2025年12月09日

第27回取材旅行 その26

タブリーズから始まり、テヘランで取材を終えた僕らは、
昨日の午前中、東部の街、マシュハドに着きました。
これでイランの北部を西から東へ横断したことになります。

とにかく情報が少ない国なので、
毎回「しばらく音信不通になるかも・・・」と結んでいますが、
とりあえずマシュハドまでは何とかなったようですね。

メディアが伝える一部の情報が拡大解釈され、
「圧政に牛耳られた好戦的なイスラム国家」という、
ステレオタイプのイメージが定着してしまったイラン。
しかし、一歩足を踏み入れれば、
それが現実と一致していないことが、すぐにわかる気がします。

とはいえ気を使わねばならないのは、イランは「戦時国」であるという事情。
イスラエルとは「停戦」したもの、パレスチナを見れば明らかなように、
この言葉は絵に描いた餅なんですよ。
街行く人の表情から緊張感こそ読み取れませんが、
モサドの暗躍を警戒する当局は、かなり神経質になっているはずです。

そこで注意すべきは、スパイと勘違いされるような行動をしないこと。
いつもなら到着したときに駅やバスターミナルで写真を撮りますが、
交通インフラは兵力の移動を測る情報にもなるので、
見つかったが最後、洒落にならないことが起こるでしょう。
国境も含め、他にもそうしたレッドゾーンがそこかしこにあります。

現地に不慣れな旅人が困るのは、
そうした場所に必ずしも「撮影厳禁」という表示がないこと。
そこで一番無難な対策が、「周囲の人がやっていないことはやらない」です。
また、撮影が問題ないと思われる場所でも、
一眼レフでバシバシ撮るのは目立ちすぎでしょう。
そんなこんなで、イランでは写真の撮影枚数がぐんと減りました。

なぁんて話をしつつ、先日テヘランで地下鉄に乗った際、
考えられないような事件が発生。

「お、珍しいな」

僕らの斜前に東洋系と思しき20歳代のカップルが座っています。
中華系か? それとも韓国系か? 少なくとも日本人ではなさそうです。
ふたりは仲良く1台のスマホに目を落とし、なにやらひそひそおしゃべり中。

数分経った後、再びふと視線を向けると、
ちょうど顔を上げた二人と目が合いました。
双方ともににっこり。
だったのですが、ここで唐突に、
彼女がスマホのディスプレイをこちらに向けたじゃないですか。

・・・?

そこには何やら動画が再生中。

・・・? 何を見せようとしてるんだ?
あ、ああ、そうね、そこに映ってるのは・・・オレだ、オレだよ。
うん、オレ。

え? なんでオレが映ってんの!

わが目を疑うとはまさにこのことです。
僕は状況が理解できず、一瞬頭がハングしてしまいました。
なぜならディスプレイに映っているのは対面に座っている僕らではなく、
どこか別のところで撮られた僕らの動画なのです。
それもかつてテレビやユーチューブで収録されてものではありません。
つい最近の恰好をしていますから。

な、なんだありゃ?
あの動画のオレは何をやってんの?
いや、ともこまで映ってる!
あ、ああ、あれはまさか!

ともこの登場シーンで、
僕らはそれがいつどこで撮られたものかがわかりました。
あれはタブリーズの市場で取材中、
いきなりローカルの若い女性二人から声をかけられたのですよ。
それも早口のペルシャ語で。
見ればひとりの子が一眼レフカメラを、もうひとりはなぜか花束を持っています。

「あ、ああシャッターを押して欲しいんだね?」

しかしカメラを僕に渡そうとせず、しきりに何かを訴えてきます。

「ん? 違うの? そうか、僕らと一緒に写真が撮りたい?
 え? それも違う? ん〜・・・わからん、何を言っているんだろう?」

そこへ取材で入ったレストランの英語を話すスタッフが現れました。

「やぁ、ちょうど良かった! 彼女たちが何を言っているか通訳してくれる?」
「ええ、いいですよ」

そこでローカル同士が話を始め・・・

「彼女たちはあなたがたお二人を撮りたいそうです」
「僕らを? あ、そうだったのか。僕らをねぇ・・・まぁ、いいですよ」

するとまた話が始まり、

「では奥さまは、この花束を持ってください」
「え? あたし? これを持つの?」
「いや、違います。彼女(カメラを持っていない方)が花束を渡しますので、
 それを受け取ってください」
「はぁ・・・」
「ん? 動画を撮ろうとしているのかい?」
「よくわかりません」と通訳さん。
「なんだかテレビの収録みたいだな。まぁいいや。じゃ、キューを出して」
「ご主人はちょっと後ろに下がってください」
「はいはい」
「じゃ行きますよ」

ここでともこに花束が渡され、アドリブでお礼を言っています。

「では次です」
「ほぇ、まだなんかやるの?」
「今度は二人で並んでください」
「こう?」と僕ら。
「そう、奥さまは花束を持って。もうちょっと上に。そうそう。
 で、ご主人は体をもっと斜めに。手はパンツのポケットに入れて」
「こう?」とふたたび僕ら。
「あ、いいそうです。では撮ります」

今度は静止画で数カット撮られ、

「メルシー、メルシー(どうもありがとう!)」

で解放されたのです。

「何だったんだろう? 今の?」
「わからないな。外国人の僕らは確かに珍しいけど、
 なんてったってこの歳だ。フォトジェニックにはほど遠いよ」
「それはえーじの場合でしょ!」
「年齢からしても、あの子たちなら孫にだってなりうる」
「それもえーじの場合!」
「おいおい、一方的にひどいこというなぁ」
「う〜ん、でも確かに謎ね。
 大きなカメラだけじゃなくて小道具まで持ってたし。
 花束はくれるのかと思ったら持って行かれちゃった」

そう、その花束で、僕らは動画の撮影場所がわかったのです。

「ということは、タブリーズのあの子たちが動画をアップして、
 それをテヘランの地下鉄で対面に座ったふたりが見て、
 偶然その前にあたしたちが座ってたってこと?」
「む〜・・・そうなる・・・かな? 確率はめちゃ低いけど」

ほんと、摩訶不思議な事件でございました。

さて、明日からイランより、さらにガチな某国へ向かいます。
今度こそ本当に1週間ほど音信不通になるかも。
ま、ブログは休みでも、
またどこかで撮られた動画が流れてわかるかな?
ひゃあ〜。

to be continued...

えーじ

tabrizgirls_ir.jpg
謎の撮影ガールズ 有名人なのかしらん?
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2025年12月07日

第27回取材旅行 その25

今日のテヘランは晴れ。
中東とはいえ、標高が1105メートルありますから、
最低気温が6度、最高は15度と朝晩少し寒いくらいです。
あ、わかってますよ、そんなことより皆さんが一番気になっているのは、

大丈夫か?

ですよね?
それはもちろん、僕らも出発前のルート選定時からずっと気になるところでした。
とりわけ、「さぁ、もうすぐ出発だ」となった今年の春ごろ、
イスラエルとミサイルの撃ち合いになりましたしね。
で、結論を申し上げますと、

大丈夫です。

あくまでも僕らが移動した範囲に限っての話ですが、
治安上「なんかおっかねぇな・・・」と不安を感じたことは一度もありません。
強いて言えば最大の脅威は自動車とバイク。
少なくともテヘランでハンドルを握る気にはなれないな。
でも、ヨーロッパのように電動キックボードが歩道を爆走していない分、
安心して歩けると思います。
もちろんバイクはどこでもお構いなしで走ってきますが、音がしますからね。

取材を始めて驚いたのは経済です。
バザールに行くとモノが溢れ、狭い路地はお客さんで溢れているじゃないですか。
40年以上に渡って経済制裁を受けている国とは思えないくらい。
確かに商品の質はお世辞にもいいとはいえません。
しかし、同じ境遇のキューバに比べると、あきらかにものがある。

そして最大の特徴は、バザールの光景がさながら昭和の日本を彷彿させる点です。
そう、僕が子供のころはまだ大手資本や外資に市場が牛耳られておらず、
商店街には元気な個人経営の店が軒を並べていました。
また、「買い替え」「使い捨て」ではなく、
「直して使う」手わざ職人の文化が色濃く残っていたものです。

たとえば自転車。
僕が小学生の頃は、当時の価格で5万円前後はしていましたから、
とうぜん、とても高価な買い物です。
そこで日頃の手入れもさることながら、壊れたら直すのが当たり前。
それが現在の価格で1万円を切る商品が普及し始めたとたん、
簡単に乗り捨てられるようになってしまったでしょう?

タブリーズやテヘランのバザールにはバイクから家電品まで、
さまざまな修理屋がたくさんあります。
だから街中に新品は見当たらなくても、使い込まれた製品が溢れている。
そう、ものを大切にする文化が、まだ残っているのですよ。

「やぁ、どこから来ました?」

食材より、そんな光景に感心しながら歩いていたとき、
後ろから、たどたどしい英語で声をかけられました。
振り返ると、そこには小柄な初老の男性が柔和な笑みを浮かべています。

「日本からですよ」
「やぁ、そうですか、イランへようこそ!
 私はすぐそばで店をやっておりまして。お茶でもいかがですか?」

僕らはすかさず警戒モードに入りました。
こういうケースはたいてい物売りです。
場所がら高価なペルシャ絨毯のセールスでしょう。

「いや、お誘いはありがたいのですが先を急いでいるもので」
「お時間はとらせません、
 すぐそこなんですよ、ぜひお見せしたいものがあるのです」

ほぉ〜ら、始まった。

「本当にすみませんが、行かなければならないところがあるのです」
「ではここで、小さなお願いがあるのです、
 すぐに戻ります、ちょっと待っててください!」

ふぅ、やれやれ。

こんな僕らでも異国の地では「日本代表」。
物売りが相手とはいえ失敬な態度はとるべきではありません。
そこで待つこと数十秒。男性は急いで戻ってきました。
手にしているのは一冊の使い込まれたノート。

「これにメッセージを書いていただきたいのです」

・・・?
ノートを開くと、そこにはさまざまな言語でメッセージが書かれているではないですか。
ほんの2日前には日本語のものまである。
ざっと内容に目を通した限り、彼は怪しい人ではなさそうです。

「ああ、では書きましょう」
「ならばここではなんですから、私の店へどうぞ」

彼の店は、本当にすぐ近くでした。
2坪ほどの小さな店の正面には使い込まれたミシンが数台並べられています。
そしてカウンターの壁には、これまた年季の入った工具がずらり。

「修理がお仕事なのですね」
「ええ、そうです。なんでも直します。でもどこかで習ったわけではありません。
 技術も、ペルシャ語の読み書きも、こうして話している英語も、
 10歳のころから少しずつ独学で身につけました」
「それはすごい」
「しかし、私の生きがいはこれです」

彼が指差したのは工具の棚の下にある中くらいの箱。
その中には僕らが手渡されたものと同じようなノートが何冊も入っていました。

「たくさんの人と出会い、話をして、メッセージを頂く。
 私はここで、とても幸せなのです」

僕らはだんだん警戒モードに入っていた自分が恥ずかしくなってきました。

「数えきれないくらいの人々と出会ったのですね。それは素晴らしい」
「私はアリといいます」

彼はメッセージを書くともこを満足そうに眺めています。

「では僕からもお願いしていいですか?」
「なんでしょう?」
「僕のノートにアリさんのメッセージを書いていただけませんか?」
「もちろん、喜んで!」

彼はペルシャ語(文字はアラビア文字)で右から左へ向かって、
丁寧に書き始めました。

「あなたたちのお名前は?」
「僕はえーじ、ワイフはともこです」
「ではえーじとともこの幸せを祈って、と書きましょう。
 あなたたちが幸せであれば、私もまた幸せだからです」

遠く離れた中東の街。
昭和の香りがする小さな修理屋。
そして、令和の日本人が忘れてしまった心をもつ人。

僕らはまるで過去にタイムスリップしたような気持になって、
アリに別れを告げました。

さて、今はイラン時間18時30分。
僕らは24時発の夜行列車で東部の街、マシュハドに移動します。
通信環境が不安定で、また音信不通になるかもしれません。
しかし10日もすれば、たぶんネットに入れるところまで行けるでしょう。
心配しないでくださいね。

to be continued...

えーじ

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Thanks Ali.
posted by ととら at 00:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2025年12月05日

「自由な旅のレシピ」最終回がアップ!

今年の2月から「かもめの本棚Online」で連載中のエッセイ、
「自由な旅のレシピ」がフィナーレを迎えました。

最終回「自由な旅人になって」

振り返ると、この仕事のオファーを頂いたのは、去年の長い旅の途上。
たしか第1回の「旅の扉を開ける鍵」を書いたのが、
モルドバの首都、キシナウだったと思います。
そして東京で書き続け、
ときにはブルネイで第8回「おいしい料理にありつくこつ」を執筆し、
最終回は北マケドニアのスコピエで結んだのです。
そう、まさにこの作品は、僕らの旅そのものでありました。

しかし、いつも結びでいいますように、ひとつの旅の終わりは次の旅の始まり。
実際、最終回の本文のとおり、僕らはいまイランのテヘランに滞在し、
中央アジアへのルートを模索しています。
どこまで行けるかわかりませんが、
地平の果て、心の彼方を目指し、旅を続けましょう。

最後になりましたが、
「世界まるごとギョーザの旅」以前から、
懲りずにお付き合いいただいている村尾編集長、
そして今回、
ともすれば脱線しがちな僕をいつも正しいルートに導いてくれた尾高編集に、
心からお礼申し上げます。

ありがとうございました!

久保えーじ
posted by ととら at 15:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年12月03日

第27回取材旅行 その24

سلام!(サラーム(こんにちは!)
僕らは今、イランの首都テヘランに滞在しています。

ユーラシア大陸を横断するにあたり、
コーカサス地方からどういうルートで東へ向かうか?
カスピ海を前にして選択肢は3つ。
陸路は北へ進むロシアルートと南へ進むイランルート。
あとは空路で中央アジアへジャンプ。
そこでいかにリスクを回避しながら取材を行うか、ぎりぎりまで検討した結果、
つい先日、外務省が危険レベルを下げたイランルートに決定しました。

ところがこのルート、情報が少ない上に、その内容の確度もビミョーでして。
国境で門前払いの最悪シナリオもカードに入れつつ、
まずエレバンでタブリーズ行きのバスチケットを手配したのです。

越えるのはアルメニア南部と接するノルドゥズ国境。
イランと言えばサウジアラビアと双璧をなすガチなイスラム国家です。
強権政治の有無を言わさぬ統治の噂は以前からかなり耳にしています。
そこで陸路でも15日以内の滞在期間ならVISAなしで入国できるか、
在日イラン大使館に照会し、タブリーズのホテルの予約書を用意、
事前に入手が困難なイランレアルもゲットし、
さらにともこはドレスコード対応用スカーフを購入。
通信は検閲回避に使うVPNを実装し、
スマホにはイラン用のe-SIMをインストール。
イミグレでの想定問答も暗記して、いざ国境へ!

で、夜のノルドゥズで待っていたのは、
強面のインスペクターによる、ともこの服装のダメ出し、執拗な質問攻め、
厳密な荷物のチェック・・・

ではありませんでした。

まず、アルメニアの出国。
入国の時と同じシナリオで吹きさらしの戸外ブースに並ぶと、
インスペクターは笑顔で「トモコ?」と聞いただけ。
そして次はにっこり笑って「バイバイ!」

あ、そうね、バイバイ・・・ね。

やや拍子抜けした僕らは暗い橋を500メートルほどとぼとぼ渡り、
とりあえず明かりのついている小さなブースへ。
なかにはうら若い女性のインスペクターがひとりだけ。
ここからは完全にアドリブです。

「サラーム、パスポートコントロールですか?」

彼女はにっこり笑みを浮かべ、

「ここはご婦人だけですよ」

ともこがパスポートを出し、

「スカーフを巻いてくださいね」
「あっ、ちょっと待ってください!」

彼女が慌てて新品のスカーフを巻くと、

「うん、キュートよ!」

これだけで次へ。どうやら女性のドレスコードチェックだけのよう。
なんだか校門前の風紀の先生みたいですね。
で、大型トレーラーが雑然と並ぶ埃っぽい工事現場のようなところを抜け、
きょろきょろしながら先へ進むと、トラックの間から現れた軍服の男性が、
「あっちだよ」と前方左側の建物を指差しています。

なるほど中はパスポートコントロールでした。
さぁ、いよいよ本番だ! と気合を入れてブースへ。
ともこはシナリオどおりパスポートを提示し、にっこり笑って「サラーム!」。
さぁ、インスペクターはどう出るか?

