2019年07月17日

第18回取材旅行 その14 最終回

あいやぁ〜・・・今年もやっとここまで来ました!

僕たちの1年間の仕事の波は、
11月上旬に行く研修旅行に始まり、そこから年末年始の繁忙期、
冬のメニュー変え、冬の取材旅行、決算、春のメニュー変え、
ゴールデンウィーク、夏の取材旅行、夏のメニュー変え・・・

絶え間なく続くビッグイベントを乗り越え、
この7月の連休が終わったところで、
はぁ〜・・・ようやく今年も上期が乗り切れたな・・・
と、ひと区切りつくのです。

ここから9月の連休までが、
年間を通じて最も時間的な余裕のできる時期。
今はあれこれ予定を詰め込まず、
とりあえず、読書の時間をもう少し取ろうかな?
くらいに考えています。

さて、その前に、ここまでの締めくくりとして、
夏の取材旅行をまとめおかなければなりませんね。

今回訪れたのは中国の東北部とモンゴル。
準備編でお伝えしたミッションその1は、
『日本ギョーザの源流を探る』でした。

取材地はハルビン、長春、瀋陽、北京の4都市。
そこで胃袋の限界まで餃子を食べ続けて分かったのは、
瀋陽で食べた煎餃(チェンジャオ)が、焼くという加熱方法、
焼いた面を上にする盛り付け方の点で、
日本ギョーザに最も近かった、ということです。

しかしながら、ここで一足飛びに、
『日本ギョーザは瀋陽タイプが伝わったのだ!』とは言えません。
なぜなら、
煎餃は餃子を主に売り物とする専門店以外では見かけておらず、
主流は圧倒的に茹で型の水餃(シュイジャオ)だったからです。
煎餃の通時的な位置づけがはっきりしない限り、
確率的にもなんとも言えないでしょう。

では、最も一般的に食べられている水餃に起源を求めるなら、
皮の厚みの点でハルビン型が最も近いのですが、
ここでも時間的なギャップの問題は避けて通れません。

なぜなら、
もし日本ギョーザが中国の東北部に展開していた、
関東軍や満州開拓団の引揚者が伝えたのだとしたら、
その時期は太平洋戦争が終わった1945年前後が中心となるので、
約74年もの時間差がありますからね。

ん〜・・・
この辺はいずれも水餃と煎餃の通時的な変化をどのように調べるか?
その方法を考えることが次の課題でしょう。

次はミッションその2、
『モンゴルギョーザと中国餃子の関係を調べる』です。
取材対象はボーズとバンシ。
このふたつ、ボーズの方は料理名からして、
包子(パオズ)と呼ばれていた頃の餃子が伝わった可能性が高いのではないか?
これは中央アジアにはギョーザとして伝わった饅頭(マントゥ)が、
変名後の中身のない肉まん状態で伝わっていることからも、
裏付けられているではないかと考えられます。

しかし、では『モンゴルのギョーザはすべて中国起源のものである』
と言いきれるかというと、これまた断言するには材料が足りません。
その不足した材料とは、もうひとつのギョーザであるバンシの出どころ。

バンシという料理名にはモンゴル語としての意味がなく、
かつ対応する中国語(北京語)にも該当する語がないと分かった次の疑問は、
その語はいったいどこから来たのか? です。

そこで、その手掛かりは中国餃子が生まれたとされる華北平野、
そこに多く住んでいた満州族が持っているのではないか?
次はそこをつついてみる価値がありそうですね。

こうして駒を進めた今回の取材旅行。
例によってひとつの答えがふたつの疑問を生み出してしまいましたが、
そもそも2週間の旅で答えが見つかるとは考えていませんでした。

僕らの旅は、まだこの広大な星の上で点を打つ程度のものなのですよ。
その点と点がどんな線で結ばれるのか?
そしてその線が描く絵は、いったいどんなものなのか?

残された次の課題に取り組みつつ、
探し続けて行きたいと思っています。

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See you on the next trip!!

ともこ & えーじ
posted by ととら at 15:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月12日

第18回取材旅行 その13

昨夜はエジプト料理特集の初日。

取り上げた4種類の料理それぞれにご注文を頂き、
お客さまの反応を見て二人ともほっとしました。
絞り込んだ料理の再現にはいつも以上に自信がありましたけど、
僕たちの自己評価と皆さんの客観的な感想は別ものですからね。

今回はその料理だけではなく、
店内でディスプレイしている現地の写真にも手応えを感じています。
実は旅行に出る前に作った取材計画には、料理以外に撮影も含まれていまして。
メニューやディスプレイで使うために、
どこでどのような写真を撮るのか、あらかじめある程度は決めているのですよ。

しかしながら、天候や現地の治安状況などで、
考えていたような写真が撮れない場合も少なくありません。
エジプトもまた例外ではなく、
場所によってはカメラそのものが取り出せないような状況もありました。
まぁ、結果的にはシャッターチャンスに恵まれ、
僕たちの旅の雰囲気が、よく描写できたのではないかと思っています。
特にカウンターにディスプレイした市場の人々の写真は自信作なのですよ。
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さて、メニュー変えが一段落したところでまたしても頭の切り換えです。
エジプトとモンゴルは文化的にも気候的にもかけ離れていますからね。
それじゃ、ちょいと精神を集中して・・・行ってみましょうか!

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ウランバートルは大きな市街地ですが、
(大都市・・・ではないと思う)
それでも自動車で30分も走れば周囲の景色が一変します。
僕たちが向かっているのはテレルジという郊外の地域。

mn_camproad.jpg

ここでの目的のひとつはゲルに泊ること。
そこで訪れたのがツーリストキャンプです。
ウランバートルから東北東へ50キロメートほどの距離なので、
バスでも行けるかしらん?
と最初は考えていたのですが、
イヤな予感があってピックアップサービスをお願いしました。
現地まで来てみるとその予感は的中。
テレルジは街というより、まさしく地域で、
広大な丘陵地帯にキャンプサイトが点在しているのですよ。
で、バス停から僕らが予約したところまでは、
ゆうに5キロメートル以上の距離がありました。
幹線道路からさらに写真に写っているような道の奥だったのです。

mn_geru.jpg

おお、これこれ!
せっかくモンゴルまで来たのだから、
こういうトラディショナルなゲルに泊ってみたかった。
最近のトレンドはなんとバス、トイレ、バルコニー付きなのですけど、
それでは僕たちにとって意味がありません。
やっぱりこうでなくちゃ!

mn_geru02.jpg

入った内部はご覧の通り。思いのほか広いですね。
中央部では僕が立ち上がっても頭上に余裕があります。
中心に薪ストーブが置かれ、
ローテーブルが一つあったので仕事をするにも便利。
照明は、さすがに電気が来ていました。
まぁ、これは遊牧民のテントも最近は発電機やソーラーパネルで、
ある程度の電化はされているそうですから同じかな?
テントの材質は羊毛のフェルトです。
トレッキングやツーリングでよくテント泊していた僕らからすれば、
これはもう限りなく家に近いですね。
それもそのはず、ゲルとはモンゴル語で『家』の意味ですから。

mn_oboe.jpg

キャンプサイトは小高い丘を背にしており、
荷物を置いた僕らは誰もいない道なき道で、
ショートトレッキングを楽しみました。
そこで見つけたのが『オボー』。
これは日本の道祖神にも近いもので、
丘の上や峠道に石を積み、土地の守護神を祀ったもの。
チベット仏教が伝来する以前からある古い信仰のひとつです。

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ここでのもうひとつのミッションはクッキングクラス。
これ、本来は研修旅行で参加するものなのですが、
今回は一般的な飲食店だと、
調理関係者に英語でインタビューするのが難しかったので、
ここならうまく情報が引き出せるのではないか、と考えたわけです。
場所はキャンプサイト併設レストランのキッチン。

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先生はモンゴル人の女性シェフ。
彼女は英語を話さないので右の青年が通訳してくれました。
といっても、彼のスキルも怪しく、
頼みの綱はやっぱりスマートフォン・・・か。
時代は変わりましたね。

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で、こちらからリクエストした料理は、
もちろんモンゴルギョーザのバンシとボーズ。
お〜、さすがギョーザを作り慣れているともこ料理長。
余裕の笑顔じゃないですか。

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出来ました〜!
左がバンシ、右がボーズ(ブーズと聞こえます)。
中身の肉は一般的にラムが主流ですが、今回はビーフ。
それに玉ねぎのみじん切りと塩とブラックペッパー、水のみのシンプルな具。
両者の違いは大きさのみ。
加熱方法はバンシが基本的に茹で、ボーズは蒸します。
予想通り、ボーズは中国の包子(パオズ)が伝播したものだとのこと。
語音からしてこれはその通りでしょう。

しかし新たな謎になってしまったのがバンシ。
これはモンゴル語で意味がないとのことでした。
ということは借用語。
英語が堪能なキャンプサイトのマネージャーは、
バンシもまた中国から伝わったものではないかと言っていましたが、
それをととら亭に来ている中国人のお客さま2名(漢族)に確認すると、
バンシに対応する北京語はないそうで。

ん〜・・・どこからどう借りて来たんだ?
もしかしたら餃子発祥の地域と考えられる華北平野に多く住んでいた、
満州族の言葉かもしれませんね。
宿題になってしまいました。

mn_restaurant03.jpg

今回、僕たちがモンゴルで取材していた場所の多くは、
こうしたローカルレストラン。
ウランバートル駅の北側には、こうしたお店がたくさんありました。
中にはオーナーが日本贔屓で碁に詳しく、
来日経験があった方も。

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バンシやボーズは幾つかのバリエーションがあり、
他のギョーザ文化圏で見かけなかったものの一つがこれ、
バンシタイツァイ。
なんとミルクティーにバンシが入っているのです。
一瞬、うげ・・・と思いましたが、
砂糖が入っているわけではなく、茶の味も薄いので、
ミルクスープギョーザに近いかな?
やさしい味で温まります。

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これはモンゴル版煎餃(チェンジャオ)とも言えるシャルサンボーズ。
ボーズを焼いたものです。食べ方としては明らかに亜流でした。
ローカルしか来ないような飲食店では、僕らが見た限り、
焼きタイプは見かけませんでした。
でも、ボーズ屋は至る所にあったので、偶然かもしれませんが。

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そして国民的な料理ともいえるホーショール。
これは2ミリほどの厚さに伸ばした小麦粉の生地で、
ラムの叩き肉(挽肉ではありません)を包み、油で揚げたもの。
熱々でかぶりつくと肉汁がじゅわっと出てきます。
中身の材料は基本的に先のバンシやボーズと同じ。

それにしても困ったのはボリュームでした。
これね、ひとつに入っている肉の量が80グラム前後はあるのですよ。
それが『1人前』で5個でしょ?
他の料理も食べなければならなかったので、
ともこがひとつ、僕がふたつでギブアップ。
え? 現地の人たちはどうなんだって?
もちろん彼、彼女らは完食ですよ。
同じモンゴロイドとは思えない食べっぷりでした。

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モンゴルでは麺もよく食べられています。
この麺、種類としては日本でいう『うどん』に近いですね。
写真は中でもポピュラーなツォイワン。
中国の炒麺(チャオミェン)が伝わったものと言われています。
最初、中央アジアのラグマンに近いのかな?
と思いましたが、スパイス感はまったくなく、
シンプルなラム肉、野菜入り焼うどんという感じ。
これも美味しかったのですが、量が多すぎて・・・

mn_griash.jpg

ギョーザと並んで重要な取材対象だったゴリヤシ。
なんとハンガリーのグヤーシュが伝わったものだと言われています。
もしかてハンガリー人(マジャール人)がかつてウラル山脈の南西部に住み、
遊牧生活を送っていた時にモンゴル人と接点を持ったのか?
と思いましたが、ことの真相は、ぜんぜん新しく、
社会主義時代にハンガリーに留学した人々が伝えた可能性が高いとか。

で、どんな風にローカライズされていたかというと、
肉がビーフからラムに、パプリカがトマトに置き換わり、
グヤーシュで基調となるスパイスのキャラウェイが完全に抜かれていました。
そして供し方は、ライスとガロニの野菜が加わり、
一種の定食となっていたのです。
いまではランチタイムの定番だそうで。
オリジナルとは似ても似つかないものになってたものの、
これはこれで悪くなかったですね。

mn_schnizzel.jpg

もうひとつ面白い料理をご覧に入れましょう。
これ、なんだと思います? カツレツなんですよ。
正確にいいますとシュニッツェルです。

日本でもほぼ和食と化したカツレツ。
そのルーツはイタリアのミラノ風カツレツ(Cotoletta alla milanese)
に遡るという説があり、僕もその線で調べています。
これがイタリアの北方で国境を接するオーストリアを経由した際に、
シュニッツェル(Schnitzerl)という名で語変換が起こり、
この名前で広がったルートがあるのですね。

そのひとつがブルガリア。
ととら亭でも紹介したことがあるブルガリアのシュニッツェア
これはオリジナルどころかウィンナーシュニッツェルとも違っており、
なんとチキンの挽肉のピカタになっていたではないですか。

そこでモンゴルです。
先のゴリヤシと同じく、社会主義時代のパイプから、
モンゴルはブルガリアとも関係がありました。
その文化的交流を裏付ける物証のひとつがこの料理かもしれません。
モンゴルではブルガリアのシュニッツェアの肉がチキンからビーフに置き換わり、
ヨーグルトではなく、グレービーソースが添えられていたのです。
同じ政治的なつながりでも、ソビエトバージョンにはならなかったのですね。
ソビエト、ポーランドでは Cotoletta alla milanese の語の前半で伝わり、
(日本も同じですね)
ソ連型コトレットは、日本でいうメンチカツレツになっていたのですから。

mn_restaurant01.jpg

さらにローカル色が濃い場所として市場の食堂にも行ってみました。
しかし、これは探すのがちょっと難しい。
ナラントールザハの外周部を歩いていると、なにやらいい匂いがしてきたのですが、
飲食店と思しき店はどこにも見当たりません。
そこでくんくん匂いの元を辿って行けば、どうやらこの奥に飲食店がありそうです。

mn_restaurant02.jpg

そこで狭い通路に入ってみると・・・
ありました! 字義通り、鼻で探したローカル食堂。
もちろん英語のメニューはなく、イングリッシュスピーカーもゼロですが、
壁に写真入りメニューがあったので一安心。
「サイバイノー(こんにちは)!」の挨拶以降はボディランゲージで注文完了です。
人気店なのか、お客さんがひっきりなしに出入りし、テイクアウトも盛況でした。

mn_lunch.jpg

僕がオーダーしたのはゴリヤシ、バンシュタイシュル(ギョーザスープ)、
ニースレル・サラート、マントゥのセット。
まだ紹介していないものを説明するとですね、
ニースレル・サラートは直訳すると首都サラダ。
これはソビエトからサラート・オリヴィエを端とする、
サラート・ストリーチヌィが伝わったものと考えられます。
かつてはレストランエルミタージュの看板料理と言われた、
幻のサラダだったようですが、
いまでは普通のポテトサラダになってしまいました。
で、興味深いのはマントゥ(写真右下)です。
これは中身のない中華まんじゅうのようなものですが、
ここにモンゴルへ中国から餃子が伝播した時期を見定めるキーがあるのですよ。

なんと、中国の餃子(ジャオズ)はかつてマントゥと呼ばれていました。
この古い時期にトゥルク系の人々に伝わったと思われ、
トルコを始め、ウズベキスタンなど中央アジアの国々から、
アルメニア、モルドバではマンティ、マンティーヤなど、
マントゥ系の名前で根付いています。(詳しくは拙著をご参照くださいませ)

興味深いのは、
中国でマントゥと呼ばれた食べ物が包子(パオズ)と変名したこと、
さらに饅頭(マントゥ)という言葉が消えたのではなく、
中身のないパン状の食べ物を指すようになったことです。
つまり、この語変化を念頭に置くと、
モンゴルにギョーザが伝播したのは、
トゥルク系よりも遅れた語変化後の時期ということになるのではないか?
市場のローカル定食の一皿が、その仮説を裏付けているとは。
ん〜、盛り上がって来たぜ!

mn_airport.jpg

と、俄然エンジンがかかってきたところで時間切れ。
この気持ち、分かります?
あらたな謎とそのヒントを前にして撤収しなければならないのですからね。
でも、だから旅には終わりがないのですよ。

ウランバートルのチンギスハーン国際空港は、
街の中心から南西に自動車で20分ほどの場所。
ボーディングゲートが4つしかない小さな空港でした。

mn_aprest.jpg

早朝のフライトだったので、朝食はチェックイン後にカフェで摂りました。
ここで残りのトゥグリクを全部使い切り、
僕たちは帰途についたのです。

そうそう、帰りの機内で僕の頭にあったのは、
帰国して始めるととら亭の再起動ではなく、
次回のモンゴルの取材計画でした。

to be continued...

えーじ


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おまけです。
これは・・・イマイチ。
ミアットモンゴルさん、次回に期待しています!
posted by ととら at 15:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月10日

エジプト料理特集が始まります!

僕にとって頭脳労働の種類は、ふたつしかありません。

それは反復的なルーチン作業か、
ゼロから何かを創り出すクリエイティブな作業か。

子どもの頃から得意なのは後者の方なのですが、
だからと言って、
いつでもどこでもすいこら出来るわけではありません。

まず睡眠時間をしっかり取って頭のコンディションを整えることが大切。
寝不足で疲れていると、いくら考えても出てくるのはノイズばかりですからね。

そしてコーヒーでメインシステムを起動させて、
静かな環境にお気に入りのチルアウト系かジャズのBGMが流れると、
ようやく心の白紙にイメージが浮かび上がって来るのですよ。

まさにこうした状態で、
昨日の朝からシャッターを下ろしたお店にこもっていました。

やっていたのは旅のメニュー変え。

ところが、時々、先の条件が満たされていても、
この仕事が難しくなることがありまして。

その難関とは頭の切り換え。

やるとなれば、対象に感情移入するほど深くダイブするのは、
ある意味、旅と同じでして。
ほら、先日もなかなか頭がウランバートルから東京に切り替わらないって、
お話をしていたでしょう?

今回は旅から帰ったばかりでしたし、
おまけにビジュアルレポートも書いていたので、
東京にいても頭をちょくちょくモンゴルにリンクさせていました。
そこから2日間でエジプト料理特集に切り替えねば!
というのは、帰国しての精神的な環境適応以上に難しい。
モンゴルとエジプトは文化的にも気候的にもかけ離れていますからね。

で、昨日の午前中は、どうにも調子が上がらず、
エジプト関連の資料や写真を見返しながら、
意識のベクトルをなんとか変えようと、じたばたしておりました。

え? リリースが遅れる伏線を張ってるのかって?

