2019年09月19日

選択のコスト

突然ですが、質問です。

もっともコスパの優れた飲食店とは、
どんな店でしょう?

そう、
「この値段でこんな料理が楽しめちゃうなんて!?」
という、ある意味、理想的な店とは?

え? お得なクーポン連発の店?

違います。
そういうところに質は期待できないでしょう?

物価の安い国で高級レストランに行く?

それじゃ旅費が上乗せされちゃいますよ。
条件は『国内で』です。

思い浮かばない?

正解は・・・

完全予約制で『おまかせ』料理の店!

なぜか?

食材のロスがないだけではなく、
労働力の究極的な最適化がはかれるからなのですよ。

この双方、いずれもおカネに換算すると、
バカにならない数字になります。
つまり、仕入れと人件費ですからね。
このロスを織り込まないのであれば、
「そのぶん儲けちゃおう!」でない限り、
価格はだいぶ安くできます。

そこで次の質問です。

ではなぜ、この『理想の飲食店』が見当たらないのか?

これはお分かりになるでしょう?
皆さんマターのことですから。

え? 分からない?
こりゃちょっと意外ですね。

この仕事をしていて今更ながらに気付いたのですけど、
飲食店に求められているのは、味と値段以上に、
「好きな時に、選んだものが食べたい」という、
利便性と選択肢なのではないかしらん?

この前者の要望は食事のタイミングや、
行動の予定などから十分理解できるのですが、
よくよく考えてみると、
選択というのは奇妙な話のような気がしないでもありません。

なぜなら、お腹に入るのは1品であるにもかかわらず、
『食べないその他』が必要なのですからね。

一般的に、お客さまはメニューの数が多ければ多いほど、
「わぁ〜!」っとなります。
反対に、たとえば、ランチでご来店され、2種類しか料理がないと、
(ととら亭のことです)
「なぁ〜んだ・・・これしかない」ってなっちゃう。

だから飲食店は長い時間営業し、
専門店を除けば、多くのメニューを揃えているのですよ。

ところがこれには、目に見えないコストが含まれています。

さっきの例で続けると、
たとえば5種類用意して3種類しか売れなかった場合、
残った2種類はロスとして、よくて賄い、最悪は廃棄されてしまいます。
つまり店にとっては損失ですね。

え? それはその店が被っているんだから関係ない?
いや、そうとも限らないのですよ。

もし、その店の経営が続いているのであれば、
それは収支のバランスがとれているということですよね?
(業績の良し悪しは別として)

ではどうやって、その損失を埋めているのか?

ロスの発生は突発的なものではなく、構造的な問題ですから、
常に起こることが前提となります。
そこで、そもそもの価格にロスの補填分が転嫁されているのですよ。

とりわけ素材の共通性が低く、
メニュー数が多ければ多いほどロスの確率が上がります。

冷凍食品を多用すれば、ある程度のリスクはヘッジできますけど、
それとてゼロでない限り、
名目を変えて価格に含まれるのは避けられません。

そう、高価な食材以上に、実は高くついているかもしれないのが、
「好きな時に、選んだものが食べたい」という、
利便性と選択肢のコストなのですね。

同業者にはこの意見に意義を唱える方もあると思いますが、
飲食店の売り上げが基本的にお客さまの財布だけに依存し、
ロスがビジネスの構造上、避けられない現実であることを鑑みると、
意図の有無は別として、
結果的に損失は価格の中で調整されていることになる。

選択とは常に選択されない何かを伴い、
そのコストは按分率に差こそあれ、
直接的、間接的に、すべてのプレーヤーで負担するしかありません。
思った以上に贅沢なことなのですよ。

あ、だから先進国ほど、さまざまな分野で選択肢があるのか。

えーじ
posted by ととら at 22:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年09月16日

商店街のババ抜き

今日は3連休の最終日。

「すみませんが、細かいの、ございませんでしょうか?」

ということは・・・

負けちゃいましたね、ババ抜き。

毎回、商店街で繰り広げられているこのゲーム、
通常のトランプでやるババ抜きとは、ちと違います。

ジョーカーに相当するのは1万円札。

それぞれのお店が連休、つまり書き入れ時に入る前、
商売の内容に応じた釣銭を用意していますが、
予想以上に1万円札で支払いがあると、
とうぜん最後は底をついてきます。

やば・・・あと1枚出されたらゲームオーバーだ!

普段ならここで銀行へ行けばいいのですが、
連休となるとその手は使えません。

そこで負けないためには、
どこかの店で『両替』するしかない。

「あれ〜? 細かいのなかったんだ。
 ゴメンね〜、大きいのでいい?」

なんて、くさい芝居を打たれても、イヤとは言えないのが商店街。
しかし、これでは1店で1枚しか両替できないので、
買い物を小分けにしてハシゴすることになりますが、
あからさまにやり続けていると、さすがに嫌な顔をされます。

そこで同じ店を避けるものの、
結局、いろんなお店が同じことをしていますから、
一万円札が商店街をグルグル回る、
まさしくババ抜き状態になるのですよ。

え? ととら亭の戦績はどうなんだ?

ふふ、うちは常勝です。

なぜなら、
ランチタイムに1万円札を出されることが少ないだけではなく、
なんと逆に、
『チェンジマネー』してくるお客さままでいるからなのですよ。
ほんと、助かってます。

この3連休もありがとうございました!