30歳くらいの人の良さそうな男性インスペクターは、
「あ、はいはい、サラーム・・・で、日本人ね、えっと・・・ビザは・・・」
ここで僕が入り、
「滞在日数は15日以内なので、日本人はビザなしでいいですよね?」
「あ、そうそう、そうでした」

あとは写真を撮り、入国スタンプを握って、
「押す?」
ともこが僕を振り返り、目線で「どうするんだっけ?」
僕が勘違いして「いいよ」サインを送ったら、
驚いたインスペクターが「え? 押しちゃっていいの?」と再確認。
「え、あ、いや、スタンプは押さないで下さい!」

そう、イランの入国スタンプがあると、イスラエルはともかくとして、
EUを含む一部の欧米諸国に入国できなくなる恐れがあるんですよ。
インスペクターは気を使ってくれたわけですね。(いい人でした)
次の荷物検査もバックパックをX線検査装置に入れましたが、
税関職員は画面を見ておらず、同僚と何やら楽しそうに談笑中。

こんな調子で両国の出入国でかかった時間はほんの30分ほど。
僕らはあっけなくアルメニアを抜けてイランに入国したのでありました。

実はこのノリ、国際バスチケットを買ったイラン人経営の旅行代理店や、
(ここで50ユーロ分のイランリアルをゲットしたのですよ)
ほぼイラン人が乗客の国際バスの中でも感じていましたが、
メディアが伝えるイラン人の印象とは裏腹に、
彼、彼女たちはとてもフレンドリーなのですよ。
それも民間人だけではなく、制服組も含めてね。

想定どおりだったのはインターネットとATM、
クレカのような電気技がほとんど使えないこと。
決済は完全にキャッシュのみ。しかもこれが実にわかり難い。
為替が銀行系と実勢系の2種類あり、双方は4倍以上の差があります。
変動も激しく、朝と夕方で10パーセント以上も上下するのは当たり前。
さらに通貨単位が貨幣で使われるリアルと口頭で使われる一桁少ないトマンがあり、
紙幣の桁数は最低でも10,000リアル。
コーヒー1杯が1,250,000リアルというハイパーインフレーション状態です。

exchange_ir.jpg
100米ドルを両替するとこうなります 人生ゲームのお金を思い出しました

ダメ押しの表示がアラビア文字。
(僕らはとりあえず1から10までは覚えました)
おカネのやり取りは本当に疲れます。

そして懸案のインターネット。
中国同様の厳しい検閲があると聞いていましたが、
タブリーズ滞在中はGoogle、Whatupのみならず、LINEですら使えるじゃないですか。
ところがテヘランに移動したらトラフィックがひどいだけではなく、
(道路のトラフィックもほぼカオス)
かなめのVPNがブロックされているは、ブログや一部のサイトが表示できないはの、
さまざまな問題が続発し始めたのです。

こりゃ当分ブログのアップデートはできないな・・・
と半場投げ出しかけましたが、ご存じ僕は「諦めの悪い男」。
いろいろ試した結果、バックドアを発見。キーはe-SIMのチェックの甘さです。
スマホのWi-Fiを切ってe-SIM経由でVPN接続を確立し、PCとUSBテザリングで接続。
この方法を使い、そこかしこに仕掛けられたブロックを回避できました。
ま、スピードは落ちますから写真をいくつもアップするのは無理ですけどね。

さて、イランは僕たちも初めてです。
入国してまだほんの4日間ですが、実にいろいろなサプライズと出会いがありました。
どこからお話すればいいものやら・・・それが目下の悩みです。

to be continued...

えーじ

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この旅も折り返しましたが元気です!
(グレー柄のスカーフはエレバンで約1,200円でゲット)
posted by ととら at 23:44| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2025年11月29日

第27回取材旅行 その23

日本を出発して67日目。旅の折り返しとなりました。

そこで偶然か、寝しなに読んでいた本もちょうど昨日の夜で読了。
タイトルはジャック・ケルアックの「オン・ザ・ロード」です。
今回はこの他、J・D・サリンジャーやパウロ・コエーリョなど、
青春時代に読んでいた本を読み返しているのですよ。
40年も経つと感じ方がだいぶ変わりますからね。

なかでも「オン・ザ・ロード」は僕のような古い旅人にとって、
バイブルのような存在。
バックパッカーはおろかヒッピーという言葉すらまだ生まれていなかった、
1950年代後半に書かれた本です。(僕もまた生まれてない)
もはや古典の域に入った作品なのですが、
半世紀以上を経てなお古びていないのは、
そのスピリッツが普遍的なものだからでしょうか。

初めてこの本を読んだ頃に比べると、スローラーナーな僕ですら、
ずいぶん後先のことを考えるようになりました。
しかし、50歳も過ぎて鏡に映っていたのは、
後先しか考えていない自分だったのですよ。
そう、そこには肝心の「今」がない。

これは大変ショックでした。
なぜなら若造のころの僕の定番フレーズは、

「人生はマラソンじゃねぇ。100メートルダッシュだ!」

だったのですから。
つまり、明日があるのを前提にちんたら生きるのではなく、
日々全力で駆け抜ける。
これを繰り返してある日、完全に燃え尽きて死ぬのさ。
こんなことを本気で言っていたのですよ。

ところが分別がつき始めると同時に、
明日を気に病み、昨日を悔やみ、
考え込んでいることがやたらと増えてしまいました。
いちばん大切な目の前のことにフォーカスできずにね。

しかし、旅に出たときは、あの頃に戻ることができるのです。
ととら亭にいると常にタスクリストが頭の中にあり、
これをやったらあれ、あれを片付けたらそれ、それを仕上げたら・・・
という無限ループにはまっていますからね。
ところが、こうして旅先にいたら、柴又での仕事はやりたくてもできません。
それが幸いして、かつてのように「今、ここ」に集中できる。

「オン・ザ・ロード」の登場人物たちはそれぞれ非常に個性的ですが、
(何といっても主人公サル・パラダイスのモデルがケルアック本人ですし、
他はギンスバーグやバロウズですからねぇ・・・)
共通しているのは「今しか生きられない」という愚直な不器用さ。
ディーンなんて若かりし頃の僕そっくりじゃないですか。
ほんと、読んでいて40年くらい過去に戻ったような気がしました。

さて、ベッドタイムストーリーだけではなく、
現実もまた原点に戻ろうとしています。
明日は午前中にエレバンを出発し、未経験の世界へ踏み出します。
事前にかなり調べたつもりですが、最後は行ってみなければわかりません。
そこでもしかしたら、2週間くらい音信不通になるかも・・・
しかし、心配しないでくださいね。
出たところ勝負は僕らの十八番。
電気仕掛けがなかったころの原点に戻り、どうにか切り抜けますから。

to be continued...

えーじ

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廃墟になった子供鉄道の駅で
posted by ととら at 05:04| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2025年11月27日

第27回取材旅行 その22

僕らは一昨日の午前中、
12人乗りのマルシュルートカで首都のエレバンに移動しました。

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エレバン駅脇のバスターミナルに到着

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社会主義デザインの駅は威風堂々としたものですが
肝心の鉄道は細々としか運行していません

この街はトビリシやバクーと同じく11年ぶり。
共和国広場は何も変わっておらず、懐かしかったです。
天気は晴れ。気温は最低がマイナス2度で最高が7度。
東京の1月くらいの気候でしょうか。

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エレバンの中心 ピンク色の石造りが美しい共和国広場

アルメニアは北海道の約1/3くらいの面積に、
京都府の人口よりちょっと多い約280万人の国民が暮らす小さな内陸国ですが、
エレバンはさすがに都会ですね。
一昨日までいたギュムリとは規模も雰囲気もだいぶ違います。

armenianplatou_am.jpg
都市間には標高1500メートルを超えるこうした風景が広がっています

物価はジョージアに近く、東京のおおむね1/3くらいかな?
輸入品はそれなりの値段になりますけど、
国産品なら、円安の今でさえ割安に感じます。
経済的な面ではバルカンから東は出費がかなり下がりました。
去年の西ヨーロッパはインフレがひどくて泣けましたからね。

armenianmarket_am.jpg
日用品が揃うエレバンのアルメニアンマーケット
経済指標より物価が一目で分かります

コーカサスの国々を旅していて物価以上に驚かされるのは、
その文化的多様性。たとえば日本に置き換えると、
青森から名古屋までの地域は、3つの異なる言語圏に分かれており、
それぞれの文字もまったく違う。で、共通語が日本語、だとしたら?
つまり東北や中部の人がととら亭に来ると、
僕とともこが共通語を使わない限り何を話しているのかわからないし、
メニューも読めない。すごいでしょ?

さらに人種構成も複雑です。
社会主義は原則差別を禁止していましたから、
崩壊後の今でもその思想的レガシーが残っています。
先日、グバのエピソードで触れた赤町ほど大きくはありませんが、
そこかしこにユダヤ人のコミュニティ−があるのは、
街中で見かけるシナゴーグやダビデの星でわかりますし。
そうした意味では同じ旧社会主義圏でも、
民族対立が先鋭化したバルカン半島とかなり違いますね。

synagog_ge.jpg
トビリシのメイダン広場近くにあるシナゴーグ(左側の茶色の建物)
前にはダビデの星をあしらったハヌッキーヤが建てられています

ポピュリズムが世界的に蔓延しつつある昨今、
民族主義者が自国第一主義を鼻息荒く喧伝していますが、
コーカサスのような地域を旅していると、
そうした人々は何をもって自国民を定義しているのか、
首を傾げたくなることがあります。

つい数日前、ホテルで朝食を食べていたときに相席したのは、
モスクワに住むウクライナ系ロシア人のご夫婦。
エレバンにいる息子さんを訪ねた序にギュムリまで来たそうです。
出身を聞いたときから、当たり障りのない話題に舵を切っていたのですが、
彼は聞いてくれ、とばかりに、
なぜ息子がエレバンにいるのかを語り出しました。
その理由はいわずもがなウクライナ紛争。
もし息子さんがそのままモスクワに留まっていたら、
戦場に駆り出された可能性は高かったでしょう。
そしてそれは本人の命の問題だけではなく、
彼が武器を向けるのは国籍の違う自民族なのです。
僕はかけるべき言葉が見つからず、
ただ黙って彼の言葉に耳を傾けていました。

もともとソビエト連邦の一部分だったコーカサス地方には、
今でも多くのロシア人が訪れ、また住んでもいます。
ステパンツミンダからの戻りのバンでは、
僕らと話すとき以外、ジョージア人のドライバーが話していたのはロシア語。
わかってはいましたが、隣席の男性に「どちらから?」と聞いたとき、
彼はちょっと間をおいてから「ロシアです」と答えたのです。

この「微妙な間」は、
2年前のオーストラリア横断中に出会った女性にもみられたものです。
何より彼女は僕の質問に「シベリアから来ました」と答えましたけどね。
彼、彼女は知っているのですよ、祖国が何をしており、
多くの西側の国々がそれをどう見ているのかを。
だからこそ、バンで一緒だった男性が補助シートを倒すの手伝ってくれた際、
僕が「スパシーバ(ありがとう)」とロシア語でお礼を言ったら、
驚くと同時にそれまで見せていなかった笑顔になったのでしょう。
続けて、

「僕はあなたの国に行ったことがあるのですよ。
 サンクトペテルブルグだけですけどね」
「ああ、そうだったんですか!」
「ぜひまた行きたいと思ってますよ。だからその日が来るのを待っているのです」

言外の意味を汲んだであろう彼は少し悲しげな笑顔で応えてくれました。
コーカサスには戦争を避けて国を出たロシア人が少なくないそうです。
そして中には単純に観光で来ている人もいます。
こうした複雑な事情は。
「ロシア人」という一言で彼らをくくれない現実を現していました。

アルメニアもまた、
内容こそ違いますが、複雑な苦境に置かれている点は同じです。
2023年9月、
ナゴルノカラバフの領有権をめぐるアゼルバイジャンとの戦いに破れ、
CSTO(集団安全保障条約機構)に加盟しながらも守ってくれなかった、
ロシアへの恨みを募らせつつも、
エネルギーや食糧供給の依存度の高さから縁を切れず、
トルコとの因縁の対決も勝てる見込みはまったくなし。
これぞ絵にかいたような四面楚歌なんですよ。

しかし、クリスマスを前にデコレーションの進む共和国広場を見ていると、
人々の間に残るかすかな希望が感じられたような気がしました。
それはまるで、
薄氷の上を渡りつつも、いつか必ず対岸にたどり着いてみせる。
そして封印されたブランデーのアララトの栓を抜き、ともに祝杯をあげるのだ。
そんな思い映されているかのように。

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もちろん、その日が来ることを、僕も祈っています。
しかし目指すべき対岸とは、新たな戦争に勝利することではなく、
本心から握手できる共存の道をみつけること。
そう、若者に銃を取らせる未来ではなく・・・ね。

今日はカスケードからアララト山が見えるな?

to be continued...

えーじ

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ティグラン・メッツ通りから見た聖グレゴリー・イルミネーター大聖堂
posted by ととら at 15:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年11月24日

第27回取材旅行 その21

Բարև ձեզ! (バレフ・デゼス(こんにちは!)
僕らは今、この長旅12番目の渡航国、
アルメニアのギュムリに滞在しています。

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到着! マルシュルートカがひしめくギュムリのバスステーション

気がかりだったアルメニア入国は、シナリオ通りの対応であっさりパス。

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右の緑色のスタンプがアゼルバイジャン 左がアルメニア

僕らが抜けたのはサダフロ ー バグラタシェン国境

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ジョージア側

まずジョージア側は「はいはい、また来てね〜」という感じで、
さらっと抜けました。
で、アルメニア側では荷物を全部持ってイミグレのブースへ。

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アルメニア側

待ち構えていたのは眉間にしわを寄せた、40歳くらいの女性インスペクター。
ともこを先に行かせると案の定、何やら質問が始まりました。
そこへ僕がニカっと笑顔を浮かべながら割って入り、

「バレフ・デゼス! 
 僕のワイフはあまり英語を話さないので、代わりに答えましょう」

インスペクターはちらっと僕を見て質問を再開しました。

「アゼルバイジャンへの渡航目的は?」
「ああ、観光ですよ」
「滞在期間は?」
「そうっすね、1週間くらい」
「アルメニアへの渡航目的は?」
「同じく観光です。僕らはツーリストですから!」

インスペクターはまだ硬い表情を崩しません。
対照的に僕らはニコニコ。わぁ〜、楽しいなぁ〜!って感じ。

「アルメニアでの宿泊先は?」
「ギュムリのセシルホテルです」
「予約書を見せて」

僕はスマホでbooking.comのアプリを開き、

「はい。あ、日本語表示でわかんないっすよね?
 でも、ほら、ここ、Sesil Hotelってあるでしょ?」
「では携帯電話の番号をここへ書いて」
「はいはい」

この辺でインスペクターの表情がだんだん緩み始め、
ともこのパスポートにスタンプをがしゃん。
続いて終始ごきげんな僕の番。
最後は彼女もつられたのか、妙な笑みを浮かべ、

「Welcome」
「シュノールハカルチュン!(どうもありがとう)」

実はこれ、すべて想定どおりでした。
ともこが先に行ったのは、僕が先に抜けてしまうとフォローができないため。
そしてニカニカした表情と軽いノリは、
「僕たちは無害でのんきなノンポリ観光客」というキャラの演出。
そこで作戦は、

1.インスペクターがともこパスポートのアゼルバイジャンスタンプに気付く
2.質問を受けたともこがわからないふりをして振り返る
3.そこで僕が割って入り質問に答える
4.あとは相手の表情に反応せず、終始能天気に振舞う

インスペクターの質問内容も事前に調べておいたとおりでした。

アルメニアとアゼルバイジャンは因縁のハイパー宿敵関係。
先だってアメリカの仲介で「和平協定」を結びましたが、
あれが経済的なご褒美とロシアとの距離を取るためのジェスチャーであることくらい、
国際政治学者でなくてもわかります。現実は何ら変わっていないのですよ。
隣のブースではアゼルバイジャンスタンプがなかった外国人でさえ、
「アゼルバイジャンへの渡航歴はありますか?」と聞かれていましたし。

なんてやりとりはあったものの、
表情を読むとインスペクターも仕事でヒールを演じているだけの気もします。
本当はいい人なのに、無理に怖い顔をしているようなね。
実際、アルメニアの人たちはとてもフレンドリーなんですよ。

トビリシを出発した15人乗りのポンコツバンに乗っていたのは、
僕ぐらいの年齢のドライバーと6人の乗客だけ。
発車して間もなく停まったので何だろうと思ったら、
ドライバーと2人のお客さんが道脇の店に入り、パンを買って戻りました。
そして通路を挟んで反対側に座っていた男性がともこにそれを差し出し、
「おいしいよ、ひとつどうぞ!」
見ればロシアから伝わったピロシキの大型変種、カルカンダクじゃないですか。
まだ揚げたてで温かい。こちらもそんな心遣いに心が温かくなりました。

次に停まったのはフルーツ売りの露店が並ぶところ。
ここでは僕ら以外の全員が車を降り、買い物を始めたのですよ。
(あとでカキをもらっちゃいました)

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アルメニア人はフルーツが大好き 
何人家族ですか? と聞きたくなるくらいの量を買っていました

さらにこの先ではスーパーにも立ち寄って皆さん買い出し中。
これ、一応「国際バス」なんですけど、買い物ツアーみたいな感じ。
降りるときはみんなで買い出しした荷物を出すのを手伝います。
長閑ですな〜。

さて、アルメニア第2の都市といわれるギュムリですが、
観光客はまったく見かけず、ローカル色がめっちゃ濃いです。

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教会の鐘の音が響く、夕暮れのヴァルダナンツ広場

そのせいかバスターミナルで「どこへ行くんだい?」
と声をかけてくるマルシュルートカのドライバーたちもシャイですね。
ホテルを目指しつつ、最初のミッションは軍資金の調達。
これはヴァルダナンツ広場近くのATMから現地通貨のドラムを引き出しました。
暴利なコミッションはなし。(こうでなくっちゃね)
そして中心から近く地の利のいいホテルはこんな感じ。

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ここのコスパがすごい。

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郷土料理満載の朝食 食べきれませんでした

こんな手作り朝食がついて、広くて居心地のいいダブルの部屋が、
ふたりで14,025ドラム(約5,800円)!
家族経営で皆さんとてもフレンドリーです。

そしてさっそく始めた仕事も大ヒットでした。
実はこれもリベンジで、2014年の取材ではまったく見つからなかった、
アルメニアギョーザのマンティがあったのですよ!

