2024年02月22日

気が付けば絶滅危惧種 その1

「君たちは後輩の指導をしとるんかね?」

20歳代の後半、
僕は毎年のようにオートバイで北海道を旅していたのですが、
しばしば安宿のオーナーさんからこう言われていました。
さらに彼は続けて、

「旅人の高齢化が進んでるぞ!」

パスポート取得率の低下や、有給休暇取得率の世界的な低さ、
アウトバウンドの減少が報道されて久しくなりましたが、
実はこれ、今に始まったことではありません。
旅人の減少傾向は、今から30年も前に萌芽が見られたのです。

当時、僕がまず気付いたのは、ソロライダーが減り始めたこと。
北海度への旅は、当時住んでいた横浜から国道4号線や、
7号線、45号線などの所謂「下道」を使い(高速代がなかったもので)、
3〜4日かけて下北半島まで走るルートがポピュラーでした。
その道中では同じく北を目指すソロライダーと、
何人も出会ったものです。

ところが次第にその数が減りはじめ、最後に走った28年ほど前には、
ほんの2〜3人しか会わなくなっていたのです。
それでもツーリンググループはいましたから、
ライダーの総数は、まだキープできていたのかもしれません。

しかし、安宿やキャンプ場で出会う旅人たちの年齢は、
あきらかに「高齢化」が進んでいました。
僕が20歳代前半の頃は、JR、バイク、自転車、自動車、徒歩(!)など、
移動手段の差こそあれ、
旅人の中心年齢は、まさしく僕らの世代だったのです。
男女比は概ね男性7割、女性3割くらいでしょうか。

それが、僕らの年齢が上がるにつれ、
どうしたわけか、中心世代もそのまま上にシフトし始めたのですよ。
それはまさしく安宿オーナーのいう「高齢化」そのものでした。

そう、1970年以降に生まれた人々は、
確実に旅への興味を失い始めていたのです。
それも往時は7割を越えていた男性に、その傾向が顕著になるとは。

やがて僕が40歳に近付き、
ロン毛を切ってネクタイを締め始めたとき、
(ああ、「いちご白書をもう一度」だねぇ・・・)
会社のルーキーたちと旅の話をしても、
彼らのほとんどが安宿はおろか、ユースホステルを知りませんでした。
国内の多くのユースが閉所に追い込まれたのも、無理からぬ話です。

そして今、その傾向がさらに強まり、
ピークから比較すると、男性激減、女性微増というのが、
僕の概括した印象です。
実際、海外の安宿街で、たま〜に見かける日本人バックパッカーは、
ほとんどが女性ですし、
沈没型にいたっては、まず男性と会うことがありません。
まさしく、旅人の男女比は完全に逆転したと言えそうです。

なぜでしょうね?

興味深いことに、
旅人が多い、ととら亭のお客さまの性別構成にしても、
女性7割、男性3割という数字なのですよ。

次回は僕なりにこの理由を掘り下げてみたいと思います。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 08:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年02月19日

旅から戻ると

団体ツアー、個人旅行を問わず、
旅というのは疲れるものです。

その理由はいわずもがな、
移動距離と手段、環境の変化が大きなファクターとなりますが、
3週間にわたるメキシコの旅は、
いずれの点においても「疲れる」典型でした。

まずエコノミー座席空間に閉じ込められた、
13時間を超えるフライトタイム。
次に待っているのが15時間の時差、
2000メートルを超える標高の急激な変化と、
1日に起こる2度から29度までの寒暖の差。
そして連続するバス移動。

さらにフードファイトさながらの料理取材は、
毎度のことながらしんどかったです。
メキシコ料理は基本的に一品の量が多く、
レストランのメインは、ととら亭の量と比較しても倍はあるのですよ。

これらは僕らの体調に極めて大きく影響します。
と申しますのも、普段の食生活とはかけ離れていますからね。
たとえば僕らは腹八分目タイプですし、
肉食がっつり型でもありません。(30歳代までは違いましたが)
23時ごろ食べている夕食なんか、
豆腐とサラダに魚を少々・・・ってまるで老人食!

それが毎食、肉系でエネルギー充填120パーセントでしょ?
モーレなんか、こってりで油もたっぷりだし・・・
メキシカンは好きでも、さすがにこれを3週間も続けていれば、
消化器系が疲れるのも当たり前。

そこで帰国すると、まず熱い風呂に入り、
(これがすこぶる気持ちいい! 生き返った感じがします)
自分のベッドで体を伸ばして筋肉系の疲れを癒し、
翌日からは内臓系のケアで、ほとんど精進料理ばかり。
そして旅行中、疎かになっていたトレーニングを再開すると、
5日ほどで、ようやく体調が元に戻ります。

今日で帰国してちょうど1週間が経ちました。
スローラーナーの僕も日常モードに切り替わり、
次の旅を視野に入れつつ、目前のタスクに取り組んでおります。

えーじ
posted by ととら at 07:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年02月16日

ととら亭再起動202402

「ここは何という駅だっけ?」
「駅名見える?」
「いや、暗くてよく分からないな。
 でもみんな降り始めたぞ。終点なんだ」
「じゃ、私たちも降りなきゃ!」
「ああ、ここで乗り換えらしい。
 でも、どこなんだろう? どうやって乗り換えるんだろう?」

「えーじ! 大変! ゴミを収集しに来てないよ!」

「はぁ?」
「ゴミよゴミ! どうしよ、仕込みで出たのがいっぱいなのに!
 風で飛んで行っちゃって、片付けなくちゃ!」

いきなり何を言ってるんだ?
まったく、また寝ぼけて寝言でも言ってるんだろう。
旅先でゴミの収集の話をしてるんだからな。

「ちょっと! 分かってるの?」

って、分かってるよ。
ここはメキシコの・・・メキシコの・・・

あれ?

「ここ日本?」
「もう!ダメだこりゃ!寝ぼけちゃってる!」

ってな調子で起こされた今日。
相変わらず旅の後遺症は続いていますが、
目覚めれば仕事はしっかりやっております。
何といっても決算ですからね。

帰国した翌日からともこはキッチンで怒涛の仕込み。
片や僕はホールの端のテーブルに、
領収書と銀行からの支払い記録を広げてチキチキ入力。
日本のリアルな現実は、こんなふうに始まりました。

そして今日のディナーから営業再開。
ととら亭の仕事というのは、ギアの入れ替えが極端でして、
取材旅行中のみならず、日常でも営業中と準備中では、
内容も僕らのメンタリティも大きく異なるんですよ。

まぁ、野方時代は時間の余裕がなく、
帰国した翌日から営業再開というウルトラCが普通でしたけど、
柴又では2日間くらいかけられるようになったのが幸いです。
さすがにこの齢になると、難易度はAにしたいですからね。

というわけで、お店の再起動はぼちぼち完了。
頭と体を切り替えて、次の旅を目指し、
新しいフェーズに入りたいと思います。

えーじ
posted by ととら at 08:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年02月13日

第22回取材旅行 その12

ただいま〜!

メキシコとの時差はマイナス15時間。
往路では出発より過去に着きましたが、
復路はその逆の、
出発が2月11日(日)23:50で、到着は13日(火)06:15。
単純計算だとフライトタイムが30時間25分になります。
ところが時差のマジックと風に恵まれて、実際は14時間1分。
僕らは予定どおり、今朝9時ごろに柴又へ戻ったのでした。

メキシコシティ国際空港のボーディングゲート前では、
次々と日本人の乗客が集まり始め、
さながらリトルトウキョウの様相に。
僕らのルートではグアナファトとサンミゲルを除き、
ほとんど同胞人に会わなかったので、
離陸前から、はぁ〜帰ってきたなぁ・・・
という気分になりました。

こうしていろいろな旅行者を見ていると、
旅を人生になぞらえるのは、まさにそのとおりだと思います。
人それぞれに旅の目的とスタイルがありますからね。
僕らの座席は偶然、ツアー旅行のグループに囲まれ、
隣りあった僕より少し年上の男性から、
いろいろ興味深いお話を聞けました。

長時間フライトで皆さんお疲れでしたが、
とても楽しい旅行になったようですね。
成田空港のバゲッジクレームでも、
別れを惜しむ姿がそこかしこで見られました。
ツアコンさんも、そんな様子にほっと一息。

で、僕らはといえば・・・

やっぱり浮いていました。

バックパッカーは持ち物だけではなく、
風体ひとつをとっても、ちょっと違うんですよ。

いや、目立とう精神が旺盛というわけではありません。
反対に、いかに目立たなくするかが身上ですから。
(目立つとろくなことがないんですよ、僕らの場合)

これは言葉にするのが難しいのですけど、
全体的に埃っぽいというか、草臥れているというか、
きれいさっぱりな服を着ている方々とは明らかに違いまして。

たぶん、同じ服を着続けているからだと思います。
バックパッカーは荷物が少ないので、
着替えは下着を除くとせいぜいスペアが1枚くらい。
(人によってはスペアもなし)
実際、僕らもシャツと山パンはスペアが1枚だけですから、
ひどく汚れない限り、
今回も同じものを10日間以上、着続けたことになります。

加えて、それが新品であることもない。
身に付けているものは大抵10年以上も使い古したもの。
実はともこが着ていたTシャツや僕の山シャツと山パンなんて、
15年以上も前のものです。
だから写真の格好だけ見ても、
いつ、どこへ行った旅なのか全然わかりません。
3シーズンか冬仕様以外に違いがないものでね。

ともあれ、これもまたひとつの旅のスタイル。
いや、人生のスタイルなのかな?

というわけで、次回も同じ格好で出発するでしょう。
それではまた!

End

えーじ

montearban_mx.JPG
See you on the next TRIP!!
posted by ととら at 14:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年02月12日

第22回取材旅行 その11

いよいよ、この旅もフィナーレ。
僕らは昨日の午後、再びメキシコシティに戻ってきました。

そういえば、今回は大きなトラブルがありませんね。
え? がっかりした?
そんなことを言わないでくださいよ。
小さなトラシューでも続くと大変なんですから。

ま、小さいのなら、
メキシコに着くなり空港のATMでペソを引き出そうとしたら、
払い出し額ゼロのレシートと国際デビッドカードが吐き出され、
どの端末でやっても結果は同じ。
おいおいこりゃなんだ? と思って別のカードでやりましたが、
これまた一方的にキャンセルされておしまい。

ん〜・・・こんなことは今までなかったぞ。
いったい何が起こってるんだ?
通信障害か?
とにかくペソを入手しないと移動もできないじゃないか。

そうして手がかりを得るべくワンモアトライ。
するとスペイン語の文章が表示され、
そのなかに tarjeta invalido という単語が・・・

え? tarjetaはカード。 
で、invalido って invalid? つまり無効?
そんなわきゃ・・・

と思ってカードをよく見ると、

げげっ! 有効期限が先月で切れてる!
もう一枚の方は・・・これも2か月前に切れてるじゃん!