えーじ
posted by ととら at 15:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年09月13日

時計を見ないで

今週は火曜日から僕らも遅ればせながらの夏休み。
ほんの3.5日ですが、のんびりしました。

といっても例によってやっていたのは、
溜まった仕事のリカバリーでしたけどね。

それでも普段のように時間に追われていませんから、
気分的にはだいぶ違います。
別の要件に割り込まれることもないので集中できますしね。

こういう仕事の仕方はお勧めできませんが、
営業のある日だと、
僕はいろいろなタスクを細切れにしてやっているのですよ。、
コンピュータ用語で申しますと、マルチタスク、
いや、ハイパースレッディングかな?

たとえばこのブログ。
椅子に座ってじっくり書いていることはまずありません。
「こういう話をしようか?」
なんてネタはよく掃除をしながら考えています。
そして実際に書くのは、
営業中が多いですね。ヒマな日でお客さまが途切れた時とか。
つまり3分の2は立って書いているというわけです。

まぁ、すべからくそんな調子なもので、
かりにやっているのが退屈なペーパーワークだとしても、
それひとつに集中してやれると、気分も疲れ方もぜんぜん違うのですよ。
ましてやそれが好きな読書だったりすれば、気分はもうバケーション!

思えば僕はオンの日に、何回、時計を見ているんだろう?
それはいつも時間を気にしている、ってことですよね。
いや、正確に言えば、時間に追われてるってことか。

ん〜、なんとしても、こいつから自由を取り戻したいですね。

あれ? もうこんな時間か!
今夜はディナー営業があるんだった。
掃除しなくちゃ!

えーじ
posted by ととら at 13:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年09月10日

ありがたき屋根の下

一昨日の台風はすごかったですね。
あの日は僕らも早々に店じまいしてアパートに帰ったのですが、
夕食を食べる頃になると、だいぶ風雨が強くなってきました。
そこでちゃぶ台を囲んだ僕たちが顔を見合わせて言ったのが、

「あ〜、僕らは幸せだねぇ!」

え?
いや、この歳になってのろけているわけではありません。
心から喜んでいたのは以下の4点です。

1.嵐の夜に雨風をしのげる部屋にいる。
2.しかもその部屋はエアコンが効いている。
3.僕らはシャワーを浴びてさっぱり。
4.そして美味しい食事(冷たいビール付き!)が目の前にある。

え? それがどうした?
別に当たり前のことじゃないか?

ん〜・・・かもしれませんね。
でも、僕らの物差しでは、そうとも限らないのですよ。

その評価基準といえば、
起業家の中でも志の低さでは定評のあるととら亭、
バックパッカーのビンボー旅行がベースになって・・・

いません。

僕らの生活水準のベースになっているのは、
もしかしたらそれ以下の・・・

キャンプです。

そう、いつぞやお話したと思いますが、
僕もともこも、国内を旅していた時の宿泊はキャンプが基本。
特に僕は登山ライダーだったので、荷物はバイクに積めるだけ。
山に登る時はバックパックに入るだけでしたから、
装備はいつも必要最低限だったのです。

そこでもし、一昨日のような夜をテントで明かすとなると、
そりゃもう、涙なくしては語れない話になるのですよ。

たとえば、あれは稚内の近くにある、
クッチャロ湖のほとりでキャンプしていた時のこと。
夜半に寒冷前線が近付き、強風と共に大粒の雨が降り始めました。

その時、僕が使っていたのはクロスドーム型のテント。
ジュラルミン製のポール2本を交差させて、
概ね横1メートル×縦2メートルの空間を作り出す構造になっています。

これは入り口のある短辺方向からの力には強いのですが、
長辺から受けると、形がひしゃげてしまい、
1メートルの幅があった空間が半分くらいなっちゃうんですよね。
風向きが変わってからというもの、
中にいる僕はポールを折られないよう、
両手で支えていなければならなくなりました。
もう寝るどころではないのですよ。

しかし本当の悲劇はこれからです。

ひとり、風に耐えていた僕は、
ほどなくしてテントの下部を囲うグランドシートの異変に気付きました。
内側に向かって妙な湾曲のしかたをしています。
触ってみると、なんかタプタプしてる。

大変だ! 水没している!

そう、テントの周りにはあらかじめ排水用の溝を掘っておきましたが、
降雨量がそれを上回って、
テントは今や水たまりの中に浮かぶ島のような状態となっていたのです。

脱出しなくちゃ!

僕は狭いテントの中でレインウェアを着込み、
ブーツを履いてから外に出ました。
叩きつけてくる風、全身を打つ大粒の雨。
テントは直径6メートルほどの水たまりの中に浮かんでいます。

まずやらなければならないのは、重い荷物の移動です。
雨が当たらない公衆トイレの中までピストンで荷物を運び、
次はテントを地面に固定しているペグを抜いて、
飛ばされないようにしっかり掴んだまま、
公衆トイレの風下側に移動しました。

ようやく一息ついてトイレに入ってみると、
手洗い場には同じように避難したずぶ濡れのキャンパーが数人。
中には移動中、強風にあおられ、
テントが湖上を去っていった悲劇に見舞われた人も。

結局、嵐がやむまで、まんじりともせず、
僕らはそこで臭い仲となったのでありました。

南でも安心はしていられません。

あれは石垣島の米原キャンプ場でのこと。
サンゴの砂のビーチでキャンプなんてステキ!
と皆さんは思うかもしれませんが、その実情は・・・

この時はともこも一緒だったので、
テントはより大きい3〜4人用のものを持って行きました。
(といっても3人で使うのは厳しい)
ところが訪れたのが6月下旬の南の島となると、
締め切ったテントの中はもうサウナ状態。
とても寝るどころではありません。