違いますよ〜!
その遅れを深夜で取り戻し、なんとかここまでまとめてみました。

エジプト料理特集

ほんの半年前の旅でしたが、
いま振り返ってみても、ホント、感慨深い日々だったなぁ、
としみじみ思います。
エジプトもまた、
未だ消化しきれない、たくさんのことを教えてくれましたから。

今回、再現した料理は気張って4つ。
この一皿一皿を通して皆さんと旅の記憶をシェアできたら幸いです。

えーじ
posted by ととら at 18:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月08日

第18回取材旅行 その12

ん〜・・・
ザミンウードからの夜行列車移動に続き、
後半のビジュアルレポートモンゴル編は1回でまとめようとしたのですけど、
やっぱり無理がありました。

なにせ肝心の写真が絞り込んでも43枚あったもので。
(実際に撮影したのはモンゴルだけで856枚)

そこで2回に分割し、
今日はウランバートルを中心にお伝えしようと思います。

mn_citycentre.jpg

とその前に、
モンゴルの概略からお話した方がいいかもしれません。
意外と近くて遠い国ですからね。
面積は日本の約4.1倍、しかし人口は東京都民の約1/4(約324万人)という、
日本とはかけ離れた人口密度の薄い国です。
確かに前回ご覧いただいた大草原の風景を思い起こすと、
なるほどそうだろう、という気がしてきますよね?
ところがその人口の約1/3以上に相当する約1300万人が、
ここウランバートルに住んでいるとなると、
これまた首都の事情は変わってきます。
中心となるスフバートル広場の周囲はこんな風に、
ビルが立ち並んでいました。

mn_traffic.jpg

当然、ところによって道路は大渋滞。
プリウスなどのハイブリッド車がだいぶ走ってはいましたが、
これらの排気ガスに加え、暖房で使われる化石燃料の煤煙で、
冬のウランバートルの大気汚染は深刻なレベルになっているそうです。

mn_ubstationrain.jpg

しかしながら新宿のような高層ビル群に埋め尽くされているかというと、
そういうわけでもなく、スフバートル広場周辺を除けば、
人口と経済規模に応じた社会主義時代のレガシーが広がっていました。
僕らが到着したウランバートル駅は街の南西のはずれにあり、
周辺はどちらかというと所得の低いローカルタウンです。

mn_hotel01.jpg

で、予約していたホテルが消滅していたため、プランBで泊ったのがここ。
駅の北側200メートルくらいのところにあります。
1泊朝食付きのダブルルームが日本円で約3,560円也。
窓枠やシャワールームのドアが壊れていましたが、
居心地はけっこう良かったです。

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通貨はトゥグリク。(TgもしくはMNTで表します)
物価はウランバートルで東京相場の1/4程度でした。
それもそのはず、モンゴル人の平均月収は約81,500円。
これは日本人の23.8パーセントに相当します。
でも収入格差は日本より少ないのですよ。

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ホテルの周囲には、
こうした社会主義時代からある古いアパートがたくさん残っていました。
いずれも老朽化が進み、ご覧のような外観です。
何年も修繕していないのでしょうね。
夜になると外灯が少なく初日はちょっと怯みましたが、
僕らが行動した範囲で治安に不安を感じることはありませんでした。

mn_street01.jpg

昨年は6.9パーセントもの経済成長率をマークしているとはいえ、
こうした路地が錯綜する街を見ていると、
実体経済の中身は伴われていないような気もします。
あ、これは日本も同じでしたね!
(でしょ? 麻生さん!)

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建築途中のビルと言えば、平和通りで東横インを見かけました。
走る車の9割が日本製と言われ、
ちょっと洒落たレストランでは日本人ビジネスマンの姿もあったことから、
日本との経済的なパイプは細くないのでしょうね。

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しかしながらこうしたボードを見ていると、
両国関係の軸足はハードよりソフトのような気もします。
貿易は輸出入ともに大きく中国に依存し、
日本は輸入相手としてはロシアに次ぐ第3位。
JICAさんの支援内容を見てみると、
鉱物資源の開発やインフラ整備より、
環境、医療、教育にポイントを置いていることが分かります。
ODAのあり方も変わって来ましたね。

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翌日は再建されたガンダン寺へ行って来ました。
これ、僕も取材が決まって下調べをするまで知らなかったのですけどね、
モンゴルはソビエトに次ぐ、史上2番目の社会主義国だったのですよ。
ということは・・・『宗教は毒』ということになりまして、
当時の寺院はことごとく破壊されてしまっただけではなく、
僧侶たちも粛清の対象となってしまいました。
なので今あるこうした寺院は1992年に民主化されて以降、
再建されたものがほとんどなのです。

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その弾圧された宗教とはチベット仏教。
これはネパールなどでも寺院で見かけるマニ車です。
側面にマントラ(真言)が刻まれており、右回りに回転させると、
回転した数だけお経を唱えたのと同じ功徳があると言われる便利もの。
実はモンゴルとチベット仏教の関係は深く、
ダライ・ラマという称号は、モンゴルのアルタン・ハーンから、
チベットで1543〜88年に在位したスーナム・ギャツォ、
(ダライ・ラマ3世)に贈られたものなのですよ。
で、なるほどその意が、
ダライ(大海(モンゴル語))+ラマ(師(チベット語))となったのですね。
さらにダライ・ラマ4世となったユンテン・ギャツォは、
アルタン・ハーンの曽孫にあたるモンゴル人。

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閑話休題。
真面目なお話が続いたのでクイズです。
上の写真のキリル文字はなんと書いてあるのでしょう?
答えは文字の右側に・・・

mn_zaha02.jpg

さて、飲食店に次いで僕たちの取材場所と言えば市場。
民主化されてショッピングモールなども増えたとはいえ、
やはり庶民の生活を支えているのは大小さまざまな市場です。
これはウランバートル最大級のナラントール・ザハの入り口。

mn_zaha01.jpg

この市場は生鮮というより衣料品から家具などの生活雑貨が中心です。
中にはモンゴルならではの商品を扱うエリアがありました。
そう、馬具や放牧用品です。
あ、なぜか西洋式のキャンプ用品もたくさん売っていたな。
ゲルがあるのにナイロンテントなんて使うのかしらん?

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生鮮系は市内中央に近いメルクーリ・ザハの担当ですね。
規模はそれほど大きくありませんが、食料品はひと通り揃っています。

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新鮮な野菜や肉がところ狭しと並んでいました。
質、鮮度ともに抜群。買って帰りたい!
しかし野菜の殆どは中国から輸入しているのですよ。
そもそもモンゴル人は今でも野菜はあまり食べないので。
その反面、肉食う人ゆえに、
ラムを中心とした肉類のグレードはさすがでした。
この辺は『地球でオオカミの次に肉を食べているのは自分たちだ!』
と豪語するカザフ人とも共通していますね。

mn_market02.jpg

おっと、日本とのパイプはこんなところにもありました。
中国、韓国とならんで日本の食材もけっこう充実しています。
これなら長期滞在も苦になりませんね。

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少ないながらも鮮魚の取扱いだってあります。
と言っても内陸国ですから基本は淡水魚。
ん〜・・・ちょっと種類は・・・分からないな。

mn_frozenbuush.jpg

最近は一人暮らしや忙しい共働きの家庭が増えたのか、
日本と同じく、冷凍食品も一般的になっていました。
で、やっぱりありましたね。
ボーズとバンシ。

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しかし、モンゴルらしさを一番感じる食品は、
なんと言ってもチーズでしょう。
遊牧民が持つ乳を使った食品製造技術は極めて高いレベルなのですよ。
ウシだけではなく、ヒツジ、ヤギ、ウマそしてラクダまで、
その採乳時期と成分特性に合わせた様々な乳製品が作られています。

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そしてこと乳製品に関してなら、
工場ではなく各家庭、つまり遊牧民のゲルで作られているので、
街角にはこうした『即席直販所』が現れます。
これはミルクではなく、馬乳酒かもしれないな。

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市場でチーズのサンプルを買おうとしていたら、
片言の英語が話せる親切なお兄さんが、各種類を少しずつ分けてくれました。
で、お代はどうなるのだろう?
明らかに相場を知らない外国人なのだからふっかけて来るかな?
と思ったら、値段からしてまったくのローカルプライス。
こういうところもモンゴリアンらしいですね。
バイラルラ(ありがとう)!

さて、次回はゲルに泊ったテレルジのキャンプと、
ととら亭ならではのチョイスで取材した、モンゴル料理をご紹介します。

お楽しみに!

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 22:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月05日

第18回取材旅行 その11

取材旅行から戻って4日が経ちました。

不思議なもので、
ようやく旅人モードが日常モードに変わったと思ったら、
今度は、

「え? 5日前はまだウランバートルにいたのか?」

そんな具合に旅の経験が、
実際に流れた時間以上の彼方に行ってしまったような気がしています。
ま、これも毎度のことで、
渡航地と東京の文化的、気候的ギャップが大きいと仕方がないのですよ。

それでいて、現地で目の前にしていたにもかかわらず、
気付かなかったことが、じわっと思い浮かんで来る。

ああ、あれはそんな意味だったのかもしれないな・・・

こうした旅のフラッシュバックは、
人間の記憶のメカニズムを解明する、
いい手掛かりになるのではないかしらん?
そんな風に思えてなりません。

特にこうして写真を整理しながらブログを書き始めると、
なおさら奇妙な気分になってきます。

では頭が10日ちょっと前の時間にシンクロしたところで、
ザミンウードからウランバートルへ至る、
鉄道の旅に戻ってみましょう!

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ひやひやしながら中国・モンゴル間国境越えた僕ら。
ザミンウード駅横の駐車場でバスを降ろされて、
やっと肩の力が抜けました。
駅舎は中国と大きく違い、バスターミナル?
と見紛いかねない佇まい。
でも、どこかほっと安心できる雰囲気がここにはありました。

mn_zutown01.jpg

この小さな駅が中心の、それこそゲートウェイでしかない街なので、
駅前もまたご覧の通り。観光地的な要素はまったくありません。
でも食堂やスーパーマーケット、ATMなど、
旅人に必要なものはあらかた揃っているのでけっこう便利。

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駅舎の隣には不釣り合いにモダンな建物が。
これはモンゴル鉄道の事務所で1階が待合室、
2階にチケット売り場があります。
駅舎より広く、居心地がいいので、雨の時の待機場所にはいいかもしれません。
僕はここでダウンロードしたe-チケットが本当に使えるのかを確認。
と申しますのも、
ウランバートルに住む、会ったこともないモンゴル人ベンダーに、
ウェブ経由で購入してもらったものなのですよ。
結果はOK。

mn_banshitaisyul.jpg

出発まで2時間近くあるので、ちょっと早い夕食に行きました。
入ったローカル食堂はファーストフードっぽい作り。
カウンター上にある写真入りのメニューを見ながら先払いで注文します。
分かり易いからモンゴル語が読めなくても心配ありません。
さっそく取材を始めて頼んだのがバンシタイシュル。
これは直訳するとギョーザスープです。
バンシとはモンゴル語でやや小ぶりのギョーザのこと。
エレンホトで食べた水餃とほぼ同じものでした。
思えばあの店もモンゴル系でしたしね。
これが濃厚なラムのスープに入っています。
でも、モンゴルらしさを感じたのはバンシ以外の具から。
ラムのコマ切れ肉がどっちゃり入ってるのですよ!
もうスープというよりシチューのような感じ。
ん〜、まさしく肉食う人たちの料理なのね。
ボリューム満点です。

mn_food01.jpg

もう一品は細切り肉を炒めたシャルサン・マフタイ・ホールガ。
ちょんもり野菜とライスが付いて定食風になっています。
肉はラムが主流ですが、バンシと被るのでこれはビーフバージョンです。
味付けは塩のみのシンプルテイスト。
以上の2品でお代は日本円にすると450円くらい。
中国に比べても物価がぐんと下がりました。
それもそのはず。日本と平均収入で比較すると、
モンゴルは4分の1強くらいなのですよ。
ですから僕らに安い食事も彼らには普通の価格になります。

mn_zustation02.jpg

うう・・・お腹がパンパンになったところでスーパーに行き、
車内で食べるパンと水を調達。
ホームに行くと列車が来ており、乗客もぼちぼち集まって来ていました。
みなさんかなりの荷物。ほとんどがモンゴル人だと思います。
パッと見渡して欧米系、もしくはバックパッカーの姿はゼロ。

mn_zustation05.jpg

これ、なんて書いてあるか分かります?
キリル文字をラテン文字に変換すると『Zamin uud - Ulaanbaatar』、
つまり『ザミンウード ー ウランバートル』。
行き先表示がこうなので、読めないと、どこ行きなのか分かりません。
事前のお勉強が必要な理由のひとつです。

mn_zustation04.jpg

さて、乗車時間はまだですが、
20両以上もある長い車列で迷うのは避けたい。
そこで今のうちに自分のコーチを探しておきましょう。
僕らが乗るのは7号車。
目の前にあるのは・・・9号車か。
で、右側は・・・10号車、ということは左に行けばいいんだな。

mn_tarain03.jpg

出発は18時4分。
30分前にコーチのドアが開き、
たくましい体格の女性の車掌さんが降りてきました。
彼女を一目見て思い出したのは、
アゼルバイジャンからジョージアへ行く夜行列車で会った車掌さん。
同じたくましい体格&社会主義フェイスの女性で、
命令調の話し方からロッテンマイヤーさんと呼んでいました。
でも、今回はやさしかったな。怒られませんでした。
列車に乗り込んだら今度は11番コンパートメントを探します。

mn_tarain01.jpg

おお! いいじゃん!
北京西からウランチャブまで乗ったものとは雲泥の差。
僕らのベッドは Lower なので4人コンパートメントの下ふたつ。
これが使い勝手最高なのですよ。ですから Upper は人気がありません。
ともこは早速くつろいでのんびり。
国境越えは疲れましたからね。
同室だったのは、ウランバートル在住の20歳代前半の新婚さん。
言葉は通じませんでしたけど、あまりのラブラブさ加減で分かりました。
お幸せに!

mn_tarain02.jpg

車両の端にはこんな給湯器があります。
いつでも熱湯が使えますからお茶のほか、
カップラーメンを食べている人の姿も。
そういえばこの仕掛け、アゼルバイジャンやカザフスタンなど、
他の旧社会主義国で乗った鉄道にもあったな。
ソビエト標準なのかしらん? 便利でいいです。

mn_trainview03.jpg

ほぼ定刻に列車は発車し、10分も走ると車窓から見える風景はご覧の通り。

mn_trainview02.jpg

草原、そして草原、また草原。真っ直ぐな地平線。
日本では北海道ですら見られない光景でしょう。
単調と言えばそうですが、見ていて飽きません。
この大地の標高が1200メートル前後もあるとは、
まさに地球の大きさが感じられますね。
あれ、新婚さんは抱き合って眠っちゃった!

mn_trainview04.jpg

時折、こうした小さな街で停車します。
でも荷物の上げ下げや人の乗降の気配はなし。
単線の通過待ちかもしれません。

mn_trainview01.jpg

列車は20両以上の長さ。これは7号車から先頭方向を見たところ。
後はカーブだと最後尾が見えないくらいです。

mn_sunset02.jpg

時刻はまもなく20時。
はるかな地平線に太陽が沈んで行きました。
雲の下から抜けた光が神秘的な直線を描いています。

mn_sunset01.jpg

美しい。
いや、そんな平坦な言葉じゃ言い表せない感動がここにはありました。
ホントはね、料理や文化以上に、
皆さんとシェアしたいのは、こうした瞬間なのですよ。
この星に生まれてよかった。
そしてちっぽけな僕らもまた、広大なこの星の一部であり、
果てしない宇宙の一部でもある。
その一体感が感じられます。

mn_windmil.jpg

この寝台列車の寝心地は格別でした。
朝まで爆睡して目覚めれば、外は青空と緑の草原が。
街が近いのか風力発電の風車が見えます。

mn_ubview02.jpg

時折、遊牧民のゲルがありました。
時代を感じるのは自動車の存在。
街まで家畜を売りに行く足は、
今や馬車ではなく、ピックアップトラックなのですね。

mn_ubview01.jpg

時刻は8時。天気は快晴。
終点のウランバートルはもうすぐです。
乗客たちが荷物をまとめ始めました。
進行方向をみれば草原の先にビル群が。

mn_ubstation.jpg

8時45分。
僕らを乗せた夜行寝台列車は定刻にウランバートル駅へ到着。
首都にもかかわらず小ぶりで可愛らしい駅舎です。
さぁ、忘れものをしないように気をつけて、
列車を降りたら駅で朝食を食べましょうか。

mn_ubstcafe.jpg
___________________________________

いかがでしたか?
モンゴルのローカル鉄道の旅。
ダイジェスト版なので、うまく伝わらなかったかもしれませんが、
こういうところに僕らの旅の本質があるような気がしています。

それがまた旅人モードから日常モードへ戻る、
大きな妨げにもなっているのですけどね。

僕が普段見上げる空は狭いからなぁ・・・

それでは次はウランバートルとテレルジの風景をご覧いただきましょう。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 17:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月02日

ととら亭再起動 201907

ただいま〜!

帰って参りました、梅雨真っ只中の東京。
昨日の13時30分。
僕らを乗せたミアットモンゴルOM501便は、
定刻より10分早く成田空港に着陸。
新宿までの乗り継ぎも良かったので、
僕らは16時半頃、無事に野方へ戻りました。

飛行機を出るなり感じたのは空気の湿度。
ウランバートルは標高が1300メートル前後あり、
大陸性気候ということもあって、
体感的には東京でいうと4月上旬くらい。
からっと乾いていましたから、この空気感の違いは大きいですね。

早朝4時起きの帰路でしたが、時差が1時間しかなく、
温度差もあまりなかったので環境適応はすんなり行っています。
昨夜はあまり片付けや再起動準備には手を付けず、
早めに休んだので二人とも元気いっぱい。
今朝は8時ごろお店に来てコーヒーを飲んだ後、
怒涛の再起動に突入しました。

こういう時のともこは頭の切り換えが早いので、
もうすっかり野方での仕事モード全開です。
今もキッチンで仕込みをやりまくっています。
こういう時は無口なんですよ。信じられないでしょ?

僕はというと、対称的なスロースターター。
コーヒーを啜りながら、
1時間ほどの読書とメディテーションで頭の回転を上げつつ、
ビジネスメールのチェックからスタート。
ランダムにタスクを書き出し、
優先順位を判断して、ひとつずつ潰し始めました。
前半が頭脳労働系で昼食の後、頭がへたったら肉労に切り替えます。

ま、こうして頭と手は動かし始めたものの、
やっぱり例によって、気持ちというか、感覚というか、
旅人モードはなかなか日常モードに戻らないんですよね。
今回、比較的に気候風土は近かったのですけど、
やはり文化はまったくと言っていいほど違っていましたから。

モンゴル人は僕らと同じ人種でありながら、
その精神的バックグラウンドに遊牧文化を持ち、
近代化への第一歩は社会主義でした。

中国は香港、北京、上海など、
一般的な観光地に多くの日本人が訪れているとはいえ、
素顔の街を移動して感じた率直な印象は、
古来、関係の深い隣人とはいえ、
アフリカや南米以上に異質なものだったのです。

この辺はぜひ皆さんとシェアしたいと思っていますので、
またあらためてお話しますね。

さぁ、営業は明日のランチから再開です。
モンゴルのビジュアルレポートも、もう少々お待ちを。

えーじ
posted by ととら at 11:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年06月30日

第18回取材旅行 その10

おはようございます。

いやぁ、昨夜のブログは失礼しました。
なんとか昨日の日付で書いておきたかったので、
写真がインサートされていないまま、
強引にアップロードしたのですよ。

昨夜から泊っているのは、
ウランバートルの中心にある中の上レベルのホテル。
僕らの旅で恒例になった、最後の一点豪華主義的チョイスです。
なんのご配慮からか分かりませんが、
チェックインして部屋に入ってみれば、
そこはダブルとシングルが廊下で連結されたゴージャスな部屋。
しかもシングルの方だけでも僕らのアパートより広く、
机に応接セットまであるじゃないですか!