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調理済みの具材を小麦粉の皮で包み、キャセロールに入れてオーブンで焼いたもの
ヨーグルトソース、もしくはトマトソースを添えて頂きます
ギョーザの概念が変わる一品

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形もユニーク 小さいので1人前を作るだけでも大変ですね

どうです? ギョーザっぽくないでしょう?
アルメニアン・マンティは僕らの取材歴でも飛び抜けた異端児で、
加熱方法が茹で、蒸し、揚げ、焼きのいずれでもなく、
ベークド(オーブン焼き)なのですよ。だから食感がカリッとしてる。
さらにギョーザの定義を揺るがす上部開放型。
この口を開けたタイプはこれまでもモンゴルのボーズ以外、見たことがありません。
しかし、名前からして中国餃子の饅頭の名を引いていることはあきらかでしょう。

これ、料理の進化論の中ではけっこう大きなインパクトがあって、
僕らもギョーザを含む包餡料理を、

「無発酵の小麦粉の生地を用い、
 何らかの具材を2重以内に包んで密閉し、加熱調理したもの」

と定義していますが、その前提となったのが中華料理の分類。
餃子と焼売、春巻き、包子を区別できる条件として考えたものでした。
たとえば春巻きは無発酵の生地でも2重以上に生地を巻きますし、
包子は発酵生地を使うので、簡単に餃子と分けられます。
極めて紛らわしい焼売も、「密閉し」で除外できますよね?

ところが厄介なのが「例外」の存在です。
モンゴルのボーズは蒸し型で、上部が開いたままなのですよ。
名前からして餃子の子孫である可能性が高いにもかかわらず。
(餃子は饅頭→包子→餃子と変名しているのです)
では特例として入れてしまえばいいかというと、
それなら焼売は餃子だね? っと突っ込まれてしまう。
ん〜・・・
と悩んでいたところに追い打ちをかけてきたのがアルメニアン・マンティです。
しかもこれはバリエーションがあって、スープバージョンもあるじゃないですか。

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ヨーグルトスープに入ったマンティ これが実にうまい!

ここでもアルメニアン・マンティは特殊で「煮て」いません。
オーブン焼きしたものがポイっと入っているだけ。
だから食感はカリカリのまま。

前回のヒンカリのところでも触れましたけど、
料理って法則や定理がないだけではなく、なんとかまとめようとすると、
たいていこうした例外が飛び出してくる。
家政学や栄養学、発酵学はあっても、
料理学や調理学が成立しない理由がここにあるような気がします。
「学」は何らかの形で正誤の判定がつく構造が前提ですが、
(じゃないとテストが作れないでしょ?)
近付けば近付くほど、捉えどころがなくなってしまうのですね。

とエクスキューズしながらも、
ギュムリではフードファイトに近い状況で取材を続けています。
興味深い郷土料理がたくさんあるのですよ。
これからちょっと外を歩き、何とか腹を空かせてディナーに行ってきます。
がんばらねば!

to be continued...

えーじ

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アルメニアも量が多い! 牛のように胃袋が4つあればなぁ・・・
posted by ととら at 02:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年11月22日

第27回取材旅行 その20

გამარჯობა! (ガマルジョバ(こんにちは!)
僕らは4日前の夕方、ジョージアのトビリシに空路で戻りました。

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戻ってきました、夕暮れのトビリシ国際空港

ここからジョージア取材の後半です。
で、到着翌日に行ったのが、
ヒンカリ発祥地にほど近い山岳部のステパンツミンダ(旧名カズベギ)。
ここが前回お話しました2014年のリベンジなのですよ。
ギョーザ本でも触れていますが、あの時は出発直前に腰の爆弾が小爆発し、
キャンセルせざるを得なくなってしまったのです。

そこで今回は慎重に行動し、無事、ステパンツミンダに行ってきました。
まずご報告しなければならないのが取材対象のヒンカリ。
僕らの旅のパターンと申しますか、アゼルバイジャンのグバでもありましたけど、
せっかく念願の場所まで行ったのに、結果は空振り。
シーズンオフで飲食店が軒並みクローズしており、
現地での確認はできなかったのです。
しかし、ほど近いパサナウリやトビリシのレストランで、
原型に近いといわれる山ヒンカリをチェックしました。

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パサナウリて食べたヒンカリ 見かけは街ヒンカリと同じ

で、肝心の結論は・・・
よけいわからなくなりました!

というのも現場で料理の歴史を調査した方なら肌で知っていると思いますが、
発祥地やオリジナルの特定は極めて困難なのですよ。
(ねぇ塚田さん、塩崎さん)
その理由は料理が常に変化し続けているものであること。
正確な記録がほとんどなく、
インタビューすると人の数だけ違う答えが返ってくること。
そして変化はA→B→Cのように単純な一方方向ではなく、
相互に干渉し合いながら波及していること、などなど。
とどのつまり、料理には物理の法則や数学の定理のような、
不変のルールがないのですよ。
ヒンカリは山間部の縁に当たるパサナウリが発祥地との説がありますけど、
その根拠は曖昧で、異論もたくさんありますしね。

ただ都会ではなく地方でスパイスやハーブを使わない、
シンプルなバージョンが生まれ、
トビリシやクタイシなど商業地域で複雑化していった痕跡は認められました。
その根拠は、かつて経済が貧弱で物流も限定的だった時代に、
限られた素材でヒンカリは生まれ、その後、素材の選択肢が増えるにつれ、
次第にレシピが複雑化していったという仮説は説得力があります。

但し、更なる謎は、「ヒンカリ」がジョージア語で意味がないこと。
アゼルバイジャンの麺料理、ハンギャルと音が似ていること、
ハンギャルもまた、アゼリー語で意味がないこと。

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アゼルバイジャンのハンギャル

そしてギャ、ギュ、ギョという音は、トゥルク系言語で顕著に見られることから、
中央アジア北部のトゥルク系民族がキャリアとして、
粉ものの総称であるヒンカル/ヒンカリ/ハンガル/カンガルという言葉と文化を伝え、
それがローカライズされ、固有名詞を持つ固有の料理になったのではないか?
そんな仮説も立てられるかと思いますが、
む〜・・・調べるたびに話がマクロになってしまう。

なんて頭をひねりつつも、
ま、そうまじめに考え込むなよ! と背中を叩いてくれたのがこの景色。

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標高5,033mのムツヴァリ(カズベギ山)

そう、ステパンツミンダまで来てトレッキングしないって手はありません。

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教会が経つ頂の直下はこんな道を歩きます

正直に言うと、ヒンカリ以上にこの11年間思い続けていたのが、ここでした。
一般的には自動車でゲルゲティ三位一体教会までさっと登ってしまいますが、

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頂上で僕らを迎えてくれた、天国に一番近いと言われるゲルゲティ三位一体教会

高低差約400メートル、距離片道約3キロほどの山道は人影もなく、
ほぼ僕らの貸し切り。
そして夕方はツアー客で混みあう教会も、午前中ならひっそりとしています。
まさに「ここまで来て良かった!」なひとときでした。

さて、感傷にふけっているのもここまでです。
明日はアルメニアのギュムリに移動ですからね。
無事に国境を越えられるかどうか、微妙なんですよ。
そう、僕らのパスポートには、宿敵アゼルバイジャンのスタンプが押されています。
僕のパスポートはスタンプがごちゃごちゃで見落とすかもしれませんが、
ともこのは今年の4月に更新したばかりで、
緑のアゼルバイジャンスタンプが目立ちまくっておりまして。
2014年のときは出国時に気付かれて、
それまでフレンドリーだったインスペクターからギロっと睨まれた一幕がありました。
「敵の友は敵」ルールが今回は採用されていませんように!

to be continued...

えーじ

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ゲルゲティタワーの前で もうすぐゴールだ!
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2025年11月18日

第27回取材旅行 その19

僕らは一昨日の昼過ぎ、長距離バスでバクーに戻りました。

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社会主義チックなデザインのグバのバスターミナル

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こんなマイクロバスに揺られて2時間半

結果から申し上げますと、グバでの取材は空振り。
イスラエルを除いて唯一といわれるユダヤ人の街、
通称「赤い町」にクルツなるギョーザのような料理があると聞き、
はるばる行ってはみたものの、ギョーザどころか飲食店そのものがない。

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独特な様式の邸宅が並ぶクルムズ・ガサバ(赤い街)

いや、生活臭さえ希薄なんですよ。食料品店すらないのですから。
そこで捜索範囲を広げ、グバの中心地にある飲食店をいろいろ調べたのですが、
これまた見つかるのはギューザやダシュバラなど、かつて知ったものばかり。
む〜・・・どうしたことかしらん? ともう少し掘ってみたら、
赤い町とグバの市街地は大きなクディヤルチャイ川で隔てられており、
双方の住民は橋を渡っての行き来をほとんどしていないそうな。

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荒涼としたクディヤルチャイ川

確かに地域のみならず、各家々は高い塀に取り囲まれ、
敷地内は一切見えない構造になっています。
そう、見るからに閉鎖的な感じ。

なのですが、出会った人々は真逆のキャラクター。
東洋人は珍しいのか、とにかく目が合うと話しかけられますからね。
僕も片言のアゼリー語で挨拶を返していました。
40歳以上の人はあまり英語が通じませんけど、
「たぶん、こう言っているのだろう」という直感コミュニケーションで、
「ヤポンです、ヤーポン!」
「そうか、日本人か、よく来たな!」こうしてときには握手まで。
取材はできませんでしたが、心やさしいローカルたちに囲まれていると、
それだけで来て良かった、と思えてきます。

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ケバブ屋のスタッフとセルフィー

また、バクーとのコントラストはアゼルバイジャンを理解するのに、
たいへん役に立ったことも触れておかねばなりません。
人間だってよそ行きの顔だけではわからないでしょ?
物価ひとつをとっても中央と地方では倍近い開きがありましたし。

そう、アゼルバイジャンは産油国ですが、湾岸諸国とはだいぶ違っています。
オイルマネーは主に公共事業等に投資され、国民は納税の責を負っているのですよ。
よって普通に働いていますから、肉労も外国人任せではなく、
移民労働者はあまり見かけません。
そうした意味で、経済は地に足が着いている感じ。

また、ムスリムが多いとはいえ、
ソビエト時代に宗教を否定した過去があるので、
民族的に近いトルコのように、アザーンが聞こえても音は小さめ。
結婚も父権的に決められるのではなく、基本的に自由恋愛だそうな。

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バクーのシンボル、フレームタワーに隣接するシャヒドラー・メスジディ
超広角レンズで撮ったので歪んでます

前回触れた街の変化は、
やはり新型コロナのパンデミックが大きく影響したようです。
ロックダウンによる収入減で多くのホテルや飲食店が廃業を余儀なくされ、
その空席を利用して再開発が加速。そして国家のショーケースとなる、
きらびやかな旧市街や繁華街が生まれたのです。

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イルミネーションがまぶしいネザミ通り界隈

しかし、再開発が進み、街が華やかになれば、
多様性と画一化が入れ替わるトレードオフは避けられません。
今回僕らが入った飲食店の幾つかは、さながらチェーン店のように、
内装から料理、サーブの仕方まで、驚くほど多くの共通点が見られました。
そうなると、最初はフレンドリーに感じていた接客も、
どこかマニュアル的な臭いがしてきて・・・

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旧市街の再開発されたレストラン通り

もちろんこれはバクーに特化した現象ではなく、
日本でも全国的に見られる傾向ですけどね。
ととら亭のある葛飾区も区役所の移転に伴って立石の再開発が進み、
ごちゃっとした商店街の個性ある個人店が姿を消そうとしています。
そう、地権者を除き、再開発ともなればテナントの賃料が上がり、
さまざまな新しい規制も重なって、
もはや個人が出店するのは現実的ではなくなってしまいますからね。
で、結果的に開発が終わると、そこは大手企業のチェーン店が並んでいる。
ほら、日本全国、駅前の風景はどこも大同小異でしょ?

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確かに11年ぶりのバクーは以前に比べて繁栄していると思います。
しかし、同時に所得格差が広がり、多様性が失われつつある。
社会の発展とは何か? それに紐づく、僕ら個人の幸福とは何なのか?
いや、消費文化の本質って何なのだろう?
夕暮れのカスピ海に面した臨海公園を歩きながら、
僕らはそんなことを話し合っていました。

さて、今日は午後の便でジョージアへ戻ります。
これまた2014年のリベンジとなるステパンツミンダ(カズベギ)へ。
かの地はジョージアのギョーザ、ヒンカリの発祥地なんですよ。
トビリシやクタイシバージョンとの違いはいかに?
今回は腰の爆弾を爆発させないよう、気をつけねば!

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 15:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年11月15日

第27回取材旅行 その18

Salam! (サラーム(こんにちは!)
少々日にちが開いてしまいましたが、
僕らは11月11日、今回の旅11番目の渡航国、
アゼルバイジャンの首都、バクーに空路で入りました。
日本との時差はジョージアと同じくマイナス5時間。

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45分のフライトタイムで降り立ったヘイダル・アリエフ国際空港
お世話になったのはアゼルバイジャン航空

ちょっと変則的なルートですよね?
ジョージアの取材を中断してジャンプしましたから。
当初は「準備編」でお伝えしましたように、ジョージアの取材をすべて終えたのち、
トビリシから鉄道でバクーに入るという計画でした。
ところが新型コロナパンデミックでアゼルバイジャンの陸路国境が封鎖されて以来、
今でもそのままなのですよ。つまり空路以外では入出国できない。
そこでトビリシから「行って来い」とならざるを得なくなってしまったのです。

ともあれ、空路でのアゼルバイジャン入国はスムーズでした。
未だVISAが必要とはいえ、アライバルビザが取れるようになりましたし。
しかもこれ、VISAというより、入出国カードを専用端末で申請する程度のもの。
キーボードがちょっと変わっていて、@マークを入力する際、
ん? シフトキーはどれ? と戸惑った以外、操作も簡単。
で、最後は入力内容のサマリーがレシート状に印刷されておしまい。
それを持ってパスポートコントロールへ行けば、
あっさりスタンプを押してくれます。

11年ぶりのバクーは祭日の夜だったこともあって、その盛り上がりの激しいこと。
以前は「石油がある分、まぁジョージアやアルメニアより元気かな?」
程度の印象だったのが、ウクライナ紛争の石油特需と、
アルメニア紛争における劇的な勝利もあって、
景気は絶好調! という羨ましい状況。
街は去年のアルバニアを超える「イケイケムード」に満ちていました。

ところが翌日の昼の取材でレストランに入ったとき、
「・・・?
 ここはメニューだけではなく、内装が昨夜入った店とそっくりだな」
料理が出てきたら、盛り付けやホール担当のサーブの仕方まで、
奇妙なほど、昨夜の店と似ているじゃないですか。

もしかして、チェーン店?

と思って調べてみたら驚きました。
僕らが投宿したホテルのあるイチェリ・シェヘル(旧市街)はいわずもがな、
バクーの中心部に入っている大箱の店は、業種にかかわらず、
ほとんどが政府系企業の運営だそうな。
どおりで客数を超えるような人数のスタッフがいるわけです。

気になったのは、それが新規出店ではなく、従来の店が買収されて、
経営が入れ替わったという情報。
そこで2014年の取材で通った店に行ってみたら・・・

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Before Kafe ARAZ

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After ARAZ Terrace

ありゃ〜・・・ご覧のとおり、まったくの別物になっていました。
あのときはいかにもコーカサスの老舗、という佇まいだったのが、
内装はコンテンポラリーに、メニューはファミレス風に、

visualmenu_az.jpg

スタッフの振る舞いはマニュアル的に様変わりしているじゃないですか。
そしてそれは、入った3店すべてに共通しているとは。

なんでも、原油価格が暴落した2010年代初頭から、
政府の肝いりでバクーは国家のショーケースとして再開発が進み、
今ではディスニーランドのようになってしまったそうで。

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ピカピカに磨きこまれていますが これはホテルのロビーではありません
道路を渡るためのアンダーパスです

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2014年のバクー港

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11年の後のバクー港 写真ほぼ中央のタワーや奇抜な建築物を見ると、
なんだか湾岸諸国っぽくなってきました

この辺のディープなネタはまたいずれお話しましょう。
ただ、料理取材の観点では歓迎すべき変化もありました。
かつては取材前にいろいろ調べても、
いざ現地に行くと「あれもない、これもない」で、
メニューのバリエーションが乏しく、困ったね〜・・・だったのが、
今ではメニューブックが分厚い豪華なレシピ本風に様変わり。
なかでもちょっと離れたシェキの料理まで、
バクーで食べられるようになったのは、うれしい驚きでした。

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スウィートドルマ
牛肉とドライフルーツをキャベツの葉で巻いて煮込んだもの
干しブドウがいいアクセント

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グバ風ギューザ
グバではギューザも中身の肉がさらに上乗せされてボリューム満点
これにヨーグルトを添えていただきます

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ビレッジチキン・ガバルマ チキンのザクロソース煮
フルーツを使った料理がかなり増えました
いずれも見た目に反して甘みが抑えられ、上品な酸味と塩気のバランスがグッド!