はぁ〜・・・デビッドカードって、
クレカみたいに自動更新じゃないのね。
知らなかった。

というわけでプランBは日本円からの両替。
レートは・・・聞かないで下さい。(泣ける)

その他は、
ベラクルスのホテルで22時過ぎにシャワーを浴びようとしたら、
生ぬるいお湯しか出ずに震え上がったり、
(安宿は電気タンク式給湯器なので、
 早く浴びないとこういう目に遭います)

それから昨日、サンミゲルから乗った長距離バスが、
出発50分後に事故渋滞に巻き込まれ、
ドライバーが迂廻路に向かったのはいいけれど、
気が付いたら「Bienvenido San Miguel de Allende」の門が・・・
そう、なんと振出しに戻って、そこからケレタロ経由でやり直し。
おかげで到着は1時間半遅れとなりました。

強いて言えば、こんな程度でしょうか。
まぁ、これくらいはよくあることなので、
トラブルとはいえませんけど。

出発前に気になった治安の悪化は、
僕らが周った範囲なら、15年前と同じくぜんぜん問題ありませんでした。
もちろんメキシコシティなどではタクシーで通過した際、
不気味な場所もありましたが、
(細くて街灯のない道路に廃車が延々と廃棄されて・・・)
そんなところに用はありませんからね。

今日のフライトは23時58分発。
成田までのフライトタイムは15時間越えとな。
ま、取材のノートをまとめたり、映画を楽しんだりで、
のんびり過ごすとしますか。
日本にいると、こういう時間はまずありませんからね。

それでは次は真冬の東京から!

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 01:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年02月10日

第22回取材旅行 その10

時差や僕が書いている日にちのずれもあって、
タイムラインがやや混乱してきましたが、
昨日からサン・ミゲル・デ・アジェンデに滞在しています。

ここはグアナファトから直行バスで1時間30分ほど。
先日と同じく世界遺産に登録されたコロニアル都市のひとつで、
小ぶりながらもお洒落さでは今回訪れた街の中でも群を抜いています。

そのせいかグアナファト以上に観光客が多く、
なかでもアメリカ人の比率は断トツ。
とにかく歩いていてサンミゲルほど英語が耳に入る街はありません。

そこはレストランのメニューにも現れており、
テクスメクスのファヒータやナチョスが載っているとは!
まさに逆輸入と申しますか、
料理というのは、こうしていい加減に混ざり合い、
単なるデファクトスタンダードも100年経つと、
「伝統」なんて呼ばれたりするんですよね。

僕はこの傾向が料理のみならず、
文化や文明そのものにも当てはまると考えています。
僕らが話す自然言語と同じく、
そこには厳密な規則や法則なんてないんですよ。
まさしく恣意性に支配された「だってそうなんだもん」な世界。

ちなみにメキシコでも寿司は人気ですが、
MAKIS(マキス)と呼ばれるケースが多く、
ご推察どおり、
これは巻きずしを作るときに使う「巻き簾」が語源と思われます。
このネーミングだけでも「・・・?」ですけど、
売られているのは握りより巻き寿司、
それも海苔が内側になる裏巻きが主流なんですよ。

え? それを寿司と呼ぶのはけしからん?
だから言ったじゃないですか、文化は恣意性に支配されているって。
そもそも僕らがいう江戸前の寿司だって、
華屋與兵衛や堺屋松五郎が200年ほど前に考案したファーストフードでしょ?
それ以前に熟れ寿司を食べていた人たちからは、
やっぱり「まがい物はけしからん!」といわれていたのかも。
今では銀座に江戸前寿司の高級店があって、
外国から来たお偉いさんを招待するほどなのにね。

閑話休題。

フランスと並び、
料理が世界文化遺産として初めて登録されたメキシコも、
その例外ではなく、スペインをはじめとし、
さまざまが影響を受けつつ、現在の形になっています。
そしてそれは今でも止まらず進行中。
もしかしたら100年後の旅人は、
メキシコの「伝統料理」としてMAKISを食べているのかも。

そう、だから料理は、いや、人間の文化は、
ばかばかしくて、おもしろいんですよ。

さて、帰国便の出発が明後日に迫り、僕らも忙しくなってきました。
この次はいつお話しできるかわからないので、
取り急ぎサンミゲルのハイライトをご紹介しますね。

sanmiguelview_mx.jpg
サンミゲル遠景

見どころが集中した旧市街は、
半日で歩いて回れるコンパクトなところ。

sanmiguelterminal_mx.jpg
バスターミナル

そのせいかバスターミナルもこじんまりしており、
ちょっとした食事ができるところどころか、
朝はドリップコーヒーを飲める場所もありませんでした。

sanmiguelbus_mx.jpg
路線バスのなか

バスターミナルからセントロまでは路線バスで10分くらい。
というわけで、来たバスに都度「セントロ行きます?」と聞き続け、
頷いた運転手さんの車両でGo!
こうした交通手段は素顔の街に触れられる、いいチャンスです。

sanmiguelmercadorestaurants_mx.jpg
イグナシオ・ラミレス市場の食堂

ホテルに荷物を置いたら早速市場で取材開始。
まずは市場内で飲食店ブースに突撃です。
しかし、御覧のとおり、数ある店の中からどうやってベストを選ぶか?
一般的にはググって星の数を見て・・・でしょ?
それよりずっと確実なのは、

 1.清潔度
 2.スタッフのモチベーション
 3.混雑度

これを自分の目で観察するだけ。
あ、最後は野生の勘ですけどね。

sanmiguelarbondigas_mx.jpg
アルボンディガス

ほぁ〜ら、やっぱりアタリでした!
盛り付けはイケていませんが、茹でて油を落としたミートボールを、
あっさりしたトマトソースで煮込んだアルボンディガスは、熱々で最高!
付け合わせのメキシカンライスやフリホーレスも手抜きなし。

sanmiguelenmoladas_mx.jpg
エンモラーダス

たかが市場の軽食堂とあなどってはいけません。
このモーレなんて、高級レストランのそれに比較しても遜色なし。
フライドポテトも揚げたてで、かつ皿も別途温めていて、
コックさんの気合を感じました。

ちなみにこの店は狭いスペースをシェアする相席型。
僕らの前にはお孫さんの4歳くらいの女の子を連れたおばあちゃん。
(といっても僕より若いと思いますが)
ふたりの食事風景が微笑ましかったです。

sanmiguelaltesanias_mx.jpg
アルテサニス市場で

苦しいお腹を抱えて次に向かったのは、隣の建屋のアルテサニス(工芸品)市場。
ここではともこと僕がそれぞれ店のディスプレイをゲット。
どんなものを手に入れたかは・・・公開までナイショです。
どちらも他の店では見かけなかったもの、とだけ言っておきましょうか。

sanmiguelzocalo_mx.jpg
ソカロの中心

サンミゲルもまた、街の中心はソカロ。
しかし、ローカルが集まるのは市場に近い市民広場の方です。
というのも・・・

sanmiguelchurch_mx.jpg
Parroquia de San Miguel Arcangel

美しいでしょう?
この街もグアナファトのようにフォトジェニックな場所が多く、
メキシコシティから長距離バスで4時間程度という立地も相まって、
ソカロ側は観光客御用達の状態。

sanmiguelcorridor_mx.jpg
回廊のレストランで

ムード満点の回廊にあるレストランでは、
エストディアンティーナと呼ばれる楽団が廻り、
素晴らしいプレイを聞かせてくれます。
土地の有名な曲の場合は、お客さんたちが揃って歌い出すこともあり、
脇から見ているだけで心が温まりますよ。

sanmiguelstreet_mx.jpg
魅力的な細い路地で

そして僕らを引き付けてやまないのは、先に挙げた有名観光ポイントではなく、
こうして自分の足で探して出会った光景。
サンミゲルのような街では、スマホにお伺いをたてず、
自分の感性だけで歩いてみてはいかがでしょう?
え? そんなことをしたら迷ってしまう?
いいじゃないですか、迷子になったって!
それが旅ってもんです。

さて、明日は9時の長距離バスでメキシコシティに戻ります。
最後のミッションは食材の買い出し。
北バスターミナルからメルセー市場に移動して、
いろいろ買い集めなくては。
チレは日本で買うとむちゃくちゃ高いですからね。
それではおやすみなさい。

to be continued...

えーじ

sanmigueltomoko_mx.jpg
賑やかな市民広場に近いローカル食堂で。
posted by ととら at 16:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年02月09日

第22回取材旅行 その9

今回の取材旅行も佳境に近付き、
僕らは7番目の街、グアナファトに着きました。

ここもまた以前訪れたところなのですが、
他の街と同じく、ほとんど変わっていなかったですね。
前回泊まったホテルやレストランが健在で懐かしいやら嬉しいやら。
そこで取材は街の中心に位置するイダルゴ市場から。

mercadohidiargo_mx.jpg
イダルゴ市場

この市場は他と少々違っていて、外周部分が2階建てになっており、
そこはすべてお土産物屋になっています。

souvenir_mx.jpg
2階のお土産物屋

そのココロは・・・
観光資源に恵まれたオアハカ以上の観光地なんですよ。
たとえば、

bajirica_mx.jpg
バジリカ

granafuatouc_mx.jpg 
グアナファト大学

ほら、すんごくフォトジェニックでしょ?
グアナファトは、かつて銀鉱山で栄えた街で、
往時の坑道を自動車用道路に転用し、
盆地状の地形も相まって、街が立体的なのです。
絵になるところがたくさんありますよ。

underground02_mx.jpg

underground01_mx.jpg

しかも地上では道幅の狭い道路が複雑に絡まりあい、
ちょっとした迷路になっています。

nallowstreet_mx.jpg

そして日が暮れてくると・・・

fancystreet_mx.jpg
細い路地のディスプレイ

pipirunightview_mx.jpg
ピピラの丘から臨むグアナファトの夜景

いかがです? 美しいでしょう?
というわけで、ここまで周った街とは違い、
一挙に外国からの観光客が増えました。
しかもなかには日本人の姿さえちらほらと。

ここで、ほぁ〜、と思いつつも、やっぱり・・・となったのは、
日本人の旅人の男女比。
ソロもペアも女性ばかりなんですよ。
男性の姿を見たのは、わずかなペアの相方だけ。

なぜだ?