僕はすぐフロントに戻って「何か間違えてない?」と訊けば、
英語を話すスタッフはにっこり笑って「It's yours.」。
マジですか?
だって予約しておいたのは、
一泊朝食付きで約4,250円の『バジェットツインルーム』ですよ。
む〜・・・いいのかしらん?
と思いつつも、せっかくなのでご厚意に甘えることとしました。

で、ここまでは良かったのですが、
このレベルのホテルになると欧米系のお客さんがほとんど。
となると、皆さんなんらかの通信機器を持っているので、
回線がプアーな場合、夕方以降、特に21時過ぎからは、
インターネットにほとんどアクセスできなくなってしまうのですよ。
案の定、昨夜の23時過ぎは、
今は懐かしきモデム級のスピードになってしまいました。

というわけで、今日は予定を変更して、
午前中にエクスプレスサービスでビジュアルレポートをアップします。

cn_uranchubstation.jpg

ウランチャブ駅に到着したのは5時15分ごろ。
今にも雨が降って来そうな曇天で肌寒く、
僕らはダウンウェアを出して防寒対策ばっちり。
さすがに内モンゴル自治区までくると駅舎も小さくなりましたね。
そこかしこに見えるモンゴル文字が、
別の国に入ったかのような印象を与えます。

cn_uranchubbs.jpg

日中は賑やかであろう駅前も、
さすがにこの時間となると閑散としています。
僕らはまだ眠りから覚め切らない大通りを横切り、
駅の斜前にあるシャッターの降りたウランチャブ長距離バスターミナルへ。
ここの情報は日本語はおろか、英語で検索してもまったく見つかりませんでした。
ターミナルの建物はこんな感じ。
6時になるとシャッターが開きます。
ちなみにバスターミナル左端にある公衆トイレが開くのは6時半。
ターミナルに入れば中にトイレがありますのでご安心を。

cn_ticketbooth.jpg

バスターミナルに入ってすぐ正面にあるチケット売り場は、
6時40分から開きます。

cn_busterminal01.jpg

チケット売り場から左へ進むとすぐセキュリティチェックがあり、
その先にある待合室はこんな感じ。
奥にトイレがありますからね。

cn_ticket.jpg

そして手に入れたエレンホト行きバスチケットがこれ。
フリーシートです。バスは8時に出発。
5時間半ほどの所要時間で2回トイレ休憩がありますが、
バスの中にはトイレがないので、ターミナルで済ませておきましょう。
それから大きな荷物を入れるラゲッジスペースは、
まったく掃除されていない上に水も入ってくるので、
ザックカバーは必須です。

cn_bus01.jpg

バスはかなり老朽化の進んだ年代物。

cn_bus02.jpg

それでも無事に乗り込めてほっと一息です。

cn_road01.jpg

バスは走り始めると間もなく市街地を抜け、
こうした草原を走り続けました。
時折、小さな町で停車しては乗客の乗り降りがあります。
そとは雨。僕らはほどなく眠りに落ちて・・・

cn_road02.jpg

途中で給油のためにガソリンスタンドで停車。
道路に出て見えるのはこんな風景です。
乗客は喫煙やトイレ。
そうそう、ここが『あのトイレ』です。
ここで用が足せたあなたは、ととらな旅でも大丈夫。
挑戦してみます?
詳しくはともこに直接訊いてみてください。

cn_erenhotbusstation.jpg

13時半ごろ、ようやく着きました国境の街、エレンホト。
長距離バスターミナルはこんな感じです。
右側にホテルが隣接されているので急遽泊まるようになったときは、
そこで値段を訊いてみるのもいいでしょう。
歩いて宿を探すのは現実的ではありません。
この周辺にはあまり旅人のニーズに応えるものはありませんから。

cn_erenhotnightviw.jpg

エレンホトはザミンウードに比べれば大きな街です。
これはホテルの部屋から見た風景。

cn_erenhotstation.jpg

鉄道でアクセスした場合はここに着きます。
エレンホトの駅。
ウランチャブからだと1日に2便しか来ませんので、
列車が来ていないときは日中でも閑散としています。

cn_erenhotstreet02.jpg

駅前もこの通り。
社会主義仕様の殺風景な大通りでした。

cn_erenhothotel03.jpg

ここで泊まったのがこんなホテルです。
羽振りの良かった時代に建てたのでしょうね。
街と同じくとにかく何でも造りが大きい。
1階のロビーなんて舞踏会が開けるくらいの広さがありました。
でも、お客さんもスタッフもぽつぽつ。
当然、メンテナンスは手が回りませんから、
人目につかない部分はだいぶ傷んでいました。

cn_erenhothotel01.jpg

それでも部屋は広くてきれいで快適。
この内容で1泊朝食付きで約2,800円なり。
僕らでも泊まれるわけです。
ここはバスターミナルや駅、飲食店街にも徒歩でアクセスしやすく、
スタッフもラブリーでお勧めです。

cn_erenhothotel02.jpg

朝食はビュッフェスタイル。
ちなみにここまでくると内容はご覧のとおり完全に中華です。
しかし微妙にモンゴルの気配が感じられました。
写真の左側に映っている白い飲み物。
これはミルクではないのですよ。
モンゴルで飲まれているミルクティー。
その実体は、かすかに紅茶の味のするホットミルクでした。
これを皆さん、ごくごく飲みます。
ん〜、だから骨太なのかな?

cn_shogi.jpg

中国では路地裏をぶらついていると、
よくローカルが集まって将棋を打っている光景に出会います。
ここエレンホトでもそう。
プレイヤーはもちろん二人ですけど、
その周りギャラリーが囲み、熱い議論と声援が上がっています。
面白そうだな。

cn_erenhotapart.jpg

社会主義的にデフォルメされた街ですが、
近寄ってみれば建物の傷みはこの通り。
収入格差が世界レベルでも高い国なので、
この辺の所得は全国平均を下回っているのかもしれませんね。

cn_erenhotstreet01.jpg

ちょっと裏道に入るとこんなですから。

cn_roadjoke.jpg

社会主義と言えば官僚主義、官僚主義と言えば縦割り組織。
横並びの組織間の意思疎通は糸電話レベルになっているのが定石です。
その目で見える例がこれ。
なんか変だと思いません?
そう、横断歩道が描かれているのですが、
その先は植栽が植わっていて歩道に入れないのです。
おちゃめですね。
また、道路に端に向かって緩いアールがつけられておらず、
道幅に対して排水口がぜんぜん足りていないので、
雨が降ると道路は字義通り海のようになります。
効率と合理性を追求しているようでいて、
結果はこうなんですよ。

cn_erenhotstreet03.jpg

とまぁ全体的に観るべき場所もなく、殺風景な計画都市なのですが、
中央部にはこんな風に商店や飲食店の並ぶ界隈があります。
ここに来れば旅人の要は一通り揃っています。

cn_restaurant02.jpg

僕たちが入ったのはこんなモンゴル&チャイニーズレストラン。
画面左側に書いてあるのがモンゴル文字です。
スタッフもほとんどモンゴル系チャイニーズでした。

cn_ramtomatostew.jpg

なるほど当然のことながら、それは食文化にも表れています。
これはトマトの入ったビーフシチュー。
スパイス感はまったくありません。
濃厚な肉の旨味とトマトの酸味が楽しめます。

cn_ziaozu06.jpg

で、餃子ですよ。
完全に変わっていました。
皮と大きさこそ同じですが、
中身はラムの荒いひき肉と玉ねぎ、塩程度のシンプルなもの。
中国というよりカザフスタンのマンティに味はそっくりです。
でも食べ方は醤油、酢が出てくるハーフ中華スタイル。
なるほどね〜。この変化は予想通りでした。

cn_erenhotbusstation02.jpg

さて、昨日着いたバスターミナルに戻ってきました。
今度は入り口を入って右側にある国際線待合室。
建物は新しくてピカピカですけど、
ウランチャブのように売店や飲食店はありません。
事前に別の場所で腹ごしらえし、
水などの調達も済ませてから来た方がいいですね。

cn_erenhotbusstation03.jpg

ターミナルの裏側には国内線のバスがたくさん停まっていました。
ザミンウードまでしか行かない国境を越えるだけのバスは、
行き先が書いていない車両だったので、事前に乗る人を見つけ、
後に付いていった方が確実です。
もちろん乗り込む前にチケットを見せて確認するのも忘れずに。

僕らがバスに乗り込もうとした矢先、強烈な雷雨がやってきました。
これが不吉な前兆でなければいいのですが。
ま、うまくいけば1時間半後には国境を越えて、
モンゴルのザミンウードに着いています。
時刻は13時30分。
バスは定刻に出発しました。

__________________________________

さて、この旅も現地最終日となりました。
今日はウランバートルで最大の市場、
ナラントールザハとその周辺で取材の仕上げを行います。

いやぁ、いつにもまして、今回の旅も密度の濃いものとなりました。
日本ギョーザのルーツ、モンゴル料理と中華料理の関係、
それだけではなく、社会主義とは、遊牧民と農耕民の違いとは、
民族のノンバーバルな行動様式とは、国境とは、
それから僕らの国、日本がかつて戦った戦争とは。
実にさまざまなことを考えさせられ、
目の前の現実から教えられる日々でもありました。
その個々のお話は、またあらためてしたいと思っています。

明日はアーリーチェックアウトして、
7時45分発ミアットモンゴルOM501便で帰途につきます。
予定通り行けば日本時間13時40分には成田空港に到着しているでしょう。

それでは次は梅雨の東京から!

to be continued...

えーじ

__________________________________

「ちょ、ちょっと待って!
 あたしもブログ書いたから打ってよ!」
「え? 今しがた丁度まとめたばかりなのに」
「いいじゃない、せっかく書いたんだから。
 読者さんたちだってあたしのブログの方が読みたいはずよ」
「・・・? まったく・・・もう少し早く原稿出してよね」
「えーじ速いから、ちゃちゃっと打てるでしょ?」
「はいはい・・・」

というわけで、
遅ればせながらともこさんが現地からお伝えします。

__________________________________

ともこです!

今回の旅は移動が多かったこともあって、
いつも以上にあっという間に感じました。
料理の、特にギョーザについての取材はもちろんですが、
私にとっての収穫は、旅人としてひとつ成長できたかな? ということ。

世界は広くて、
違う価値観があるのが当たり前と思える自分であり続けたいと、
あらためて思いました。

__________________________________

・・・? もういい? 終わり?
じゃ、アップロードしちゃうよ。

まったくもう・・・

それでは次は本当に東京から!

えーじ
posted by ととら at 11:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年06月29日

第18回取材旅行 その9

昨夜は、
テレルジのツーリストキャンプで遊牧民が使うゲルに泊りました。
ザミンウードからモンゴルに入国して以来、
たびたび目にしていたのですが、
入ってみたのはこれが初めてです。

中が思ったより広くて驚きました。
テントそのものは登山ライダー時代にさんざん使っていましたから、
その感覚の延長で考えていたのですが、
可動式とはいえ、あれはもう『家』ですね。
中央よりであれば中で大人が立ち上がっても上に余裕がありますし。
居心地はとても良かったです。

さて、今日はお約束のビジュアルレポート。
今回も盛りだくさんでしたから、まず中国編は、
ハルビンから北京までと、
内モンゴル自治区のウランチャブからエレンホトまでを、
分割してお見せします。

それでは行ってみましょうか!

cn_air02.jpg

成田空港の第3ターミナルは空港というより、
フェリー乗り場やバスターミナルのような雰囲気でした。
すべからくLow Cost なのですね。

cn_air01.jpg

ハルビンまでのフライトタイムはたったの2時間50分ですから、
ひと眠りする間もなく、気が付けば飛行機は高度を下げ、
眼下に広大な農地が広がっていました。

cn_harbinstation.jpg

ハルビンは中国最北の都市とはいえ、
州都でもありますから規模が大きいですね。
駅ひとつとってもご覧の通りの大きさです。

cn_chuoutaigai02.jpg

ハルビンにおける取材の中心はその名も中央大街(キタイスカヤ)。
もともとロシア人が作った街なので、古い建物が残っているこのエリアは、
どことなくヨーロッパの香りがします。

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平日にもかかわらず、たくさんの人出で賑わっていました。
観光客の内訳はほとんどが中国人。
雰囲気が他の都市と比べてまったく違いますから、
国内旅行の名所なのでしょうね。
日本で例えるなら函館、横浜、神戸、長崎あたりかしらん?
一見して外国人とわかる観光客はまったくと言っていいほど、
見かけませんでした。
バックパッカーに至っては、北京に至るまで、
ハルビン、長春、瀋陽間でゼロ!

cn_streetpainters.jpg

中央大街にはさまざまな露天商が並んでします。
それぞれを冷かして歩くのはとても楽しいのですが、
ちょっと目を引いたのが『肖像画』屋さん。
たくさんの画家がずらっと並んでお客を取っています。
お〜、なかなかいい腕じゃないですか。
「ともこも描いてもらったら?」
「あたしはいい!」だって。
値段は格安なんですけどね。

cn_car.jpg

この辺りは日中戦争以降、関東軍が暴れまわったところなので、
70数年経ったとはいえ、対日感情はどうなのかしらん?
との心配は、少なくとも僕たちの旅に関してなら無用でした。
たとえばその一例がこれ。偶然目にしたものなのですけどね。
日本のような結婚式が一種のトレンドになっているのかもしれません。
それにしても横文字を漢字に変換する中国人のセンスって最高ですよね!
ドアに書かかれている文字にご注目を。
『熱線』ってなんのことだか分かります?
Hot Lineの当て字なのですよ。そしてその前に『幸福』ってあるでしょ?
だから Happy Hot Line! いいねぇ〜、こういうの!

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翌朝はさっそく市場に出かけてみました。
食材の多様性にはほんと驚かされます。
単純に種類が豊富なだけではなく、発酵、乾燥、燻製、塩漬けなど、
さまざまな保存調理技術が駆使されています。

cn_market02.jpg

こういうところは本来半日くらい時間をかけて、
じっくり調べたいのですけど、
いかんせん言葉が通じませんし、なにより相手は仕事中ですからね。
そうそう、市場周辺には必ず『美食城』ってのがあります。
さて、幸福熱線の要領で何の意味か考えてみて下さい。
答えは・・・『フードコート』!

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ハルビンでもう一カ所、取材したのは老舗の飲食店が残る、
『老道外中華バロック地区』と呼ばれる街。
なるほど、半世紀以上の時間をタイムスリップしたような路地が、
まだ残っていました。
そしてそこには100年以上の歴史を持つ飲食店もあります。
ここで食べた餃子は今回の取材における大きなヒントになりました。

cn_harbinnight03.jpg

ほら、ちょっと門をくぐった横丁には、こんな場所もあります。
なんかノスタルジックですね。

cn_nikten.jpg

ハルビンでは外国人が多いせいか、こんな料理もありました。
ブタの薄切り肉での天ぷらに甘酢をかけた『肉鍋包』なる一品。
なんでも中国人のコックさんが外国人にウケるだろうと考えた物とか。
しかしながら結果はローカルのお気に入りなったとさ。

cn_harbinnight01.jpg

僕らが泊まったホテルの近くには、
これまた1907年に建立された聖ソフィア大聖堂が残っています。
『お国柄』もう使われていませんけど保存状態は良かったです。

cn_chongchunstation.jpg

場所は変わって長春駅。ハルビン駅をさらに大きくした威容です。
社会主義の建物ってなんかこう威圧的なんですよね。

cn_hotel01.jpg

今回、中国における僕らの平均宿泊費は日本円にして2,500円前後。
そんなシケた話を前にしましたけど、
シケてるのは僕らの懐事情の方で、
この予算でも中国では十分しっかりしたホテルに泊まれます。
これは長春でお世話になったホテル。
レトロないい雰囲気でしょう?

cn_hotel02.jpg

これは瀋陽で泊まったタワービル内の23階にある部屋。
いかがです? ちゃんとしているでしょう?
どこも部屋はとても良かったです。
しかしフロントのスタッフは共通して、
『挨拶なし、スマイルなし、お礼なし』のなし3連発.
でも怒っているんわけじゃないんですよ。
ま、この辺もいずれ回をあたらめてお話しましょう。

cn_travelersstreet.jpg

長春以降の街は、造りががらっと中国らしく変わりました。
このごちゃごちゃ感が僕らは大好きです。
たとえば駅の近くにある安宿街。
よく見ると『招待所』って書いてあるでしょう?
これが日本円で1000円以下で泊まれる木賃宿です。

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こうしたうさん臭い場所にはご覧のようなのもあるんですよ。
さぁ、ここでも当て字の練習です。
『保健品』ってなんだか分かります?
え? 薬局? ハズレ〜!
じゃ、ヒントね。中央に『夜色成人』って書いてあるでしょ?
そう、これは『大人のおもちゃ屋』なのです!
しかし驚いたのはその造り。
店が明るく、しかもガラス張りなので、
中で商品を物色している姿が外から丸見えなんですよ。
しかも、店員さんは年若い女性!
日本的感性なら、ここで買い物するのは罰ゲームになるかも?

cn_restaurantreserch.jpg

おっと、わき道にそれてばかりじゃいけません。
そろそろお仕事の話もしなくちゃ。
僕らの取材する店の探し方は、
ガイドブックやネットよりも旅人の野生の勘が頼り。
こんな風に横丁をぶらぶらしていると・・・

cn_restaurant01.jpg

お、なんか良さそうじゃないですか?
餃子を前面に謳ってもいるし。
中は小ぎれいでローカルがたくさんいます。

cn_tomokobeer.jpg

って、おいおい!
「おつかれさま〜」はまだ後でしょ!

cn_ribpotato.jpg

ほら、油断しているからこうなるのさ。
今回の取材で意表を突かれたのが中国の料理の量。
たとえばこれ、スペアリブとポテトの煮込みなんですけどね。
ともこの掌と比べて頂ければお分かりのように、
どう見てもパーティーサイズ!
でも、餃子ばかりを食べ続けるのはつらい。
せめて一皿くらい違う味のものが食べたい。

cn_ziaozu04.jpg

さて、中国におけるミッションの本題に入りましょう。
ハルビンから南下しつつ、長春、瀋陽、
北京の餃子を胃袋の限界まで食べ続けて比較したところ、
驚きはなんと一発目で来ました。
これ、ハルビンで食べた餃子(ジャオズ)のひとつなのですけどね、
皮が『もちもち』じゃなくて、『つるん』としているのです。
餃子というよりワンタンに近いと言ってもいいくらい。
これを焼いたら日本のギョーザに近いんじゃないかな?