さて、僕らは今、バクーから190キロほど北上したところにある、
QUBA(グバ)に滞在中。ここは首都のけれん味とは無縁の、
素顔のアゼルバイジャンが感じられます。人も素朴ですんごくいい感じ。
僕らはこういう街が大好きです。

withlocal_az.jpg
市場の取材で この後、ザクロ売りのおじさんがともこにチュッ!

今日はこれから川向うにあるユニークなユダヤ人街で、
クルツ(クルツェ)なるギョーザを取材予定。
ところがどこで食べられるのか、情報がかなり限られておりまして。
はてさて、どうなることやら。
ま、いつものことですが、結局、足を使って探すしかないんですよね。
それでは行ってきます!

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 22:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年11月13日

「自由な旅のレシピ」第10回(下)がアップ!

ポーランドのワルシャワを出発したこの長い旅も、
アゼルバイジャンのバクーまで進んできました。
そしてこの先、ゴールであるタイのバンコクを目指すわけですが、
日本との文化のギャップは、東に行けば行くほど大きくなってきます。
実はこれ、トラブルが起こる可能性と、その難易度にも比例しておりまして。

ちょっと前に「この旅は比較的スムーズに進んでいます」といいましたけど、
それはノントラブルだという意味ではありません。
トラブルは今のところ大きなものこそないものの、
中小レベルなら毎日起こっています。
ですから「比較的スムーズ」というのは、
「あまり手こずらずにリカバーできてきます」ということなんですよ。

言い換えると、「毎日、全身で勉強しています」という意味でもあります。
トラブルとそのリカバー、すなわちトラブルシューティングは、
現場で経験し、体で覚えるしかありませんからね。
そして、それは個人旅行のルーキーも経験を積んだ旅人も同じ。
実際、僕らも昨日はほぼ終日ビザ関連のトラシューに振り回されており、
まだ継続中ですし。

かもめの本棚online「自由な旅のレシピ」
第10回(下) 旅のトラブルシューティング 〜避ける〜

前回に続き、今回もそうしたトラブルに僕らがどう対処しているか?
そのリアルな例をお話しましょう。
また、数日か数週間後には、先ほど触れたビザ関連のトラブルの結末も、
ご報告できると思います。
はてさて、どうなることやら・・・

でも、これが旅なんですよ。

えーじ
posted by ととら at 15:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年11月09日

第27回取材旅行 その17

გამარჯობა! (ガマルジョバ(こんにちは!)
僕たちは一昨日の14時ごろ、
この旅10番目の渡航国ジョージアに入りました。
9月25日にポーランドのワルシャワを出発して以来、
東へ1400キロメートルほど進み、日本との時差は5時間に縮まっています。

georgianborder01_ge.jpg
ジョージア側 アナログな両替屋が建ち並ぶサルピの国境

と、その前にトルコのゴールデンコースのお話をするべきなのですが、
あまりにもいろいろあり過ぎて時間が足りません。
そこでご存じの方も多いパムッカレとギョレメはスキップさせていただき、
因縁のアヴァノスのリベンジをお話しましょう。

これ、実は前回のリンクのはるか前、2007年に遡ります。
そう、拙著ギョーザ本の第1章、トルコ編エピソードのひとつなのですよ。
キノコ岩で知られるパシャバーから見えるアヴァノスまでの距離を見誤り、
荒野を歩きだしたのはいいものの、行けども行けども近付かない。
結局、1時間程度で着くつもりが、かかった時間は倍以上。
夕方に出発するローズバレーのツアーを申し込んでいた僕らは、
結局マントゥを食べただけで、アヴァノスからとんぼ返りとなったのでした。

avanosrotaly_tr.jpg
アヴァノスの街 このロータリーが2007年のゴールでした

しかし、今回は体調も良く、天候にも恵まれ、
しっかりこの街を味わうことができました。
また何より、丘の上から18年前に、
とことこ歩いた荒野を俯瞰したのは感慨深かったです。

avanoswalk_tr.jpg
黄色の線が歩いたルート 若気の至りでございます

望遠レンズ越しにあの頃の僕らが見えるような気がしてね。
また、ギョレメの極端な変わりように比べて、
当時の面影を色濃く残すアヴァノスの素朴な表情が嬉しかったです。
まるで時間を遡って、あの時やり残したことができたような経験でした。

さて、そんな感傷にふける間もなく、
ギョレメに戻った僕らはホテルに預けたバックパックを受け取り、
バスで約1時間のカイセリオトガル(バスターミナル)へ。

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地方空港並みの巨大なバスターミナル

2019年の冬にはここから南東部の街、アダナへ向かいましたが、
今回の目的地はジョージアとの国境にほど近いホパ。
これが概ね920キロメートル先のかなたの上、
乗車時間は僕らの旅歴で最長となる16時間超!

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最短ではなく北回りで黒海沿いを走るルート

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夜行バスはホテル代が節約できますし、空いてきたので2シート独占・・・

しかしながら座っているだけとはいえ、
寝るのもご覧の状態ですから、ほとほと草臥れました。
ともあれ、ここでも弱音を吐いている暇はありません。
この日のゴールは国境を越えてその先にあるジョージアのバトゥミ。
それも必要な情報はネット上でもかなり薄い。
ホパのオトガルから先は、旅人の勘頼みの、ほぼ出たとこ勝負です。

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ホパのオトガル ほとんど満席で出発したバスも、
ここで下りた乗客は僕たちを含めてたった4人 お出迎えは大きな野良犬たち

まずはトルコ側の国境の街、サルプまでどうやって行くか?
未確認情報ではドルムシュ(ミニバス)が、どこかから出ているそうな。
しかし、その「どこか」がどこかわかりません。
で、そんなときはどうするか?
Googleで検索? AIに聞く? 違います。
現場で人に聞くのです。それもたどり着くまで何人でも。

とは言ったもののトルコもここまでくると、ほとんど英語が通じない。
なるべく若い人に聞いても反応はかなりビミョー。
そうなったら相手のわかる単語を並べてシンプルに行きましょう。
ニカっと笑顔(これが大切)を浮かべ「メルハバ! ドルムシュ、サルプ?」
こうして陸橋下のドルムシュだまりにたどり着き、
ようやくサルプ行きの車を見つけました。

hopadormusstop_tr.jpg
ホパのドルムシュ乗り場
呼び込みの声 ケバブの臭い うろつく野良犬 クラクションの音

turkeyborder02_ge.jpg
ホパから約20分先にある、雑然としたサルプのトルコ側イミグレ前
陸路の国境って独特なムードなのですよ

ラッキーだったのはトルコ出国、ジョージア入国ともにスムーズだったこと。
税関もイージーなX線スキャンだけで「ようこそ!」。
またジョージアの通貨ラリが税関にあったATMで、
さらっとゲットできたのも助かりました。
それも手数料はたった6ラリ(約340円)で。
ヨーロッパでは法外な手数料(4万円分引き出して8000円とか!)
を要求されましたからね。

で、最後はジョージアイミグレの間に待機していたマルシュルートカの料金交渉。
(旧ソビエト圏の国々で使われているミニバスの呼称。旅人の通称はマルシュ
 内容、システムともにドルムシュと同じ)
バトゥミの中心までは約8キロほど。それがたったひとり2ラリでした。
立ち乗りぎゅうぎゅうで庶民感満点。

batuminightscape_ge.jpg
ジョージアらしからぬ街のバトゥミ 外資が流れ込み、経済特区状態だそうな

明けて今日も再びマルシュ乗り場探しで、すったもんだがありましたが、
(特別な建物があるわけではなく、ただの路上なんですよ)
軽くリカバーしつつ、僕らは次の取材地のクタイシへ。

marsh01_ge.jpg
ドルムシュ、マルシュはこんな感じ みんなでこの狭い空間をシェアします

この5日間、夜行2本を含むハードな移動と、
たくさんのタスクをこなしましたので、今日の午前中はオフです。
そして明日は再びマルシュに乗り、いよいよ11年ぶりのトビリシへ。
ずいぶん変わったらしいですよ。でも、その変化が楽しみです。

to be continued...

えーじ

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バトゥミの港から眺めた黒海の朝焼け 水がすごくきれいでした
posted by ととら at 18:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年11月06日

「自由な旅のレシピ」第10回(上)がアップ!

日本を出発して1か月半が経ちました。
ここまでは割合スムーズに進んでいます。

とはいえ、それは「トラブルの定義」にもよりますけどね。
たぶんトラブル慣れしてしまって、
釣銭をちょろまかされた、
国境警察にカメラをしまっているのを、
逆に撮影していると勘違いされて警告された、
青空カフェでのんびりしていたら小鳥に「爆撃」された、
程度は、「よくあること」と考えてカウントしませんから。

ともあれ、慣れるといっても、
必ず僕らのように「うげ〜っ!」って経験を積み上げなければならない、
というわけではありません。
そこで今回はなるべく「楽に慣れる」方法をお話したいと思います。

かもめの本棚online「自由な旅のレシピ」
第10回(上) 旅のトラブルシューティング 〜選ぶ〜

最高のトラブルシューティングテクニックとは何か?
個人旅行をしてみたいけど「何かあったらどうしよう・・・」
と心配されている方はぜひご一読を!

えーじ
posted by ととら at 05:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年11月04日

第27回取材旅行 その16

東西に長いアナトリア半島。
そこで僕らは西から東へ向かっているわけですが、
せっかくですから、1度くらい、
トルコ旅行のゴールデンコースをやってみよう!

というわけで、スタートのチェシュメと次のイズミルはともかく、
セルチェクではエフェソス遺跡を訪れ、
そして今日はパムッカレの足掛かりとなるデニズリに到着しました。

denizlistation_tr.jpg

しかしコースこそ同じとはいえ、移動手段はちと違うかもしれません。
一般的にはチャーターしたツアーバスかな?
その点、僕らはコスト最優先ですので、
まずイズミールからはトルコで初めて乗る鉄道です。

izmirmasmanestation_tr.jpg
イズミールのバスマネ駅

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普通列車の車内 なんと全部指定席

これが席も広くけっこう快適でした。
加えて1時間半も乗ったのに、料金は二人合わせて185リラ(約700円)!

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セルチュクでは到着早々ラブリーなローカルガールたちと出会い

セルチュク駅は場所も使い勝手も良く、すぐ目の前が目抜き通りの繁華街。
僕らが到着した土曜日は市が立ち、地方都市とは思えない盛り上がりでした。

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いやはや主客転倒かもしれませんが、
小さいながらもセルチュクの街は実に中身が濃く、
エフェソス遺跡を別にしても十分楽しめるところではないですか。

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雰囲気のいい飲食店が並ぶ駅前の繁華街

もちろん広大な遺跡も素晴らしい。

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アルテミス神殿跡からセルチュク城塞を臨む 夕暮れのひととき

efesus01_tr.jpg
遺跡の中心となるケルスス図書館

しかし、アトラクションで見た、
往時のエフェソスの再現CGにはちょっと考えさせられました。
途中、英華を誇っていたころのシーンで、
こんなナレーションが流れたのですよ。

「エフェソスの人口の半分は奴隷。
 エフェソス人が働くわけありませんからね」

エフェソスが栄えたのは紀元前400年ごろ。
しかし、歴史は繰り返すと申しますか、
イヤな仕事を他人に押し付けるだけではなく、
労働そのものから逃れようとする傾向は、
2400年以上が経った今でも変わらないのですね。

そういえば、いつぞや20歳代の方とこんな話をしたことがあります。

「おカネはゼロだと困ってしまうけど、
 あればいいってもんじゃないと思わないかい?」
「何でですか?」
「おカネは手段であって目的ではないだろう?
 だから目的があって、初めて意味のあるものになるんだよ」
「はぁ・・・」
「たとえば突然10億円が転がり込んでもしょうがない」
「え! 僕は欲しいですよ!」
「じゃ、君はそれを使って何をするんだい?」
「そうっすね・・・えっと・・・」
「・・・?」
「えっと・・・おもしろおかしく生きていきます!」

民衆が求めるのは「パンとサーカス」・・・か。

エフェソス遺跡には、アレキサンドリアに並ぶ、
かつての世界三大図書館の一つ、ケルスス図書館がありますけど、
その正面には娼館があったのですよ。
人ごみを離れて小さく仕切られた部屋を通り抜けていたら、
往時の人々の声が聞こえたような気がしました。
「科学や技術は進歩する。しかし、人間の本質は変わらない」

っと、固い話はこれくらいにして、ここでも取材はやってますよ。
掘り出し物はこれ。

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ベイヤン

もともとはルコ南東部、ギュザンティップ発祥といわれる、
ピリ辛で濃厚なヒツジのスープ。
ガーリックも効いていてガツンと来る一品です。
トルコ料理は一般的にマイルドなので、
アダナケバブと並び、ベイヤンはちょっと異色の存在ですね。
今回のルートには入っていませんが、
いつかギュザンティップにも行ってみたいと思いました。

さて、明日はお約束のパムッカレを訪れ、
19時頃にデニズリオトガルに戻って夕食。
その後、夜行バスでカッパドキアの入り口、
カイセリオトガルへ向かいます。
このルート、実は2019年のリベンジなのですよ。
今度は二人そろって万全の体調で行かねば。
詳しくはこちらを → 第17回取材旅行番外編 その2

to be continued...

えーじ

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取材の合間に路肩のチャイハネで やっぱりトルコはチャイですね
posted by ととら at 05:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年11月01日

第27回取材旅行 その15

Merhaba!(メルハバ(こんにちは!)
僕らは一昨日の午前中、ギリシャのキオス島から、
対岸に位置するトルコのチェシュメに小型フェリーで到着しました。

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こんな船で約45分の航路 雲ひとつない快晴の朝に出港しました

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今回の旅で9番目の国、トルコに上陸

奇しくも当日はトルコの建国記念日にあたる「共和国記念日」。
短い乗船時間でしたが、
海上の国境線を越えたあたりでトルコ語のアナウンスがあり、
「何だろ?」と思っていたら、乗客乗員そろって拍手!
目が点の僕らをしり目に次は勇ましい軍歌調の曲が流れるや、
みんなで手拍子しながらの大合唱が始まったではないですか。
そこで僕らも合わせて手拍子参加。
すると前の席に座っていたお兄さんが振り返り、

「日本の方ですよね?」
「え? なんでわかりました?」
「僕はターキッシュエアラインズのキャビンクルーなんですよ。
 イスタンブール、東京便に乗務していたことがあるので、
 日本の方は見ただけでわかります」

いいですね、国境を越えた途端にこの盛り上がり。
そして、この温かい雰囲気にトルコ人気質を感じました。

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小さなチェシュメ港 左端の平屋がイミグレーションの建物
この国境越えはギリシャ出国、トルコ入国ともにあっさりスルー

チェシュメは小さな港町。夏は海水浴客で賑わうそうですが、
シーズンオフの10月下旬はこうした祭日を除くと静かなようです。

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祝日でそこかしこにトルコ国旗と
ハンサムな建国の父、ムスタファ・ケマル・アタテュルクの肖像が

caesmestreet02_tr.jpg
チェシュメの繁華街には大勢の人が繰り出していました

EU圏でギリシャは物価が安い方ですが、
トルコに入ったとたん、さらにがくんと落ちました。
たとえばここで泊まったホテル、
ダブルできれいな部屋が1泊二人で約4,700円です。
昨秋の西欧での大散財が噓のよう。
いちばん泣けたのがダブリンのホステル(ホテルより格下)に、
一泊35,000円で泊まらざるを得なかったこと。

chesmehotel_tr.jpg
中東でよくあるシンプルなホテル

トルコは日本以上にインフレで苦しんでいるとはいえ、
それでも大衆食堂のロカンタに行けばお腹いっぱい食べても、

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写っている料理と飲み物全部を合わせて約2,000円くらいです。
しかもすんごくおいしいし。パンだって食べ放題。

さて、僕らがいま滞在しているのは、
チェシュメから東へ80キロメートルほど離れたイズミル。
移動はバスで1時間半ほどでした。

chesmeotogar_tr.jpg
チェシュメの街はずれにあるオトガル(バスターミナル)

ところが到着直前にちょっとサプライズ。
終点はイズミルオトガルと思っていたのですが、
マップ上はそこまでまだ10キロ近くあるところでバスが停まり、
乗客がぞろぞろ降りだしたじゃないですか。
そしてドライバーさんは僕らに「終点だよ」とな?