かと言って、少しでも風を入れようと入り口を開けたが最後、
ジーンズの上からでも平気で刺してくるマッチョな蚊の集中攻撃を受け、
ふたりとも献身的なブラッドドナーになってしまいます。

そこで僕らはビーチまで出て、砂の上にマットをひいて寝ていたのです。
ここならずっと海風が吹いているので涼しいし、
蚊も近寄れませんでしたから。

しかし、砂浜で風が吹いているということは、
砂が飛んでくるということでもあります。
そう、朝になると髪も体もじゃりじゃり。
さいわい水シャワーが近くにありましたけどね。

とまぁ、これくらいのお話でも、
僕らの生活基準がどんなレベルか、ご理解頂けたかもしれません。

いま、僕らが住んでいるのは月家賃7万5千円の狭い2Kアパート。
それでも雨風がしのげるだけではなくエアコンがあり、
お湯の出るシャワーだってついてる。
そう、刺されると厄介な虫だって入ってこない。

だから、幸せだねぇ!

なのでございます。

えーじ
posted by ととら at 21:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年09月08日

サラリーマンホテルで嵐の夜に

関東地方は台風15号が接近中。
ここ東京でも空模様がだいぶ怪しくなってきました。
これから明日未明にかけてだんだん荒れて来るそうですね。

こりゃ今夜のディナー営業はアーリークローズかな?

とまぁ、ととら亭の営業ではこういうのもよくあることですが、
不思議なことに、今まで外国を旅していて、
天候理由で予定を変更したことは一度もないのですよ。
成田を飛び立った直後に大雪で空港閉鎖、
なんて、おっと危ねぇ! なケースもありましたけどね。

ところが国内では足止めを食ったことがあります。

あれは10数年前、会社員をやっていた頃のこと。
6月の蒸し暑いとある日、僕はチームメンバーのJ君を連れて、
名古屋に出張していました。
その時、進路を変えた台風の影響で、
思ったよりも早く上りの新幹線が運休になってしまったのですよ。
名古屋駅は足止めされた乗客たちで大混乱。

「J君、東京に帰るのは無理だ。プランBで行こう」

そこで駅近辺のビジネスホテルを梯子するも、
みな既に満室状態。

出遅れたか・・・

と周囲を見回す僕の目に入ったのが、
開発された駅前で沈み込んだように佇む古ぼけたビル。
褪色した電光看板から読み取れる文字は、

『サラリーマンホテル』

なんだありゃ?
やってるのかな? ダメもとで行ってみよう。

入り口を入るとそこは椅子すらない小さな部屋で、
銭湯の番台のようなフロントに、
およそホテルマンらしからぬおじさんがひとり。
僕は自分の入ったところが何なのか、すぐに理解しました。

駅前にこんな簡易宿泊所があるとは・・・

お値段はシングルで1700円也。
にもかかわらず冷房完備と書いてあります。

「今夜はここに泊ろう」

そう言って振り返った僕の目に入ったのは、
引きつった表情で途方に暮れるJ君。

「こ、ここに泊るんですか?」
「そうだよ」
「ここだけはやめましょうよ!」

彼はすがるような調子で哀願してきました。

「でも駅近辺で空いているホテルはもうないと思うよ。
 近隣も同じ状況じゃないかな。
 ここがいやならプランCは連絡通路でのダンボーラーだけど、
 それでもいいかい?」

彼もようやく運命を悟ったようです。

料金を前払いして入った部屋は、ベッドがひとつ、ぽつんとあるだけ。
風呂とトイレはもちろん共用。

「風呂に行こうぜ」

隣の部屋に顔を出してみれば、
J君はさっきにもまして落ち込んだ様子です。

ま、ひとっ風呂浴びてさっぱりすれば元気になるさ。

ところが地下に降りて入ったのは、浴室というより薄暗いボイラー室。
脱いだ服の置き場にも困るような部屋の中央に、
ひとりしか入れない大きさの風呂桶が僕らを待っていました。

あいやぁ〜・・・

安宿に慣れている僕にはよくあることでしたが、
育ちのいい、きれい好きなJ君には大きなショックだったようです。

さらに追い打ちをかけるように、
22時になったらエアコンが止まってしまいました。
どうしたわけだと廊下に出て、
そのフロアに冷気を供給している大型エアコンの前まで行ってみれば、
操作ノブに触れられないようパネルが塞がれているだけではなく、
ご丁寧にも鎖を巻いて南京錠までかけているではないですか。

おいおい、こりゃどうしたこっちゃ?

とフロントに行けども誰もいません。
で、宿直室とかかれた部屋をノックしてみれば、
さっきのおじさんが・・・

「あの、エアコンを動かして欲しいのですけど」
「エアコンは22時で止めるんです」
「だってフロントに冷房完備って書いてあるじゃないですか」
「そう言われても決まってるんです」
「でも22時で止めるなんて書いてありませんよ」
「俺だって決められたことをやってるだけなんだよ!」