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なんて言っていたらありました。
これまで『中国では基本的に餃子は焼かない』が定説化していましたけど、
『煎餃(センジャオ)』と称し、
かなりの頻度でメニューにあるじゃないですか!
しかしここで早合点は禁物です。
ご覧の通り、日本のギョーザとあまりにも似ているということは、
逆輸入文化の可能性も考えられます。
この辺はもう少し慎重に掘り下げてみなければなんとも言えません。

cn_ziaozu05.jpg

これは長春で食べたもの。
大きさ、形はハルビン型ですが皮に明らかな変化が見られます。
そう、『つるん』ではなく『もちもち』になっているのですね。
それにしても困るのがこの量。
これもともこの掌と比べてみてください。

cn_ziaozu01.jpg

そして瀋陽タイプ。
形がやや小型化し、僕たちがかつて北京で食べたものと、
ほとんど同じになりました。
ん〜・・・ということは、日本のギョーザに最も近いのは、
ハルビン型ということになります。
しかしここでも即断は早計です。
なんといっても伝播したと考えられる時期から、
半世紀以上も経過しているのですから。
あ〜、タイムマシンが欲しい!
マジでデロリアンを買おうかしらん?

cn_ziaozuseosoning.jpg

ここまでの写真では皮の違いを述べてきましたけど、
共通点もあります。
何度も餃子を食べて分かった公約数は、
中身のベースが『豚ひき肉、ネギ、しょうが、ごま油、塩』であることです。
もちろん餃子にはさまざま具のバリエーションがありますが、
どこの店でもあるベーシックな中身は、上の5品なのですよ。
で、日本のギョーザに欠かせないニンニクはどこへ行ったのか?
その答えが上の写真です。
中身には基本的に入れません。好みの外付けなのです。
つまり食べ方の公約数は、
『酢、醤油、ラー油、ニンニクのみじん切り』だったのです。

cn_wantan.jpg

この文脈では長春で興味深い発見がありました。
ギョーザのバリエーションとして分化したといわれる、
ワンタンのミッシングリンクと思しきバージョンがあったのですよ。
どうです、このボリューム。
長春ではワンタンというと、
まるでハルビン型餃子をそのままスープで茹でたようなバージョンが、
一般的になっていました。
日本式のカテゴリーであれば、これは水ギョーザになるのかもしれませんが、
中国では茹でた餃子を『水餃(シュイジャオ)』と呼んでいます。
一説によるとスープ入り餃子は『湯餃(タンジャオ)』ということもあるそうですが、
今回の取材でそうした表記は一度も見かけませんでした。

cn_njghttrain.jpg

さて、北京から夜行列車で内モンゴル自治区のウランチャブへ移動です。
で、先日お話しましたようにロマンチックな夜行寝台列車の現実がこれ。
このグチャグチャ感、朝の光景ではないのです。
乗りたてでこの状態。寝具の交換も掃除もなしで Let's Go!!

それでもいいのです。
寝転がっていれば、明朝5時半前にウランチャブ着いているはずですから。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年06月27日

第18回取材旅行 その8

「ホテル見当たらないね。住所が間違ってるのかな?」
「いや、ここで間違いないと思うけど」
「あれ? ユニークモンゴリアじゃなくて、
 ウインドウホテルって書いた看板があるよ」
「OK、じゃあ、そのホテルのフロントで訊いてみるよ」

建物に入るとすぐ左側にオフィスがありました。

ん? ここがレセプションなのかな?

小さな部屋の中はチェックインカウンターがあるわけではなく、
どう見てもただのオフィスにしか見えません。

ん〜・・・英語は通じ・・・ないだろうな。
ま、ダメもとで訊くだけ訊いてみよう。

「サイバイノー(こんにちは)」

挨拶だけモンゴル語でして僕は部屋に入ってみました。
中には若い女性が二人。

「すみません、
 Unique Mongolia というホテルを探しているのですが、ご存知でしょうか?」

二人は顔を見合わせています。

やっぱりダメかな?

しかし僕が印刷しておいたホテルの予約確認書を見せてみると、

「ここにはありません」

たどたどしいけれど、英語で回答がきたじゃないですか!

やった、話ができる!

「ではこのビルの住所は、
 railway district, Bayangol building 6, #69 Bayangolですか?」
「はい」
「おかしいですね、このホテルの住所もここになっています」
「電話番号は分かりますか?」
「ここにあります」
「では電話してあげましょう」

親切だね!

「・・・・電話は通じません」
「ということは、このホテルは存在していない?」
「少なくともここにはありません」
「ご親切にいろいろとありがとうございました」

「なんだって?」
「このホテルはもうないと思う」
「え〜っ! だって予約が取れているんでしょう?」
「ああ、でも予約サイトシステムの自動回答だよ。
 人間とやり取りしたわけじゃない」
「どうするの?」
「プランBだ。とりあえずここの3階にある Window Hotelへに行ってみよう」

僕たちが薄暗い階段を上がると、
Reception と印刷されたボロボロの紙が壁に貼ってありました。
見上げた先の廊下は照明も点いておらずゴミが散らかり放題。
奥に埃にまみれたカウンターが寂しく待っていました。
しかも誰もいない・・・というか人の気配すらありません。

「こんにちは! 誰かいますか?」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「こんにちは! ここに誰かいますか?」

僕が大きな声で2度言ったあと、
フロントの横にあったドアがゆっくり開き、
出てきたのは明らかに寝起きの若い男性。
彼は視線をそらし、無言のまま僕の前に立っています。

「2人用の部屋は空いていますか?」

彼は眠そうにあくびをすると振り返って奥の方へ歩き始めました。

「ともこはここで待ってて」

薄暗い廊下は2カ所で分岐しており、
ドアが開けっぱなしの部屋の中に数名の男性の姿が見えました。
外国人ではありません。宿泊客風にも見えない。
その少し先で立ち止まった彼は、何も言わず別の部屋のドアを開け、
中を指さしました。
それはさながら廃業して、
数年放置されたままのホテルの部屋といえば近いでしょうか。
トイレは駅並みの汚れようで床には髪の毛がべったりとついたままです。

こりゃ、ジャンキー宿か?

僕はにっこり笑って「バイラルラ(ありがとう)」

「どうだった?」
「プランCだ。今すぐこの建物を出よう!」

僕らは足早に外へ出て、日陰で地図を広げました。

この辺は同じような安宿ばかりだ。
駅前に戻ってもう少しまともなところを探すしかないか。

そこへ突然、

「どうしましたか?」

と後ろから日本語が・・・
驚いて振り返ると若いモンゴル人の男性が立っています。

「やぁ、こんにちは。日本語が話せるのですか?」
「ええ、少しですけど。ウランバートルの日本語学校で勉強しています」

怪しそうな気配がなかったので、僕は事情を話してみました。

「え? それは変ですね。僕が訊いてきてあげましょう」

もうプランAはないものと考えていましたが、
移転した可能性もあるのでお願いしてみるのも手です。
しかしほんの数分で階段を下りてきた彼はしかめた顔の前で片手を振り、

「ここはダメです! 他に行った方がいい!」

そのとおり。

そこでもう一度駅まで戻り、まともそうなホテルで料金と部屋を確認し、
ようやく昼前に僕らはバックパックを下ろせたのでした。

毎度ながら、いろいろ起こります僕らの旅。

でもこれくらいはよくあることなのですよ。
中には今回、より深刻なトラブルに遭った旅人たちもいました。

たとえば僕らが中国モンゴル国境を越えようとしていた時、
同じバスに乗っていた若いモンゴル人と思しきカップルが、
よりによって中国側で止められてしまったのです。
彼女のパスポートに何らかの問題があったようで、
しばらく別カウンターで質問を受けていたと思ったら、
そのまま別室に連れて行かれてしまいました。
困ったのは先にイミグレーションを通過してしまった彼氏の方です。
出国しているので逆戻りはできませんから、
モンゴル側から連行される彼女の後姿を見つめるばかり。
僕らも心配してバスで待っていたのですけど、
結局、彼らを残したままバスは出発してしまいました。

その後、二人がどうなったのか、知るすべもありませんが、
無事、モンゴルに入れたことを願ってやみません。

今日のウランバートルは曇り。
気温は12度前後で薄手のジャケットがないと寒いくらいです。
僕たちがアドリブで選んだ駅前のホテルは、
少々部屋が傷んでいるものの、周囲にローカル食堂もいくつかあり、
2日間の滞在なら十分でしょう。

明日は昼からテレルジという郊外の村に移動します。
いま写真をまとめていますので、
ビジュアルなレポートはもうちょっと待っていて下さいね!

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 19:22| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2019年06月26日

第18回取材旅行 その7

この旅も折り返し。

僕たちは昨日、予定通り中国とモンゴルの国境を越えて、
ザミンウードに着きました。

どこの国を問わず、
陸路での国境越えは何かとトラブルがあるものですけど、
ここで悪名高いのが中国、モンゴル人以外を狙った『おいてけぼりタクシー』。
これはザミンウードまで20元前後の安値で行くと言いつつ、
4キロメートルほど先の中国イミグレーションで引き返してしまうという手口。

徒歩での越境は許されていないため、おいてけぼりにされた旅人は、
そこからモンゴル国境、そしてその先のザミンウードまで、
またあらたに交通手段を確保しなくてはなりません。
これは日本人だけではなく、
各国のバックパッカーが被害にあっているようでした。

そこで僕らが選んだのがエレンホトからザミンウードまで行く国際バス。
正確な情報があまり見当たらなかったので、一連の流れをメモしておきますね。
______________________________________

2019年6月24日現在、エレンホト→ザミンウード間の国際バスのタイムテーブルは、
11:30 13:30 15:30 の1日3便。

チケットはエレンホトバスターミナルに入って正面にあるチケットカウンターで、
当日以外のチケットも購入できます。(僕らは前日にゲット)
料金はひとり40元(約630円)。購入時にはパスポートが必要です。

次は13:30に出発した場合の全体の流れです。

13時までにはエレンホトバスターミナル入って右側の国際線待合室に行きましょう。
そこで他の乗客に声をかけ、ザミンウードへ行く人を特定しておきます。

13:25ごろドライバーが呼びに来ますが、
聞き取りにくい早口で地名を言うだけですから、
さっき声をかけた人が動いたら一緒に行きましょう。

バスには『扎门乌コ(ザミンウードの中文)』等の行き先表示はありません。
ここでバスナンバーをメモしておいて下さい。
大きなバックパックなどはバス側面のトランクスペースに入れます。
中はかなり汚れているので必ずザックカバーをかけておきましょう。

バスはフリーシートです。
発車直前にドライバーが乗ってきてチケットを確認し、
乗客の数を数えます。そしてほぼ定刻に出発。

15分ほど北北西に向かって走り、中国側の国境に到着します。
ここからの写真撮影は控えて下さい。
虹のアーチを過ぎたところで停車し、警察が乗ってきて人数確認を行います。

そこから3分ほど走ると真新しいイミグレーションの建物の前に着きます。
バスを降りて荷物を持ちイミグレーションの建物に入ってください。

イミグレーションブース前で出国カードを記入します。
搭乗便名に先ほどメモしたバスナンバーを記入してください。
出国審査はパスポートと出国カードを提出するのみで質問はありません。
ブース正面のパネルで出国審査についての5段階評価を訊かれますが、
まぁ、これは感じたままに評価すればいいでしょう。

建物を出ると正面の道路で乗ってきたバスが待っています。
ドライバーが全員揃ったか確認するとバスはすぐ発車します。
1分ほど走ったところで停車し、
中国の警察官が出国スタンプを確認するために乗車してきます。

これで中国の出国が終わりました。
次はモンゴルの入国です。

5分ほどバスで移動しトールゲートのようなものを通過すると、
すぐモンゴルイミグレーションに到着します。
バスを降りて荷物をすべて持ち、
モンゴルイミグレーションの古い建物に入りましょう。
入り口で入国カードを記入し、そのままイミグレーションカウンターへ並びます。
中国側と同じくパスポートと入国カードを提出するだけで質問はありません。

カウンターを抜けるとすぐ右側に両替所があるので、
混んでいなければ残った人民元をトゥグルグに両替することができます。
(バスはゆっくり待ってくれないので混んでいたらパスしましょう)
この時、パスポート、バンクレシート等の提示は求められません。
そのかわりレシートの発行もなし。

イミグレーションの裏手で待っていたバスに乗ります。
すぐにモンゴル警察が出国スタンプを確認するために乗り込んできます。
1分ほど走ったところで、
再びモンゴル警察が出国スタンプを確認するため乗り込んできます。
ダブルチェック体制ですね。

さぁ、これで Welcome to Mongolia! です。

5分ほどまた北北西に走り、ザミンウード駅の脇で降ろされて終了。
トータルで約1時間30分。

これはあくまで僕たちの1回だけの経験なので、参考までにして下さい。
偶然、バスもイミグレも空いていたため全体的にさらっと進めましたが、
ナーダム等で国境が閉鎖される前後は大変混みあうと思います。
事前に最新の情報を可能な範囲で収取し、
時間的な余裕をもって国境を越えて下さい。
______________________________________

国境を越えると街の雰囲気が、がらっと変わりました。
その一番大きな要素は街の作りや建物、文字表記ではなく・・・

人です。

この辺はちょっと長くなりそうなので、またあらためてお話しますね。

ザミンウードはエレンホトに比べても小さな街。
僕たちは駅前の食堂で初モンゴル料理に舌鼓を打ち、
18:03発の夜行列車でウランバートルへ。

やれやれ、なんとか無事に国境を越えたな・・・

ひと汗かいた疲れも、
広大な草原に沈む夕日を見ていたら忘れてしまいました。

ああ、これを読んでいるあなたともシェアしたかったな!

この旅は、この一瞬のためだけでも来た意味があった。
そう思えるほど、美しい光景だったのですよ。

さて、今朝8時45分。
ほぼ定刻にウランバートルに到着した僕らは、
駅舎内の軽食堂でインスタントコーヒーとパイの朝食を摂りながら作戦会議。

そこでまず予約しておいたホテルへチェックインしてシャワーを浴びた後、
近くの市場を取材することに決めました。

今夜のホテルは、
ウランバートル駅から東へ400メートルほど行ったところにあります。
分かりやすい場所なのでGPSもいらないでしょう。

「あと100メートルくらい先の右側だよ」
「昨日の夜も最初は蒸し暑かったね。汗かいちゃった。
 早くシャワーを浴びたいな」

「・・・ん〜・・・この辺なんだけどな」
「なんていうホテルだっけ?」
Unique Mongolia

ともこがきょろきょろしています。

「ねぇ、ホテルらしい看板もないよ」
「ああ、なんか変だ・・・」

イヤな予感がしてきました。

to be conntinued...

えーじ
posted by ととら at 20:18| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2019年06月25日

第18回取材旅行 その6

「ねぇ、なんか変な臭いがしない?」

ウランチャブから乗った長距離バスは明らかに中古の、
いや、多分、中古のそのまた中古の年季もの。
喫煙率の高さからか、車内禁煙にもかかわらず、
ハイティーンのころにバイトで乗った、
運送屋のトラックとそっくりな臭いがします。

「そうじゃなくて、もっとなんか汗臭いというか、
 なま乾きの下着というか・・・」
「ともこ、それは車じゃないよ」

車内はエアコンがなく窓も開かない上にほぼ満席ですから、
かなり蒸し暑い状態が続いていました。

「臭いのは僕たちさ」
「え? えーじが臭いの? くんくん、あ、ホントだ!」
「じゃなくて、僕たち!」

そう、僕らが最後にシャワーを浴びたのは一昨日の夜のこと。
昨日は早朝から酷暑の中を移動した上に、
夜はまた蒸し暑い夜行列車で一晩中揺られ、
そして降りたと思ったら、また缶詰バスの中に5時間半。
着替えもしていないのですから、『この状態』もしょうがないのですよ。
(おまけに僕は無精ひげが伸びて少々ワイルドな顔つきに)

そんなわけである意味、非常にバックパッカーらしい風体で、
僕たちは雨上がりのエレンホトバスターミナルに降ろされたのでした。

こんな時の僕らは、とても単純な行動をします。
まず腹ごしらえ。
もちろん取材も兼ねなければなりませんが、
ほとんどの場合、最初に目に入った店に飛び込みます。
なにせ長距離移動中はいつトイレに行けるか分からないので、
腹6分目程度までしか食べていませんし、
場合によっては水もあまり口にしていませんから、
もうお腹ぺこぺこ&脱水症状寸前。

お腹が落ち着いたら宿にチェックイン後の熱いシャワー。
これがたとえようもなく気持ちいい!
汗を流して、髪を洗い、きれいな服に着替えると、
ようやく人間に戻ったような気がします。

ふ〜・・・

さて、僕たちが今いるのは中国側の国境の街エレンホト。
ガイドブック上の情報も薄く、
到着してすぐ国境を越えるために素通りしてしまう旅人が多いからか、
事前の情報収集には限界がありました。
そこでざっと、どんなところかお話するとですね・・・

ここはもともと古い町があったわけではなく、
中国とモンゴルの国境が定められたがゆえに作られたのか、
ハルビンと同じく典型的な社会主義仕様の作りです。
とにかく道路も建物も交通量や人口と比較して不必要に大きい。
たとえば1ブロックの1辺が場所によっては500メートル以上ありますし、
ちょろちょろの交通量にも関わらず『細い』路地でさえ片側2車線は当たり前です。
ふつうは片側3車線ですからね。
まぁ作るだけならいいのですが、こんな巨大な造りにしてしまうと、
維持管理が大変ですよ。
で、やっぱり予算も人手も足りなくなったのか、
そこかしこが痛んだまま放置されている。

そうした光景と言えば、エレンホトも長春、瀋陽で見たのと同じく、
廃業して長らく放置されたテナントや、
無残な姿をさらした廃ビルが目につきます。
営業中のホテルですらメンテナンスは全然手が回っていません。
日本で言うと寂れた温泉街のホテルみたい。

でも団結路と錫林街の交差点付近には飲食店が集まり、
それなりの活気が感じられました。
駅前やバスターミナル周辺に旅人の用に応えるものは殆どありません。

宿泊する場合、バックパッカー流に『歩いて探す』は、先にお話しました通り、
エレンホトは街の作りが大きいので現実的ではないでしょう。
なるべく事前に予約した方がいいと思いますが、
Expedia や booking.com にエントリーされてるホテルは1軒もないので、
中華系サイトの trip.com がいいかもしれません。
飛び込みだと料金がだいぶ高く設定されています。
(僕らが今いるパシフィックインターナショナルホテルは、
 ネット予約だときれいなダブルルームが朝食付きで約2,800円ですが、
 飛び込みだと6,500円以上になってました。
 ここはバスターミナルや飲食店街にも近くてとても便利です)
また急に泊まることになった場合は、
バスターミナルに隣接しているホテルがコストと使い勝手の面でいいでしょう。

人種はあきらかにモンゴル人が多いです。
よく聞いていると中国語よりモンゴル語の方が聞こえてきますし。
そもそも体格と顔つきが変わるのですぐに分かります。
あ、僕らは中国人と間違われますね。

治安は良好です。
これは今回、訪れた他の街にも当てはまりますが、
危険な臭いを感じたことは1度もありませんでした。
それより気を付けていたのは制服組の存在です。
いや、彼らが悪行を働いているという意味ではなく、
僕たちとは社会思想が根底から違うので、
日本でならまったく問題のない行為が犯罪とみなされるケースがあるからです。
たとえば駅、空港などで写真を撮るのはやめた方がいいですし、
GPSのような計測機器を持ってうろちょろするのもリスキーです。
いずれも『スパイ容疑』で逮捕される可能性があるといわれています。
いたるところに監視カメラがあるので、警察官の姿が見えないからといって、
冒険的な行動をするのも慎んだ方がいいでしょう。
そんな訳で僕も今回、あまり1眼レフカメラを出して使っていません。
こうした地域で行動する場合の基準は、
『周りの人がやっていないことはしない』が一番確実です。

さて、今日はいよいよモンゴルへ入ります。
国境を越え、反対側の街、ザミンウードへ行くバスの出発時刻は13時30分。
前情報によると、なかなかワイルドな行程になりそうです。

そして18時。
ザミンウードから再び夜行寝台列車でウランバートルへ。

え? また臭くなるのかって?