で、放り出されたのはいいのですけど、
当然、「ここどこ?」ってなりますよね?
周囲を見渡すと運よく地下鉄のサインがあり、駅名はFahrettin Altay。
とりあえず改札まで行ってみれば、これはM1線で、
僕らの目的地İzmir Basmaneまで行くのがわかりました。
問題は乗り方で、1回券は売っておらず、イスタンブール同様、
損した感むんむんのメトロカードを買わねばなりません。
しかし、この不評にようやく行政が重い腰を上げたのか、
クレカのタッチで乗れるようになっていました。
(そういえば日本はまだね?)
おかげでプランBはプランAのショートカットになり、
僕らは予定より早く次のホテルにチェックインできたのです。

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イズミルはチェシュメ以上に大きな港町

次なるミッションが軍資金のゲット。
通常の海外旅行であれば、ほとんどクレカで決済しますよね?
しかし数か月に及ぶ旅でこれをやると、
ブラックカードユーザーでもない限り、
カードの上限に引っかかってしまいます。
また、まだまだキャッシュしか使えないケースも珍しくないので、
僕らは支払方法を分散し、クレカにデビットカードと、
ATMで自分の口座から現地通貨の引き出し、
そして米ドルと日本円からの両替の4本立てで支払いをしているのです。

ここで難しいのがATMからの現地通貨引き出し。
EU圏では最近べらぼうな手数料を取る銀行が増えておりまして。
10パーセントを超えることも当たり前。
さらに設定されている為替レートは相場を無視した涙もの。
極悪な例だと20パーセント以上持って行かれます。
コンバージョンを拒否することで、
ある程度まっとうな引き出しに持ち込めるケースもありますが、
しばしばトランザクションエラーと偽って、
この対抗策を拒否してくるケースがありまして。
今回も比較的評判のいいHalkbankやZiraat BankasıのATMを試すも、
「ブルータス、お前もか!」の状態。
そこで両替屋に行ったら日本円に対応していたので、
米ドルは温存し、日本円をトルコリラに替えました。
最近また円安が進んでいますけど、そんな為替の微々たる影響より、
ATMの手数料の方がはるかに深刻なのですよ。

こうして準備が整った僕らが突撃したのがイズミールの旧市街。
ここはイスタンブールのエジプシャンバザール脇のごちゃごちゃした部分と、
グランバザールを合体させて、さらに巨大化させたようなところ。
モロッコのマラケシュのメディナ同様、
一足踏み入れたが最後、すぐどこにいるか分からなくなります。
しかし、それがおもしろい。

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さまざまな業種が集まっており、ここで生活用品のすべてが揃います

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威勢のいい声が飛び交う生鮮売り場

足の向くまま、気の向くまま探検し、
疲れたらお洒落なカフェでチャイかトルココーヒーで休憩。

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ケバブのいい匂いが漂い、おいしそうな飲食店もたくさんあります。
おっと、取材も忘れちゃいませんよ。市場で食材を調べた後は、これです。

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イスミルといえば、ととら亭でも紹介したことのあるイズミルキョフテ。
なんですが、ここでサプライズの第2弾。
探しても探してもないんですよ、これをやっている店が。
トルコではかつてアダナでアダナケバブ、ブルサでイスケンデルケバブ、
カイセリで極小サイズのマントゥと、
それぞれ発祥地で食べ比べながら現物確認をやっていましたが、
なぜか料理名に地域名を冠したイズミルキョフテが、
イズミルのどの飲食店でもメニューにない。

そこでお店の人に聞いてみると、なぜか皆さん、ばつの悪い表情になり、
「あ、ああ、それは今日ありません」とか、
「キョフテ・ギュヴェチ(鍋焼きキョフテ)にジャガイモを入れたら同じだよ」
などと気のない答え。

なぜだ?

と調べて驚きました。
この料理、イズミルがかつてギリシャ人の都市スミュルナだった時代に、
ギリシャ人やアルメニア人などトルコ人以外によって考案され、
それがトルコ各地に地方料理として拡散。
しかし、希土戦争の結果、大規模な住民交換でトルコ人以外がこの地を去り、
外国人への反感から現地では料理まで消えてしまった、との説が。

この経緯、実は僕も以前から知っており、どちらが元祖かは別として、
ギリシャで昨年、イズミル(地名)・キョフテ(ミートボール)の別名である、
スミュルナ(地名)・スズカキヤ(ミートボール)を調べていたのです。
ところがイスタンブールやアダナなど、
他の街のロカンタでは定番となっているにもかかわらず、
まさか発祥地でほぼ消滅しているとは思いませんでした。

そこで足を棒にしてようやく見つけたのが先の写真の一品。
雰囲気のいい老舗のロカンタで、味も素晴らしかったのですが、
この経緯を考えながら食べていたら、微妙な気分になりました。
そう、料理って、文化であり、歴史そのものなんですよ。
たとえそれが悲しいものであってもね。

さて、明日はトルコで初めて鉄道に乗り、
エフェソス遺跡に近いセルチュクに移動します。
ああ、11月に入ったんだなぁ・・・

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 04:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年10月29日

第27回取材旅行 その14

Καλημέρα!(カリメーラ(おはようございます)
僕らは昨日の20時にギリシャのピレウス港を夜行フェリーで出発し、

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狭い港内でフェリーが行き交うピレウス港

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一番安い切符は・・・ご覧のとおり
でもBlue Star Ferryは快適でした 売店も充実

「定刻どおり」朝の4時半、キオス島の港に放り出されました。

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方やご覧のとおりのキオス港
未明に開いていたのは写真左の2軒のカフェだけ

定刻どおり・・・といってもねぇ。
こんな時間じゃホテルにチェックインできないし、
フル装備のバックパックを背負って観光ってわけにもいきません。
そこで取りあえずカフェに入って朝食を。

earlybreakfasst_gr.jpg
ここのコーヒーとチーズパイは実においしかった!
バリスタは70歳超えの女性
てきぱきした動きが圧巻 見習いたい

ほんと、困るんですよ。こういうわけのわからない時間に到着すると。
空港なら雨風をしのげますし、安全に仮眠をとることだってできます。
しかし、まだ暗い早朝の港でポイっとされちゃ、どうしようもない。
それでもいいことだってあります。

sunrise_gr.jpg

たとえば、こんな朝焼けが見れたりね。
ギリシャは都合4回目ですけど、実は皆さんと違って島を訪れるのは初めて。
なるほどいいものですね。
それもサントリーニ島のようなビッグネームではなく、
シーズンオフにキオス島ってどこの国? みたいなマイナーな島に来るのも。

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岩山を背景に古い街並みと青い海

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遺跡を改造した風車

今日はギリシャの祝日(オヒ・デー(参戦記念日)。
それにあやかったわけではありませんが、
実は僕らにとってもお祝いなんですよ。それは・・・

ヨーロッパ横断完了記念日!

そう、昨年から始めたユーラシア大陸横断の旅。
パート1がヨーロッパの横断で次が中東からアジア・・・
のはずが、何かとつまずいてパート2のスタートはポーランドに。
そんなわけで今回、ギリシャの東の外れ、
キオス島がヨーロッパのゴールなんですよ。

chiossea_gr.jpg
海の向こうに見えるのはトルコ 小型フェリーでたった40分の距離

今日はヨーロッパの最終日。
うまく言葉にできませんが、やっぱり感じ入るものがありますね。
仕事の成果だけではなく、ただの旅人として、
すばらしい経験になりましたから。

もちろん楽しいことばかりではありません。
手間と努力の甲斐なく、
「なんじゃこりゃ〜っ!」な目に遭うのもよくあることですし。
しかし、困難でも未経験なテーマにチャレンジしたからこそ、
今の達成感と感動があるようにも思えます。

去年の夏、スペインのアルヘシラスから始まった、
ヨーロッパ横断を振り返り、
素朴に思えるのは、「やってよかった」ということ。

ああ、単純過ぎるかもしれません。
でも、そのとおりなんですよ。
旅人ってのは、そういう生き物ですから。

さて、明日は8時のフェリーで対岸のトルコ領、チェシュメに渡ります。
新しい旅の始まり。
見たこともない世界に踏み込んでみましょう。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 05:39| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2025年10月26日

第27回取材旅行 その13

Merhaba!(メルハバ(こんにちは!)

え、挨拶が間違ってる? いや、これでいいのです。
キプロスを南北に分断するグリーンラインの南側はギリシャ系ですが、
北側はトルコ系のテリトリー。
そう、キプロスは紛争当事国なのでした。
しかもこの深刻な問題は、未だ解決の目途が立っていません。
かいつまんで説明しますと、

1.4〜12世紀のビザンツ帝国時代、
  キプロスにギリシャ正教が広まり、住民の大半がギリシャ系に。

2.16世紀後半、オスマン帝国がキプロスを征服。
  トルコ人の入植がはじまる。

3.19世紀後半、オスマン帝国が衰退。

4,1925年 キプロスがイギリスの植民地となる。

5.1930〜50年、ギリシャ系がギリシャとの統一を要求し、トルコ系と衝突。

6.1974年 ギリシャ系がクーデターにより統一を試みるが、
  トルコ軍が北部へ侵攻し、国土の約4割を掌握する。

7.1983年 北部が「北キプロス・トルコ共和国」として独立を宣言。
  しかし、承認したのはトルコのみ。

こうした経緯からグリーンライン(緩衝地帯)で南北が分断され、
以後、国連による統一交渉が繰り返されるも、進展はいまだ見られず。

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南キプロスにあるホテルの屋上から見た北キプロスの旧市街
公式ルートなら入ることはできますが宿泊はできません
バレるとEUに戻れなくなるかも

それでもグリーンラインの一部に相互通行ができるチェックポイントが作られ、
条件付きで人の行き来ができるようになりました。

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ラドロ通り北端にある南キプロス側のチェックポイント

南側から行きますと、最初に南キプロス側でパスポートチェックが行われ、
20メートルほどの緩衝地帯(国連軍がひっそりと監視している)を歩くと、
北キプロス側のパスポートチェックがあります。
公式には国境ではありませんから、パスポートもスキャンされるだけ。

たった、50メートルほどを歩くだけでも、
双方の立場とメンタリティの違いが肌で感じられます。
そう、比較的柔和な南とピリピリした北。
(チェックポイントの撮影も北は厳禁です)
しかし、この異様な空間を抜けると、突然ムードはトルコ一色に。

ncoldtown01_cy.jpg
チェックポイントを抜けて30メートルも歩けばご覧のとおり

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街並みの雰囲気が南とはがらっと変わります。

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アート感覚は北にもあり、こんなゴッホの警鐘的ウォールアートも
ん〜、トルコ人にもゴッホの人生に興味を持つ人がいるのですね
この絵の意味、わかります? ヒントはゴッホが持つ酒瓶のラベルに

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小隊宿跡を使ったお洒落なミニアーケード、ビュユック・ハンも美しい

通貨も当然、ユーロではなくトルコリラになります。
(ユーロも実質上流通していますけどね)
街行く住民の表情にも緊張感は読み取れません。
このコントラストが印象的でした。

ユニークなのがランドマークにもなっているセリミエ・ジャーミー。

mosque_cy.jpg

これがご覧のとおり、もともとキリスト教の聖ソフィア大聖堂だった建物に、
ミナレットを増設し、内部の祭壇を取り壊してがらんどうにした、
ハイブリッドなモスク。
そういう意味ではイスタンブールのアヤソフィアやブルーモスクも同じ。
もともとはビザンツ時代に建てられたギリシャ正教の教会ですからね。
ただ、レフコシアの教会はゴシック様式だったので、
より教会っぽさが際立っています。
場所によっては偶像として削り取られるはずのレリーフも残っていたりして。

そうそう、ここでの僕らのミッションはこれ。

pyrohu_cy.jpg
Pirohu

そう、ここにもギョーザがあったのですよ、それもマントゥではなく、
その名もピロフ! ここで「えっ?!」となったあなたはギョーザ通。
この名はスロバキアのピロヒーとそっくりではないですか。
そこで置いてある店を北キプロスで探し出し、食べてさらにびっくり。
名前こそ似ていますが、モノはほとんど共通点がありませんでした。
要約しますと、カッテージチーズを包んだ小型のラビオリを茹で、
ヨーグルトとモッツレラチーズに似た、
ハルオーミをシュレッドして振りかけたもの。
いったいどこでどう伝わり、ここまでレシピが変化したのか、
今のところ皆目見当がつきません。
いやはや、また宿題をもらっちゃいましたね。

そんな取材をしつつ、日常的には旅に出て1か月。
そろそろ散髪しなければ。
というわけで行ってまいりました、ホテルの裏通りにあったバーバー。

barber_cy.jpg

気のいいギリシャ系のおじさん二人が切り盛りしていて、
ローカル色もご覧のとおり。
主にバリカンを使って25分で仕上げる早業です。
お代は12ユーロ(約2,100円)。さっぱりしました。

さて、今日の昼前、
レフコシアから空港にほど近いラルナカに移動しました。
ここで、またしても災い転じて福となす。
投宿したのはリゾートホテルの安い部屋で、
14時のチェックインに合わせて行ってみると、

「たいへん申し訳ございません。
 本日大変混みあっておりまして、
 まだお部屋の準備ができておりません」
「おやおや。で、僕らはどうすればいいですか?」
「ロビーで今しばらくお待ちいただけますでしょうか?」
「ああ、構いませんよ」

と僕らの旅ではトラブルに入らないレベルのことだったのですが、

「お待ちいただく間、お飲み物はいかがでしょうか?」
「え? あ、そうですか、では・・・」

安い客なのにかたじけないねぇ、
ウェルカムドリンクまで頂いちゃって・・・

そしてさらに20分ほど待っていると、

「あと15分お待ちいただけますでしょうか?
 お詫びにより良いお部屋をご用意いたしますので」

そうして部屋まで行ってみると、

「見て見て、すご〜いっ!」
「うひゃ〜、オーシャンビューの部屋じゃん」

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窓の外にはこんな光景が 青いエーゲ海がまぶしい

40分程度のチェックイン待ちにしては、たいへんなご褒美でした。
昨日まで泊まっていた部屋の3倍くらいの広さがあるし。
さらにラルナカでは天気に恵まれ、ソルトレイクまで足を延ばしたら、
なんと広大な大塩湖が僕らだけの貸し切り!

soltlake_cy.jpg
波のように見える大地は乾いた塩です

なんでこんな素晴らしいところに誰も来ないんだろう?
ここで僕らは大塩湖に沈む夕日をぼ〜っと見るという、
おカネでは買えない贅沢な時間を楽しんだのでありました。

sunset_cy.jpg

さぁ、ここで英気を養ったら、明日はギリシャに戻り、
ピレウスから夜行フェリーでキオス島に向かいます。
そこて対岸のチェシュメに渡ればもうトルコ。
昨年から始めたヨーロッパの横断が終わり、
いよいよ難易度の上がる中東に入ります。
だんだん盛り上がってきました。
気合を入れて行かねば!

to be continued...

えーじ

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ラルナカのビーチで (水着を持ってくればよかった!)
posted by ととら at 06:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年10月24日

第27回取材旅行 その12

Γειά σας! (ヤーサス(こんにちは!)

日本を出て1か月。僕らは一昨日の昼過ぎ、
予定どおりキプロスの首都レフコシアに到着しました。

airport_cy.jpg
お世話になったのはAegean Airlines(エーゲ航空)

気温はぐっと上がって最高が30度、最低は19度。
日中は汗ばむ陽気ですが、
湿度が低いので日陰にいると気持ちがいいです。

ここまでの移動は、まぁ、スムーズ・・・だったかな?
ちょっとしたハプニングは、
イミグレが混んでいて1時間くらいかかったことと、
(プラス、バゲッジクレームのターンテーブルがもう止まっていて、
 到着便の表示も消え、
 僕らの哀れなバックパックが床に転がされてたこと)
ラルナカ空港から出たシャトルバスの終点が、
街の中心から4キロくらい離れており、
CABCYなる配車アプリでタクシーを呼ぶも、
例によって「割に合わないからイヤ」と無視されたくらい。
これまたよくあることなので、
ターミナルのおじさんにバス停の場所と、
中央ターミナル行きバスの系統番号を聞き出してリカバー。
ホテルは運よくバスターミナルの目の前でした。

busterminal_cy.jpg
日本に例えるなら八重洲に相当するソロムウバスターミナル
平日にもかかわらず人はまばら

キプロスはEU諸国の中でも特異な存在で、
詳しくはまたあらためてお話しますが、
四国の半分ほどの国土に東京都民の約1/10が住む小さな島国です。
通貨は基本的にユーロ。
シェンゲン協定には参加していないので、
ギリシャとキプロスの間にはパスポートコントロールがありました。

lefkosiaview_cy.jpg
ホテルの屋上から見た新市街 東京に例えると新宿? にしては・・・

初めて訪れる国は新鮮ですね。
ラルナカ国際空港は日本の地方空港くらいの規模。
そこからシャトルバスで1時間ほど内陸部を北上したところに、
首都のレフコシア(ニコシア)があります。
ここでバスを降りた最初の印象は、

移民が多い!

とにかく意外だったのは、
人口の約7割がギリシャ系といわれているにもかかわらず、
街の雰囲気はその直前までいたテッサロニキとはまるで違っていたこと。

移民の多さは今回、ここまで回った8か国のなかでも断トツです。
ソロムウバスターミナル周辺で目にする人々の9割は、
アフリカ、中東、南西アジア、東南アジアから来た人々。
とりわけ目立つのがインド系で、
たぶん一時キプロスはイギリス領だった経緯から、
入国しやすいのかもしれません。

となると、中東の産油国と同じく、
移民による移民のための店が街を形作り始めるのがお約束。
バスターミナル周辺のミニマートやバーバーは、
ほとんどが南西アジア、東南アジア系の人の経営のよう。

minimart_cy.jpg
ホテルの近くのミニマートでミネラルウォーターを調達中

そうした特異な雰囲気も、
繁華街のレドラス通りに入ると突然変わります。

ledrastreet_cy.jpg
観光の中心となるレドラス通りの歩行者天国

greekchurch_cy.jpg
裏通りにはギリシャ正教の教会 雲一つない青空がまぶしい!
広場の周りには老舗のカフェやレストランも

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閉店後のシャッターにもアートな感覚が
日本って東洋の美の象徴なのかしらん?