逆ギレか、こりゃダメだ。

さいわい僕らの部屋は南に面していなかったので、
窓を開けていても雨は吹き込んで来ません。
外から風の唸り声が聞こえてきます。

扇風機もない部屋のベッドに寝ころんで天井を見上げていると、
東南アジアの安宿を思い出すな。

いつしか僕は眠りに落ちていました。

翌朝、隣の部屋を見てみるとJ君の姿がありません。
携帯電話にかけてみたら近くのファミレスにいるとのこと。

なんと憐れな彼は一睡もできず、未明のうちにチェックアウトして、
ファミレスで時間を潰していたそうです。

そんなJ君がどうしたわけかバックパッカーとなり、
今ではソロで東南アジアの国々を旅しているというのも、
嵐の夜の数奇な運命を感じます。

もしかしたら彼は僕とは逆に、
タイやラオスの安宿で、
あのサラリーマンホテルを思い出しているのかもしれませんね。

えーじ
posted by ととら at 15:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年09月05日

たかが食材、されど食材

八百屋さんでトマトを手に取り、

「ああ、これはアンデス山脈南部の高地で生まれ、
 エルナン・コルテスがメキシコからヨーロッパに持ち帰って、
 世界中に広がったんだなぁ・・・」

なんて思いを馳せる人は殆どいないでしょうが、
ととら亭では料理だけではなく、
素材のひとつである個々の食材もまた取材の対象にしているのですよ。

それというのもこの食材、
あらためて向き合うと想像以上にディープなものでして、
時には遠い昔の話ではなく、
現代の、国際紛争の原因にすらなっていたりします。

その火種と言えば、
僕たち日本人にとってオレンジや牛肉以上にくすぶっているのは、
クジラではないでしょうか?

これ、僕もずいぶん前から気になっていたのですよ。

今年6月末、日本がIWC(国際捕鯨委員会)を脱退したのは、
耳目に新しいところですが、
この件、なにをそんなにもめてるの? 
と今さらながらに調べてみれば、
主食でもない、ひとつの食材(兼素材)から始まった議論が、
もめごとのデパートみたいになっちゃってるじゃないですか。

そこで発端から流れをざっと追ってみますと・・・

クジラの無秩序な捕獲が世界的に問題視されはじめ、
1931年のジュネーブ捕鯨条約、
1937年の国際捕鯨取締協定などが結ばれた後をうけ、
1948年に国際捕鯨委員会が設置されます。
その主たる目的は、
『国際捕鯨取締条約に基づき鯨資源の保存及び捕鯨産業の秩序ある発展を図る』

ふむふむ、それはご尤もな話じゃないですか。

だったのですが、その後は捕獲枠を決める基準が二転三転し、
結局、現時点で科学的に根拠のある基準を策定するのは難しい。
よって、しばらく捕鯨はやめましょう!
という方向に進んじゃった。

くわえて面倒なことに、この議論、計算式上のドライな話ではなく、
1972年にアメリカが国連人間環境会議で
商業捕鯨の10年間一時停止を提案したあたりから、
なんとなく外交カードの臭いがしはじめ、
やがてテーマが『鯨資源の保存及び捕鯨産業の秩序ある発展を図る』から、
『捕鯨をやめるか続けるか』という二元論的議論ならぬ、
論争にシフトしてしまいます。

このころになると舞台に上がる役者も政府・水産関係者だけではなく、
グリーンピースなどの環境NGOや宗教団体まで加わって、
さながらバトルロイヤルの様相を呈して来てしまいました。

僕がこの泥仕合を見ていて溜息をついたのは、
『野蛮』とか『残酷』という、
本来の議論上は関係のない言葉が飛び交いはじめたからです。

そしてその根底で見え隠れしているのが、
『われわれこそが人類のスタンダード!』と信じて疑わない、
オールドファッションな自民族至上主義とあっては、
あんまりお付き合いするのもなんだかなぁ・・・
という気がしていました。

僕は政治家でも文化人類学者でもありませんが、
旅の食堂という仕事で世界をうろついているうちに学んだことがあります。

文化というのは個々の要素で比較こそできても、
その結果は単なる差異であって、
定量化して順位を決められるようなものではない。

つまり文化に『先進』も『野蛮』もない。

これは取り立てて目新しい考え方ではなく、
社会人類学者・民俗学者のクロード・レヴィ・ストロースが、
(僕のアイドルのひとりです)
1962年の著書『野生の思考』の中で文化を構造という言葉で言い換えながら、
上から目線の西洋中心主義をけちょんけちょんにしていました。

そう、個々の人間に、人種に、民族に優劣がないように、
人間の産物である文化にもまた優劣はない。

『残酷』という言葉も、こと相手が人間以外の生物に対して使われると、
僕には場当たり的な人間中心主義の臭いが感じられるのですよ。

だってクジラを殺すのは残酷だけど、
先進国のスーパーマーケットで並んでいる牛、豚、鶏はノープロブレムって、
どんな理屈で正当化できます?
食肉工場の屠殺現場で繰り広げられている光景は、
残酷という表現に値しないのでしょうか?

人間の食とは、基本的に他の生物の命を奪うことによって成り立っており、
その対象は文化によってさまざまです。

たとえば僕の知る限り、日本では犬を食べませんが、
韓国、中国、ベトナム、インドネシアでは食べます。
だからと言って、日本が進歩的な文明国であり、
他の4カ国はかわいい犬を残酷にも食べる野蛮な国だと、
僕は思わない。

そこにあるのは単なる食文化の差異であり、
優劣、善悪、先進と野蛮のような、二元論的対立が入り込む余地はない。

生物資源としてのクジラを論じる時、この文化の本質を離れると、
そこには国家的、または民族的視野狭窄というコワイ落とし穴が待っています。
その意味では、
仮にIWC加盟国による多数決で『民主的』に決めたことであっても、
それが文化優劣論の土台の上にあったのであれば、
その結果も、その決定プロセスを続けることも、
長期的に見て、人類全体の利益にはあまり貢献しないでしょう。