もっと言うと、実年世代のバックパッカーなんて、
絶滅危惧種のレッドリスト入りしているんじゃないかしらん?
ここまでのルートで僕らは何かと目立った存在でしたが、
観光地に一歩踏み込むと、別の意味で浮いているような・・・
(もちろん僕が)

こういうのは以前からきれいな街、
たとえばバルト三国の旧市街なんかで感じていましたけど、
コロナ禍以降の旅では、
どこでも毎回ひしひしと実感するようになりました。

青春時代に旅先で出会った連中はどうしちゃったのかしらん?
ねぇ、ブラザー、旅に出ませんか?

to be continued...

えーじ

pipirutomoko_mx.jpg
おもちゃ箱をひっくり返したような夕暮れのピピラの丘で。
posted by ととら at 15:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年02月07日

第22回取材旅行 その8

昨日と変わらない今日が来たのだから、
今日と変わらない明日も来るだろう。

そう無邪気に信じて、僕らは未来を予測したつもりでいます。
でなければ、5年先、10年先のことなんて考えられませんからね。

でも、それは実のあることなのでしょうか?

モレリアに着いた僕らは、
ミチョアカン料理を提供するレストランを探して、
あれこれネットを調べていました。

取材リストにあったシャンドゥカータという郷土料理。
これを出す飲食店は少なく、いろいろ探して唯一見つかったのが、
ソカロから脇道に入ったところにある、
ラ・グアレチッタ・デ・サン・オウガスティンという老舗のレストラン。

早速初日の夜に行ってみると、横道に入った途端、
僕らが揃って感じたのは、不思議なデ・ジャヴです。

ここは・・・どこかで見たような?

rsa03_mx.jpg

物売りの声、重なり合う音楽、家族連れの談笑。
行き交う人々を縫って歩き、ほどなくしてレストランの前まで来ると、
その感覚は更に強まりました。

rsa02_mx.jpg

二人の記憶に残っていたのは、
店舗右端にあるチュロス売り場。
前回、取材したレストランを出たとき、
ちょうどチュロスを揚げているところに出くわし、
興味本位で写真を撮っていたのです。
しかしその写真はピンボケで、どこの店か特定することはできません。

rsa05_mx.jpg

もしかして、ここは15年前に入った店では?

rsa01_mx.jpg

そして店内に入った瞬間、
その予感は確信に変わりました。

間違いない! ここはあの時に来た店だ!

僕らは意図せずして、15年前に入った店に再び来ていたのです。
それも取材対象だったシャンドゥカータという料理に導かれて。

僕らはその時に座った席まで思い出しました。

2009年7月初旬。
まさにこの店の、この席で取材していたのです。
当時の賑わう店内には、
奥さんがヴォーカル、ご主人がギターで伴奏というデュオがいて、
料理ともども素晴らしいひとときを過ごした記憶あります。

rsa06_mx.jpg
15年前の店内

あの時の僕らは、仕事を辞め、ととら亭を立ち上げる前の、
初めての料理取材に出たところ。
その長い旅の最初の国がメキシコでした。

昨日と変わらない今日が来たのだから、
今日と変わらない明日も来るだろう。

その仮説は、少なくとも僕らには当てはまらなかったようです。
なぜなら、あの時、まだととら亭は存在せず、
野方という街ですら、まったく知らなかったのですから。

あれから15年。
まさか僕らがその半年後、野方にたどり着き、
翌年の3月3日にととら亭を開業し、
震災があり、コロナ禍があり、
そして柴又に移転した後、
再びここを訪れることになるなんて、想像できたと思いますか?

答えはもちろんノー。

そんなことをしみじみ考えていたら、
おもしろい発想が思い浮かびました。

もしあなたが時間を遡る力を得て、15年前の世界に戻ったとき、
偶然、15歳若い自分を見かけたらどうします?

そっとしておきます?
それとも何か話しかけますか?
話しかけるとしたら、何を話します?

ん〜・・・僕だったら、どうするかな?
この後の南米の国々で降りかかるトラブルを未然に防げるよう、
何かアドバイスをするってのはどうだろう?

いや、やっぱりそれはやめよう。

僕らがした15年間の旅は、大変なことも山ほどありましたけど、
それはそれで、とても素晴らしいものでした。

だから、すれ違いざまに、いい旅を、とだけ囁いて、
その場を立ち去るほうがいい。

ん? だとしたら、
グアナファトの丘ですれ違ったあの人は、
同じく15年先の未来から来た、75歳の僕だったのかもしれないな。

to be continued...

えーじ

rsa04_mx.jpg
2024年の旅で
posted by ととら at 15:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年02月05日

第22回取材旅行 その7

僕らは今、取材の北ルートで最初の街、
ミチョアカン州のモレリアに滞在しています。
ここもまた15年前に訪れた場所のひとつ。
その懐かしい話は次回に譲るとして、
今日は「その6」で触れたローカルタウン、
パパントラをビジュアルにご案内しましょう。

papantrafield_mx.jpg

ベラクルス発のバスはすぐ郊外に出て、
景色は岩山とサボテンのメキシコ高地とはまったく異なる、
深い緑とヤシの木に変わりました。気候は亜熱帯。

papantrasea_mx.jpg

北西に向かって100キロメートほど走ったあたりから、
進行方向右側(東方向)にメキシコ湾の海が広がります。
ほんと、この国は自然の多様性に富んでいるのですね。
更に文化的にも60以上の民族がいるとなれば、
料理もまた地域差が大きいというのも頷けるじゃないですか。

papantrabusterminal_mx.jpg

パパントラは30キロメートルほど内陸部に入った小さな街で、
メキシコ高地に続く斜面に位置しています。
いわゆる坂道の街ですね。
雑然とした感じから、ちょっとボリビアのラパスを思い出しました。
これで1等バスターミナルですよ。
駐車場が道路と反対側なので、知らないと見落としてしまいそう。
ちょうど待合室が工事中だったこともあって売店もなく、
ターミナルというよりバス停に近い風情。
ちなみに2等バスターミナルは・・・ちょっとしたカオスでした。

papantrahotel02_mx.jpg

投宿したのはバスターミナルにほど近い、こんなホテル。
内容はよくある安宿ですが、
宿泊施設があまりないので競争原理が働かず、
値段はちょっと不相応だったかな?
といっても日本円で6,500円くらいですけどね。

papantrahotel01_mx.jpg

たとえば修繕という発想がないので、カーテンなんかこの通り。
(写真からはわかりませんがカビだらけ)
これまたよくある価値観で、
カーテンが使えるか、使えないか、ではなく、
カーテンがあればいい、というわけです。
そのほかの部分がどうだったかは・・・
ご想像にお任せしますね。

papantrazocalo02_mx.jpg

街の中心は他と同じくソカロ(広場)。
坂の中腹にある一辺が50メートル程度の小さな公園ですが、
昼夜を問わず、人と自動車でごった返しています。
左側に並んでいるのは靴磨きの屋台。

papantrazocalo_mx.jpg

ここは市民の憩いの場所なんでしょうね。
夜になると家族連れや若い恋人たちでさらに賑やかに。
そんな人々に交じって彼らを観察していると、
国や文化や人種が違っても、
人間というのは同じなんだなぁ、としみじみ思います。
そう、人は人が好きなんですよ。

papantrafestival02_mx.jpg

僕らが到着した翌日は、
ちょうど郷土料理のタマレスとアトーレのフェスティバルが開かれていました。
タマレスとはトウモロコシの粉で硬めの生地を作り、
それに何らかの具を入れてバナナやトウモロコシの葉で包んで蒸したもの。
バスターミナルの屋台からレストランまで、
タコスと同じく、どこでも食べられるメキシコのソウルフードです。
ととら亭ではキャセロール焼きにした、
ギソ・デ・タマレスを紹介したことがありましたね。
アトーレは同じくトウモロコシの粉で作った重湯風の飲み物。
朝食の定番です。

papantrafestival01_mx.jpg

それぞれのブースで自慢のタマレスやアトーレが売られ、
子供たちのブラスバンドの演奏と司会のマシンガントークで、
それはそれはすんごい盛り上がり!
僕らもひとつモーレ入りのタマレスを買って試食。
ん〜・・・マイス(トウモロコシ)の素朴な味を楽しむなら、
やっぱりトルティージャよりタマレスですね。
ピリ辛のモーレがアクセントになってとってもおいしい。
これは日本でいうとおにぎりなのかしらん?
そういえばマレーシアのナシルマもこれに近い発想でしたね。


papantrafestival03_mx.jpg

このフェスティバルは有名なのか、
ローカルメディアが複数取材に来ていました。
例によって目立っていた僕らは何度かインタビューを受けましたが、
僕のスパニッシュじゃまともな話にならないので、
「僕、日本人です!タマレスおいしい!
 メキシコの料理大好き!メキシコばんざ〜い!」
こんな受け答えしかできませんでした。(トホホ)
とまれ、こちらも取材する側ですので、
「一枚いいですか?」のカメラマンに、僕からも「一枚いいですか?」

papantraamigoa01_mx.jpg

なるほどよく知られているのですね。
メキシコ人の観光客も来ていました。
僕らがローカルと話していたら、
少年たちがちらちら物珍しそうに見ながら通り過ぎ、
こっちから「Hola!」と声をかければ、戻って来るなり質問攻めに。
さらにお願いがあるというので聞いてみれば、
日本語で何かメッセージを書いてほしいとのこと。
そこで先のインタビューの回答とほぼ同じ内容を、
漢字、ひらがな、カタカナを交えて書いて渡しました。
彼らは何でもプエブラから来たそうな。

papantrarest02_mx.jpg

夕食はソカロに面したこんなローカル食堂で。
こういう店は常連さんが沢山いて、
みなさんお気に入りのマイテーブルに付くと、
ホールスタッフは何も聞かずに「いつもの」を出してきます。
そして間もなく始まるお客さん同士のよもやま話。
もちろん何を言っているのかわかりませんけど、
こういう雰囲気が僕らは大好きです。

albondigas01_mx.jpg

で、お仕事も忘れちゃいませんよ。
外国人をほとんど見かけないローカルタウンの料理はどんなものか?
一般的なものを試してみましたが、
どれも素朴な味わいでおいしかったです。
これはスープタイプのアルボンディガス。
やさしい味のミートボールです。

adobo02_mx.jpg

続いてポージョ(チキン)のアドボです。
アドボとはスペイン語の「漬け込む」から生まれたスペイン発祥の料理で、
ととら亭でもペルーバージョンを紹介したことがありますけど、
メキシコではプエブラ版、パパントラ版ともに、
御覧のとおりモーレで煮込んだものになっていました。
おもしろいのは、こうした料理を頼むと、どこの肉の部位か聞かれること。
たとえばチキンなら「ムネ肉とモモのどちらにします?」って具合に。
ここのアドボはモーレでも甘味がまったくなく、
辛味と苦みが効いた大人の味でした。ん〜・・・ディープだなぁ。

eltajin_mx.jpg

メキシコシティへの移動日は朝イチでエル・タヒン遺跡へ。
ここもまたメキシコの文化的多様性を知るにはお誂え向きの場所で、
アステカ文明以前にトトナカ文明の拠点として建設された建造物は、
メキシコシティのテオティワカンやオアハカで訪れた、
サポテカ文明のモンテ・アルバンとも異なる様式。
なんでもマヤ文明の影響も強く受けているそうな。
なるほどチチェン・イッツァのピラミッドと、
似ている部分があると思いません?