ん〜・・・
それは国境を越えるときにかく汗と冷や汗の量次第でしょう。
予定通り行けば、24時間後にはウランバートル駅に着いているはずです。

天気は晴れ。

さて、そろそろ準備を始めますか。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 10:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年06月24日

第18回取材旅行 その5

はぁ〜・・・疲れたぁ!
やっぱり夜行寝台と長距離バスの乗り継ぎはしんどいの〜。

え?

あ、・・・すみません。
ほっとしたので、つい本音がポロリと出てしまいました。
これじゃ話が分かりませんよね?

では時間を昨日に巻き戻して・・・
_______________________________

今は6月23日17時20分。
僕たちは北京西駅の構内待合室にいます。

瀋陽からの移動は予定通り行きましたが、
北京のあまりの暑さに王府井まで歩いての取材はあっさりパス。
気温は33度となっているものの、
体感的には35度をゆうに超えているような気がします。
加えて日影がありませんからバックパックを背負って歩いているだけで、
10分もすると頭がくらくら・・・
湿度の低さが救いですけどね。
そんなわけで取材は駅の近くの餃子屋でお茶を濁し、
早々にここまで来ました。

場所にもよりますけど駅の中は別世界。
ここはハルビン西駅や長春西駅以上に巨大なだけではなく、
さすが10億人を超える人口の国の首都だけあって、
ものすごい人出です。

ウランチャブへ向かう夜行寝台列車の出発まで、
まだ4時間くらいあります。
僕らはあまりひと気のない隅のベンチに陣取り、
ブログを書いたり取材ノートをまとめていたりしています。
ともこは広大な構内の探検に出かけて行きました。
僕らの旅ではよくある、こうした空白のような待ち時間。
けっこう好きなんですよ。
日本ではまずあり得ませんからね。
時間があるというのは本当に贅沢なものです。
_______________________________

日付が変わって、今は6月24日(月)7時02分。
僕たちは内モンゴル自治区にあるウランチャブのバスターミナルにいます。
北京西駅をほぼ定刻に出発した夜行列車は、
これまたほぼ定刻の5時20分にウランチャブ南駅へ到着しました。

夜行寝台列車の旅。

こういうとなんか素敵でしょう?
でもね〜、ととらの旅ですから。

中国における2等寝台の現実とは・・・

上半身を起こす高さもない3段ベッドでした。
日本の押入れを想像していただければ当たらずとも遠からず。
ま、これくらいなら今までもありましたけどね。
驚いたのは、その寝台の状態。
多分、使いまわしのまま、数日は掃除も何もしていないでしょう。
寝具はぐしゃぐしゃ、そこいらじゅうがゴミだらけ。

ま、それでもいいのです。寝転がって行けますから。

気になっていたのは居心地より『眠れるか?』でした。
こと音に関して中国の人は驚くほどの耐久力をもっていますから。
たとえば、駅中のベンチで演説が始まったのか?
と思いきや携帯電話で話しているだけ。
今度はオペラ歌手たちのチャリティーコンサート?
いえいえ、ただ2、3人で立ち話しているだけ。

それなら今夜の車内はどんな出し物が始まるのかな?
と横になったら、消灯した途端、みんないい子に寝始めました。
そこで僕らも断続的に温度差や外からの光、人声で起こされつつも、
意外としっかり眠れたのです。

到着して車外に出ると、まず驚いたのが肌寒さ。
北京の酷暑がウソのようで18度くらいしかありません。
それもそのはず、ここは北京より北にあるだけではなく、
約1370メートルも標高があるのですね。
街の様子も微妙に変わり、
各種の文字表記が漢字とモンゴル文字の併記になりました。
ん〜、梵字にも似た独特な字形です。

さて、ウランチャブでのミッションは、
エレンホトまで行くバスチケットをゲットすること。

5時40分。
駅の斜前にある長距離バスターミナルまで行くと、
まだシャッターが閉まっていました。

6時になってターミナルは開きましたが、
今度はチケットブースが無人のまま。
さらに40分待ったところで、ようやく職員さんたちの登場です。

さぁ、僕がなぜ出発前に中国語の特訓をしていたか、
実はすべてこの時のためだったのです。
北京ですら通じなかった英語が、
この内モンゴル自治区で使えるわけがありません。
しかもちょっとした挨拶や「ギョーザ下さい」みたいな簡単な話でもない。

順番が来た時、僕はひと呼吸おいて話し始めました。

「ゾウシャンハオ! ウォ シャン チィ アーレンフォト。
 ウォ メン シィ リャングゥリェン」
(おはようございます。僕はエレンホトに行きたいです。
僕たちは2人です)

どうだ? お、通じたみたいじゃん!

しかし調子に乗ってはいけません。
日付や時間の正確なやり取りまではまだ自信がない。
そこで事前に用意した紙を見せて中国では貴重なスマイルを追加。

すると彼女は頷いて僕が持っているパスポートを指さしたではないですか!

やった〜、成功だ!

出発時刻は8時。
鉄道より3時間半以上早いとはラッキー。
しかも料金は300キロ以上の長距離でひとり約1,341円也。

こうして雨が降るなか走り始めたバスは間もなく街を抜け、
あとはひたすら草原を貫く道をひたすら走り続けました。
モンゴルとの国境はもうすぐです。

しかし、給油で寄ったガソリンスタンドで、
思わぬオチが僕らを待っていました。

それはトイレ。

ギョーザ本の第2章でも書きましたが、
僕の旅の経歴で唯一退散したのがここ中国のトイレ。
それが今回、どこの街でも拍子抜けするくらい、
フツー&キレイになっていたのです。

さすがに20年近く経てば変わるなぁ・・・

と甘く見るべからず。
やっぱりこの国は僕の期待(?)を裏切りませんでした。

(注;お食事中の方は食べ終わってからこの先をお読み下さい)

広大なガソリンスタンドの端にあった小屋ぐらいの大きさのトイレ。
外見は殺風景な灰色の箱です。
しかし中は・・・

何もありません。

壁も、扉も、便器すらも・・・
グレーの陰鬱な空間がぽっかり口を開けていただけ。

いや、よく見るとありました。

10畳ほどの広さの部屋のやや奥よりに、均等になって長方形の『穴』が3つ。

そう、ここは3人用の『トイレ』なのです。

入り口で固まっていた僕を後ろから他の乗客が押して入ってきました。
彼らはそれぞれ、その『穴』の手前に立ち、
男性ならではの方法で小用を足しています。

彼らが立ち去ったあと、僕も恐る恐るその『穴』に近づいてみました。
その穴の下の光景は・・・
(極度にスーパースカトロな光景につき、僕の感性では描写不能です)

小ならまだしも、大を3人でする光景を思い浮かべた時、
僕は別の意味で人口以上に中国の恐るべき底力を感じました。

身震いしながら出てくると、
そこには『女性用』から出てきたともこの姿が。

そうか、女性の場合、小でも話が別だった!

「だ、だいじょうぶ?」

「うん・・・でも、ものすごい経験をしてきた!」

彼女もまた、この件については多くを語りたくないそうで・・・
_______________________________

こうして遠路ようやくたどり着いた国境の街エレンホト。
そのお話はまた明日・・・

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 21:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年06月22日

第18回取材旅行 その4

昨日の16時半ごろ、僕たちは予定通り瀋陽に着きました。
今日は旅の5日目。
明日からのハードな移動に備えて休日を楽しんでいます。
といってもあれこれ出歩いているのではなく、
反対に食事以外はホテルでのんびり。
取材のノートをまとめたり読書したりですね。

その宿ですが、今回、僕たちの中国における平均宿泊費は、
ダブルで概ね1泊2,500円前後。
そういうとまたとんでもない所に泊っているな?
と思われそうですが、物価が安いので、
これでも日本でいう中級レベルの内容なのですよ。
居心地はとてもいいです。

ちょっと残念なのは、どこもスタッフとのふれあいがまったくないこと。
これは国民性の違いというか商い習慣の相違というか、
挨拶もしないのですよ。
それどころかチェックインの時の「いらっしゃいませ」や、
支払いの時の「ありがとうございます」すらなし。
加えて無表情なので日本的な感覚でいうと、
なにか怒っているような印象を持たれるかもしれません。
しかし、これで普通なのです。
ローカル同士のやり取りを見ていてもみな同じ。
ほとんど目を合わせないし。
当然、宿泊客同士はお互いをほぼ完全に無視しています。

で、例によって僕はここでちょっと実験をしてみました。

「早上好(ザオシャンハオ(おはようございます))!」

朝、エレベーターエントランスで一緒になった、
母、娘とおぼしき二人に挨拶してみたのですよ。

お母さんは何も言いませんでしたが、
娘さんは、一瞬はっとたじろいだ後、口ごもるように挨拶を返してきました。

次は朝食で入った近くのスタバ風のローカルカフェ。
起きたばかりで頭の回らない僕は、英語で注文し始めました。
見かけは中国人と変わらないオジサンが突然英語で話し始めたので、
カウンターの女の子は、え?っとなりましたが、
オーダーは通じたようです。
次は彼女が中国語で何か言い始めましたが、
まったく分からない僕は、たぶん持ち帰りか否かを訊いているとあたりを付け、
また英語で「ここで飲みます」と返すと彼女は納得。

で、面白かったのは店を出るとき。
僕が下げ台に食器を持って行き、ひと声「謝謝」とここだけ中国語で言うと、
今度は消え入るような声で「Thank you」と返事が。

僕の国籍がどこか分かっているようには思えませんでしたが、
こういうのもまた草の根外交のひとつだと思ってます。

対日感情が悪い印象はここまでのところまったくありません。
いや、実際、地域が地域だけに、
この点は出発前から大きな懸念材料のひとつだったのですけどね。
だってあたらめて日中間の近代史を読み直していると、
ありゃ〜、やっちゃったね・・・って感じですから。
(この辺の詳しい話はまたいずれ)

しかし隠し立てしても始まらないので、
僕はローカルと接した時には「我是日本人」とあっさり話しています。
で、先方の反応はというと、皆さんおしなべて好意的でした。
もちろん正確には何といっているのか分かりませんが、
笑顔を浮かべ、言葉の中には「リーベン(日本)」とか、
「ハオ(良い)」という単語が聞き取れたので、
少なくとも悪口や批判ではないでしょう。

取材は順調に進んでいます。
分かりやすく申しますと、
二人とも「もう当分ギョーザは食べたくない!」と心底思えるくらい、
餃子を食べ続けているのですよ。

今回は新しい料理を見つけることより、
ギョーザのルーツ探しがミッションですから取材メソッドも違います。
なるべく古そうな店に入り、そこで食べた餃子を、
『呼称、加熱方法、大きさ、形、食感、中身の具、味、食べ方』で、
比較して行くのです。
実際この方法で実に興味深い事実が浮かび上がって来ました。
この辺もあとで詳しくお話ししますね。

さて、冒頭でも触れましたように、
明日から3日間がこの旅の山場です。

まず明日は早朝6時前にチェックアウトし、7時の列車で北京へ移動。
北京では懐かしの王府井を中心に取材を進め、
21時過ぎの夜行寝台列車で内モンゴル自治区のウランチャブへ、
そこからバスか鉄道で国境の町エレンホトまでアクセスします。

何かとトラブルの多そうなこの国境を越え、
モンゴル側のザミンウードに抜けたら、
再び夜行寝台列車でウランバートルまで。

多分、エレンホトの宿でネットワークに入れると思いますが、
それがNGだとウランバートルに着く26日の水曜日まで、
僕たちはオフラインになるかもしれません。

ウランチャブから先は極端に情報が少なく、
ほぼ僕たちも出たとこ勝負になりますから、あとは着いてのお楽しみかな?
さいわい二人とも体調はいいので、まぁ、どうにかなる・・・でしょう。

まもなく時計は17時。
さぁ、今晩もまた餃子を食べに行かなくちゃ。
うへぇ〜・・・

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 17:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年06月20日

第18回取材旅行 その3

旅の3日目。
僕らは午前中に高速鉄道で長春まで移動しました。
これ、最高時速約230キロ前後で走行する中国版の新幹線ともいえるもので、
220キロメートル離れた長春までたったの1時間20分。
それでいて指定席(+発券手数料)でひとり1550円也のハイコスパでした。
2等車でもきれいな車両で乗りご心地よし。

それにしても中国の鉄道は規模が大きいですね。
出発したハルビン西駅の巨大さには圧倒されましたよ。
さながら幕張の国際展示場のようです。

ちなみに移動コストと言えば、
ハルビンタクシーも明朗会計&リーズナブル。
初乗り8元(約125円)で、3キロメートルから先は、
500メートルごとに1元(約16円)が加算されます。
さっきホテルからハルビン西駅まで10キロほど乗っても約400円くらい。
(ひとり約200円・・・都バスより安い!)

ただし収入比較すると、
中国人の平均所得は日本人の32パーセントくらいなので、
まぁ、それなりの金額になるのでしょう。
(人口は10倍強ですからGDPは3倍前後になります)

さて、これまた巨大な長春駅に着き、
どんな街かと広大な地下道から地上に出てみれば、

おお、中国だ!

な街並みが広がっていました。
ハルビンに比べて街がコンパクトになり、
ごちゃっとした感じが香港の裏通りを髣髴させます。
駅の南東には『招待所』と称する簡易宿泊所が密集した安宿街もあり、
色と音のカオスといい、うさん臭さといい、
僕らもようやくエンジンがかかってきた感じ。
こうした場所には美味しいローカル安食堂があるんですよ。

そこでさっそくお仕事開始。
野生の勘で入った店で水餃と雲吞を注文してみました。
で、成果は・・・

お〜、なるほど!
ハルビンのギョーザとはっきり違いがあります。
この辺はメインテーマでもあるので、
あらためて詳しくお話ししなくちゃいけませんね。
この3日間だけでも、
かなり日本ギョーザのルーツの手がかりが見つかった気がします。

さらに雲吞を注文したのもお仕事のうち。
これ、皆さまもお気づきのように、
ギョーザのバリエーションとして分岐した料理と考えられるんですよ。
で、ここで食べた雲吞は、
まさしくジャオズと日本で食べる雲吞のミッシングリンクじゃないですか!

そう、ぺろぺろの皮にちょんもり肉が包まれているようなものではなく、
ほとんどスープに入った水餃だったのですね。
(湯餃(タンジャオ スープ餃子の意)という言い方もありますが、
この地域では見かけません)
そりゃもう食べ応え満点。
お味の方も、
二人そろって「今まで食べた雲吞の中では最高!」で一致しました。
なるほどね〜。

話は変わって中国経済です。

やや陰りはあるもののハルビン中心部の活況を目の当たりにすると、
中国も豊かになったんだなぁ・・・という印象を受けました。
しかし長春の中心で建設がとん挫したタワービルや、
その下に横たわる『さよならセール』寸前のモールを見て、
ふと思い出したのは、バブルの象徴のひとつだった横浜のマイカル本牧。

あそこは僕の実家のすぐ近くなので栄枯盛衰をつぶさに見ていましたけど、
古今東西を問わず、市場経済には波があり、頂点に合わせて箱モノを作ると、
遅かれ早かれ廃墟化が待っているというストーリーの典型だったのですね。
それが長春の場合は建設途中で放棄されたがゆえに、
ことさら荒涼とした雰囲気が漂っていました。

中国の収入不平等指数(ジニ係数)は、
2013年のワールドファクトブック(CIA)によれば、
データのある141ヶ国中27位。(日本は73位)

こうした投資のなれの果てをリアルにみていると、
富の集中が社会全体にとってどういう意味を持つのか?
あらためて考えさせられるような気がします。

あれ? ここは一応、社会主義の国なんだけどね。

さて、長春では明日の昼まで取材を進め、
午後にまた鉄道で南下し、遼寧省の省都、瀋陽に移動します。

ん〜、なかなか忙しいな!

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 22:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年06月19日

第18回取材旅行 その2

ハルビンは中国最北に位置する黒竜江省の省都。
日本でいうなら札幌に相当すると思いますが、とにかく大きい。
とても地方とは思えない規模です。

その印象を増幅しているのが街の作り。
そもそもただの漁村だったところを都市化したのがロシアだったので、
ベーシックな造りはアジアというよりまさにヨーロッパ、
それも何かと建物や道路、区画を大きく作る社会主義仕様なのですよ。

普通の道路ですら片側3車線は当たり前。
建物は四角く巨大で仰々しい。
なんか人間が小さく感じます。

こんな風景どこかで見たな、と記憶をたどれば、
それはカザフスタンのアルマトィやアルメニアのエレバン、
そしてご本家のサンクトペテルブルグでしょうか。

そんな訳で、ちょっと2ブロック先まで行くにも、やたらと距離があり、
道路を渡るのもちょっとした気合が要ります。

英語はやっぱり通じませんね。
いま泊っているホテルですら、
フロントでも英語で話しかけるとスマホをかざしてきます。
なんだろう? と思って見たら翻訳アプリが起動していました。
「これに向かって話して」っというわけですね。

でもさぁ、
予約サイトでは使える言語が中国語と英語ってなってたんですよ。
人間のナマのスキルではなく、からくりものまでカウントするのなら、
それこそ『全言語対応』くらい謳っちゃえばいいんじゃないかい?

む〜、そこで頑張る僕のなんちゃって中国語ですが、
今のところコミュニケーション成立率35パーセントくらい。
練習しなくちゃ!