たかが食材、されど食材。

すべての関係国がもう一度おなじテーブルにつき、
外交カードのひとつとしてではなく、
文化の本質を直視した上で継続的資源の使用と保全、
そして配分の議論をすることを、
僕は願ってやみません。

えーじ
posted by ととら at 22:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年09月02日

僕の労働観 その3

アルバイト、派遣社員、契約社員、正社員。

雇用形態こそ違いますが、どんな働き方をしても、
僕のメンタリティーはいつも同じだったというお話をしました。

では、9年半前からやっている個人事業主はどうかというと・・・

完全に違います。

何がどう違うって、
もう何もかもが根底からしてまったく違う。

まず、労働は誰かのためにするものではなく、
直接的に、自分自身のためにするものとなりました。
もちろんおカネは頂きますけど、
雇用主という特定の人物からではありません。
だから社長や上司という人事権を持つ一握りの人物に、
人生の運命を握られることはない。

この解放感は実に大きい。

そうなると『割り切り』が限りなく減りました。

本意ではなくても、
「お仕事だからね・・・」と自分に言い聞かせて、
別の人格を演じるような必要はもうありません。

だからいま僕は、いわゆる素で仕事をしているのですよ。

たぶん、そのおかげで9年以上、月に400時間前後を働いても、
体は疲れこそすれ、気持ちがバテることがないのかもしれません。
サザエさんだって好き。(見れないけど・・・)

ここで不思議なことが起こりました。

それまでは仕事一色のひとを、
「あれしかやることがなくて可哀想だな」なんて憐れんでいた本人が、
朝から晩どころか定休日にだって働いている。
それでいてなんか楽しい。

そんな自分を見ていてふと思い出したのは、
『労働は人間の本質である』というマルクスの言葉でした。

これ、いろいろな文脈で使われていますけど、
人間の行動が太古の『食』を得る時代から、
現代の『職』を得る時代に変わったとしても、
みんなが寝転がっていたら飢え死にしてしまうという現実がある以上、
『労働は人間と対立しない』というのが僕の素直な解釈なのですよ。
(働かざる者食うべからず、という選民的な意味じゃなくてね)

とはいえ、独立というパンドラの箱を開けて飛び出して来た、
雑務の大群にはほとほと手を焼いています。
お店の営業だけではなく、
経理からトイレ掃除、はてや壊れた機材の修理まで、
なんでもやらなくちゃならない。

やれやれ、労働は人間の本質と言えども、
今度は孔子さまの言う
『過ぎたるは及ばざるがごとし』を絵に描いたような生活になってしまいました。

む〜・・・困ったもんだ。

それでも僕らの場合だって箱の底に残っていたものがあるんですよ。

それは『希望』ではなく、『自由』でしたけどね。

えーじ
posted by ととら at 01:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年08月29日

僕の労働観 その2

労働とは、
僕の労働力を必要とする人に売ること。

It's just a deal.

若かりし頃からこんな考えが仕事の根底にあったから、
たとえプロパーをやっていても、
健康診断や社員割引などがあると、

いやぁ〜、すみませんね、
こんなことまでやってもらっちゃって。

という気持ちになっていました。
僕の中では給料を頂くことで取引は完了していましたから。

時には給料明細の数字と自分の一カ月分のアウトプットを秤にかけて、

こんなにもらっちゃっていいのかしらん?

と思ったことも。

これが時にあんまり気になったものですから、
人事部長と面談した時に、

「僕は自分なりにベストを尽くしているつもりですが、
 ちゃんと皆さんの役に立っていますでしょうか?」

とマジで訊いたこともありました。

いや、これは『謙虚さ』を湾曲的に誇張しているのではなく、
僕の労働観に照らすと、
この問題は進退判断にも繋がり兼ねないものだったからなのですよ。

僕には僕の売り物があり、会社はそれを買っている。
しかし百貨店ではないので、
何でも揃っているというわけではありません。

そこでニーズと売り物の間にギャップが生じたらどうするのか?

単純に取引終了です。

僕は自分を押し売りするつもりはありませんでした。
また自分の持っていない売りもの、
たとえば経理や人事の仕事を『仕入れる』気もなかった。

それじゃまるで派遣社員と同じじゃないか?

と言われるかもしれませんが、僕もそうだと思います。
雇用契約の形がどうあれ、
与えられた条件下で、自分の納得した範囲の仕事を精一杯やる。
勤続年数はただ結果の数字でしかない。
このスタンスは派遣でもプロパーでも変わりませんでしたから。

こうした立場の目線で職場を見ていると、
外国を旅している時と同じような感覚になったことを覚えています。

なぜこの人は20時になって、
1週間後にやる会議の資料を作っているんだろう?

とか、

なぜこの人は自分のアイデンティティでもあるかのように、
異動を恐れて今の仕事を守ろうとしているんだろう?

という光景が、心理的にとても離れて見えたのです。

たぶん、それはこの国で最も支持されている労働観に、
スタートの時点から入らなかったせいじゃないかな?

そうした意味で、
現在、勤続年数最長記録更新中の『旅の食堂ととら亭』は、
僕にとって必然的な結果だったのかもしれません。

えーじ
posted by ととら at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年08月26日

他人の空似

僕はどういうわけか、ハイティーンの頃から、

「XXXXXに似てるね」

と言われることがよくあります。

いや、別に意識していたわけではないのですけど、
周りが勝手にそういうのですよ。

それを年代順に思い出すと・・・

20歳代 近藤真彦さん

30歳代 時任三郎さん

40歳代 糸井重里さん

とまぁ、ここまでは良かったのですが・・・

50歳代 食い倒れ太郎さん

・・・・・・・・・・・・

なぜだ?