外資企業のショップやお洒落なレストラン、カフェなどが立ち並び、
観光客がオフシーズンでもたくさん歩いているではないですか。
ところが裏通りとの共通点がひとつ。
それは空きテナントの多さ。はっきりいってすごい数です。

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こうした場所が至るところに

旧市街の裏通りも合わせると、6割以上が空いているとの数字も、
あながち眉唾ではなさそうですね。
しかも、ここ数か月の間にこうなったわけではなく、
テナント内の荒廃した様子からすると、
少なくとも2〜3年は経っているように見えます。

また、住宅地に入ると空き家を通り越した廃屋も多く、
これが首都の中心だと思うと、微妙な気分になりました。
しかし、なぜかゼネラルインフォの経済指標は悪くありません。
実際、道路状態はモルドバやボスニア・ヘルツェゴビナのように、
荒れ放題ではなく、むしろ旧市街城壁沿いに作られた公園などを見ると、
景気がいいのかな? という印象すら持てなくもないのですよ。
このギャップ、実は根の深い話のようなので、
これまたあらためてお話しますね。

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ホテルのベランダから見下ろした城壁跡の公園

さて、レフコシアでも到着早々取材開始。
基本的に料理はギリシャと共通しているのですが、
微妙なローカライズが見受けられます。

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まずはセフタリエス。
ブタの網脂でブタやヒツジのざっくり刻んだ肉を包み、
炭火でこんがり焼き上げたソーセージ。
香ばしい肉のうまみがじわっと味わえます。
レフコシアではこうした焼き物のレストランがそこかしこにあり、
繁忙時は煙がぼうぼうのところも。ん〜、いい匂い!

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もうひとつがラムを大鍋でじっくり煮込んだクレフティコ。
とろけるように柔らかいラムと凝縮されたワインの煮汁が完璧に調和し、
この店の場合はポテトとブルグルの絶妙なわき役が相まって、
まさに「来て、食べて良かった!」な味に。
特にこの気負いのない盛り付けは家庭料理風だそうで、
ローカルの支持が多いのも頷けます。

そしてお約束のホテル紹介。
今回はバスターミナルに面したオールドファッションなここ。

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左の4階建てのビル 僕らの部屋は4階の右端
エレベーター? そんな素敵なものはありません

かなり年季の入った建物ですけど、掃除が行き届いており、
スタッフもラブリーで居心地最高!
屋上に上がれば景色がいいし、静かで夜はゆっくり休めました。
やっぱり流行りの無人型より、こういうところの方が好きだなぁ。

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全体を入れるため超広角レンズで撮ってます
かなり広そうですが実際は13平米くらい

なんとも盛りだくさんのキプロス。
次回は紛争当事国としてのダークサイドをお話しましょう。
小さな島国でも事情はとても複雑なのですよ。

to be continued...

えーじ
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2025年10月21日

第27回取材旅行 その11

Γειά σας! (ヤーサス(こんにちは!)
僕らは一昨日の14時ごろギリシャのテッサロニキに着きました。
ランチがだいぶ遅くなってしまったので、
ホテルにチェックインしたときにはもう腹ペコ。

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1年ぶりにテッサロニキ駅横のバスターミナルに到着

と申しますのも、ギリシャ国境でちょいともめごとがあり、
予定より1時間ほど遅れてしまったのですよ。
あ、トラブルは幸い僕らではなく、
同じ国際バスに乗っていた30歳くらいの女性。
本来の入国手続きは簡単で、ドライバーが全員のパスポートを集め、
イミグレまで持って行って一括処理だったのですが、
途中で彼女に呼び出しがかかりまして。

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北マケドニア、ギリシャ国境のギリシャ側イミグレ

ありゃ〜、引っかかったか。と、悟った時点で僕らは諦め顔。
なぜならバスの同乗者はこうした場合、一蓮托生ですからね。
こうして待つこと10分、20分、30分・・・それでも彼女は戻って来ません。
しびれを切らせたドライバーがイミグレまで行くも、
うかない表情でひとり戻ってきただけ。
結局、50分を経過したあたりで「あ、戻ってきた!」と思ったら、
彼女はラゲッジスペースからトランクを取り出しています。
あ〜・・かわいそうに・・・
そう、彼女を残してバスは出発することになったのです。
何らかの事情でEUへの入国を拒否されたのでしょう。
ま、国境や検問では、こういうことがしばしばあるのですよ。

さて、国境を越えたらテッサロニキまで約1時間の道のり。
9月25日のポーランドから始まり、
ずっと内陸部を南下し続けていた僕らにとって、
この旅最初の海の風景は新鮮でした。

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トリゴニオンタワーから望むギリシャ第2の都市テッサロニキ市街

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街の南に広がるエーゲ海

ここまで24日間、
バルカン半島東ルートの縦断が終わり、まもなく中東エリアに入ります。
僕らにとってギリシャはヨーロッパの東の出口なのですよ。
そして3度目となるテッサロニキもまた今回は感無量。
2017年の1回目は日程が厳しく、1泊2日しかできませんでした。
そのリベンジを! と意気込んで訪れた昨年の10月下旬も、
何と、おり悪くテッサロニキ映画祭とバッティングし、
市内のホテルは僕らが泊まれない超高級を除いて満室。
加えてスコピエまでのバスチケットをゲットするのに手間取り、
居たのは結局テッサロニキ駅と空港に近い郊外のホテルだけ。
食事も駅の泣けるハンバーガーとホテルの部屋で食べた冷たいボレキのみ。
はぁ〜、何をしに来たのかさっぱりわからん。
それで今回は3度目の正直だったのです。
となれば、投宿するのは8年ぶりのこのホテルで決まり。

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1階はテナント、左端に2階へ上がる小さな入り口がひっそりあり
階段を登ったところがレセプション

オールドファッションなヨーロッパの典型的安ホテルで、
お若い方にはウケないでしょうけど、
僕らにはこのノスタルジックな雰囲気がたまらんのです。

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部屋は12平米程度の広さでも天井が高く、
殺風景ながら必要最低限の機能は備えています。
フロントに24時間、人がいるのもいいですね。

ここでも取材は順調です。
とにかくギリシャは食べて良し飲んで良し。
大賑わいのタベルナ(ギリシャのレストラン)や、
素敵なカフェがそこかしこにあります。

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ここで通ったレストランのひとつ 週末は予約なしでは入れません。

当然、料理もおいしいのですが、困るのは「南欧のノリ」。
たとえば12時開店となっていたのでそれに合わせて行っても、
「まだ準備できていません。12時30分からになります」
取材対象料理を吟味し、オーダーするも、

「ラムのブドウの葉包みをお願いします」
「それは本日ありません」
「え? ではですね・・・イワシのペッパー詰めは?」
「それもありません。シンプルなイワシならあります」
「はぁ・・・プランBもダメね。
 じゃぁ、お腹もすいてるし・・・サガナキならあるだろう。
 ムール貝のサガナキを」
「かしこまりました」

こういうのが多いのですよ。とにかく何かと「ゆるい」。
サガナキは何度も食べているし、ととら亭で紹介したこともあるので、
今更なんですが、まぁ、ないない尽くしじゃしょうがない。
しかし、災い転じて福となす。
僕らのような旅では何が不運で何が幸運かわかりません。

「お待たせしました」
「・・・? なんだこりゃ?」

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黄色いソースのサガナキ

サガナキといえばトマトソースを使った鍋焼き料理。
なのに、この黄色いソースは?
と思ってもう一度メニューを読んでみると、
マスタード風味のソースとな!
これが一口食べてみると、香りといい味わいといい、
今まで試したサガナキとはまったくの別物じゃないですか。

む〜・・・こりゃこの店独自の解釈かな?

と思いつつもホテルに戻って調べてみれば、
テッサロニキでは同様なタイプを出している店が幾つかあるそうな。
そこで追って別の店で調べると、なるほどマスタード風味バージョンがある。
しかも、これがまたマスタードの風味にフェタチーズのコクが調和し、
未経験的なうまさじゃないですか。これはぜひ、ととら亭で紹介せねば!

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豆腐ならぬ、日本じゃありえない気前の良さで、
フェタチーズがど〜んと乗ったグリークサラダ、

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2種類のチーズと野菜を詰めて、からっと揚げ、
ディル風味のヨーグルトソースを添えたイカ、

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サガナキと対極をなす鍋焼き料理のティガナキ。
これはフライドポークを濃厚なマッシュルームソースで煮込んだもの。
とにかく、おいしい料理が目白押し! ほんとギリシャは美食の国ですね。

さて、明日は午前中の便でこの旅8番目の渡航国、キプロスへ向かいます。
小さな島国ながら南のギリシャ系住民と北のトルコ系住民の紛争で、
国が南北に分断され、今でも複雑な事情がありますが、
料理取材の観点からは世界三大料理のトルコと、
ギリシャの美食文化が織り混ざった魅惑の地。
当然、グリーンラインを越えて両地域を取材する予定です。
楽しみだ〜っ!

to be continued...

えーじ

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ギリシャはワインも素晴らしい
それが何と500mlで約1,000円ですよ!
ここでもかなり出来上がっているともこさんでありました
posted by ととら at 04:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年10月18日

第27回取材旅行 その10

Здраво! (ズドラヴォ(こんにちは!)
僕たちは昨日のお昼前、北マケドニアのスコピエに到着しました。

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3回目のスコピエ中央バスターミナル
バスを降りるなり年老いた男性の白タクドライバーたちから
何度も声をかけられました
日本と同じように、年金で暮らすには厳しいようです

途中、ブルガリアとの国境を抜けましたが、入国はあっさりしたもの。
去年と同じようにスタンプはなし。
個人情報ページとICチップのスキャンで「ようこそ!」。

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北マケドニアの国境

ところが面食らったのはその前にあったブルガリアの出国です。
国境検問所のゲートに着き、
バスドライバーの「パスポート!」の声で降りようとしたら、
半分手ぶりで「荷物も持って行け」とのこと。
どういうことかと聞く閑もなく、
外ではインスペクターが中身の確認を始めたじゃないですか。
それもかなり適当に。
で、サブザックはいいのだけれど、
メインバックまで見せろと言わないよな・・・
との期待はすぐ裏切られ、がっちりパッキングしたカバーを外し、
ハーネスを緩めて中を見せる羽目に。
どうやらこれは取り締まりというよりジェスチャーのようなので、
僕の「見せたふり」で相手も納得。

で、次のブースがイミグレーション。
出国なのでスタンプぽんの「はい、さよなら」かと思いきや、
「シェンゲン圏のエントリーポイントは?
 これからどこへ?」などいろいろ聞かれるではないですか。
さらに今回の入国スタンプを探し始めたので、
更新したてのともこのパスポートはともかく、
スタンプだらけの僕の方はペラペラ行きつ戻りつ探し続けることに。
EUのスタンプってどこもそっくりですからわかりづらいんですよね。
国境って毎回新鮮です。

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バスはこんな風景の道を走り抜けて

そうそう、ここで驚いたのは別のこと。
バスの乗客全員にこれをやりますからちょいと待たされたのですが、
そのときに話した僕と同い年くらいの白人男性。
日本に住んでいたことがあるというのでどこかと聞けば、

「ヨコハマとヨコスカに住んでいました」
「え? 横浜? 僕の生まれたところですよ。どこです?」
「ネギシです」
「なんと!僕はその隣の本牧ですよ。今はどちらに?」
「ケニアです。あなたはかつての隣人ですが、
 今の隣人はライオンとキリンですよ」

旅の縁とはおもしろいものですよね。
こんなところで若かりし頃のネイバーと会うとは。
住んでいた街と米語のアクセントから、彼はたぶんアメリカの海軍でしょう。
それも根岸ハイツに住んでいたということは将校級ですな。

さて、スコピエは前回の長旅で訪れた街と唯一かぶるところ。
と申しますの、バルカン半島での移動はなかなか乗り継ぎが難しく、
バスの本数が少ない上に、運行時間も微妙なのですよ。
加えて8時間を超える長距離は疲れますし。
そこでソフィアからテッサロニキに向かうルートのちょうど中間にある、
スコピエで小休止というわけです。
その2」でお話しましたように、
今回はきちんと「旅のオフ日」を入れています。
今日は午前中ずっと冷たい雨が降っていたので、
ホテルの部屋でのんびりしていました。

この街を選んだのは、好きだから、というのもあるのですけどね。
初めて訪れた2017年以来、これで3回目。
とりわけいま投宿しているホテルのある旧市街は、
オスマン帝国統治時代の面影を色濃く残し、ちょっとトルコの街のよう。
オフリドやサラエボにもこんな街並みが残っています。

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丘の上にある要塞跡から見たスコピエ市内

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レトロなイルミネーションが美しい旧市街の細い路地

となれば、料理は当然トルコ系。
特にここのケバブチェはバルカン諸国の中でもベストでしょう。
前回みつけて今回も通っているのがこの店。

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専門店ですからメニューの数は少ないのですけど、
個人的にはスコピエのケバブチェとルーマニアのミティティが、
最もおいしいと思っています。

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ここのケバブチェは厳選された素材と巧みな調理方法で直球勝負。
シンプルでいてまねのできない味なんですよ。
炭火による焼き加減一つとっても達人の技。
とにかくスコピエに来たらこれを食べなくちゃいけません。
唯一の欠点はお酒がないことかな?
この前はビールを出していたのですが、
今年はメニューでその部分がマスクされていました。

景気は去年以上によく見えませんけど、
市場を見る限り、ローカル経済はそれなりに回っているようですね。

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ただ、空きテナントは増えたと思います。
その中には前回立ち寄った僕らのお気に入りだった店も含まれていてがっかり。
しかし、この前のホテルは健在でした。

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細い路地を入った奥にこんな入り口が

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部屋はまた手狭ですが、居心地はぼちぼち
こういう安ホテルで忘れちゃいけないのは耳栓です
壁が薄いだけではなく、目の前がモスクなので、
これがないと朝5時にアザーンでたたき起こされることに

さて、明日はまた朝のバスで、ギリシャのテッサロニキに向かいます。
このルートは去年の真逆。所要時間は4時間半くらいかな?
シーフードを中心とした取材が楽しみです。

to be continued...

えーじ

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ケバブチェ大好き!
posted by ととら at 07:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年10月15日

第27回取材旅行 その9

今日のプロブディフの天気は晴れ。
朝の気温はやや肌寒い8度でしたが、日中は18度まで上がりました。
風も乾いていて、秋の一番いい時期といった感じ。
街路樹も色付いてきれいですよ。

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丘の上からプロブディフ市街を見渡し

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賑やかなアレクサンダル・バテンベルグ通り

地方都市はいいですね。僕らはこうした素顔の街が大好き。
華やかな観光スポットこそありませんが、
ぶらぶら街を歩いているだけで、いろいろな発見があります。

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旧市街にはこんな通りも

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夕方は人通りも絶え、過去にタイムスリップしたかのよう

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そこかしこに素晴らしいウォールアートがいっぱい

取材する飲食店もそう。
一般的にはせっかく海外旅行に来たのだからと、
ミシュランの星付きレストランや、
ネット上の評価が高いところを探して行くのが十八番ですが、
僕らが取材するのはローカル御用達の店。
たとえばプロブディフではこんなところへ。

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日中に下見したときは廃業した店かと思いましたが
夜にはローカルたちで混んでいました

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この温かい雰囲気がいいですね
料理だけでなく、インテリアデザインも勉強になります

この街もローカル食堂が多く、料理取材は順調です。
で、興味深い発見はこんな料理。

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Chicken Giuliene(チキン・ジュリエンヌ)というロシア生まれの「洋食」です。
帝政時代、ヨーロッパの辺境に位置するロシアにとって、
西欧は先進地域であり、かの地の文化は憧れの的でした。
そこで建築はイタリアから、料理はフランスから専門家が招聘され、
日本の明治時代に似た折衷文化が華開いたのです。

このjulienneは、もともとフランス語で「細切りにする」の意。
料理は細切りにしたチキンの胸肉を軽くソテーし、
キノコやピクルスと共にサワークリームで煮込んだのちにチーズを加えたもの。
素材はロシアでも手に入りますが、レシピはあきらかに西欧の手法です。
ではフランス人コックの発案かと思いきや、答えはさにあらず。
ロシア人コックが西欧料理をシミュレートし、
フランス風の名前を付けた純国産なのだそうな。
これがソビエト時代のつながりから東側の国々に伝わり、
僕らが昨日入ったレストランのメニューでは、
こんな表記になっていたのです。

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中央のメニューがそれ

お気づきのとおり、スペルが間違っていますよね?
しかし、これこそが文化のダイナミクスの表出なのですよ。
ロシアとブルガリアで使われているのはキリル文字。
julienneをそのまま音写するとЖюльенとなり、
これをさらにブルガリア人がラテン文字に音写し直した結果、
julienne が giuliene になってしまった。

旅の食堂という仕事をしていてわかりましたが、
料理名の伝播原則は「思い込みがデファクトスタンダード」となる、です。
そう、たとえ間違っていても、広がったが最後、誰にも修正できない。
日本でもエスカロップやナポリタン、ハヤシライスなど、
言語的には誤用や聞き間違えであったり、
名を借用しても現地に存在しない料理があるでしょ?
料理と言うのは、実にまじめでいい加減な文化なのですよ。
だからこそ、人間くさくておもしろい。

それから、この街で投宿しているのはこんなホテル。

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ブルガリア相場だと中級の下クラスかな?