さて、午前中は重要なミッションがありまして、
ウェブ経由で購入しておいた鉄道チケットの受け取りに、
ハルビン駅北口まで行ってきました。
ここで興味深かったのは、ローカル同士のやり取りです。

日本でも中国人観光客の『マナーの悪さ』が指摘されて久しくなりましたけど、
ここで気を付けなければならないのは、
マナーとは純粋に文化的なものであるということです。
つまり世界にはさまざまな文化があるように、
ワールドスタンダードなんてものはありそうでない。
事実、ほんの数時間前に僕らがハルビン駅で見た光景は、
ある意味、日本はもとより、ほかの国でもあまり見かけないものでした。

僕がインフォメーションカウンターの前で並び、
自分の番になってさぁ話そうとした瞬間、
50歳代と思しき女性に横からどすんと押しこまれ、
力技で横入りされたのです。
そしてそれを目の前で見ていたインフォメーションの女性は、
何事もなかったかのように、その女性の質問に答え始めました。

なるほどね〜、この辺はまだ変わってなかったか。
でも、一応列があり、横入りは『たまに』ですから、
列すらなく、カオスにしか見えなかったインドの鉄道チケット売り場より、
だいぶ旅がしやすいと思います。
(ま、それも15年くらい前の話ですけど・・・)

次はチケット売り場で並んでいた時。
隣の列の様子を見てたら、
日本でなら大クレームになりそうなことが普通に繰り広げられていたのです。

乗客が列に割り込むならスタッフも負けちゃいません。
窓口のスタッフが相手も見ずに、
チケットやお金をポイっと投げてるじゃないですか!
ところがここでは「おい、ちょっと待てよ! なんだその態度は?」
なんてことにはなりません。
投げられたお客さんは何事もなく、
お金とチケットを受け取って去って行くのです。
あ、もちろん、この間どちらもスマイルなんてなし。

この観察は興味深かった!

で、僕の番になったので、
試しにローカルとは違うアプローチを試してみたのです。

「ニイハオ!」(これは100パーセント通じます)

僕は『笑顔』で『明るく』窓口の女性スタッフに挨拶してみました。
これまでまったくと言っていいほど、
お客さんに顔を向けなかった彼女がはっと僕の方を見ました。

よ〜し。

次はともこ語の要領で、
「トリップドットコム! トリップドットコム!」
(この中華系旅行サイトで鉄道チケットをブッキングしたのです)
次にメモ帳に書いた5路線分の予約ナンバーとパスポートを見せました。
すると彼女は頷いて、それらを受け取ろうと手を伸ばしてきたのです。

すべてのチケットを受け取った後、
僕はまた最初と同じように「謝謝!」
ここで彼女はようやく、はにかむような笑顔を浮かべたのでした。

そう、それが見たかったんだよ。

彼らには彼らのやり方があり、僕には僕のやり方がある。

自分が今いる文化圏でNGにならないなら、
僕は基本的に自分のスタイルで振舞っています。
そう、それはもちろん、日本の文化をベースにしたもの。

明日は午前中にローカル鉄道で吉林省の省都、長春に移動します。
この移動中もまた、とてもいい観察の機会に恵まれることでしょう。
それではおやすみなさい。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 22:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年06月18日

第18回取材旅行 その1

日本の皆さま、こんばんは!
僕たちは予定通り中国東北部の街、ハルビンに着きました。
そちらとの時差は1時間だけ。

それもそのはず、成田からのフライトタイムはたったの2時間55分。
台北に飛ぶより短いくらいです。

昨夜は思った通り、
ととら亭のシャットダウンや旅行の最終準備に手間取って、
結局、2時間ちょっとの仮眠をしただけで出発。
もう眠いのなんのって・・・

で、今回は成田エクスプレスの終点、第1ターミナルではなく、
ひとつ前の第2、3ターミナルだったでしょう?、
寝坊して降り遅れないか心配でしたよ。

そういえば日本からの出発でLCCを使うのは今回が初めて。
第3ターミナルはどんなところかしらん?
と、駅からワクワク630メートルも歩いて行ってみれば、
なるほど航空会社だけではなく、
建屋もチェックインカウンターもみ〜んなLow Cost。
地方のアウトレットみたいじゃないですか。

チェックインカウンターが混んでいて時間がかかった僕らは、
フードコートで食事をする暇もなく、そのまま出国手続きへ。
まぁ、セキュリティエリアでも何かあるだろうと思いきや、
あったのはカフェが1軒だけ。
でもホットドックとチキンのホットサンドウィッチは美味しかったですよ。

さて、のんびりする間もなくボーディングタイムとなり、
次はどんなLow Costかな?
と1階のボーディングゲートまで行ってみれば、
なるほどブリッジで飛行機と連結されているはずもなく、
バスで駐機場を巡る、かなり長いドライブツアーが待っていました。

この辺から乗客はほとんど中国人の方たちなので、
すでにハルビンに着いたかのような雰囲気。

いいですね。

今回お世話になったのはSpring Japan(春秋航空)さん。
LCCとはいえサービスは簡略化されていても、
日本語と中国語のバイリンガルキャビンクルーさんたちはおしなべてラブリー。
3時間を切るフライトタイムであればLCCも十分ありですね。
僕らにとってはもう十分です。

ハルビンの太平国際空港は、
今年の1月に行ったトルコのカイセリ空港と同じく、
いかにも地方都市によくある鄙びた感じ。
イミグレでは指紋を全部スキャンされるのですが、
これがよくできたシステムで、
インスペクターがパスポートを読み取ると、
その時点で国籍が判別され、
「右手の指を4本画面に乗せて下さい」
ってな具合にスキャナーがその国の言葉で説明を始めるのです。
とうぜん僕らには日本語で分かりやすく話してきました。
ディスプレイに具体的な指の置き方まで表示されますから、
あれならまごまごする人もあまりいないでしょう。

さて、次のバゲッジクレームは、ぽつねんとターンテーブルが1台だけ。
かなり待たされるとの前評判でしたけど、
僕らのバックパックはさらっと出てきました。
そういえば、かつてはこういう時の中国人の方たちは、
みなさん殺気立って怖かったのですが、
ここでは皆さん、お行儀よく、
他の人に迷惑をかけないよう荷物を取っていました。
こういうところは、ここ30年でほんと変わりましたよね。

そして税関をするっと抜ければそこはアライバルロビー。
Welcome to China!!

なんだけど、なんにもない。ほんとにない。
キオスクやカフェはおろか、
ツーリストインフォメーションもATMもないのですよ。
あるのは両替窓口ひとつだけ。
(カイセリはこれすらなかったな)

しょうがないので当座の人民元をゲットして表に出たら、
今度はタクシーはうじゃうじゃいても市内へ行くバスがいない。
で、営業をかけてきたタクシードライバーに、

「市の中心へ行くバスはどこから出ますか?」
と訊けば、
「そんなのはない」

ホントかい?

で、両替所のお姉さんに訊けば、
国内線ターミナルへ行くシャトルバスを指さしています。

ん〜、そうじゃないんだよ。やっぱり英語はダメね。
いや、待てよ・・・
国内線のターミナルに行けば、
ATMやバスターミナルがあるのかもしれないぞ。
タクシーならどちらでもうじゃうじゃいるのだから、
ダメもとで行ってみよう。

ああ、彼女が正解でした。

なんと無料シャトルバスで行った国内線ターミナルは、
国際線のそれの数倍はあるかと思う立派なもの。
当然、カフェもキオスクもみんなありました。
僕らはバスチケットブースで中心部までのチケットを買い、
ちょうど発車寸前だったバスに滑り込みセーフ。

そんなこんなでハルビン駅前のバスターミナルに着いたのは、
現地時間の16時頃だったかな?

ハルビンの天気は晴れ。気温は23度。
風が乾いていて、とても気持ちがいいです。

ここでホテルまで行く前に、遅いランチにすることとしました。
もうお腹ペコペコ。
もちろんさっそく取材の始まりでもあります。
今回のミッションのひとつは日本のギョーザのルーツ探し。
というわけで入ったお店が『東方餃子王』!

いいね〜、このネーミングセンス。
餃子王なんだからまず間違いない。

さらに注文したのが『餃子大会』。

これだけでもうお分かりと思いますが、
『餃子大』の『餃子大会』が美味しくないわけないんですよ。

そして結果はまさしく僕らの期待を裏切りませんでした。
具の異なる4種類の餃子の盛り合わせ。
どうやって食べるのかな? 酢とか醤油をつけるの?
なんて発想そのものが邪道であることが一口食べて分かりました。

そのままでいいのです。
完成されているんだから。
(写真はあとでお見せしますね)

いやぁ〜、到着して2時間足らずでこの収穫はうれしい。

さぁ、天気もいいし、もう少しお腹がこなれたら、
目抜き通りである中央大街の偵察です。
ここにもギョーザの老舗の店がたくさんあるとか。
楽しみだ〜!

えーじ

P.S.
そうそうインターネットの接続テストの結果ですけどね、
やっぱり Google や Youtube などはアクセスできませんでした。
さいわい、ととら亭関連のサーバはウェブサイト、ブログ、メールともにOK。
ま、大物以外はあんまり気にかけていないのでしょうね。
posted by ととら at 19:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年06月17日

第18回取材旅行の準備 その3

いよいよ明日は出発。

取材ルートと内容の難易度から前倒しで準備を進めていたのですが、
体調不良のリカバーでロスタイムが膨らみ、
結局、いつもどおりのドタバタになってしまいました。

それでも体調が良くなっただけラッキーかもしれません。
というのも、今回はいつになく、いやぁ〜な予感がしているんですよ。
特に、内モンゴル自治区のウランチャブから国境の街のエレンホト、
そして国境を越えてザミンウードに出るまでの間。
こうした状況で不安要素はひとつでも少ない方がいいですからね。

ま、その辺はこの後のブログでお知らせを・・・

と結びたいところですが、
中国はインターネットの接続制限がいろいろありまして。
Google や facebook、twitter、youtube、
Wikipediaが使えないのはご存知のとおりですけど、
僕がブログを置いている寄り合い所帯サーバーも、
他の入居者が目を付けられていると、
丸ごとアクセスできないかもしれません。
(僕も言いたいことを言っているからな)

2016年11月に香港とマカオに行った時は、
ととら亭関連サーバだけではなく、Googleなども問題なく使えましたが、
これまたご存知のとおり、かの地は特別行政区ですからね。
本土がどうなっているのかは、行ってみないと分かりません。

取りあえず、明日の午後、ハルビンのホテルにチェックインしたら、
接続テストをやってみるつもりです。
NGだった場合、中国滞在中のブログは更新できませんので、
ウランバートルに着く予定の6月26日まで僕らはオフラインになります。
ま、そうなっても出たとこ勝負でなんとかしますから、
心配しないで待っていて下さいね。

さて、明日は朝5時に起きて7時に新宿を出発し、
11時発のハルビン行きスプリングジャパンIJ213で日本を離れます。
スケジュール通り行けば、日本時間14時ごろに着きますから、
接続テストは同17時前後かな?

それでは行って来ます!

えーじ
posted by ととら at 22:44| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2019年06月16日

自分の旅のために その6

ご心配をおかけしております。

さいわいめまいは2回目の発作以降落ち着いて・・・
というか、原因不明のまま沈黙し、
あたかも何ごともなかったかのような『健康』状態に戻りました。

ん〜・・・一過性のものだったのかしらん?

ともあれ、
別のクリティカルな原因の可能性もあるので、
しばらく様子をみたいと思います。

いやぁ〜、それにしても今年は故障続きで参りました!
この半年弱の間だけでも、受けたメディカルチェックは、

胸部レントゲン 3回
膝部レントゲン 1回
膝部MRI   1回
頭部CT    2回
胃カメラ    1回
etc...etc...

とまぁ、なんともデラックスな状態でございます。

中には英語がほとんど通じない、
トルコの地方都市で受けた検査もありました。

で、ああいう「治療以前に病院はどこだ?」な状況を避けるために、
今年は人間ドックに行ったり、「なぁ〜んか変だな・・・」
なところを検査して頂いたりしている訳なのですよ。

ほぇ〜、おじさんになると医療費がかさむのぅ・・・

ところで『自分の旅のために その2』で触れました左ひざの故障。
内側の半月板が損傷してますね、で途切れていましたが、
あのあと、もう一度別のドクターがMRIの結果を診たら、

「あ〜、ガングリオンもありますね」

が、がんぐりおん?
合体ロボットですか?

「いやいや、良性のできものみたいなものですよ。
 痛みはどうですか?」
「強い時は足を引きずるくらいになりますが、
 ほとんどは無視できます。
 起こるタイミングはランダムで、
 朝、階段を下りる時に一番違和感を感じますけど、
 ただ立っているだけの時でも突然、
 関節が外れかかったような感じになることがあります。
 でもそれがまた何かの拍子にふっと消えてしまうのですよ」
「う〜ん、なるほど。では日常生活に支障はない?」
「だいたい1時間前後で痛みが消えますから」
「じゃあ、様子見にしましょう」
「様子見? 急に悪化して動けなくなるようなことになりませんか?」
「ん〜、それはあまり考えられませんね」
「20キロ前後の荷物を背負って、
 言葉が通じず、医療もあまり期待できない地域に行くことがあるので、
 現地で急に動けなくなると困るのですよ」
「・・・? アフリカとか?」
「まぁ、そんなとこです」
「この状態から急に悪化して、
 動けなくなってしまうことはまずないでしょう。
 しかし心配でしたら内視鏡を使った手術で簡単に除去できますよ」

というわけで、これは原因が特定できて、
should do と should NOT do が分かりました。
実を言うと左だけではなく、右膝も同じような状態なので、
今後、落ち着いたところでオペをして頂くかどうか、
検討してみたいと思います。

めまいに花粉症、関節炎、腰部椎間板ヘルニア、
両膝の半月板損傷とガングリオン。
他にも謎の呼吸障害とか白血球の減少など。

いやはや、この年齢になると、
いろいろ体が壊れてくるものです。
でも僕はあまり悲観していないのですよ。
生き物はすべからく加齢とともに壊れて行くものですからね。
その例外は、少なくともこの星にはない。

それから、奇妙に聞こえるかもしれませんが、
若い頃、永らくライダーをやっていたせいか、
僕は自分の体もオートバイのように考えている節があります。
なので、
ツーリング(渡航国)先に合わせてメンテナンス(トレーニング)したり、
山の中(言葉が通じず医療が期待できない地域)で、
故障(病気や怪我)したことを想定して、
応急修理(ファーストエイド)の方法を覚えたりしているのですね。

それもこれもすべて『自分の旅のために』。

実家で眠る愛車と同じく、
僕自身の体もだいぶ老朽化が進んできましたけど、
まだ暫くは走れそうです。

たのむぜ相棒!

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 15:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年06月14日

香港という鏡に

取材旅行に出る時は、必ず登録している外務省さんの『たびレジ』。
プッシュ型で最新のセキュリティ情報を入手できるので、
とても重宝しています。

今回、登録している地域は中国とモンゴル。
すると6月13日、さっそく1通の電子メールが届きました。
内容は『香港で行われている抗議活動についての注意喚起』。

む〜・・・

来週の火曜日から行くのは中国の東北部ですから、
直接的な問題はないと思いますが、
香港に住む友人を思うと複雑な心境になってきました。

そう、とても複雑な・・・

というのも、僕にとって香港で起こっている問題は、
外国で起こっている遠い話ではないからです。

反対されている『逃亡犯罪人条例等改正案』の各論についてではありません。
これを僕が何度か話している『民主主義のバグ』の土台に乗せると、
そこには他人事ではない構造が浮かび上がって来るからなのですよ。

ほら、『中央と地方の分権』とか、
『多数派と少数派の対立』なんて言葉に言い換えると、
いずれもお隣さんの話ではなくなると思いません?

たとえば沖縄県でもめている辺野古への米軍基地移設問題。

素朴な言い方をすれば、民主主義は数で意思が決定されますから、
現地の人々が「イヤ」と言っているのだから、
「移設はダメ」で民主的に以上終了!
バイバイ、アメリカ軍!

にはなっていませんよね?

なぜか?

話が国防となると主管は県ではなくて国。
だって自衛隊(日本軍)はあっても、
沖縄軍とか東京軍なんてのはありませんからね。
ましてやここには外交権だって絡んでくる。

となると、民主的に意思を決定するための参加者は、
沖縄県だけではなく、全国になってしまう。

で、国会における判断は結果的に、
いや、暗黙の裡に「しょ〜がないよね〜」・・・でしょ?

この問題、フラクタルな構造を持っていて、
マクロな国防からいくらでもブレイクダウンして行けます。

ほら、親会社と子会社の、部と課の、
県と市町村における『全体と部分の対立』は、
僕たち市井の市民にだってお馴染みの問題でしょ?

全体と部分におけるそれぞれの民主的な意思決定の結果は、
必ずしも一致するとは限らない。
いや、むしろ対立することの方がずっと多い。

では、僕たちはどうしたらいいのか?

残念ながら僕には分かりません。

そこで、
身近な各論で議論すると感情が入ってハードルが上がりますから、
別の問題を使ってディベートしてみるのはどうでしょう?

これは大人だけのお勉強ではなく、
小学生くらいから身近な話題で始めてもいいんじゃないかな? 
日本の学生はほんと、ディベートが下手ですからね。

で、話を戻して香港です。

みなさんも一緒にこの問題をディベートしていただけませんか?
グローバリズムってのは、ひとりで机に向かうより、
本来、こうしたことをベースに成り立つべきなのではないか?

ミクロなプチブルの旅人は、
けっこう真面目にそんなことを考えているのでございます。

えーじ
posted by ととら at 14:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年06月10日

Good luck our fellows.

昨夜は閉店後、与太呂の野崎板長、
ラ・ポム・ド・パンの松本シェフとゆーこマダム、
そしてチッチョベッロの大野シェフがととら亭に集い、
久し振りのミッドナイトオフ会となりました。

料理と酒は4店の持ち寄り。

off01062019.jpg

わははは〜、で、どうですこれ?
オフィシャルにはあり得ない、4人の腕利き料理人の競演ですよ。
全体の脈略こそありませんが、
裏メニュー炸裂の美味いものづくし。
ふふ、役得とはまさにこのことかな?

事前の打ち合わせは、
「そっちなに作ります?」
「オレ、肉料理持って行きますよ」
この程度で、後は料理人同士の阿吽の呼吸と申しますか、
相手の出方を予測しつつ、かぶらないように得意分野で勝負します。
しかし今回意表を突いてきたのは大野シェフ。
クロダイの塩釜蒸しでみんなの度肝を抜きました。
やるねぇ。

さて、一般的に同業者といえば商売敵ですけど、
実際はこの通り、エネミーや競争者というよりフェローなんですよ。

え? 意外な話だ?

ん〜、かもしれませんね。

でも、これは特殊なケースではなく、
同じ飲食業で独立し、自ら現場に立つ個人事業主同士であれば、
仕事にかける思いも、悩みも、喜びもまた一緒。
となれば、
街の中でも一番シンパシーを感じる相手が同業同士になるというのも、
あながち難しい話ではないしょう?

でも、昨夜はちょっとセンチメンタルなムードにもなりました。
というのも、集まった理由が、
松本シェフとゆーこマダムの壮行会だったからです。

ラ・ポム・ド・パンは野方での12年間に及ぶ営業に終止符を打ち、
高円寺に移転することとなりました。
これもまたひとつの旅立ちだとはいえ、
この街で苦楽を共にしたフェローを見送るのはやはり寂しい。

特に解体されて行く店を見るのは、
それぞれのメンバーが自分の店を作っていた時のことを胸に刻んでいるので、
言葉にならないものがあります。

そう、あの独立の日々。

世界にひとつしかない看板を出した時の、
店内に初めて電灯が灯った時の、
あの感動もまた、
僕たちが心の中でシェアしている宝物に他なりません。

おっと、また少し湿っぽくなっちまったね。

でもこれは終わりじゃない。
まだまだ楽は出来ないってことだよ。

松本さん、ゆーこさん、
いつかまた一緒に、地獄の3丁目まで行きましょう!

off02062019.jpg

Good luck our fellows!!