えーじ

P.S.
ともこはよく、

「寺島しのぶに似てますね」

と言われます。

そうかな?
posted by ととら at 16:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年08月23日

僕の労働観 その1

ととら亭を始めて間もなく9年半が経とうとしています。

勤続25年以上が当然の人生を送っている、
同世代の方には想像し難いことかと思いますが、
この年月は僕にとって同じ仕事を続けているという意味で、
生涯最長記録更新中なのですよ。

更に付け加えると、これはワイフのともこにも当てはまり、
この事実だけでも僕ら夫婦のハチャメチャぶりが、
お分かりいただけるのではないかと思います。

振り返ればアルバイトも含めると、
これまで実にさまざまな仕事をやってきました。

その雇用形態も同様で、
アルバイト、派遣社員、契約社員、正社員。
いろいろな立場で働いてきたものです。

しかし一貫して共通していることもありました。

それは僕の労働観。

いきなりゴーマンかまして恐縮ですが、
僕はおカネをくれる相手を尊敬したことは一度もありませんでした。
ハイティーンの若造がそうだったというとちょっと滑稽ですけど、
常に相手と対等の立場に立っていたつもりだったのですよ。

しかしこれは相手をおちょくっていたという意味ではありません。
対等ということは、
自分に対して求める敬意と同じことを相手にもはらうのがルールです。

ですから僕の中で『働く』ということは、
『取引する』と同じことでした。
すなわち僕は労働力を売り、相手はそれを買う。
それ以上でも以下でもない。

こうしたドライな考え方をしていると、
労働を神聖視し、時には労働者の人格や人権と一体化させる潮流からは、
ほぼ完全に外れてしまいます。

だからプロパーをやっていても、
会社という組織への忠誠心が欠けていたのかもしれませんね。
運命共同体と思ったことはない。
出世も停年退職も頭にない。

給料の範囲で働く。
こりゃ割に合わないな、と思ったら手を出さない。
しかし時にはおカネ以上の意味を見出して、
その合計値に見合った労働をしたこともありましたけどね。

こうした考え方をするようになったのは、
ハイティーンの頃のバイトの経験が、
きっかけになっているような気がしています。

あの時代、まだ景気はよく、
プロパーの間では終身雇用があたり前でしたけど、
それは社会全体に当てはまることではなかったのですよ。
未来を予見するかのように、一部では体よく使われ、
用済みになれば手のひらを返すように、
解雇された人たちの姿をすでに見ることができました。

雇用条件もムチャクチャでしたね。
たとえばバイトやパートの時給は、
30分刻みで計算されているところが少なくなかったのですよ。
これ、かりに15時から20時までシフトに入っていたとすると、
タイムカードの打刻時間が15時1分と19時59分だった場合、
賃金対象になるのは4時間58分ではなく、
4時間に丸められてしまうのです。
計算上は15時30分から19時30分までしか働いたことにならないのですから。

これは僕のポリシー上、受け入れがたい。
1分ぶんの労働力を売ったのだから、1分ぶんのおカネをもらうのが当然。

そこで、とある仕事でマネージャーをやっていた時、
社長に計算方法の是正を申し入れると、その回答は、

「そんなことしたら計算が面倒くさくなるでしょ?」

まぁ、さすがに最近は労基局の目も光っているので、
こうした数字に残る横暴はなくなってきたと思いますが、
フェアトレードになったのかというと・・・

どうなんでしょうね?

みなさんの職場の労働と対価のバランスは適正ですか?

もっというと、
みなさんが属する組織は、富の分配が適正に行われていますか?

え? ととら亭はどうなんだ?

ここには従業員はいませんけど、
僕らをそれになぞらえれば・・・

ブラックです。

えーじ
posted by ととら at 13:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年08月21日

理解されざるセンス

先日のジョギングシューズに続き、
今回はメガネを新調しました。(これも11年振り!)

選んだフレームは、今の僕にふさわしく、
戦前の文豪をイメージした、ちょっとクラシカルなもの。

メガネ屋さんを出る時、担当してくれた店員さんは、

「お客さま、たいへんお似合いでございます」

ふ、だろうね。
僕もそう思うよ。

そして意気揚々とお店に帰り、

「ただいま」
「あ、おかえり〜、メガネどんなの作ったの?」

僕はちょっと構えて表情を作り、

「どうだい?」

「ぷっ! カワイイ!
 なんか、食い倒れ太郎みたい!」

・・・・・・・・
・・・・・・・・

なぜだ?

えーじ
posted by ととら at 14:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年08月18日

夏という旅 その3 最終回

女の子にモテたい!

ただそれだけの、純粋に不純な動機で始めた部活とバンド、
そしてオートバイ。

心の夏を構成するこの3つの要素が、いつしか手段から目的に変わり、
やがて僕という存在の一部になるとは、当時思いもしませんでした。

とりわけ今の仕事の原点にも繋がるオートバイは、
他の二つ以上に大きな意味を持っていたのかもしれません。
それゆえライダーになるためとあらば、
どんな障壁も苦にならなかったのでしょう。
たとえば・・・

『免許を取らせない』『買わせない』『運転させない』

僕のハイティーン時代は、高校生がオートバイを乗れないようにするため、
いわゆる『三ない運動』が熾烈を極めていた時代。
(バイクに乗っているだけで『不良』と呼んでもらえたのだよ)
しかし僕のようなナチュラルボーンアウトサイダーに、
そんな制度は『火に油』以外のなにものでもありませんでした。

禁止されているということは、ライダーが少ないということさ。
それこそ女の子の注意をひく絶好のチャンスじゃないか?