papantrapolicaman_mx.jpg

なぁ〜んて見入っていたら、遺跡警備の警察官の方が話しかけてきて、
ん? 写真を撮ってあげましょうか? ではないらしく、
自分のスマホを僕に渡してきたのですよ。
どうやら、「本官は外国人の来場者が来た場合、
職務(?)として一緒に記念撮影をすることになっております」
と言っているような・・・
そこで彼のスマホを向けると、いきなりまじめな表情になって、
要人と接するように、軽くお辞儀をしつつ、
ともこと握手をし始めたじゃないですか!
そこを横から撮って見せれば「うんうん、ムイビエン!」とな!
ただ歩いているだけで、こんなサプライズが次々とやって来る。
これが外国人観光客スレしていない、ローカルタウンのおもしろさなんですよ。

ん〜・・・いいですね。
これらの他にも、
買ったばかり温かいカモテ(サツマイモの煮たもの)をくれたタクシードライバーや、
片言の英語で他の人との通訳をしてくれたサポテカ人のおじさんなど、
たった2日間にもかかわらず、いろいろな人々との出会いがありました。
時間があればもっと長く滞在して、深くお付き合いしてみたいと思いつつも、
後ろ髪引かれながら移動した僕らなのでございます。

to be continued...

えーじ

papantrarest_mx.jpg
ソカロに面したローカル食堂で
posted by ととら at 08:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年02月03日

第22回取材旅行 その6

この旅も折り返し。
ベラクルスからパパントラを経由して、
20時にメキシコシティの北バスターミナルに到着しました。

前半の南ルートでは、
オアハカ以外で外国人観光客を見たことはありませんでしたが、
パパントラともなると、
メキシコ人ですら観光で来ている人はいるのかどうか・・・
それくらいローカル色の濃い小さな街でした。

ま、それが一泊した理由でもあるのですけどね。
すっぴんのメキシコと出会うには、
こうしたところが一番なのですよ。

いやはやバスターミナルからして、
これまで訪れた街のそれとはまったく違っていました。
メキシコの北バスターミナルなんて東京駅級ですし、
ベラクルスやプエブラも長距離バスが10台以上は同時に駐車できる、
鉄道駅ぐらいの大きさがありましたが、
パパントラは街中の自動車修理工場といった風情。
バスが3台も停まればいっぱいです。

そこから歩いてソカロにほど近い安ホテルまで行けば、
待っていたのは、まさに素顔のメキシコでした。
当然、英語はまったくといっていいほど通じず、
例によって僕らは目立ちまくっていましたけど、
ローカルたちはほんと、とことんラブリーです。

道を歩いていて目があえば、
「Hola!」「Buenas tardes!」と声をかけてきますし、
そのときのスマイルは、
何か人間の根源的な純朴さを感じさせるじゃないですか。
こういうのって、東京ではまず経験できませんからね。

さて、明日からこの旅の後半。
北ルートの最初の街は、ミチョアカン料理の取材地、モレリアです。
ここも実は15年前に訪れた街のひとつなんですよ。
どうなったかな?
古い友人を訪ねるようで楽しみです。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 14:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年01月31日

第22回取材旅行 その5

日本を出て9日が経ちました。
マイナス15時間の時差があるメキシコは、まだ1月30日。

僕らが今いるのはメキシコ湾に面した海沿いの街、ベラクルス。
1519年、エルナン・コルテスが、
メキシコで最初に建設した植民都市としても知られ、
スペインの影響が最も色濃く残っているといわれています。
そのせいか、
海沿いはどことなくキューバのハバナに似ていなくもないような。

昨日は午前中から夜までバスに缶詰でした。
10時発のはずが出発したのは11時過ぎ。
その後も渋滞や途中下車などで遅れに遅れ、
結局、ベラクルスに到着したのは2時間半遅れの20時30分。
車窓の景色を眺めつつ、
スペイン語吹替版映画が4本も楽しめる一日となったのでございます。

veracurzbusterminal_mx.jpg

veracurzautobus_mx.jpg

メキシコにも鉄道は細々とありますが、
都市間の移動となれば長距離バスが主流。
トイレが後部に付いており、シートの座り心地が良く、
快適な旅を楽しめます。
とはいえ、今回のように遅延があったり、
乗車時間が6時間を超えると、けっこう疲れますね。

昨夜、ベラクルスのバスターミナルに到着したころにはもうくたくた。
次の目的地、パパントラまでのチケットをゲットした僕らは、
そそくさとタクシーカウンターに急ぎ、ホテルを目指しました。
早くしないとレストランが閉まってしまいますからね。

veracurzsea02_mx.jpg

一夜明けて、近くのカフェで朝食を済ませた後は、
ホテルから歩いてすぐの港まで朝の散歩で腹ごなし。
メキシコ湾の海は2014年のジャマイカ以来です。
潮の香りが旅情を誘いますね。
ここではオアハカと違って外国人観光客をほとんど見かけませんが、
メキシコシティからバスで5時間ほどということもあって、
ローカルたちがちらほらと。

veracurzzocalo_mx.jpg

今回選んだホテルの立地は抜群で、
取材の中心となるソカロもまた歩いて3分とかかりません。
周囲には歴史を感じさせるレストランやカフェがいっぱい。

veracurzhotel_mx.jpg

veracurzroom_mx.jpg

ここで投宿しているのはオールドファッションなこういうホテル。
その歴史は1910年まで遡り、
建て替えられた建物でさえ僕より年上ではないかしらん?
いかにも中南米にありそうな風情で、御覧のとおりですが、
ツインが一泊4,400円弱ですからね〜。
ランクは安宿の上ってところでしょうか?
英語はビミョーに通じるスタッフがひとりいました。

一夜明けた今日は、午前中から市場で取材開始。
ローカルパワー全開で、すんごい盛り上がりでしたけど、
他の国々と同じく、メキシコもまだコロナ禍の傷跡が残っていますね。
飲食店は閉店して入れ替わったところが目立ち、
生き延びた店も軒並み営業時間を短縮しているし。
タクシードライバーの話では、政府によるロックダウン中の収入保証はなく、
ワクチンも自費のため、彼も含めて打つ人は少なかったとのこと。

経済的な繋がりが細いからか、
ウクライナ紛争の影響はアジアの国々ほど見られません。
しかしガソリン代は日本円でレギュラーがリッター200円前後もしますから、
メキシコ人の平均収入から考えると、かなり高いといえるでしょう。

さて、ベラクルスではシーフードの取材が目的です。
これまではメキシコ高地しか周っていなかったので、
肉料理がほとんどでしたからね。
それでのっけからトライしたのがペルーでも何度か食べたセビッチェ。

veracurzcebiche_mx.jpg

これは魚介類をさっと湯通しし、サルサ・メヒカーナで和え、
アボカドを添えたバージョン。
ライムの酸味とシラントロの香りが食欲をそそります。

veracurzcoctail_mx.jpg

冷菜系ではコクテルもスキップするわけにはいきません。
タコやエビを貝のスープとトマトジュースでマリネし、
クラッカーと一緒に頂きます。
セビッチェと合わせてビールや白ワインのお供にばっちり。
フォアグラ状態で疲れた胃がしゃきっとしました。

veracurzplantanroll_mx.jpg

取材リストで漏れていたのがこれ。
偶然みつけたシーフードをプランターノ(調理用バナナ)で包んだもの。
ソース代わりのフリホーレスのケソ(チーズ)添えが、
完璧なハーモニーを奏でていました。
ん〜・・・こんな料理もあるのですね。
これは他の店のバージョンも試してみなくては!

veracurzempanada_mx.jpg

市場でもの凄い呼び込みを振り切り、「お淑やかな」店で試したのがこれ。
エビのエンパナーダです。
エンパナーダといえば、スペイン発祥の小麦粉の生地で具を包んだパイですけど、
メキシコのご当地バージョンは、トルティージャで包んで揚げたもの。
エビがたっぷり入り、熱々にサルサベルデを添えて食べると絶品でした。

この後、別のカフェに行き、
ポストレ(デザート)のフラン・ナポリターノを試したところでギブアップ。

veracurzfran_mx.jpg

パンパンのお腹を抱えてホテルに退却した僕らでした。
しかし今日の仕事はこれで終わりじゃありません。
このブログを書き終わったら、
筋トレやってお腹を空かし、夜の取材の準備です。
ベラクルスでの食事はあと5回。
まだまだ食べねばならない料理がいくつもあります。
がんばらねば!

to be continued...