ともこ & えーじ
posted by ととら at 14:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年06月08日

プチブルの和訳

以前、僕の肩書きってなんだろう?
というお話をしたことがありましたけど、
独立して9年が過ぎても、
相変わらず名刺はデビュー当時と同じ。
シンプルそのものです。

残り少なくなって再印刷をお願いするたびに、
何かそれっぽいことを入れようかな?
と思いつつも、やっぱりどこか煮え切らない。

たぶん、社会的な体裁よりも、
リアルな自分の『仕事』を思い浮かべてしまうからなんでしょうね。

たとえば、ときどきお店に来てマネージャーを呼びつけ、
「どう、忙しい?」なんて涼しい顔して言っていられるなら、
『代表』とか『取締役』なんてのが似合うのでしょうけど、
現実はねぇ・・・

painting02.jpg

これですよ。

え? 何してるんだ?

ご覧のとおり、ファサードのニス塗りをやってるのです。
(しかも定休日!)
木製部分は雨ざらしだと朽ちてきますからね。
この日は踏み台を中心に補修をしながらの化粧直し。

painting.jpg

もちろんともこも例外ではありません。
ま、彼女の場合『旅の料理人』って洒落た肩書がありますけど。

思えばここ1週間だけでもこの他に、
詰まりかけた下水の掃除やら、
廃材を使ってのペンスタンド作りなど、
およそ『経営者』らしからぬお仕事が続いていました。

そう、『プチブル』を和訳すると、
『万事屋(よろずや)』となるのでございます。

えーじ
posted by ととら at 23:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年06月06日

自分の旅のために その5

この前の火曜日の夕方。
予定通り、僕は前回めまいを起こした時と、
まったく同じメニューでトレーニングをやってみました。
そして近くの公園でストレッチを終え、
アパートに向かって歩きながら、

さ〜て、賽は投げられたぞ。
1回目と同じであれば、あと1時間以内でくらっと来るはず。

しかし、シャワーを浴びて2時間が過ぎても何も起こりません。

そこでいつも通り食事をして早めに眠り、
目が醒めると・・・

ん〜・・・朝か・・・
そうだ、昨日から人体実験中だったんだ。
2回目の発作の時も、ここまでは何ともなかった。
問題はここからだ。

僕は目を閉じたままゆっくり体を起こし、
頭を揺らさないように立ち上げってみました。
そしてそっと目を開けると・・・

お、揺れて・・・ない・・・よな?
うん、大丈夫、揺れてない。

「どう? 調子は?」

店に行くと、ともこが心配そうな顔で待っていました。

「ああ、大丈夫。ここまで歩いて来る間もめまいはしなかったよ」
「治ったのかな?」
「ん〜・・・どうだろうね? そもそもまだ診断もついてないし」
「頭位性なんとかじゃないの?」
「その可能性が一番高いと思うんだけど、
 症例を調べてみても完全に一致はしないんだよ」

1回目の発作の時は、膝の故障のついでに隣の内科で診て頂きましたが、
専門性から言うと、まず行くべきは耳鼻科だそうで。
そこで行ってはみたものの、
眼振を調べるフレンツェル検査では異常が見られず。
しかし聴覚テストをやって頂いたら、
左耳で中低域の音がわずかに聞こえにくくなっていて、
メニエール症候群の可能性も考えらえると。

ここで「なるほど!」と膝を打てれば良かったのですが、
いきなり難聴になった気はしないし、
めまいは回転型ではなく揺れ型で、横になれば10分程度で消失します。
いずれも部分一致にしかなりません。

困ったね。

こうなりゃもう、そのものずばりの『めまい外来』に行くしかない!

で、行きました。
そこで再度CTまで撮って頂き、頭の輪切りを見ながら説明を受けても、
命にかかわるクリティカルな所見は認められず。

結局、3人のドクターの意見で一致していたのは、
「対症療法的な薬を飲みつつ、しばらく様子を見ましょう」

う〜ん・・・

めまいを起こす病気はいろいろあり、
診断は非常に難しいとはいえ、
僕も「ですよね〜」と寝ころんでばかりはいられません。

もう一度、頭を白紙に戻して考えてみよう。
こうした時は、2回の発作に共通していることだけではなく、
アノーマリーなことにも目を向けるべきだよな。
僕は何を見落としているんだろう?

「いつもと違うと言えば、連休中も調子が悪くなったじゃない?」
「え? この前の10連休で?」
「ほら、あさ来るなりダウンしたでしょ?」

ああ、そういえば・・・

皆さんが10連休中だったとき、僕らは13日間連続営業でした。
その佳境にあたる5月10日の金曜日。
朝起きた僕は驚いたんですよ。
なぜって目が醒めて起き上がると、
寝る前よりはるかに疲れているじゃないですか!

なんじゃこりゃ?(松田優作風)

なんとか店まで歩いて行ったものの、
疲労感というか虚脱感というか、
体は一日中トレッキングした日の夜のような状態。

思えばこんなことは、今まで一度もありませんでした。

ってなわけで、
僕は店に着くなり例によってベンチシートにダウン。
その日はランチがお休みでしたので、
またアパートに戻って夕方まで爆睡していたのです。
さいわいディナー営業前に復活しましたが、
思えば最初の発作はその3日後。

「過労が原因じゃない?」

過労?
ん〜・・・確かに横になっていると症状が消える。
横になる・・・つまり休む・・・
そうか!

「僕には休暇が必要だってことだな!」
「ちょっと〜っ! あたしはどうすんのよ!」

というオチなのかどうか分かりませんが、
この件のステータスは、
とりあえず『様子見』ということになりました。

大丈夫かな?

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 15:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年06月04日

自分の旅のために その4

「何かおかしい」

5月第4週目の週末。
するどいお客さまは、ととら亭の異変に気が付いていました。

「今夜はやたらと、ともこさんが料理を運んでくるな」
「でも、えーじさんはカウンターの中にいるよ」
「あ〜、きっとまた腰を壊して動けないんだ」
「あれ? こっちに出て来た!」
「普通に歩いてるね」
「う〜ん、でも、やっぱり何かが違う」

ふ、アタリです。

実は『自分の旅のために その1』からお話しております、めまい、
治ったと思った矢先の5月24日の朝、
起きたら再発していまして。
なんとかフラフラお店まで来たものの、
状態は前回とほぼ同じ。

「大丈夫? 帰って休んでていいよ」
「と甘えてばかりもいられない。
 ととら亭の営業はともかく、旅先で発症した時のことを考えて、
 どこまで動けるかこの機会に試してみるよ」
「え〜っ! やるの? 無理しない方がいいんじゃない?」
「もちろんダメだったら途中で帰らせてもらうさ」

そう始めてみたのはいいのですが・・・

よ〜し、そんじゃ行ってみますか。
うん、ただじっと立っているだけなら、
たまに震度1の揺れが来るくらいだな。
あ、お客さんだ。

「いらっしゃいませ。お二人さまですか?」

こうしていつものように動き始めると・・・

お、おお、揺れが大きくなりはじめたぞ。
震度2・・・
おわっ、視線を下げたらつんのめりそうになっちゃった!

2分経過。

「お待たせしいたしました。
 アゼルバイジャンの冷たいヨーグルトスープです」

OK、まだ大丈夫。
効率的に動いて体の動きを最小限に抑えればいい。

3分経過。

あ、またお客さんだ。

「いらっしゃいませ。お一人さまですか?」

4分経過。

お、おお、揺れが震度3くらいになって来たぞ。
うぁ〜、カラータイマーがピコピコだ!

5分経過。

「2番テーブルの前菜できたよ!」

うげぇ〜、船酔いみたいになってきた。
タイタニ〜ック!

「ちょ・・・ちょっと座っていい?」
「ほら〜、もう! 無理するから!」

僕はお客さまの視線からブラインドになる、
ともこの立ち位置の横で座り込んでしまいました。

む〜・・・動作を最適化しても普通に動けるのは5分間程度か。
ま、ウルトラマンより長いな。

目を閉じたまま15分ほどじっと座っていると、
だんだんめまいが治まって来ます。

よ、よし、落ち着いてきたぞ。動作確認だ。
ゆっくり立ち上がってみよう。
OK、次は首の動作。
右見て、左見て・・・下を・・・うぇ、上下動がダメだな。

ゴングが鳴ってコーナーから立ち上がったボクサーのように、
僕は慎重な足取りでパントリーに戻りました。

「すみません、この料理に合うワインは何ですか?」
「あ、は、はい、かしこまりました。少々お待ちを」

これはともこにパスできないんだよな。
何とかまたカラータイマーがピコピコし始める前に、
リコマンドしてサーブまで進めなくちゃ。
タイムリミットは5分だ。いくぜ!

こんな風に5分働いて15分休むという、
奇妙な僕の登場サイクルに気付かれたお客さまが、
「何かおかしい」と言っていたのですよ。

当然、忙しかった週末は、最後のお客さまを見送ると、
僕はベンチシートにダウン。
座るより横になった方が回復も早いのです。

さて、今回は金曜日に発症して土曜日がピーク、
日曜日から回復し始め、火曜日にはほぼ普通に動けるようになりました。
ということは日常生活への影響は4日間。
ここまでは分かったのですが、未だに診断はつかず、
具体的な should do と should NOT do は分かりません。
ただ思い起こすと、
2回の発症で共通していたのは直前にジョギングしていたこと。

これが原因かトリガーなのかしらん?
頭位性めまいの場合は反対に運動が推奨されているくらいなのに。
でもこうした場合は先入観を捨てて、すべての可能性を考量すべきだよな。

そこで僕は先週の金曜日から少しずつトレーニングを再開しました。
今のところ身体感覚に異常はありません。
で、今日の夕方、いよいよ発症した時と同じメニューで、
人体実験をやってみようと思います。

1回目と同じであれば、今日の夜に、
2回目と同じであれば、明日の朝、めまいが再発するはず。
そうしたら2回は偶然でも3回続けば必然です。
病気の診断もより絞り込めるでしょう。

はたして僕は明日のランチ営業に出られるか否か?

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 14:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年06月02日

サザエさんなんか嫌い

「だって、サザエさんなんか嫌いですよ!」

このところ日曜日のディナーはお客さんが減りましてね、
なんて不景気な話をしていた時、
僕と同世代の男性が唐突にそう言って来ました。

なぜだ?

サザエさんといえば、
僕らが小学生の頃から放送されている国民的なアニメーション。
その何が気に入らないのだろう?

この反射的な疑問が的を外していることに、
僕はすぐ気がつきました。
彼の発言の真意はサザエさんに対してではなく、
番組の放送時間帯のことだったのです。

それは日曜日の18時30分。
四季を通しての日暮れ時。

ああ、明日からまた仕事が始まるのか・・・

これだったのですね。

なるほど、かつてはブルーマンデーと言われていたこの感覚、
今はちょっと繰り上がってブルーレイトサンデー・・・なのか。

そういえば僕も覚えがあります。

確かにネクタイ締めて仕事に行っていた頃は、
サザエさんが始まる時間帯あたりから、
なぁ〜んか気分がブルーになってきましたっけ。
そんな時にハレの日使いのレストランには・・・行きませんよね?

む〜、不景気はこんなメンタル要因も関係していたのか。
ディープだ。

ともあれ、今の僕らはどうかと申しますと、
皆さんの日曜日に当たるのは定休日の火曜日。
じゃ、火曜日の18時30分頃の気分は・・・

フツーです。
別に外食でもOK。
はぁ〜・・・やれやれ・・・って感じはありません。

なんでだろう?
仕事はブラックそのものなんですけどね。

簡単に言ってしまうと、
たぶん『仕事が楽しいから』か『仕事で嫌な部分がほとんどない』・・・
なのかもしれないな。

もちろん会社員の頃も仕事そのものはやりがいを感じていましたよ。
でも、組織のヒエラルキーとか、根回しなんてのは苦手だったし、
人事的なすったもんだに巻き込まれたり、
手かせ足かせをはめられて、
チーム全体がルームランナーみたいになってしまうと、
さすがに日曜日の夜は外出する気分になりませんでした。

今は仕事量こそ爆発的に増えても、
足を前に出せば、何ごとも先に進みますからね。
そうした意味で自分のやっていることに虚無感や徒労感はない。

奇妙に聞こえるかもしれませんけど、
肉体的に過酷な労働条件 + 環境であるにもかかわらず、
少なくとも、ととら亭の仕事でストレスを感じることは、
あんまりないんですよ。

独立して良かったこと。
そのひとつは、サザエさんが嫌いではなくなったことかな?

あ、でも見る時間はないんですよ!
今日も18時からディナー営業ですから。

えーじ
posted by ととら at 15:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年05月30日

だから世の中うまく行く

「僕ならあの選択はあり得ないね」
「あんなの私はゴメンだわ!」

皆さん、他人の行動を見て、こんな風に言うことありません?

僕はしばしば言っています。

その相手が見ず知らずの他人だけではなく、
友人、知己、いや、家族も含めて、

「よくまぁ、あんなことをするもんだ」

と首を傾げながら。

でも、先日、ふと気付いたんですよ。
確かに、彼、彼女は、僕なら絶対やらないようなことをする。
時にはその選択の根拠が僕の想像を超えていたりもする。
だけど、だからこそ、
世の中は上手く行っているんじゃないのかな?

だってね、極端な話、みんなが僕のようになったら、
日本は、いや、世界は破滅の危機に瀕してしまうでしょう?

それはまた凡人の僕だけに当てはまることではなく、
たとえ偉人賢人と称される人たちですら、
すべての人が彼らと同じ価値観を持ち、
ある選択を迫られた時に同じ決断をするようになったら、
それこそ世界は立ち行かなくなってしまいますよ。

判断の基準になる価値観が多様だからこそ、
さまざまな選択肢が生まれ、
そしてその壮大なネットワークが個々の満足感に支えられて機能する。

僕らの世界が持つ多様性というのは自然な成り行きというより、
必然的な前提なのではないかしらん?

もちろんこれには『意見がまとまらない』という、
状況によっては悲劇すら引き起こしかねない負の側面もあります。
でも僕たちには寛容という叡智だって、
ちょっぴりだけど備わっているじゃないですか?

僕の生き方をあなたが選ばないのと同じように、
僕もまたあなたの生き方は選ばない。

そこにはどちらが優れているとか正しいとかをジャッジする、
素朴な二元論はないし、あるべきでもない。

これはもしかしたら、
人類が社会的な生き物として進化する過程で備わった、
本能レベルの特徴なのかもしれません。

だから理論に支えられた全体主義がドグマと力で民衆を統率しようとしても、
やがては自壊して行かざるを得ない運命を避けられないのでしょうね。、

なんて、カタイ話なってしまいましたが、
身近な例で言えば恋愛や結婚だってそうですよ。
かつて僕をふった女の子が何人かいましたけど、
そうではなかった子たちもいた。
彼女たちはそれぞれ自分自身の価値観に従ったまででね。

え? 最後はそういうオチか?

はい。

恋の相手も、あなたにとって絶対あり得ない相手と、
あなた以外の誰かが結び付く。

これもまた多様性が機能しているという現れのひとつでしょう。

だから世の中うまく行く。

真実というのは、身近にあるものでございます。

えーじ
posted by ととら at 12:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年05月26日

Just you and I.

この週末も家族連れのお客さまが何組かいらっしゃいました。
3人、4人、5人組・・・
その人数と続柄の組み合わせはまちまちですが、
みなさん、とても楽しそう。

いいですね。
こうした『家族の風景』というのは。

そんな場としてととら亭を使って頂けることを、
僕たちはとても嬉しく思っています。

と、パントリーから見ていて、
僕はふと、そうしたご家族に共通している、
あることに気付きました。

それは交わす目線と楽しそうな会話。

家族の中でひとりうつむいてる人がいるわけではなく、
誰かが一方的に喋っているのでもない。
それぞれのメンバーが食事と会話に参加し、
いわば食卓という空間を均等にシェアしているのです。

家族の定義とはさまざまですけど、
『みんなで日常を共有する集団』という側面は、
血縁という生物学的な事実以上に、
大きい意味を持っているような気もします。

それから、気付いたもうひとつの共通点は、
食卓に余計なものがない、ということ。

たとえ小学生のお子さんがいるご家族でも、
楽しそうな食卓には、ゲームマシン、スマートフォン、マンガ本など、
本来パーソナルなシロモノが転がっていない。

考えてみれば、それは当たり前の話で、
みんなで何かをする場に個人で楽しむ物があるのは、
不自然だと思いません?

どうしても個人的なことをしたいのであれば、
家族であれ、友人同士であれ、いや、恋人同士であっても、
その場で一緒にいる必要はない。
一緒にいる意味もない。

Just you and I.

幸せというのは、
多くの条件を満たさなければ得られないものではなく、
実は、反対に、とてもシンプルなことなんですよ。

そうじゃありません?

えーじ
posted by ととら at 15:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年05月24日

ととら流写真術

「それじゃ来月は、その料理が食べられるんですね!」

今年1〜2月に行ったトルコ・エジプト取材旅行から帰って間もなく、
こうしたお言葉を何度か頂きました。

いや、これ、今回に限ったことではなく、
旅の食堂という仕事を始めて9年余、
しばしば頂戴している定番的なご質問なのですけどね。

で、その答えもまた定番でして・・・

「いいえ、5ヵ月くらい先になります」

なんですよ。

なぜか?

料理の完全再現を目指すだけではなく、
安定供給することがいかに難しいか。
その舞台裏は今までも何度かお話してきましたけど、
それはどちらかと言うと、ともこが担当している部分。

これとは別に僕がやっていることもあります。
たとえばそのひとつが・・・

eg_shooting.jpg

え? 洗濯物を干してるのか?

違いますよ!
いや、それも別でやってますけどね。

これはメニューで使う料理の撮影。
ほら、中央下にカメラがあるでしょ?

じゃ、右手で持ってる手ぬぐいはなんだ?

ふぅ、ようやく今回の本題に来ました。
これはレフ板(のつもり)です。

メニュー撮影の良し悪しを決める最大のファクターは、光の当て方。
よく見るとお分かり頂けますように、
バウンス可能な外付けストロボを料理とは違う方向に向けているでしょう?
これはストロボを右に向け、
レフ版で反射させて料理の右側から光を当てようとしているのです。
手ぬぐいの位置で光の角度を、
光の強さは料理と手ぬぐいの距離で調節します。
ととら亭のメニューはすべてこうして撮影しているんですよ。

eg_prototype.jpg

これは先の方法で撮影した、
7月から始まるエジプト料理特集の一品。
おいしそうでしょ?

で、なんで『手ぬぐい』なんだ?

