油を入れてレンタカーが病院送り。
イタリアを周っているときは鉄道とフェリーでスト。
それに熱が出た、下痢をした、と実にいろいろなことがありましたが、
あり過ぎて、やっぱりプランAには収まり切れませんでした。
なんと現時点でプランBをはるかにオーバーしたプランJ!

当初はここセルビアからハンガリーへ北上し、
ルーマニアの北部を東へ横断、
その後、モルドバで取材した後にブルガリアを南へ下り、
ゴールのイスタンブールへ・・・
だったのですが、時間がもはや足りません。

そこで明日は飛行機でモルドバのキシナウへジャンプ。
ハンガリーとルーマニア、ブルガリアは、
来年予定のEGTパート2にお預けとなりました。
ま、ある意味、これもまた「予定どおりの想定外」なのですけどね。
さぁ、ラストスパート。
最後まで気を引き締めて行かなければ!

to be continued...

えーじ

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バルカンのワインは個性的で実においしいです
日本で手に入るかな? 輸入会社を探さなくては!
posted by ととら at 03:02| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記