えーじ

veracurztomoko_mx.jpg
posted by ととら at 12:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年01月29日

第22回取材旅行 その4

プエブラから南東へ約340キロメートル。
僕らは今、オアハカのセントロ(中心部)に滞在中です。
ここまでは長距離バスで概ね4時間。
標高が700メートル下がり、地形が盆地のせいか、
日中は気候が東京の9月後半、朝晩は12月初旬に変わりました。
日差しは相変わらず強烈ですが、
乾期で風が乾いているため、とても爽やかです。

oaxacabasin_mx.jpg 
オアハカ盆地

ここに来て観光客がかなり増えた気がします。
なるほどオアハカは先住民の文化が色濃く残り、
モンテ・アルバンやミトラなど、サポテカ文化の遺跡もあるので、
内外から観光客が集まって来ますからね。

montealban_mx.jpg
モンテアルバン

とはいえ、どうしたわけかアジア勢はほとんど見かけません。
春節にもかかわらず、中国人ツアー客もゼロ。
バックパッカーに至っては白人勢ばかりで、
自ずと僕らは浮いた存在に・・・

zocaro01_mx.jpg
人通りが絶えないソカロへの道

それでもローカルはみなラブリー&フレンドリー。
15年を振り返ると大きな変化は、
観光地ならば英語の話者が微増したように思います。
それからクレジットカードもカフェですら使えるようになりました。

しかし、旅人にとって最大の変化はインターネットの普及でしょう。
若い方には想像もつかないかもしれませんが、
当時の僕らはスマホもPCも持たずに旅をしていたのですよ。

それは現在に比べると実に効率が悪く、不便な行程でした。
でも、アナログな知恵と工夫で進める旅は、
さくさく流れるデジタルな旅にはない、達成感と充足感があったのですよ。

その理由はね、
僕らの前には、小さな液晶画面ではなく、いつも人間がいたから。

流暢な英会話力なんて必要ありません。
伝えようとする熱意と、理解しようとする思いがあれば、
地球人同士なら、たいてい分かり合えるものです。

今日も市場の雑然としたローカル食堂で取材していたときのこと。

「どちらからですか?」

相席の正面に座っていた家族連れの男性が、
片言の英語で話しかけてきました。

「僕らは日本から来ました」

そこで簡単に目的とととら亭での仕事を説明すると、
10歳と16歳のお嬢さんたちは興味津々。

ここでともこが例の「ともこ語」で話に加わり、

「ハウ イングリッシュ スタディ?」

こんな調子で盛り上がっているうちに、
お父さんが再び、

「オアハカはカカオが名産ですが、ショコラーテは飲みましたか?」
「ええ、シナモンの香りとアーモンドのコクで、
 とても美味しいですよね!」

なんて話していたら、僕らの前にショコラーテが並び、

「これにパンを浸して食べるのがオアハカ流です」
「いやはや、僕らはもうお腹いっぱいでして」

とお断りしている僕にお嬢さんが、

「これ、おいしいですよ!」

とパンが差し出され、
さらに、「昆虫も食べましたか?」

「ああ、それもオアハカ名物ですよね。
 残念ながら、それはまだです」

そう応えれば、

「これもいかがです?」

と手渡されたのはイナゴの炒め煮。

ええい、こうなりゃこっちも日本代表だ、
出されたものは何でも食べますよ!

こうして日墨親善ランチが終わり、

「お会計お願いします」

とホールの女性を呼べば、

「ここは私たちにご馳走させてください」
「え? いや、そういうわけには・・・」
「お話ができて、とても楽しかったです。
 それにメキシコの料理を日本で紹介して頂けるのも、
 すごく嬉しかったものですから」
「わかりました。
 それではお言葉に甘えさせていただきます。
 でも次は僕らがご馳走する番ですからね!」

こうして名刺を渡し、僕らは市場を後にしたのでした。

僕らはこの店をネットで探して入ったのではありません。
市場内の小さな飲食店は、
Trip AdvisorやGoogle Mapに表示されませんからね。
そして意思疎通に翻訳アプリも使いません。
先のともこ語やお嬢さんたちの片言の英語で、
十分な会話を楽しむことができました。

これがととら流、古い旅人の新しい旅。

次は海沿いの街、ベラクルスへ移動します。

to be continued...

えーじ

oaxacaamigos]_mx.jpg
Gracias amigos!
posted by ととら at 14:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年01月26日

第22回取材旅行 その3

僕らがプエブラで投宿しているのは、
中心部のソカロにほど近い、取材に便利なHotel Victoria。

victoria03_mx.jpg

この辺では古株の、一泊ツインが2,500円くらいで泊まれる安宿で、
フロントはこんな感じ。スタッフで英語を話す人はいません。
でも皆さんラブリーですよ。
僕らのなんちゃってスパニッシュでも理解してくれます。

victoria01_mx.jpg

入り口は小さいのですが中に入ると意外と広く、
中抜けの空間を囲むように3階まで部屋があります。
日中は柔らかい光が差し込んで、コロニアル風のいい雰囲気。

victoria02_mx.jpg

このbooking.comでは顧客評価6.5と、
厳しい数字が付いてるところになぜわざわざ泊まっているのかというと、
実は15年前に投宿したのも、ここだったからなのですよ。

victoria07_mx.jpg
この写真は15年前のもの。

あの時は1階の奥にある108号室でした。
で、今回は2階の中ほどの210号室。
基本的に部屋の内容は同じです。

victoria06_mx.jpg
15年前のともこさん。
市場で買った新品のトルティージャプレスを得意げに持っています。

いやぁ〜、懐かしいというか、前に立った時は嬉しかったですね。
古い友人と久しぶりに会ったようで。
まったく変わっていなかったし。
僕がいわゆるネット上の評価を信用しない理由は、
こんな経験から来ていまして。

victoria05_mx.jpg

確かに部屋は御覧のとおり、殺風景でやや暗く、
お世辞にも掃除が行き届いているとはいえませんし、
景色を楽しむ窓もない。
ベッドはボヨヨんベッドの上、シャワーは使い勝手がすこぶる悪い。
でもね、値段相応と申しますか、
僕ら標準では、ごく普通の安宿なんですよ。
厳しい意見のほとんどは、要求とコストのバランスが妙な気がするな。
たとえばマックに入って、
ミシュランの星付きレストランの内容を求めても・・・ねぇ?
安宿で髪の毛が落ちていたとか、
トイレが汚いなんて文句を言っちゃいけません。
安宿なんですから。

あ、でもここにだってテレビはあるんですよ。
それもレトロなブラウン管型!
映るのかな? と思ってスイッチを入れてみたら、
なんと画面に浮かび上がったのがドラゴンボール!
スペイン語を喋る孫悟空や亀仙人がシュールでした。

さて、明日はさらに南部のオアハカに移動します。
次の宿はどんなところかな?
こういうのも僕らにとっては、旅の楽しみのひとつなんですよね。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 21:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年01月25日

第22回取材旅行 その2

おはようございます!
と言っても、日本は間もなく午前零時ですね。

僕らは到着翌日から取材を始め、
昨日の午前中に長距離バスでプエブラまで移動しました。

気候は日中が東京の10月中旬、朝晩は11月下旬くらいでしょうか。
メキシコ高地は緯度こそ台湾よりやや南ですが、
標高が平均して2000メートルを超えているため、
1年を通して過ごしやすいといえるでしょう。
そのせいか、ホテルの部屋には暖房もエアコンもありません。
これは安宿だからというわけではなく、
どの建物にもエアコンの室外機が見当たらないのです。
まぁ、ヒルトンやリッツなら話は別でしょうけどね。

さて、メキシコは15年ぶり。
数ある渡航国の中でも思い出深い国のひとつです。
と申しますのも、料理取材で訪れた最初の国ですし、
3か月を超える南米の旅の出発地でもあったからです。
そしてその後の15年とは、
まさしく、ととら亭の歴史でもありますからね。

街中を歩いていると、いろいろな思い出が鮮やかに蘇ってきます。
たっぷり寝て高度適応も済んだ翌日、
エンジン全開で20キロほど歩きながら、
5か所の市場をハシゴしましたが、
今のところ大きな変化はないように見えます。
経済は相変わらず苦しそうで、ホームレスの数、物乞いとの遭遇頻度、
街の衛生環境から察するに、なるほど国民の約半数が、
貧困線以下の生活を強いられていることが実感できます。

しかし、幸福度や人生の達成感に関する統計データの数字は、
「豊かな」国、僕らの日本を超えているのですよ。
その理由を掘り下げるのが、今回のテーマでもあります。

料理は前回のオーストラリアと違った意味で調べるのが大変です。
そう、対象料理があり過ぎるのですよ。それも街ごとに。
おかげで初日から詰め込んでいるので、早々に胃薬のお世話になる始末。
今いるプエブラは個性的なモーレ・ポブラーノや、
僕らの独立記念料理としてご紹介している、
チレス・エン・ノガーダの発祥地でもあり、
還暦バックパッカーとしては、
ほとんどフードファイトのようになってしまいました。

nogada_mx.jpg
チレス・エン・ノガーダ

とまれ、フランス料理と並び、
世界で初めて料理の文化が世界遺産に登録されただけあって、
とにかく、とにかくおいしいです。
それも日本料理とは真逆の、香り、甘味、苦み、辛味、
酸味のすべてが絶妙なバランスを保つ究極の足し算的メソッドは、
アートと言っても差し支えないでしょう。
昨日調べた3種のモーレのエンチラーダなんて、
芸術品級の料理でしたからね。
ピピアンベルデ、ピピアンロッホ、
モーレポブラーノを同時に味わえる一皿は、
言葉で説明しろと言われても、僕の語彙では輪郭さえ描き切れません。

3moles_mx.jpg
エンチラーダの3種のモーレ添え

今日は再び市場を巡り、新しい料理を探しに行きます。
これまでの取材旅行で培った手法で、
あらためて調べなおすプエブラの料理は新鮮です。

あ、でも15年が経って、
老朽化が進んだ胃腸の具合も考慮しなくては。
旅はまだ始まったばかりですからね。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年01月23日

第22回取材旅行 その1

Buenas noches!(こんばんは!)

僕らは無事、現地時間8時30分ごろ、
メキシコシティ国際空港に到着しました。
日本との時差はマイナス15時間。
前回のブログで「未来の過去へ」と結びましたが、
その理由がこれだったのですよ。
出発が1月22日(月)12:00。
で、到着が同じく1月22日(月)の8:30ですからね。
ちょっと不思議でしょ?

というわけで、今の日本は1月23日(火)の13:38で、
Buenas dias!(こんにちは!)ですが、
僕らがいるメキシコはいまだ1月22日(月)の22:38なので、
Buenas noches!(こんばんは!)になるのです。

今回お世話になったのは、
前回のカンタス航空に次ぐ初搭乗のアエロメヒコ。
出発は6年ぶりの成田空港、
それもSkyTeamが入るレアなエアラインの多い第1ターミナルでした。
いやぁ〜、懐かしかったですよ。
先月、帰国は成田空港でしたが、入国してすぐ電車に乗ってしまったので、
ほとんど何も見れませんでしたからね。

第1ターミナルは全体的にあまり変わっていなかったかな?
11月の羽田と違って10時ごろにも拘わらず、かなり空いていたけど。
インバウンドが復活しても、
コロナ禍のダメージはまだ回復していないのかな?
飲食店はおしなべて営業時間をマスキングしたままだし、
(スタッフが確保できないのだろうなぁ・・・)
仮囲いの空きテナントスペースがまだ幾つかありました。

フライトは7割くらいの搭乗率。
僕らの周りは日本人のツアーの方たちが多く、
皆さん隣り合わせで「はじめまして」からお話が盛り上がっていました。
ラッキーだったのは、当初13時間弱だったフライトタイムが、
追い風で11時間強まで短縮されたこと。
おかげで映画を2本見て寝ていたら、「あれ? もう着陸?」って感じ。
まぁ、そのせいか結構派手に揺れましたけどね。
それでも揺れをものともせず、サーブを続けるキャビンクルーはすごい。
さすがは鷲の戦士(※)がロゴマークになっているだけのことはあります。

さて、細かいディティールは覚えていませんでしたが、
15年ぶりのメキシコ国際空港は、
あまり変わっていなかったような気がします。
入国はあっさりしたもので、入出国カードが廃止され、イミグレも質問なし。
ただパスポートをスキャンして、スタンプを押しただけでおしまい。

バゲッジクレームでは5分も待たずにバックパックが現れ、
税関は一応エックス線検査こそあるものの、
インスペクターは見ているような見ていないような・・・

市の中心にあるホテルまではチケットタクシーで移動しました。
渋滞がひどいので、10キロメートルほどの移動で45分くらいかかります。
それで310ペソ(約2670円)は安いかな?