その理由はふたつ。

1.レフ板を買う予算がない。。
2.買ったところで使っていない時の置き場所もない。

とまぁ、相変わらずの、ないない尽くしでございます。
しかし、そんなことでへこたれてちゃいられません。
臨機応変はバックパッカーの身上。
柔軟な発想で、その場で使えるものを流用する。
こうして生み出したのがこの『ととら流写真術』なのです。

もともと持ち歩ける荷物が限定されているバックパッカー。
となると、『それにしか使えない』という、
融通の利かないものはあまり所有しなくなります。
これは僕らの場合、旅先だけではなく日常にも当てはまり、
こうして手ぬぐいがレフ板になったりもするのですね。

ほんと、荷物も持ち物も、できるだけ少ない方がいい。
Simple is best.

eg_tasting.jpg

で、料理撮影の最後はこれ。
撮影が終わった料理は、試食兼まかないになります。
これもまた無駄のない、一石二鳥、いや、三鳥のととら流。

と自慢げに舞台裏をご紹介しましたけど、
タネを明かせば、
乏しい懐具合を知恵と努力でカバーしているだけなんですけどね。

徹頭徹尾、
バックパッカースタイルのととら亭でございました。

えーじ
posted by ととら at 14:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年05月20日

華麗なチームプレイ

おひとりさま、カップル、友人同士、職場の仲間、そして家族。

お客さまは、さまざまな組み合わせでととら亭にご来店されます。

これは曜日によって偏りが変わり、
特に週末は3名様以上のご家族連れで、
ご来店されるお客さまの割合が増えますね。

そこでいつも思うのは、それぞれのテーブルが、
それぞれのご家庭の食卓を再現しているのではないか?

ということ。

とりわけリピーターさんはよりリラックスされているせいか、
外食用のよそ行きではなく、
素顔の家族の在りようそのものなのではないかしらん?
とさえ思えることも少なくありません。

僕はそうしたテーブルをサーブするのが大好きなんですよ。

先日はこんなことがありました。

来店されたご家族連れは6名さま。
50歳代のご両親に最近では珍しい4人の息子さんとお嬢さんたち。

4人の子供たちをこうして成人するまで育て上げるのは、
さぞ大変だっただろうな。

僕は飲み物をサーブしながらそんなことを考えていました。
たとえば食事ひとつを作るにしても、
お母さんは毎回6人分を作らなければなりません。
しかも日によっては1日に3回も!

しかし、それが杞憂に過ぎなかったと悟るのに、
あまり時間はかかりませんでした。
そう、最も単純な解決方法をそのご家族は見つけていたのです。

僕が次の料理をサーブする前に先の料理の皿を片付けに行くと、
食べ終った食器がすべからく一か所に集められていました。

ん〜? いつのまに?

そしてその疑問が驚きに変わったのは、
次の料理をサーブしに行った時です。
新しい取り皿を手前の方に渡した途端、
さながら強豪のハンドボールチームがパスを回すように、
瞬く間にそれぞれの前へ配りだしたではないですか!

き・・・、君たちはいったい何者だ?

僕は料理を置いてパントリーに戻ってから、
彼らの動きをじっと見ていました。

すると彼らは再び連携して、
あっと云う前に料理を配り終わってしまったのですよ。
しかもその動きには迷いがない。

こ・・・このファミリーは・・・ただものじゃない。

その後も誰かが指示するまでもなく、
殆ど兄弟姉妹間のアイコンタクトですべてが流れて行きます。

僕はこの華麗なフォーメーションを確認するため、
食器がまだ片付け終わっていないうちに近付いてみました。
すると何が起こったと思います?

僕に気付いた兄弟のひとりが皿を集め始めたかと思うと、
F1のタイヤ交換さながらに各メンバーがシンクロして素早く動き、
それこそ数秒でさっきのように、
食べ終った食器が一か所に集められてしまったのですよ。

驚きました。ほんとに。そしてまた納得したのです。

このご家族の両親は、
がんがん指示を出すような専制君主タイプではありません。
とりわけお母さんは物静かでおっとりした方です。
お二人の様子からは、
とても4人の子供たちを育てたという荒業は想像し難い。

しかし、それを可能にしたのが家族全体の協力だったんですね。

たぶん、彼らの阿吽の呼吸からして、
物ごころ付く前から、少しずつ学び合ってきた結果なのでしょう。

お帰りになる際、会計を済ませたお父さんを見送った僕は、
彼の職業が分かったような気がしました。

中学校か高校の先生じゃないかな?
それもなかなか強い運動部の顧問をしている。

なぜなら彼のチームは、
素晴らしいプレイをしていましたから。

えーじ
posted by ととら at 17:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年05月17日

自分の旅のために その3

火曜日

16時頃、セルフナビのタクシーで帰りついた僕は、
アパートの階段で身も心もゲームオーバー。
そこで待っていてくれたともこに処方箋を渡してダウン。

そういえば22時間以上、なにも食べていませんでした。

しかし、こんな時にも僕は意外と冷静で、
ちょっとした発見があったんですよ。

ストレッチャーの上で点滴を受けていた時、
すっかり気分が良くなると蘇ってきたのが空腹感。
帰り道にラーメンでも食べて行こうかしらん?
とマジで思ってました。

ところが起き上がってめまいと吐き気が戻ってくると、
一瞬でさっきの食欲はどこかへ行ってしまったんですね。

そう、吐き気と食欲は共存しないのです!

え? そんなどうでもいいことを病院で考えていたのか?

はい。

じゃ、話を戻して火曜日の夜。

薬を飲むには、その前に何か食べなくてはいけない。
しかし船酔い状態ではなかなかものも喉を通りません。
それでもせっかくともこが食事を用意してくれたので、
寿司を少々つまみ、薬を飲んだら朝まで気絶。

カイセリの一件を髣髴させる、なんとも長い一日でありました。

水曜日

ぐっすり眠って気分よく起床。
ところが起き上がると同時に戻ってくるのがあのしつこい船酔い。
薬のおかげで昨日ほど酷くはないものの、
仕事に戻るには程遠い状態です。

良性発作性頭位めまい症・・・か・
やれやれ、この症状のどこが『良性』なんだか、
まったくネーミングセンスを疑うよ。
マゾな人だね、きっと。
と、ボヤいたところで始まらない。
まず三半規管に入った耳石をどうやって外に出すかだな。
その方法をから考えよう。

僕は頭を揺らさないようにゆっくり起き上がり、
自分の部屋のPCを立ち上げました。

確かエプリー法っていう体操みたいなのがあったはずだ。

ユーチューブで検索すると、
分かりやすい説明が幾つもヒットしました。
僕は繰り返し見てやり方を覚え、

そうか左の三半規管に耳石が入っている場合は、
顔を左45度方向に向け、そのまま仰向けになり、
頭を水平より下に下げて30秒キープ。
次はそのまま右45度方向に向けて、同じよう30秒キープ。
最後は体ごと左側に傾けて30秒キープ。
そして上半身を起こして終了・・・か。

右の三半規管に耳石が入っている場合は、
この逆をやればいいんだな。
なんだ、簡単じゃないか。

僕は早速スマホにインターバルアプリをインストールし、
インストラクションに従ってエプリー法を試してみることにしました。

左右どっちの三半規管に問題が起こっているのかは分からない。
ってことは、取りあえず両方やっとけば間違いないってことだな。

ではインターバルアプリに時間をセットして開始。
続けて調べたセモン法やローリングマヌーバーもやってみましたが、
昨日、親切な看護師さんが教えてくれたでんぐり返しは、
アパートの襖に穴を開けそうなのでパス。

ん〜・・・どうなんだろう? 効果はあったのかな?
なんかめまいが余計にひどくなったような気もするけど。

暫く仰向けになったまま、船酔いが落ち着くのを待ち、

よし、第2ラウンド、行くぜ!

こうして再びすべての方法を試し、また休んでは試す。
こんな涙ぐましい努力で午前中が過ぎて行きました。

自分で言うのもなんですが、
この一連の行動を客観的に見ていたら、
けっこう笑えたかもしれません。
変ですから。
本人は至ってマジですけど。

あ、傑作だったのはこの病気の予防方法。
ざっと読んでみたらですね、

・運動不足にならないよう心掛ける。
 → おいおい、これ以上トレーニングやったら別の問題が起こるよ。

・長時間の側臥位を避ける(テレビを横になって見ない)
 → いいね、こういう生活を送りたいもんだ。

・骨粗鬆症の予防をする
 → 毎日牛乳を飲んでますし、ヨーグルトも食べてるよ。

・頭部打撲を避ける
 → ああ、これはともこに言っておこう!
 
とまぁ、いまさら言われても困るものばかり。

午後は少し食欲が出てきたので、ともこの差し入れの弁当を食べ、
読書と昼寝で静養していました。

え? 彼女はどうしているんだ?
そうそう、今日はともこのソロステージなんですよ。

木曜日

は〜、よく寝た。頭はすっきり。元気いっぱい。
でも起き上がったらどうだろう?
お、いいね、あんまりぐらぐらしないじゃん。
昨日の努力が実ったみたいだ。
手当たり次第に何でもやったからな。

揺れ具合は大型船でクルージングしている程度になっています。
こうなると吐き気も収まり、食欲が戻って来ました。

僕はコーヒーを温めて軽い朝食を摂り、
普段通りに読書を始めました。

窓から入って来る春の風。
お気に入りの音楽。

あ〜、こうして時間を気にせず本を読むのは本当に久し振りだ。
前は確か・・・
1月に腰部椎間板ヘルニアの痛みでダウンした時だった。
結局こんな風にならないとまともな休みにならないとは。
堅気の皆さま、個人経営の飲食店で独立することだけはやめましょう。

こうして午前中はのんびり過ごし、
午後はまた耳石の取り出し大作戦の再開です。

これ、終わった途端にぱっと効果の出るものではありませんが、
じわじわ良くなってくるところからして、
それなりの効果は期待できるのかもしれません。
事実、夕方には殆ど症状がなくなりました。

どれ、それじゃちょっと試してみるか。

僕はゆっくり、軽く筋トレを始めてみました。
2日半、部屋にこもりっぱなしだったので体がすっかり鈍っています。

お、いいね、まだ少し揺れている気がするけど、
この程度なら無視できる。

時計はそろそろととら亭の閉店時間。
今日もともこがソロでやっています。
彼女の方もだいぶ疲れてきているでしょう。

OK、じゃ、お店に行って、
リハビリがてら片付けを手伝ってみよう。

本日

今は13時40分。
お店のカウンターでキーを叩いています。
朝から体調はよく、ほぼ95パーセントくらい回復したかな?
まだ時々ふわっとした感じが残っていますが仕事に支障はないでしょう。
今日のディナーから現場に復帰します。

いや〜、今回も大変勉強になりました。
この病気は原因の具体的な特定が難しく、
いつまた再発するか分かりませんから、
最悪、医療施設のない地域を旅している時を想定して、
善後策を作って行こうと思います。

結構しんどい症状なのでネット上には悲観的な意見もありますけど、
僕はこうしたことも付き合い方だと考えているんですよ。

そう、自分自身の旅のために。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 14:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年05月16日

自分の旅のために その2

聴覚障害を伴わない急なめまい。
そしてそれは横になると数分以内に消失する。

僕は数年前に、
知人がほぼ同じ症状で苦しんでいたことを思い出しました。

「検索してほしいキーワードはね、『良性発作性頭位めまい症』だよ」

めまいというと、
安静にしていても症状が治まり難いメニエール病が知られていますが、
これには聴覚障害も伴うため、僕の症状とは一致しません。
となると、残りはあれしかない・・・?

「えーじ! 大変だよ! 脳卒中の場合もあるって書いてあるよ!」

こ、怖いことを言うね。

「じゃ、とにかく病院に行かなくちゃ」
「でも歩ける?」
「ん〜・・・今日、別件で行くY病院は内科もあったな。
 でもいつもみたいに自転車に乗るわけにはいかないし、
 バスで行くには歩く距離が長すぎる。
 かと言って救急車を呼ぶほどじゃないしなぁ・・・」
「じゃ、タクシーを呼ぼうか?」
「そうしよう」

しかし電話をかけた数社の配車センターからは、
いずれも出払っていますとのつれない回答。
ようやく5件目くらいで、
15分後に1台回してもらえることとなりました。

そして10分ほどで電話が鳴り、

「えーじ、来たって!」

ところがふらふらしながら外に出るとタクシーがいません。

「どこいっちゃったんだろう? あたし探してくる!」
「待った! 僕が見つからなければまた電話してくるはずだよ。
 ともこはそのまま部屋にいて」
 
5分ほどすると、案の定、電話が鳴り、
迷っていたタクシーがやってきました。

「それじゃ行ってくる。容態が分かったらメールするよ」
「気を付けて!」

「こんにちは。新井1丁目のY病院までお願いします」
「そ、そ、そこまでの道を教えてもらえますか?」

ドライバーは40歳代の男性。
どうしたわけか非常におどおどした様子です。

「では住所を言いますからカーナビに入力して下さい」

「こ、これでいいでしょうか?」

む〜・・・なんでそんな遠回りするの?
仕方ない。自分でナビやるしかないか。

「それでは僕の言うとおりに走ってください。
 まず道なりに右折してT字路に当たったら左折します」

うげぇ〜、よけいに気持ち悪くなってきた!
やっぱり救急車を呼べばよかったかな?

いつも自転車で行く道ですから大した距離ではないのですが、
つっかえつっかえのハンドルさばきのおかげで、
僕は素人が羽生君の、
5回転ジャンプをまねたような状態になってしまいました。

ようやく料金を払ってタクシーを降りると、
病院の入り口がムンクの絵のように見えます。

お、おっとっとっと・・・

何とかまっすぐ歩こうとするものの、
傍から見たらバッテリーが切れかけたC3−POみたいだったでしょう。

「こんにちは。
 今日は整形外科でMRIの結果を聞きに来たのですけど、
 その前に内科で診てもらいたいのですよ。
 めまいがひどくて吐き気もあって」
「吐き気ですか? それではまず検温をして下さい」

む〜・・・あんまり関係ないと思うんだけど、
ま、そういう手続きなんだろうね。

「35.8度です」
「ではそちらでお待ちください」

と言われて待つこと30分。

やれやれ、今日は天気が良くないのにけっこう混んでるなぁ。
うげぇ〜、頭を動かすと吐き気が倍増する。
じっとしていなくちゃ。
と言っても、この姿勢じゃ難しいんだよな。

そこで通りかかった看護師さんに、

「すみません。
 めまいがひどいんで横になって待っていてもいいですか?」
「え? ちょっと待ってて下さい!」

するとすぐ僕の名前が呼ばれました。
別にそういう意味じゃなかったんだけど、
横入りになっちゃったかな?
すみません、待っているみなさん。

担当は50歳前後の男性のドクター。
僕がこれまでの状況を話すとすぐ看護師さんに、
てきぱき血圧と心電図を撮る指示を出しました。

はぁ〜、これでバトンタッチだ。
あとはお客さん気分で言われるがままにしていれば、
前に進むだろう。

血圧と心電図には異常なし。
次は頭部のCTスキャンです。
で、おっかないその結果は?

「脳に異常はありませんね」

OK、最近の物忘れのひどさも器質的な問題じゃなかったのね。

「血管も詰まっていません」
「ではどうなのでしょう?」
「耳も聞こえているので・・・」
「良性発作性頭位めまい症?」
「ん〜、その可能性が考えられますがまだ断定はできません。
 まず、めまいを軽減する薬を入れた点滴を打ちましょう」
「ありがとうございます。
 それから今日は別件で整形外科に行かなければならないんですが」
「それじゃ整形の先生に伝えておきますよ」

不思議なもので横になっていると、
この短時間の間でも症状が消失しています。

僕はストレッチャーに乗せられて、
空いている緊急処置室へ運び込まれました。

ああ、ここには見覚えがあるぞ。
去年の8月に腰部椎間板ヘルニアで救急搬送された部屋じゃないか。
まさかこんな形でまたここに来るとはね。

点滴が始まって間もなく整形外科の先生が現れ、

「あらあら、今日はめまい?」
「ええ、何かと忙しいんですよ」
「で、こっちは左ひざの件ね。
 やっぱり右の半月板が損傷しているわ。
 ここはあらためて削るかどうかの判断をしましょう」
 
OK、こっちは的が絞れたぜ。
めまいをどうにかしたら次を考えよう。

ドクターが退出すると部屋の照明を消してくれたので、
僕はいつしか眠ってしまいました。
そして点滴が終わるころ40歳前後の看護師さん現れ、

「どうですか? 起きれそう?」
「どうだろう? 寝ていれば何ともないんですけどね」
「それではゆっくり起きてみて下さい。無理しないで」

来たときは嵐のタイタニック号に乗っているような状態でしたが、
薬が効いたのか、今はやや穏やかな海を航行中です。

「つらかったでしょう? このまま帰れますか?」
「ん〜・・・なんとかゆっくり歩けば帰れると思います」
「めまいがひどいなら動かない方がいいですよ」

彼女が同情に満ちた眼差しで僕を見ています。

「もしかして経験者?」

彼女はその質問に苦笑いをもって応えてきました。

「では教えてください。
 この病気でやるべきことと、
 やるべきではないこととは何でしょう?」
「そうですね、個人差があると思いますが、
 ストレスを溜めないことが大切だと思います。
 といっても今の社会では難しいでしょうけどね」
「いろいろな体操がありましたよね?」
「エプリー法とか?
 ああ、わたしもでんぐり返しだってやりましたよ」
「それで?」
「ん〜、さっと治ったわけではありませんでしたね」
「分かりました。僕もいろいろ試してみますよ。
 いろいろアドバイスありがとうございました」

何度もいろいろなところの医療機関でお世話になっていて、
僕が都度感じていることがあります。
それは医療関係者に必要なのは、医学的な知識だけではなく、
彼女のように、自ら苦しんだ患者としての経験なのではないか?
その有無が医療行為だけではなく、
会話の一つにも如実に表れているような気がするんですよ。

そしてもうひとつは、医療関係者の仕事に関する患者側の理解。
今回、僕が点滴を受けていた緊急処置室は整形外科の隣でした。
おのずとあちらの声は聴き耳を立てるまでもなく、
はっきりと聞こえてきます。
僕の心を打ったのは、
午前中だけで30名を超える患者を診続けたドクターが、
患者の入れ替わりの合間に漏らした2回の大きなため息。
それは僕に接する時のクールで気丈な彼女からは、
想像しにくい響きを持っていたのです。

日本ではドクターに限らず、
医療介護従事者の数が圧倒的に不足しています。
そうした高度で忍耐力を求められるサービスを必要とする
高齢化が進む現在、これは未来の話ではなく、
本当に、今ここにある深刻な問題なんですよね。

なんて感慨にふけっている場合じゃなかった!
うちに帰らなくちゃ!

会計を済ませた僕を見るスタッフさんたちは、
おしなべて心配そうな面持ちです。

「無理していま帰らなくてもいいんですよ。
 もう少し休んでいかれてはどうですか?」

この病院は事務方さんも親切なんですよね。
しかしそんなお言葉に甘えてばかりはいられません。
外に出ればタクシーの1台くらい通りかかるでしょう。
そこで出てみるとちょうど走ってくる空車が。

お、ラッキー!

で乗り込み「野方5丁目の大和幼稚園の近くまで」と言ったら、

「そ、そこまでどうやって行ったらいいでしょう?」

がちょ〜ん・・・ま、またですか・・・

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 14:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記