こうして16歳になるなりこっそり原付免許を取り、
友だちから中古の原付バイクを購入。
あ、スクーターじゃありませんよ。
キックペダルでエンジンをかけるギア車です。

それで公道デビューを果たした後は、
これまた友だちから悪名きヤマハのRZ350(※)を借り、
夜の本牧ふ頭で中型免許を取るための練習に励む日々。
(公道ではなかったので無免許でも乗れたのです)

まもなく手に入れた自分の中型バイクは、
ホンダのホーク2(中古で10万円)でした。

仲介してくれた友人が、
これに乗って家まで来てくれた時のことを、
今でも鮮明に覚えています。
そして早速、この鉄の馬に跨り、
エンジンをスタートさせた時に感じた排気音とバイブレーションも。

これまた言葉で表すのは難しいのですが、
空こそ飛べなくても、この鉄の機械は僕にとって、
何処へでも望んだところに行ける自由の翼に他ならなかったのです。

それからというもの、部活とバイトとバンドの練習が重なろうとも、
気力と体力の続く限り、夜のロードに繰り出す日々。
(勉強はどうしたんだ?)

あ、暴走族に入ったんじゃありませんよ。
僕はあの頃から単独行動型でして。
それから峠を攻めていた走り屋でもありません。

ひとりでよく走ったのは、横浜本牧の実家を出て国道16号線を南下し、
三浦半島を回り込んで葉山、稲村ケ崎と走り、
江の島を過ぎたあたりから国道1号線に入って戻る周回コース。
片岡義男氏の小説をバイブルにしていた若かりし僕にとって、
湘南は一種の聖地でもありましたからね。

ここからバイク遍歴は、
ホンダCBX400F、ヤマハSRX400と続き、
最後はBMWR100GSというビッグオフローダーに落ち着くのですが、
車種の変化はそのまま僕の旅を表してもいました。

湘南の散歩から、箱根、伊豆へと距離を伸ばし、
それがキャンプや登山を交えて信州、東北、北海道、九州、
はてや離島も含めた全都道府県をさまようことになったのです。

こうなるともう、
動機は完全に女の子から好奇心に入れ替わっていましたね。

なかでも当時購読していた
『アウトライダー(ミリオン出版)』というツーリング雑誌は、
掲載されていた写真が美しく、
「どうだい? 日本にはこんな場所があるんだぜ」とばかりに、
僕を挑発してやまなかったものです。

閑話休題。

『夏は単なる季節ではない。それは心の状態だ』

僕がこの言葉を補足するとすれば、こうなるかな?

夏とは、
心がバックボーンを作る季節なのだ・・・と。

えーじ

※ ヤマハRZ350
水冷2サイクル2気筒のエンジンを持つ750キラー。
フロントタイヤが浮く恐るべきトルクと、
ターボチャージャー並みの過激なパワーバンドがあり、
乗りこなすのが極めて困難だったじゃじゃ馬。
RZ250、RZ50も含めてとにかく事故が多かったです。
posted by ととら at 16:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年08月15日

今日、ギョーザを食べながら

6月の取材旅行で訪れた場所のひとつは、
ハルビンをはじめとする中国の東北部でした。

目的は言わずもがな、
日本ギョーザのルーツ探し。

取材の結果は、
このブログの『第18回取材旅行』シリーズでお話したとおりですが、
取材中、いや、出発前から、
実はあることが、ずっと頭に引っかかっていたのですよ。

それは、旧満州国から餃子を伝えたとされる、
関東軍や満州開拓団の引揚者というのは、
どんな人たちで、何を目的に、現地で何をしていたのか?

もちろん、この近代史におけるひとつのシーンは、
文科省お墨付きの教科書で、
義務教育を受けた人なら知ってのとおりでしょう。

しかし、「ああ、そうだったっけ?」
と思い出すだけでは消えない不安が僕の中にはありました。
そしてこの心許ない気持ちは、
オートバイでひとり日本を旅していた、
20歳代の頃の自分にも繋がっていたのです。

78年前。
帝国主義者の東条英機を首魁とする軍部は、
無垢な僕たち国民のみならず平和主義者の天皇裕仁をも欺き、
結果的に日本は太平洋戦争へと突入した。

そう、
悪いのは軍。
天皇陛下は国民を愛するいいひと。
僕たちはみんな騙された被害者。

方や視点を広げると、
日本は領土的野心に燃えて隣国を侵略し。
アメリカをはじめとする連合国がその行く手を阻むことで、
アジアは平和を取り戻した。

そう、
悪いのは大日本帝国。
アメリカをはじめとする連合国は正義の味方。
中国、韓国をはじめとする被占領国は可哀想な被害者。

この分かり易い勧善懲悪的歴史解釈は、
青年だった僕のなかで、いつも居心地の悪い違和感と共にありました。

ホントにそうなのかしらん?