そんなこんなで11時前にはホテルに着いた僕らでしたが、
アーリーチェックインできたのはラッキーでした。
僕らがいるのは手持ちの高度計で2110メートル。
いきなりポンと放り出されると、軽い高山病の症状が出ることもあります。
僕らも頭が少し重く、体もふわふわした感じだったので、
今日は無理をせず、環境適応に徹していました。

食事は近くのタケリア(タコスの屋台)。
道を歩いていてアドリブで入りましたが、これが大当たり!
いやぁ〜、やっぱり本場のタコスはおいしいですね。

tacos_mx.jpg

具もさることながら、香ばしいトルティージャが絶品。
それにサルサがつけ放題とくれば、
これだけでも「ああ、来てよかった!」となるじゃないですか?
それに物価が上がったとはいえ、
ふたりでお腹いっぱい食べて日本円で800円也!
スタッフもラブリーでとてもいいスタートになりました。

明日からいよいよ取材も本番開始です。
まずは市場巡りからですね。

to be continued...

えーじ

tacoswagon_mx.jpg
おいしくて楽しいタケリア

※ アエロメヒコのロゴマーク
鷲の戦士はジャガーの戦士と並び、アステカ王国の戦士の象徴でした。
posted by ととら at 14:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年01月22日

第22回取材旅行の準備 その4

ここ柴又でも、
「旅の食堂」というのがどういうものなのか、
だんだん認知されてきたようです。

ウェブサイトは特集ページよりも、
営業スケジュールの方がアクセス数も多いですし、
店頭に張り出した予定表をスマホで撮って行く方も、
よく見かるようになりました。

まぁ、飲食店が数週間も休んでしまうなんて、
まずありませんからね。

それから「いってらっしゃい!」と声をかけてくれる方も、
お客さま、街のフェローを問わず、
野方時代のように増えてきたような気がします。
ほんと、嬉しいですよ。地の果てまででも行って、
「おいしい料理を探して来よう!」という気合が入ります。

今日の東京地方は晴れ。
空港も成田なので予定通り出発できそうです。
二人とも体調は良好。

それでは次は15時間先の未来の過去、
メキシコシティ―から。

行ってきます!

えーじ
posted by ととら at 01:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年01月20日

第22回取材旅行の準備 その3

出発まであと2日。

今回は出がけのイレギュラーが少なかったおかげで、
概ね準備が整いました。
最後に大切なのが健康管理ですね。
ここで体調を崩したら厄介なので。

とまれ先日もお話しました身体能力の件。
僕も「還暦バックパッカー」ですから、
これを維持するのはけっこう骨が折れます。

今のところ、
幸いにして40歳代の身体能力(本人比)はキープしていますが、
目下のワークアウト内容、週2〜3回のジョギングと、
同じく5〜6回の筋トレがいつまで続けられるかはビミョーだなぁ。

ま、これがやれる間に、
アフリカや南米の旅を片付けておこうと思っています。
高地や酷暑、酷寒の国をフル装備で旅するのは、
今でさえしんどいので。

今回もメキシコシティの標高は2240メートルありますから、
着いた早々重いバックパックを背負ったまま、
あんまりうろちょろするのは避けなければ。

ご心配をおかけしておりました整形外科系の故障、
腰部椎間板ヘルニアと左膝軟骨損傷の経過は良好です。
ヘルニアはさすがに13年を越える付き合いなので、
だいぶいい関係になっていますし、膝の方は完治しました。

あと、イエローサインといえば、
先日の区民検診で初めて大腸がん検診で引っかかり、
内視鏡検査まで受けましたけど、
良性のポリープをひとつ取られただけで、
「もう来なくていいです」とのこと。
取りあえず、この年齢にして常時服用している薬もなく、
「健康優良ハーフおじいさん」ということですね。

そんなこんなで進めております取材旅行の準備。
最後に気になるのが出発日の天気ですが、
明日は冬の嵐だけど、
22日(月)の東京は・・・晴れ・・かな?

このまま何も起こりませんように!

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 09:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年01月18日

成長のものさし

人の成長はどのように計れると思います?

年齢?
体格?
それともテストの結果?

これは先日のディナータイムでのこと。

奥のテーブルに家族連れで来ていた、
ひとりの少年が僕の目に留まりました。
いや、騒いでいたのではありません。
むしろ大人に囲まれて、ひっそり静かにしている。

それにもかかわらず、なぜ注意を引いたのかというと、
その子は黙っていても、家族の輪に入っていたからです。
そう、携帯ゲームやスマホに没頭するのではなく、
視線は話している家族に向けられて。

へぇ・・・今どき珍しいな。

年齢は中学生くらいでしょうか。
口数こそ少ないけれど、料理についての好奇心は旺盛のよう。
どの皿も真剣な面持ちで、一番最初に平らげていましたからね。

そしてデザートの前。
僕は食器を片付け始めたのですが、
テーブルの奥にあったカトラリーには手が届きません。
皆さんご歓談に忙しく、誰も気付きそうにない。

ま、後で下げればいいか。

と思った矢先、その少年がおもむろに、
奥に寄せられていた食器をテーブルの中央に移し、
カトラリーを僕に手渡し始めたではないですか。

「やぁ、どうもありがとう」

ここで大人たちは、
ようやくこの小さなドラマに気付きました。

自分の殻に閉じこもるのではなく、
周囲を漠然と傍観するのでもなく、
静かに気を配り、助けが必要であれば、そっと力を貸す。

Hey, you got heart, kid.

僕は彼の目を見ながら微笑み、心の中でそう語りかけました。

人間の成長というのは、身長計や答案用紙の上ではなく、
こんなところに現れるのではないか?

僕はそんな風に考えています。

えーじ
posted by ととら at 08:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年01月15日

第22回取材旅行の準備 その2

何ごともすんなり進まない。
だからプランAはいつもコケる。

これがマイライフであるが故に、
いつしか僕は自他ともに認めるミスタープランBとなりました。

今回の旅もまたその例外ではありません。
最初の行き先はメキシコではなかったのですよ。
そう、プランAの渡航先は中東。
サウジアラビア、バーレーン、クウェートでした。

で、航空券のブッキングを始めようとした矢先に勃発したのが、
イスラエルとパレスティナの戦争。

当初はアラビア半島の西側なので影響は少ないかな?
と、希望をもっていましたが、
案の定、イランが静観しているはずはなく、
レバノン、シリアとイエメンの反イスラエル勢力がそれに呼応するとなれば、
こりゃもう、中東全体がレッドゾーン。

と、いうわけで、プランAはあっさりボツになったのでございます。

しかし、ここでへこむ僕らではありません。
ミスタープランBとしては、いつものことですからね。
そこで掘り下げるべき食文化があり、政情が安定している場所はといえば、
カリブ海の島々、ミクロネシアの島々、
はてやカーボベルデにアルジェリアを絡めるのはどうか?
なんて白紙から再検討しつつ、
そうだ、メキシコの取材をやり直そう! となったのです。

ルートは前回ご覧いただいたマップのとおり。
最初にメキシコシティの南東側、次が北西側を周る予定。
ですが! これまたプランAなので、きっと何か起こるでしょう。
そこでメキシコ内でのプランBはどうなるか?

それはその場で臨機応変に対応したいと思います。
こういう旅で一番大切なのは、柔軟な発想と決断力、
そして瞬発的な突破力なのですよ。

まぁ、こうした身体能力をいつまでキープできるか?
それが問題だ。

ん〜・・・もってあと5、6年かなぁ?
というわけで時間も限られていることですし、
今年からハードな旅を立て続けに計画している次第でございます。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 09:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年01月12日

第22回取材旅行の準備 その1

オーストラリアの旅から戻ってまだ一カ月足らずですが、、
次の旅へ出ることになりました。

夏からの遠征が控えている今年は、
予定もこれまでとは大きく変わり、
その調整のために、
ここの期間が短くなってしまったのですよ。
年末年始やメニュー替えも重なってしまったことから、
いやはやかなり煽られております。

が! 気合の入り方は過去最大級。
何といっても渡航先がメキシコですからね。
実は正式に料理の取材で行った初めての国がメキシコだったのですよ。
あれはととら亭を開業する前年、2009年6月のことでした。

ま、当時それなりに下調べはして行ったものの、
いかんせんやったことのない旅でしたので、
その内容たるや稚拙な限り。
あ〜、あれをもっと調べればよかった!
とか、どうしてもっと写真を撮っておかなかったんだろう?
など、反省点はてんこ盛りだったのです。

というわけで、15年後のリベンジ。
期間は1月22日(月)から2月13日(火)まで。
ルートはメキシコシティを起点に南ルートが、
プエブラ → オアハカ → ベラクルス → パパントラ。
北ルートが、モレリア → グアナファト → サンミゲル・デ・アジェンデ。

amigoroute01.jpg
(画像をクリックすると大きくなります)

15年かけて培った料理取材のノウハウを活かし、
実り多い旅にしたいと思います。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 17:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年01月09日

僕のニュービジネス・・・?

先日、とあるお客さまからこんなお話が・・・

「あなたたち、この前、旅行に行ってたでしょ?
 それで予約したくても電話に出ないから、
 店の前に貼ってある営業予定を見に来たのよ。
 そしたらね、シャッターのすぐ前に人が立ってたの。
 で、近付いてみたら、何してたと思う?」

「合掌しながら、お辞儀してるじゃない!」

「あたし、びっくりしちゃってさぁ。
 で、何してるんですか? って聞いたら」
 
「駅前で宝くじを買ったんで、
 当たるようにお願いしてるんですって!
 ここを神社だと思ったのよ!

「だからあたし、言ってあげたの。
 ここはレストランですよって」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

驚きました。

jinjya.jpg
シャッターが降りた状態ってこうですよ。

holidayannounce_231127.jpg
で、そこに取材中はこれが貼ってあったわけです。

だけど、その方には神社に見えたのですね。

なんて話を別のお客さまとしていたら、
その人も神社に見えなくもない、となっ!