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10平米ほどの広さで手狭ですが、
全体が東横インのように機能的に作られており、
Wi-Fiや電源回りもしっかりしているので、
快適かつ仕事もはかどっています。
そうそう、狭い部屋は洗濯物が乾きにくいのですけど、
季節がいいせいか、ぱりっと乾いてくれるのもありがたいですね。

さて、明日は昼過ぎのバスでソフィアに戻り、
一泊した後、北マケドニアのスコピエに移動します。
今回の旅で、初めてEUを出ることになりますね。
この国境は初めてだな。すんなり行きますように!

to be continued...

えーじ

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バスで一緒だったオーストリア人のフェビアンと
30歳ながら南米やアフリカ、アジアと旅歴のある旅人
日本でのお気に入りはカプセルホテルとな!
posted by ととら at 04:59| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2025年10月14日

「自由な旅のレシピ」第9回がアップ!

バックパッカーは体力勝負!
なんて話をしていたところでタイムリーにアップされていました、
自由な旅のレシピの最新回。

第9回 年と体に付き合いながら

書いている本人がまた今回の旅でコケているところから、
これが読者さんだけではなく、
自分にも言い聞かせるつもりで書いたような・・・

む〜、ほんと、懲りない性格ですからね。
今回の長旅はまだ20日目。
この先まだ114日間あるので、慎重に無理せず行きたいと思います。

えーじ
posted by ととら at 02:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年10月13日

第27回取材旅行 その8

海外旅行のためにジョギングと筋トレ?

このブログで度々身体能力について話しておりますが、
ピンとこない方も多いかと思います。
そこで今日はその具体的な理由を説明しましょう。

まず、長旅の4か月半の間に使う「家財道具」は、
バックパックに詰めるとそれぞれ重さが、

えーじ
メインバック 17キログラム
サブバック 8キログラム

ともこ
メインバック 19キログラム
サブバック 6キログラム

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こんな格好になります
まさしくバックパッカー、いや、パックサンダーかな?

で、時計を12日の8時10分に戻しましょう。

「まずいな・・・」
「どしたの?」
タクシーが来ない

今日はプロブディフまでの移動。
長距離バスが出るのは、ホテルから2キロメートルほど離れた、
アレクサンドル・ネフスキー大聖堂の裏手にあるロータリー付近です。

nevskichurch_bg.jpg
アレクサンドル・ネフスキー大聖堂
この裏手のスロバキア大使館前がバス停

そこでブルガリアの配車アプリ「TaxiMe」でタクシーを呼ぼうとしましたが、
表示されているドライバーがみなリクエストを無視するじゃないですか。
これ、Uberでもしばしばあることで、
すぐピックアップできる楽な客はいいのですが、
ある程度走ってからだと利益が薄まってしまうため、及び腰なのですよ。

「しかたない、フロントで呼んでもらおう」

事情を話すとフロントの女性は、

「タクシー会社に連絡しました。10分待ってください」

時計は8時20分。
移動距離は短いので30分に乗ってもまだ十分間に合います。
ところが5分も経たないうちに・・・

「すみません、タクシー会社がキャンセルしてきました」
「え?」
「道路が警察に封鎖されていて、ここまで来れないようです」

ネット上のマップを見ると、
なるほどソフィアの中央部は広い範囲で交通規制が入っています。
フロントの女性は別のタクシー会社に電話中。

「ここもダメです」

バスが出るまであと30分しかありません。
タクシーもトラムもダメだとなると・・・

「どうもありがとう、歩いて行きます!

ホテルからバス停までの徒歩による最短距離は1.9キロメートル、
所要時間26分。

「急げば間に合う!」

こうしてフル装備で競歩を始めた僕ら。
外に出てわかりましたが、交通規制の原因は大規模なマラソン大会でした。
市民参加なのか、
そこかしこで老若男女のランナーたちがストレッチをしています。
その間を縫うよう、額に汗をにじませた僕らが進む様子は、
さながら別の競技をやっているかのように見えたかもしれません。

「あと何分?」
「ん〜・・・18分、何とかなりそうだ」

しかし、バス停まで来てみると・・・

バスがいない
「どうしたんだろ?」
「ほら、あそこ。封鎖線が張られてる。
 警察がブロックしていてバスが入れないんだよ。
 そういえば、さっきメールが来ていたぞ」

タイトルは緊急連絡。
どうやらピックアップポイントが変わったようです。
時計は8時56分。

「ったく、どこに変えたんだ?」
「待って、あそこにいる人たち、同じようにバスを待ってるんじゃない?」
「すみません、どちらまで行くのですか? プロブディフ?」
「ええ、デイツアーに参加しているのです」
「デイツアー?」

「おかしい、ここじゃない。行き先は一緒でも彼女たちはツアー客だ」

時計は8時58分。残りは2分しかありません。
そこへバス会社のロゴが入ったポロシャツ姿の男性が現れました。

「すみません、僕は御社のバスでプロブディフまで行くのですけど」
「ああ、では1ブロック先に停まっているバスに行ってください」

そこに割って入ったのは年配の女性。

「ちょっとあなた!
 メールにスロバキア大使館前って書いていたじゃない」
「今日はマラソン大会で、あそこまでバスが入れないのですよ」

目を細めて見れば、1ブロック先に数台のバスが停まっています。

「で、僕らはどのバスです?」
「3番のバスですよ」
「って、それはデイツアーのバスでは?」
「そうです、あなたは移動だけですので、
 プロブディフに着いたら降りて下さい」

こうして朝からひと汗かいた僕ら。
取りあえずプロブディフに着いたものの、
降りたところからホテルまでもちょっと距離があり、
合計で約3キロメートルをフル装備で歩く破目に。
こういうことがしばしばありまして。

というわけで、
バックパッカーはトレーニングが欠かせないのでございます。

to be continued...

えーじ

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バスに間に合ってほっと一息
posted by ととら at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年10月11日

第27回取材旅行 その7

Добър ден !(ドーバル デン(こんにちは!)」
僕らは昨日、予定より1時間早い5時30分にブルガリアの首都、
ソフィアのバスターミナルに到着しました。

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ソフィア駅に隣接するバスターミナル

ブラショフからの移動は計画時から微妙なムードだったので、
懐かしのソフィア駅を見たときは、やれやれと一息。
まず、国境をまたいで地方都市から地方都市へ行くバスは、
ルーマニアとブルガリアに関していうと、ほとんどないのですよ。

そこで今回はブカレストでバスを乗り換えて、ソフィアにアクセスしたのです。
実はこのルート、2013年に鉄道でやっておりまして。
あの時はいろいろすったもんだがあり、
バスルートもちょいと身構えて出発したのでした。
(詳しくはこちらを → 第6回取材旅行 その1)

今回もブラショフを出発し、
ブカレストのバスターミナルに到着するまでは良かったのですけど、
ここでお約束のサプライズが2回。
まずはこれ。

waitingroom_ro.jpg

このホラーな暗い部屋、何だかわかります?
なんとバスターミナルの待合室なんですよ、それも首都の!
到着したのが21時半過ぎだったとはいえ、
売店などの施設がぜんぶ閉まっていただけではなく、待合室もこの状態。
そういえば途中の街で寄ったバスターミナルでは待合室すらなく、
暗い路上のベンチでバスの到着を待つ人がいました。

そして二つ目は、乗り継ぎ時間の間に食事をしようと、
目星をつけておいたレストランに行ったら、
とっくに廃業してスーパーマーケットになっているじゃないですか!
しかしGoogleMAP上はステキなレストランが存在し、
ステータスも現在「営業中 24時閉店」とな。
実はこの「幻のお店」事件、今回の旅だけでもこれで3回目。
ま、Googleに限らず、ネットの情報の確度はこんなものです。

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結局、ここでピザとチーズパイを買って暗い待合室で食べることに

さて、この移動の肝となったのがブカレスト、ソフィア間の夜行バス。
シートピッチが昼間の便より長く、背もたれも大きくなって快適・・・
なのですが、7時間弱の乗車時間にもかかわらず、
トイレはあるのにカギがかけられたまま。

nightbus_bg.jpg
寝るにはいい、FlexBusの夜行。

これまたよくある話で、
たぶんトイレは壊れたままか、往路で汚物が溢れて使えない状態なのでしょう。
実際、クルジュナポカからブラショフまで乗ったバスは、
本来ワルシャワ発ブカレスト行きという、
まさに僕らが2週間かけて移動した距離を走り切るハイパー国際バス。
にもかかわらずトイレはひとつきりですから、
クルジュナポカの手前で、「さぁ降りる前に」と扉を開けたところ、
あいやぁ〜、な、おそるべき状態。
フツーの感覚の方なら、即座にドアを閉めて席に戻ったでしょう。
なぜなら掃除用具入れ程度の狭いトイレの左側にある洗面台は、
下部のカバーが外れ、便座側に倒れており、
床は的を外した排泄物でてかてか光り、
とどめが便器で、排泄物とトイレットペーパーでタンクが溢れ、
便器の中から汚物の巨大なソフトクリームがそびえ立っていたのです!
(ね、僕のブログは食事をしながら読むのはやめましょう)

そこで、僕がどう、
このインポッシブルなミッションをクリアしたのかと申しますと、
まず左足で倒れてくるカバーを押さえ、
左手で手すりを握って揺れるトイレ内での転倒を避け、
(転んだら一生残るトラウマになりますよ)
右足で体を支え、右手で息子を握って飛び散らないよう、
ソフトクリームの側面に的に向ける。
こうしたバス旅行では小便をするのも、ほぼ曲芸です。

ちなみに2013年はルーマニア、
ブルガリア共にシェンゲン協定に加盟していたものの、
まだ発効しておらず、国境でパスポートコントロールがありましたが、
今回は他のEU諸国のようにスルーでした。

で、発車するなり国境越えを気にすることなく爆睡し続けた僕ら。
ふと目が覚めて時計を見ると5時20分。
まだ到着まで1時間はあるな、ともうひと眠りしようと思いましたが、
マップ上で現在位置を確認したら、
ソフィアのバスターミナルまであと4キロとな!
慌ててともこを起こし、
冒頭のバスターミナルに放り出されたのでございます。

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懐かしのソフィア駅構内
ここの地下にあった切符窓口前のATMで現地通貨のレフをゲット
そうそう、来年1月からユーロに切り替わるそうな

時差はルーマニアと同じくJSTマイナス6時間。
気温は南下を続けたので、
ブラショフより3度くらい上がって最低でも13度くらい。
6日ぶりに雨が上がって爽やかな秋晴れとなりました。

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朝早かったので早速ジェンスキバザール(市場)の取材に

vitoshastreet_bg.jpg
それから繁華街のヴィトシャ大通りへ

臭い話が続きましたから最後に口直しを。
ソフィアで取材店を探していたら、
12年前の初日に行ったレストランがまだ健在だったのですよ。
そこで行ってみると、何もかもがあのときのまま。
いやぁ〜、思い出すなぁ、なんて感慨にふけりつつ取材を終え、
ホテルに戻って前回の写真データを見たら、またびっくり!
何と今回座った席は、前回と同じじゃないですか。
それも無意識で選んだのに。

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2013年7月の取材で

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12年後の昨日の取材
ちなみに見えにくいのですが ともこは同じ旅行用ベストを着ています
こういう人がいるから不景気を脱せいないのでしょう

これは幸先のいいスタートですね。取材も初日から絶好調。

mousaka_bg.jpg

まずはブルガリア風のムサカ。
ベースはギリシャタイプですが、ベシャメルではなく、
ヨーグルトに卵を入れたもので表面がコーティングされています。
下層はジャガイモと牛ひき肉の炒めたものがたっぷり。
チューブリッサというハーブが香る、レストランの定番です。
ヨーグルトを添えて食べるところがご当地ならでは。
そして次が、

kavarma_bg.jpg

煮込み料理の定番、カヴァルマ。
肉はいろいろ使われますが、今回はチキンバージョンにトライ。
キノコやパプリカ、ネギと一緒にトマトソースでじっくり煮込み、
トウガラシの辛みがアクセント。
これに自家製ワインを合わせれば、遠路はるばるまた来て良かった!
と思える満足感を味わえます。

さて、明日は地方料理を掘り下げにプロブディフに移動です。
どんな街かな?

to be continued...

えーじ
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2025年10月08日

第27回取材旅行 その6

僕らは昨日、長距離バスでシビウを経由し、
17時40分にルーマニア第2の都市、ブラショフに着きました。

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廃ビルの一角がひっそりと使われているシビウのバスターミナルの入り口
こういう廃れ方を目の当たりにすると、
経済の本当の状況が分かる気がします。

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小さな街にもいくつかルーマニア正教の教会があります
ここはそれなりの規模ですが
20人くらいしか入れないくらいの教会が多い

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こんな集落を幾つも通り過ぎ

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ようやく到着したブラショフの北にあるバスターミナル 寒い!

天気はルーマニアに入って以来ずっと雨が続き、
気温も今朝は6度、最高でも8度ですから、
東京の2か月先という季節感でしょうか。
ヨーロッパの宿の部屋は狭くても天井が高いのでちょっと寒いです。

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ブラショフでホームステイしている家の入口
看板はありません 普通はまず分からないでしょう
住所よりホテルサイトに掲載されている写真が唯一の手掛かり

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室温はともかく部屋はホステルと違ってお洒落
あ、「臭い」も問題なし ベッドの寝心地は最高!

今もダウンウェアを着てこれを書いているのですよ。
ま、暖房がなく、室内が外と同じ氷点下だった、
アンデス高地の安宿に比べたら天国ですけどね。

今回の長期旅行はルーマニアからが取材の本番。
滞在日数もその前の3か国より多めにとっています。
と申しますのも、ポーランドやスロバキア、ハンガリーは、
ととら亭として料理取材のメソッドが確立してから訪れていますが、
ルーマニアとブルガリアはまだ経験の浅かった2013年6月に行った国。
限られた期間にやるだけはやったものの、
成果はけして満足できるものではなかったのですよ。

さいわい今回のルーマニアは素晴らしい郷土料理のレストランに恵まれ、
クルジュ・ナポカ、ブラショフともに、密度の濃い取材ができています。

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ブラショフ初日のレストラン
近くにもうひとつ店舗があり、広場前の店は超満員で入れず

ドイツ人の先祖に当たる、
ザクセン人の統治時代に作られた街並みが残るブラショフは、
なるほどルーマニア随一の観光地と言われるだけあって美しいですね。
とりわけ旧市街はこれまで訪れた他の街と違い、
独特な建築物が残っています。

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雨でも人通りの絶えないスファトゥルイ広場

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賑やかなレプブリチ通りから黒の教会を臨む

また、長い歴史の中でハンガリー帝国、オスマン帝国の影響を受け、
それが今でも実感できるのが料理。
たとえばオスマン料理の延長にあるのがこれ。

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トルコ料理ではケバブ、
他のバルカン諸国ではチェバブチェとして知られていますが、
ルーマニアでの名はミチ、もしくはミティティ。
(ルーマニア語で「小さい」の意、後者は愛称で「ちび」の意かな?)
他と異なるのはその大きさです。
一般的に親指大のサイズがポピュラーですけど、
ミティティはその4倍以上はあるのですよ。
同じ民族で構成されるモルドバ版ですら小型でしたからね。
名前の意味からすると真逆なので、
もしかしたら逆説的なユーモアなのかも。
ホースラディッシュの効いたマスタードをたっぷり添える点もユニークです。
肉はビーフとラムの合びきが主流で、
クリスチャンですからポークの場合もあり。
スパイス感がない分、ガーリックはたっぷり。
これがもう文句なしのうまさ!

ハンガリーの影響も大きく、前回ご紹介したグヤーシュのほか、
パプリカーシュ・チルケ(チキンのパプリカソース煮込み)も、
トカニータ(シチュー)の一種として定着しています。

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国民食のママリガ(トウモロコシのポレンタ)を添えるところが、
ルーマニアらしいところでしょうか。

さて、明日は夕方からまた長距離バスで移動を始め、
21時過ぎ、ブカレストを経由してブルガリアのソフィアを目指します。
去年のコソボ、モンテネグロ間以来の夜行バスです。
ここまで地方都市が続いていましたから、
首都はワルシャワ以来ですね。
双方ともに12年ぶり。どのくらい変わったかな?
こうした街の変化を肌で感じるのも旅の楽しさのひとつなんですよ。

to be continued...