そこでビジネスマンの僕はひらめきました。

賽銭箱を作ろう!

で、取材中、それを置いておけば、
帰国すると飛行機代くらいのお賽銭がたっぷり・・・

ないかな?

ところで、ととら亭で願をかけて何のご利益があるんだろう?
少なくとも金運は・・・ねぇ。

えーじ
posted by ととら at 22:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年01月06日

The other side of European taste

旅行とは短時間で散財する高価な娯楽。

うん、確かにそうですね。
でも、考えようによっては、かなりお得と言えるかもしれません。
なぜなら旅は計画の段階から始まりますし、
(地図やガイドブックを見ているだけでワクワクしてくるでしょ?)
帰ってからもその思い出をずっと楽しむことが出来る。

メニュー替えの度に僕はそれを実感しています。
キャプションを書くために取材ノートを読み返したり、
メニューやポスターに使う写真を探していると、
まるで今もその旅の途上にいるような気がしてきますからね。

そして、それには「いつ行ったか?」も関係ありません。
今回、引っ張り出した資料は2017年のハンガリー旅行のもの。
短いながらもセゲドやブダペストで過ごした日々が、
鮮やかに蘇ってきました。
とりわけ12年ぶりに訪れたブダペストは、
たくさんの思い出がありましたからね。

華やかなウィーンと違って、どこか影のある街。
それでいて地味な魅力に満ちているのは、
オスマン帝国に占領されていた時代の影響や、
古くは元々モンゴロイドだったと言われる、
マジャール人の出自が関係しているのかもしれません。
言語もレアなフィン・ウゴル語のグループですし。

ともあれ、この国の食文化を堪能するのに、
歴史の蘊蓄は必ずしも必要ないでしょう。
ただ一口、グヤーシュを啜れば、
ハンガリーがヨーロッパの中でも異色の存在であることが、
お分かりいただけるかと思います。
特にヨーロッパといえばフランスやイタリアの料理を思い浮かべる方には、
ちょっとしたサプライズになるかもしれません。

ハンガリー料理特集

文化の多様性と複雑な関係が一皿の上で表現されています。
この冬はヨーロッパの意外な側面が見える、
東欧の味を楽しんでみませんか?

えーじ
posted by ととら at 09:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年01月04日

ゴールからのスタート

一般的に、今年は今日が仕事始めのようですね。

ととら亭は帝釈天に合わせて元旦が初日。
このスタートは柴又でも早2回目になりますが、
今回は今までにない特別なものとなりました。

と申しますのも、去年こそが10年以上前から水面下で進めていた、
遠大なプロジェクトのゴールだったのです。

そう、2010年に中野区の野方で独立し、
3年ほどかけて今に通じる「旅の食堂」のスタイルを確立したものの
それは同時に、
出来ることと出来ないことが分かった節目でもありました。

そこで僕らが突き当たった壁はふたつ。

1.経営条件上、1回半月を越える旅に出るのは難しい。
2.通常の労働時間を一人400時間/月以下にするのも難しい。

その理由は?

固定費です。

そう、東京23区内で賃貸住宅にお住まいの方には説明不要ですが、
家賃の高さがハンパじゃないのですよ。
ことそれが商業物件(テナント)だったりすると、
場所によっては「いったい誰が払えるんだろう?」なお値段。

そして僕らのように住む場所も賃貸だったりすると、
ダブル家賃は恐るべき重さで経営(と生活)にのしかかってきます。

そこで行き着いた答えはただひとつ。
自分たちの物件、すなわち、
店舗付き住宅を手に入れるしかない!

ところが皆さまご存知のとおり、
僕らは資金が乏しい上に、個人事業主は銀行に信用がないため、
いろいろ回り道をしなければならず、
それでこのプロジェクトの期間が、
足かけ10年以上になってしまったのです。

ともあれ、とてつもない紆余曲折を経たこの企みも、
自己ベストの形に収まり、
僕らは家賃のための労働からついに解放されました。
そこで発表したのが今月の営業スケジュールです。

今年から月曜日のディナーを休みにすることで、
都合、皆さんと同じ「週休二日」が実現します。
また、ディナー営業の開始時間を18時に統一することで、
週末の準備にも余裕が生まれました。

はぁ〜、やっとここまで来れたか。

ようやく人間らしい生活に戻れたことを、
心から喜んでいる僕らでございます。

えーじ
posted by ととら at 09:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年01月01日

Happy new year 2024

あけましておめでとうございます。

20代の頃、
一生旅をして行くにはどうしたらいいのだろう?
と真剣に考えていました。

いま、その方法を考えて、
実行してくれたえーじに感謝しています。

今年は、
これまで以上に私たちらしい生き方をして行けそうで、
ワクワクしています。

夢を持てたこと、
夢を実現するためのパートナーを見つけることができたことを、
幸せに思います。

広い世界を見てみたい!

ともこ
posted by ととら at 08:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年12月31日

この1年を振り返り2023

今朝、起きたら10時を周っていました。
昨夜は目覚ましをセットしなかったのですよ。
こういう朝は年に3回もないので、
コーヒーが一段とおいしく感じられましたね。

気分がすっきりしているのは、
爆睡効果のほかに、
1年を完走した達成感があったからかもしれません。

波乱万丈がフツーの人生を自ら選んだ僕ではありますが、
この1年間は、さすがにその選択を「ちとやり過ぎたか?」
と、ため息が出たことも。

ま、よくある話ですが、
TReP(ととら亭移転計画)の詰めと並行して、
個人的なビッグプロブレムの対応をやっていたのですよ。
ですから営業と同時にそれらが大きな節目を迎えた昨日は、
さながらフルマラソンを、
いや、トライアスロンを完走したかのような気持ちになりました。

もちろん、これらの結果は皆さまのお叱りを待つまでもなく、
いわゆる「完全無欠の100点満点」ではありません。
大小合わせて無数のドジを踏みながら転がり込んだゴールです。

でもね、やったことのない目標に、
マニュアルなしでチャレンジしたのですから、
凡人の僕らにしては上出来じゃないか?
と、自己評価しています。

そう、これ以上やったら死ぬな・・・くらいコミットしたので、
ほんと、後悔はまったくないのですよ。

とはいえ、すべての結果を自力で出したとは、
いかにゴーマンな僕でも考えていません。
重要な局面だけではなく、常日ごろから、
僕は多くの人々に助けられてきました。
そのひとつでも欠けていたら、
今の達成感を噛みしめることはできなかったでしょう。

本当にありがとうございました。

そして何より、これらの結果は、僕一人ではなく、
ワイフであり、仕事のパートナーであり、
旅の相棒でもあるともこと一緒に出したことも忘れてはいません。

今年も苦労をかけたね。
どうもありがとう。

えーじ
posted by ととら at 12:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年12月30日

仕事納め2023

柴又で初めて1年を通した仕事が終わろうとしています。
初年は7月20日オープンだったので、
営業したのは5カ月余りでしたからね。

この1年間は、もうひとつ大きな前進がありました。
それはコロナ禍を越え、旅に戻れたこと。

1月のバリ島で勘を取り戻した後、
6月のインドネシア、マレーシア、タイ。
そして12月のオーストラリア。

移転も含めてかなりの紆余曲折がありましたけど、
ようやく僕たちのあるべき姿に戻れたと思います。

新しいことでは、元旦営業や、
花火大会での店頭屋台販売なんてのもありましたね。

普段は目の前のタスクにかまけて、
全体を思い浮かべる余裕なんてありませんが、
今日、この1年間の道程を振り返って見えた光景は、
どこか、ウビアの岩山から臨んだ、
アーネムランドの景色に似ているような気がします。

そう、あれは僕らにとって未踏の世界でありました。
まさに人生は旅。
それも冒険の旅なんですよね。

さて、今年もこの後のディナーが最終イニング。
僕たちらしいプレイで締めたいと思います。

えーじ
posted by ととら at 15:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年12月28日

第21回取材旅行 番外編その2

帰国して10日が経ちました。

頭の切り替えが苦手な僕もすっかり柴又の日常に戻りましたが、
旅のフラッシュバックは続いています。

そこに現れるのは人。

不思議なもので、
おいしい料理や美しい風景以上に思い出されるのは、
たいてい人の印象なのですよ。

旅の途中、クーインダで出会ったマコさんとイバさんについては、
その7」をご覧頂くとして
今日は思いつくまま、
そのほかの記憶に残った人々についてお話しましょう。

まず、出発の羽田空港で。
時間が早すぎてまだ飲食店が開いていないと考えた僕らは、
行きがてらコンビニで買ったパンを持ち込み、
ボーディングゲート近くのベンチでそれを食べていました。
横にあったのはコンビニが運営している自動販売機。
すると20歳代の白人の男性が現れ、何かを買おうとしています。
僕はパンを頬張りながら、
「サンドウイッチとコーヒーかな?」とぼんやり想像していましたが、
なんと彼が手にしたのはおにぎりと緑茶。
そしてやおら床に座り込むなり、
おいしそうにもぐもぐ食べ始めたのです。
日本と和食が気に行ってくれたのかな?

ダーウィン空港では、
市内行きシャトルバスが長らく運航していないことを知り、
タクシーに乗り込んだ僕ら。
そこで初老のドライバー氏に、
「オーストラリアをレンタカーで縦断するんですけど、
 何かアドバイスを頂けますか?」と聞いたところ、
彼は親切に「田舎道では飛び出す動物に気を付けろ」から、
「アリススプリングにはいい博物館がある」など、
観光のアドバイスまでしてくれたのです。

そして話がダーウィンの戦争博物館に及んだとき、
「ああ、あれはすみませんでしたね」
と僕が日本軍の爆撃を詫びると、
「もう終わったことだよ。今では友だちじゃないか!」
こう言いながら、サンタクロースのような笑顔を浮かべていました。

テナントクリークのレストランで、
夕食を食べた僕らが通りを渡ろうとすると、
反対側にはアボリジナルのハイティーンの女の子たちがたむろっていました。
近付く僕らにそのなかの一人が、
「おじさん、あたしお腹空いてるの。それくれない?」
僕が手にしていたのは食べきれなくて持ち帰りにしたフライドライス。
「いいよ。フライドライスだけど、食べるかい?」
「うん!ありがと!」
雷雨が降り始めたので僕らはそのままホテルに入ってしまいましたが、
彼女たちともう少し話をしておきたかったな。

アリススプリングの安宿で。
チェックインの時に挨拶を交わした30歳代後半と思しき白人女性。
その後も買い出しのスーパーでばったり。そしてキッチンでも。

「よく会いますね」
「どちらから?」
「セルビアからです」
「え? それなら行ったことありますよ。
 ベオグラードとスポティザだけだけど」
「あら、それは違う国ですよ」
「え?」
「シベリアです」
「シベリア? ・・・って、じゃあ、ロシア?」

すると彼女は少しばつの悪い表情を浮かべ、

「ええ」

そうか、やっぱり気にしてるんだな。

「ああ、ならサンクトペテルブルグに行きましたよ。
 僕は東京でレストランをやっていてね。
 ロシアの料理を紹介したこともあります。
 お国の料理はおいしいね!
 次はウラジオストックからシベリア鉄道でモスクワまで行きたいな」

ここで再び彼女に笑顔が戻りました。

メルボルンで空港に向かうUBERタクシーのなかで。
ドライバーは30歳後半と思しき、パキスタン人の男性。

「移住したのですか?」
「11年前です」
「これはあなたの車?」
「そう」
「すごいですね。オーストラリアでの生活はどうですか?」
「いいですよ。コロナのときもシャットダウンされたけど、
 ちゃんと保証してくれたし。
 祖国ではこうはいきません。貧しい国ですからね」
 
「メルボルンではアボリジナルの人々をまったく見かけませんが、
 なぜだか分かりますか?」
「ああ、彼らは働かないから都会に住むおカネがないのです」
「僕はノーザンテリトリーのスーパーやショッピングモールで、
 彼らの姿をたくさん見ましたけど、収入はどうしてるのでしょう?」
「政府から生活費が出ているんですよ。2週間で800ドルだったかな?
 でも、学校に行かないから英語も話せないし、
 自分でおカネを稼ぐことはできません」

彼の口調はやや批判的なトーンを帯び、続けて、

「政府は彼らの文化と人権を認めて土地も返しているんですよ」

僕は話題を変え、

「この国でパキスタンからの移民は少数派だと思いますが、
 独自のコミュニティーはあるのですか?」
「いや、ありません。みんないろんな場所に散っています」
「それは寂しいですね」
「はい」
「ご家族は?」
「妻と子供が3人。みんなこの国で生まれました」
「いつか祖国に帰りたいと思っていますか?」

彼は少し考えて、

「いいえ。たまに里帰りするかもしれませんが、
 移り住むことはないでしょう。
 僕も家族もオーストラリアの市民権を持っていますから」

旅は出会い。
そしてその出会いには、それぞれのドラマがあります。
僕の記憶に残るのは、そうした小さな宝石なのかもしれません。

End

えーじ
posted by ととら at 15:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年12月25日

第21回取材旅行 番外編その1

今回はおまけで取材旅行の舞台裏をご覧に入れましょう。

料理の取材というからには、
対象料理を中心に、とことん食べ歩いているのですが、
「取材対象がない!」街も、ときにはあります。

困りました。

でも白状しますと、これはこれで楽しくもあるのですよ。
フリーで食べたいものが食べられますからね。
で、今回、入っておいしかったのは・・・

darwin_au.jpg
ベトナム料理 ダーウィンにて
1960年代から続いた戦争の難民が多いので、
オーストラリアで生まれた2世、3世も沢山います。
ダーウィンでは気候も近いせいかハーブがたっぷり。
ジャスミンライスもいい香り。

adelaide02_au.jpg
アフガニスタン料理 アデレードにて
中東からの難民、移民も少なくありません。
こういうところは日本と違いますね。
これはギョーザのマント。
本国は入れないので勉強になりました。

adelaide_au.jpg
アルジェリア料理 アデレードにて
難民と一言でいっても戦争のみならず、
政治や経済が原因であることもあります。
まぁ、いずれも情勢が不安定な国が多いですね。

portaugasta_au.jpg
インド料理 ポートオーガスタにて
インド系移民もたくさんいらっしゃいました。
このお店のスタッフさんは英語のアクセントからして、
幼少期に移住してきたか、
オーストラリア生まれだったんじゃないかな?
立ち居振る舞いがぜんぜんインド人っぽくない。
料理も洗練されていてお店は大繁盛。

katharine_au.jpg
中華料理 キャサリンにて
本格的な祖国の料理を出す飲食店が多いなか、
ときには怪しげなところも・・・
汁ソバが食べたかったのでメニューを指さし、
「これはスープヌードルですか?」
と白人系のスタッフに聞けば、
「はい、そうです」とのことでしたが、
出てきたのはご覧のとおりのあんかけ風五目麺。
キッチンはたぶん華人や華僑じゃ・・・なさそうですね。

mtgambia_au.jpg
タイ料理 マウントガンビアにて
ここは白人のシェフが切り盛りするレストラン。
僕らが食べた限り、
オーストリアのエスニック系レストランで共通していたのは、
ナンプラーやベラチャンなどの発酵調味料がほとんど使われていないこと。
やっぱり欧米系のお客さんには臭いが苦手なのでしょうね。
僕はちょっと物足りなかったけど。

alicesprings_au.jpg
朝食 アリススプリングにて
ここではコテージに泊まっていたので朝食は中庭で。
他のバックパッカーとの交流が楽しかったです。
彼らがキッチンで何を作っているのかも興味深かったですし。
いずれもお国柄が現れていました。

alicesprings02_au.jpg
中東料理 アリススプリングにて
物価の高いオーストラリアですが、
テイクアウト(オーストラリアではテイクアウェイ)すれば、
けっこう安く済みます。
おまけに量もこのとおり、普通でスーパーサイズですからね。
僕らはこれひとつでお腹いっぱい。

そしてさらに費用を抑えるとなれば、
自炊です。
これに尽きる。

yulara02_au.jpg
限られた器具で調理中。ユラーラにて

こんな風にスーパーで買い物をして自炊すれば、
かなりコストを下げられます。
(たとえば2リットルのミネラルウォーターが80円くらい)
たいていホテルに冷蔵庫と電気ポットがありましたし、
場合によっては電子レンジまであったところも。

そこで最も物価が高く、
飲食店の選択肢が少ないリゾートタウンのユラーラでは、
IGAというスーパーのチェーン店で買い出しをし、
ご覧のとおりの食事を楽しんでいたのです。

yulara01_au.jpg

おいしかったのはフムス。
これはトウガラシ入りやオリーブ入りなどさまざまなバリエーションがあり、
朝食のパンに塗って食べるとグッド!
また冷凍のミックスベジタブルを温め、フムスをデップにしてもイケますよ。
(中東系が多いのか、ムタバルまであった!)

ディナーのメインはインド系、中東系の電子レンジフード。
これも800円程度で安くてうまい!
お酒だって酒屋で買えばそれほど高くありませんから、
コテージで結構ゴージャスなフルコースを満喫していました。

長い旅では、こうしてたまに外食を「お休み」にして、
市場やデリカテッセンで買ってきたものを宿で食べる。
これはこれでその土地の食文化に触れられますからね。
お試しあれ!

えーじ
posted by ととら at 14:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年12月23日

ここでもフツーにやってます

野方ではよく知られていましたが、
ここ柴又でも、ととら亭にクリスマスコース料理はありません。

洋食系レストランであるにもかかわらず、
お店にリースやツリーはありませんし、
僕もサンタクロースのコスプレをしていません。

なぜか?

僕らがクリスチャンではないからです。

が、いちばん尤もらしい説明なんですけど、
まぁ、そう固いことは抜きにしても、
感覚的に、もう卒業しちゃっているんですよ。

そりゃ僕だって30歳くらいまでは、
背伸びして彼女を高級フレンチに連れて行ったり、
ときにはお洒落なペンションを予約して、
(当時流行っていたんですよ)
ムフフなクリスマスを過ごしておりましたが、
さすがに40歳以降は・・・ねぇ。

それに、ととら亭が12月24日と25日は、
カップル限定みたいなムードになるのもどうかな?
と思いまして。

それで開業以来、ずっとフツーにやっているのですよ。
まぁ、こんなレストランが、
街に一軒くらいあったっていいじゃないですか。

えーじ
posted by ととら at 09:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年12月20日

ととら亭再起動202312

早いですね。
柴又でも3度目の取材旅行。
帰ってきて近所のフェローたちやお客さまから、
「おかえりなさい!」と声をかけられると、
僕らもこの街の一員になれたのかな、そうしみじみ感じます。
帰る場所があり、
待っていてくれる人がいるというのは嬉しいものですね。

さて、旅行中はトイレとシャワーを除けば、殆ど一緒にいる僕ら。
しかしながら帰宅した翌朝からは違います。

ともこはそそくさと買い物に行き、
人間業とは思えないスピードで黙々と仕込みを開始。
僕はといえば、そうした彼女をわき目に、
ポストから溢れた郵便物を捌き、
その後は仕事部屋で支払いなどのペーパーワーク。

ランチのときに集まって、今後の予定を決める会議です。
2024年の予定から中短期にミッションをブレイクダウンし、
年末年始の営業予定を決めました。
おっと、これは数日以内にアップしますね。

それにしても毎回感心するのは、ともこの頭の切り替えの早さ。
一夜明けてというより、空港から電車に乗るやいなや、
既に翌日の仕事の段取りを考え始めています。
ま、そうでもしないと準備が間に合わないのでしょうね。

片や僕の担当は取材ノートのまとめや写真データの整理など、
振り返り部分が多いせいか、
なかなか通常モードに切り替わりません。
だから朝、目覚めたときに、
自分がどこにいるのか分からないのもお約束。

これ、「もし自分が××××だったら」、
と考えながら旅をする手法も影響している気がします。
たとえばオーストラリアでいうと、僕がもしアボリジニだったら、
初期の移民だったら、亡命を受け入れてもらえた難民だったら、
から、カンガルーやコアラだったら・・・
なんて想像しながら旅しているのです。
これは見る視線から見られる視線へのシフトであり、
限定的な自分のフレームから抜けて、
未知の世界へ身を投じるテクニックのひとつなんですよ。
どこへ行こうとも必ず付いて回る、
影のような「自分」という厄介なやつから如何にして遠ざかるか。
それに成功しないと、
それこそ地球の裏側にいても柴又にいるのと同じですからね。

さて、そんな戯言は脇において、今日からランチ営業再開です。
コロナ禍が日常化して初めての年末年始はどうなるのか?
この夏もそうでしたが、煩わしい規制から解放されて、
街行く人々の楽しそうな笑顔を見ていると、
なんだかこちらまで嬉しくなってきます。

2年目の柴又の年末。
どんな展開になるかな?

Let's dive into the unknown future!

えーじ
posted by ととら at 09:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記