えーじ

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うまい、しかし量が問題だ!
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2025年10月05日

第27回取材旅行 その5

Bună ziua!(ブナ・ズィア(こんにちは)
僕らは昨日の17時15分ごろ、
予定どおりルーマニアのクルジュ・ナポカに到着しました。
ハンガリーから国境を越えたところで時差が変わり、
今はJSTマイナス6時間。

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街はずれにある小さなバスターミナル

デブレツェンからは長距離バスで約4時間30分。
途中で国境の街、オラデアで停まり、
次は東へ向かい、農地や小さな街を抜けていたのですが、
ここに来て突然開けた感じがしました。

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国境付近はこんな丘陵地帯

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通り過ぎる小さな街角

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クルジュ・ナポカの中心に鎮座するシンボル 聖ミカエル教会

ルーマニアは2013年の7月以来、12年ぶり。
あのとき訪れたのはブカレストとシギショアラだったので、
そのいずれとも違う今回のルートは新鮮ですね。
トランシルヴァニアの中心に位置するクルジュ・ナポカは、
歴史的にドイツやハンガリーの影響を強く受けており、
それが料理取材のポイントになっています。
たとえばこれ。

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トランシルヴァニア風グヤーシュ

グヤーシュといえばハンガリーの国民食。
そのおいしさから近隣諸国に広く伝わっていますが、
トランシルヴァニアバージョンはなかでも異色のピリ辛版なのですよ。
濃厚なパプリカ風味のビーフシチューに辛味がマッチし、
付け合わせのポテトとの相性も相まって、
これはととら亭でぜひ紹介しなければ!
っと、二人でうなってしまいました。
そして郷土料理といえば、

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クルージ風ヴァルサ
写真で見るとお好み焼きみたいですね 現物はまったく違いますけど

キャベツとザワークラウト、米、ひき肉などを層にしてオーブンで焼き、
サワークリームを添えたもの。
これにディルやシンブルなどハーブの香りが加わり、
何とも複雑な味わいではないですか。

それから忘れちゃいけないルーマニアのワイン。
食後の腹ごなしで聖ミカエル教会前の広場に行くと、
屋台が並んでおりまして。
そこでふと足を止めたのが地元のワイナリーの直販店。

winebooth_ro.jpg

ワインはペットボトル入りでビジュアルこそイケていませんが、
味見をしてみると、ドライでボディの厚みもあり、
めっちゃおいしいことといったら!
しかも値段がボトルでさっき飲んだグラスワインより安い!
こりゃ買わずにはいられません。
ともこがあまりにエキサイトしたのでサクラになったのか、
僕らの後に次々とお客さんが・・・

tomokowithwine_ro.jpg

で、宿に戻ってご覧のとおり、コップ酒でございます。
この前にレストランの奢りでパリンカをゴチになっているため、
かなり、いい感じですね。

そうそう、宿といえば、ここでも投宿しているのはホステル。
となると、やっぱり今どきの無人型でした。
部屋は屋根裏で手狭ですが、居心地は悪くありません。

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しかし、宿で困ることのひとつが「臭い」。
値段の高低にかかわらず、たまにすんごい臭いの部屋があるんですよ。
僕らの旅歴で最悪だったのは、クアラルンプールで泊まった安宿。
表ドアを開けた瞬間に鼻を衝く、「う、な、なんだこの臭いは!」
それはまるでホテル内全体をマジックリンの原液で掃除し、
そのまま水拭きせず乾かしたかのような臭いだったのです。
これはもう好き嫌いではなく、健康被害が出そうなレベル。

次点はシチリア島のカターニアの安宿。
部屋の中は柔軟剤の臭いが充満しており、
出所を探せばタオルだけではなく、すべてのリネン類から強烈に臭ってきます。
僕は無視できましたが、ともこはたまらず滞在中、
ずっとソファーで寝ることに。

そして今回はこの種のトラブルに祟られ続け、
コシツェでは枕カバーが柔軟剤の臭いで、
デプレツェンではリネン系すべてが生乾きの臭いで、
ここクルジュ・ナポカでは部屋の臭い消しで消臭剤を撒いたのか、
ドアを開けたらそこはデパートの1階か、空港の香水売り場のよう。

こればっかりは泊まってみないとわかりませんから、
最近はチェックインの時にはらはらしています。
次はブラショフのホームステイか・・・
どうだろうな、ん〜・・・

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年10月03日

第27回取材旅行 その4

Jó napot!(ヨー ナポト!(こんにちは)

日本を出発して10日。
一昨日の昼過ぎ、僕らは予定より30分ほど遅れて、
ハンガリー東部の地方都市、デブレツェンに到着しました。

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デブレツェン駅のホームで

ここはコシツェと同じく、観光地ではありません。
経由したヒダスネメティ、ミシュコルツともに、
旅人でもご存じの方は僅少でしょう。
パックツアーのルートには、まず入っていませんからね。

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バスから鉄道に乗り換えたヒダスネメティ駅

どこもいわゆる「何もないところ」ですが、
しかし、その国の日常に触れるには、
またとないチャンスがたくさんあります。
たとえばローカル鉄道で移動しているだけでも、
車内で、駅で、多くのドラマに出会えるのですよ。

花束を持っている、めかした彼は、
それを誰に、何と言って手渡すのでしょう?
お祖母ちゃんと一緒に差し向かいで座っていた少女は、
食堂車でコーヒーを買い、お金を渡そうとするお祖母ちゃんに、
「いいの、いいの!」と言っています。
方や、その二人が降りて次に座ったのは、
社会に対してちょっと斜に構えた様子の青年。
帽子を目深にかぶり直し、すぐに寝入ってしまいました。
ん〜・・・青春ですな。

車窓を流れる風景、車内で繰り広げられるドラマ、
2時間程度の乗車時間なら、あっという間に過ぎてしまいます。

さて、デブレツェンはこんな街。

churchplaza_hu.jpg
改革派教会前の目抜き通り 道の両側にはお洒落なレストランも

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市電が走る大通り こちらはローカル色100パーセント

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市場前から続く賑やかな商店街

外国人の観光客は、まったくと言っていいほど見かけません。
しかし、それゆえに、
僕らのお目当てのローカル食堂が点々と残っているのですよ。
なかでも気に入って通ったレストランがここ。

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街の中心からはちょっと離れていますが、
35年を超える長い歴史があり、
磨き抜かれた店内が地元の人々の支持を物語っているようです。
オーナーさんは日本贔屓なのか、日本語の挨拶だけではなく、
10まで数えられました。

で、今回の収穫ですが、いろいろ素敵な料理がありましたよ。
たとえばハンガリーはデザートだけではなく、
料理にもフルーツを様々な形で使います。
となると、

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チキンの胸肉のソテー 桃のソース添え
桃のソースといってもブドウなど季節のフルーツがゴロゴロ

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プルーンとチーズ入りのチキンフライ
意外な組み合わせが実にうまい!

いかがです? どれもおいしそうでしょう?
こうした料理はかつての取材で探しても見つからず、
3度目にしてようやく出会えたのです。
その甲斐あってか、いずれも予想を超えるうまさでした。
何より市場で売っているフルーツの質が抜群ですから、
それを使ったソースがおいしくないわけはありません。

marcket_hu.jpg
新鮮な食材が並ぶ中央市場

そして投宿しているのは、またもやホステルに戻ってこんなところ。
ハンガリーでPanzioとは、まぁ民宿みたいなものかな?

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気のいいおじさんが一人で切り盛りしていて、ゆっくりくつろげます。

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僕らが泊まっている8畳ほどの広さがある4号室
旅先での僕の仕事スペースはこんな感じ

彼は15年前に日本を訪れたことがあるそうな。
それも東京、名古屋、京都、大阪のゴールデンコース。
僕らもこれが3度目のハンガリーだと言ったら、とても喜んでくれました。

さて、明日はいよいよルーマニアのクルジュ・ナポカにバスで移動します。
ここからのルート、実は去年の長旅でスキップした部分なのですよ。
と申しますのも、ルーマニアとブルガリアは鉄道が不安定なだけではなく、
バスも首都を除くと連絡があまり良くなくてね。
ですから距離はそう長くなくても、日にちがかかるのは避けられません。
今回もルートを組み立てていて、
すんなり行かないところが何か所かありました。
ま、これくらいはこの旅の中盤以降に比べたら、かわいいものですけどね。

おっと、そろそろ時計は11時。
(日本との時差はマイナス7時間)
それでは明日のバスターミナルを下見しつつ、
最終日のランチ取材に行ってきます!

to be continued...

えーじ
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2025年09月30日

第27回取材旅行 その3

今日のコシツェは曇り。
最低気温は9度、最高が10度。
道行く人々はコートを羽織り、もう冬の入り口という感じです。

ポーランドで滞在したワルシャワとクラクフは以前訪れていましたが、
ここからは当分、初めての街が続きます。
スロバキアで10年前に滞在したのはブラチスラバだけでしたからね。

コシツェはバスを降りたときから、
いい感じの街だな、という印象を待ちました。

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聖アルジュベタ大聖堂へ続く目抜き通り

wallart_sk.jpg
裏通りには、こんなウォールアートも

観光的要素はほとんどない地味な地方都市ですが、
そこがまた素顔のスロバキアを感じられていいのですよ。
そういえば、かつてブラチスラバに持った印象も同じでしたね。
僕はこの国と相性がいいのかな?

ローカル食堂がたくさんありますから、
取材をするにも困りません。
半面、観光客が少ないので英語はあまり通じないかな?
とくに交通機関では微妙です。

景気は良さそうな雰囲気ではありませんね。
むしろ、やや厳しそうなムードがそこかしこで見受けられます。
だからといって、治安が悪いといわけでもない。
夜でも普通に女性がひとり歩きしていますから。

アジアとのパイプはかなり細いと思います。
観光客といえば、中国人はおろか東洋系自体、ほとんど見かけませんし。
飲食店でさえベトナム、インド系がぼちぼちあるくらい。
しかしそのベトナム系の店をやっている人の国籍は謎。
あの脈略のないところからすると、中華系かもしれません。
メニューを見れば内容がこうですから。

asianmenu_sk.jpg

で、僕らが取材しているのはこんな店。

restaurantfasade_sk.jpg

お客さんとスタッフはたいていスロバキア語で話しているので、
ローカルがほとんどか、
観光客といっても同じスロバキア人のように見受けられます。

料理はおいしいですよ〜。
ポーランドのピエロギに続き、
ここにもピロヒーというギョーザがあります。

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以前ブラチスラバで食べたものに比べて小型になり、
ブリンゾベ(羊の乳で作ったチーズ)の香りがマイルドになっていました。

それからスロバキアといえばこれ、ブリンゾベ・ハルシュキ!
小ぶりのニョッキをチーズ風味のクリームソースで和えた一品です。

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ブラチスラバでは、あまりの濃厚さにふたりして白旗を上げた難物ですが、
コシツェではより軽く作られており、
オプションのローストポークと合わせても完食はわけもないこと。
敬遠せずリトライしてみて良かったです。
これなら、ととら亭で紹介してもいいかな?

最後に、この街で泊まっているのはこんなホテル。

hotelfasade_sk.jpg

ポーランドでは2回続いてホステルだったので、
ちょっと奮発してホテルに泊まってみました。
部屋も広く、暖房も効いていて居心地抜群。
おいしい朝食まで付いて、すっかり疲れが取れました。

さて、明日はバスと鉄道を乗り継いで、
ハンガリーの地方都市、デプレツェンに移動します。
はてさて、無事到着するかな?

to be continued...

えーじ

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たまにはこうしてホテルで朝食も
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2025年09月29日

第27回取材旅行 その2

Dobrý deň(ドブリー ジェン(こんにちは!)
クラクフを長距離バスで出発した僕らは、
昨日の夕方、スロバキア東部の都市、コシツェに到着しました。

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コシツェのバスターミナル

いやはや、今回の旅も出発から荒れ模様。
まずはアブダビ、ワルシャワ間のフライトで、
ともこがウインドブレーカーを置き忘れ、
この後どこかで調達しよう、ということに。

次がワルシャワを出るときに入った駅のカフェで、
再びともこの「財布がな〜いっ!」大事件が発生。
一時店中が騒然となりましたが、
しまった場所を勘違いしただけのオチで解決。

そして翌日が僕の番。
さて、出かけようか、のタイミングで、ん? とトイレに。
そこから始まったのがひどい下痢。
おかげで当日アウシュビッツを訪れる予定がキャンセルとなり、
終日ホテルの部屋で沈没していたのでありました。

chinbotsueiji_pl.jpg
沈没メシはポーランド製のインスタントヌードルと
(ピクルスの酸味とディルの香りで結構イケる)
ベーグルの原型と言われるオブヴァジャネック
うう・・・メンボクない!

実は僕の下痢事件、珍しいことではないのですよ。
直近でも振り返れば、昨年の長旅でバスク、サラエボ、
そして今年7月のコタキナバルで、
同じように「トイレの住人」と化していたのです。

ん〜・・・まずいな。なぜだろう?

毎回、同じものを食べているともこは平気なのに、
僕だけこうなる理由はいかに?
そこで今更ながらに調べてみれば、
過労とストレスは下痢の原因となるそうな。
思えば先に挙げたケースでは、
いずれも僕がくたくたになった直後に発生していました。

そして引き金になるのが脂っこい食べ物。
なるほど、今回は前夜に食べたのがポーランド風のメンチカツと、

katlet_pl.jpg

バターソースがたっぷりかかったピエロギ。

pielogi_pl.jpg

ありゃ〜、まさに典型的な自爆型だったのね。

そこで昨日は二人して反省の一日。
学んだ教訓は、

1.油断するな
2.収納場所を変えるな
3.無理をするな

の3つ。

いや、3番目は今更いわれるまでもないことなんですけどね。
これ、僕の悪いクセのひとつなんですよ。
やるとなったら、体の悲鳴を無視してとことんやっちゃう。
(昭和のスポ根世代ですからね)
で、これまでは一日爆睡すれば回復できたのが、
さすがに62歳ともなると、そうはいかなくなって来たようです。
ワルシャワで一晩眠れば元気になると楽観していたのですが、
クラクフ初日の夜の疲れ方や、沈没した日の爆睡状態からすると、
ぜんぜんリカバーできていなかったのでしょう。

そこで疲れたときはしっかり休む、
いや、そもそもボロボロになるまでやるのはやめよう、
ということになりました。
ここコシツェ以降は、はりきりモードを封印し、
年相応のペースで旅を続けようと思います。

to be continued...

えーじ

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デブレツェン行きのチケットをゲットした後
コシツェ駅のカフェでひと休み
ここから旧市街にあるホテルへ
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2025年09月26日

第27回取材旅行 その1

Dzień dobry(ジェン ドブリィ!(こんにちは!)
僕たちは予定どおり、昨日の昼過ぎ、
ポーランドのワルシャワに到着しました。
それでは例によって時計を巻き戻し、
東京を出発するところからお話しましょう。

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日本はシーズンオフのせいか空港、機内共に外国人がほとんど。
インバウンドの多さが感じられる出発となりました。
今回お世話になったエアラインはUAE国営のエティハド航空。
以前も何度か乗せてもらいましたが、
相変わらず機材、クルー、ホスピタリティー、
すべての点で良かったですね。
とりわけ気になる機内食も、
日本発の便のせいか、チキン、ビーフ共に和食。
これからずっと外国の食事が続く僕らにとってはうれしい内容でした。

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予想どおり、食後に一本映画を楽しんだところで僕は気絶。
昼食で起こされるまで完全に記憶が飛んでいました。
アブダビの空港はドバイほどではないにしても、かなり大きいですね。
そういえばミッションインポッシブルの
「デッド・レコニング」でロケをやっていましたっけ。
この辺をトム・クルーズが走っていたのかな?
なんて想像しながらぶらぶら。

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アブダビのザイード国際空港

で、映画だけではなく、僕らのミッションにもトラブルがお約束。
その一発目は乗継便の遅延です。
事前にぽろっとメールが来ていましたが、
アブダビでインフォメーションボードを見れば、
2;10発が6時間遅れて8:00発に。
しかし、悪いことがあればいいこともあるのが旅の常。
エティハドさんがお詫びのディナークーポンを出してくれたので、
僕らはのんびり「早朝のディナー」を楽しめました。
それも通常はうまい食事を期待できない空港で、
珍しく「おお、これは!」という料理にありついて。
アドリブで選んだシンガポールラクサとシャクシュカは、
実においしかったです。

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汁なしバージョンのシンガポールラクサ

食後はここまでの疲れが出て僕がまたしても気絶。
どこででも、いつでも寝られるというのは、
バックパッカーにとって必須の「スキル」なのです。

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それもこんな状態でね(失礼)

アブダビ、ワルシャワ間のフライトタイムは約6時間。
いくら寝ても寝たりないのか、
このフライトでも席に着くなりまた気絶。
離陸したことすら覚えていません。
結局、また機内食で起こされるまでずっと爆睡していました。

10年ぶりのワルシャワ国際空港は、ほとんど記憶なし。
イミグレで少々時間を食いましたが、
その分、バゲッジクレームに行ったらバックパックはすでにぐるぐる周回中。
さくっとアライバルフロアに出て、
Uberのタクシーでワルシャワセントラル駅にほど近い宿へ。
ここもスタッフがいるにもかかわらず、
チェックインはタブレットでセルフ式の今どき風。
いやはや世界中で人間味がなくなってきましたね。
ま、ホテルではなく、安いホステルでは人件費が厳しいか。

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一休みした後は駅まで行って翌日の移動の流れを確認し、
それからまた歩いて懐かしの旧市街へ。
以前、取材で訪れたレストランポルカが健在でうれしかったですね。

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夕食での取材はお客さんからのお勧めもあった、
GOŚCINIEC Polskie Pierogiへ。
なるほど雰囲気のいいレストランじゃないですか。
取材したのはお約束のポーランドギョーザのピエロギ。
今回はほんのりスパイシーなフライドタイプをチェック。
もう一品が中欧名物ジャガイモのパンケーキ。
これにポークグヤーシュを添えた一品にトライ。
お供はコクのあるポーランドビールを。
ん〜・・・いずれも本場の味で実に幸先のいいスタートとなりました。

さて、今はポーランド時間午前10時22分。
(日本との時差はマイナス7時間)
僕らは今はクラクフに向かう列車の中です。
天気は晴れ。気候は東京の11月下旬といったところでしょうか。
朝晩はもう肌寒いですね。
あと1時間半くらいで着くかな?
さぁ、今回も長い旅の始まりだ!

to be continued...

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クラクフ到着!
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