そして日本をさまよう旅で訪れた広島、長崎、鹿児島、沖縄。
各地の資料館を訪ね、市井の声が記録された私家版の資料を読み、
時には体験者の話を聞くうちに、
僕の中で形作られて来た解釈は、学校で教えられたものとも、
いわゆる識者が著述したものとも、だいぶ違ったものになりました。

いや、僕は自分の調べた結果が正しく、
他が間違っていると言いたいのではありません。

僕が理解したのは、僕だけに有効な答えであって、
たぶん、これを読んでいるあなたの役には立たないでしょう。

でも、ひとつだけシェアできることがあります。

もし、ある過去が自分にとって大切だと思うなら、
その意味を自分で調べ、自分で考えてみることです。

そう、僕たちが自分の頭で考えることをやめ、
従順なひな鳥として、
愚かな指導者に白紙委任状を渡すようになれば、
1941年12月8日は過去ではなく、
再び、僕たちの未来になってしまうかもしれません。

日本ギョーザは、
とても、とても小さな声で、
僕たちに何かを語りかけている。

僕にはそう思えてならないのですよ。

えーじ
posted by ととら at 15:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年08月13日

夏という旅 その2

ガールフレンドをゲットするための、
十分条件である部活が終わった18時過ぎ、
ボロボロに疲れた僕は、重い体を引きずりながら家路を急いで・・・

いませんでした。

確かに急いではいたのですが、
行き先は自宅ではありません。
もちろん塾でもない。

僕が週に3、4回通っていたのは・・・

野毛の焼き鳥屋です。

え? 学生服着たまま飲みに行ってたのか?

違いますよ。
さすがにそこまでムチャクチャな時代ではありませんでした。

目的はバイトです。

なぜか?

前回お話しましたように『勤勉』なリビドーボーイの僕は、
モテるための十分条件である部活、バンド、
オートバイの3つをすべて満たしていたナイスガイ。
しかしながら、バンドをやるには元手が必要だったのです。

そこで学校にバレないよう、
(もちろん禁止されていましたから)
ちょっと離れた街で、時給のいいバイトをやっていたのです。

はじめて買ったのは、モーリス製のフォークギター。
ケース代込みで25,000円でした。
このくらいなら、当時でも1カ月間がんばって働けば、
僕にもどうにかなったものです。

ところが吉田拓郎やかぐや姫のコピーばかりやっていたのでは、
モテ効果もイマイチ芳しくない。

なぜだ?

そうか、音が小さいからかもしれない。
この程度じゃ、いかに練習しても、
教室でやるパーティ程度でしか自分をアピールできないじゃないか。

時は折しもニューミュージック全盛期。
こじんまりした4畳半フォークソングから、
オフコースやゴダイゴ、ツイストなど、
エレキギターをフューチャーしたバンドが注目され始めていました。

そうか、これで行こう!

そこで組んだのが、
2ギター、キーボード、ドラム、ベースの5ピースバンド。
(僕はリードギター&ボーカル担当)
この編成は当時主流になっていましたけど、
珍しかったのは、
僕を含めた3人が交代でリードボーカルを取り、
コーラスだけできるメンバーもいたので、
4声コーラスが可能だったことです。

おまけにキーボーディストがハイトーンボーカルでしたから、
ライブセットは演奏難易度の高いオフコースやチューリップ半分、
あとはオリジナルで構成していました。

このバンド、はっきり言って、
楽器の演奏レベルは大したことありませんでしたけど、
コーラスワークは他のバンドの追随を許さず、
ア・カペラを多用したアレンジが受けて、
けっこう集客力があったのですよ。
(つまりモテた、というわけでございます(当人比))

先にお話した焼き鳥屋でのバイト代は、
このバンドをやるための、練習スタジオ代や、
プロの音になるべく近づけようと努力するための、
機材購入費に消えていました。

そんな僕らの夏と言えば、秋の文化祭やライブに向けた特訓の季節。
当時、横浜の桜木町駅から本町通りにかかる橋を渡った左側に、
ヤマハのホールとスタジオを併設した施設があり、
練習、ライブともによくここでお世話になっていました。

練習はたいてい18時くらいからが多かったですね。
そうすると桜木町駅からスタジオまで行く道は、
関内にある県庁や企業から駅に向けて帰宅する人たちでいっぱい。

スーツを着てビジネスバッグを下げた、
大勢の大人たちの流れをかき分けるように、
髪を伸ばして楽器を背負った僕たちは歩いて行きました。

ああ、僕はこの先も、
こんな人生を送って行くのかもしれないな。

あれから38年が経ち、僕の仕事は音楽ではなく、
背負っているのも楽器がバックパックに変わりましたが、
若かりし頃の、あの予感は、あながちハズれていなかった。

Eaglesを聴きながら、ある夏の日の午後に、
僕はそんなことを思い出していたのです。

えーじ

P.S.
ととら亭のウェブサイトに、
ソロで多重録音していた頃の作品を、こそっとアップしておきました。

いつかまた、楽器を手にする夏の日のために。
posted by ととら at 14:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2019年08月10日

夏という旅 その1

『夏は単なる季節ではない。それは心の状態だ』

これは1977年に角川書店から出版された片岡義男氏の小説、
『彼のオートバイ彼女の島』のハードカバー版表紙で使われた言葉。

実はこれ、氏が創作したものではなく、
カリフォルニアで上映されていた、
サーフィン映画のナレーションから引用したものだそうな。

ま、その出自はともあれ、この言葉、
書店で本を手に取ったハイティーンの頃の僕には、
中身の物語以上に心に残るものとなりました。

そう、僕にとっての夏もまた、
まさしく単なる季節のひとつではなかったからです。

うまく説明するのは難しいのですが、
強いてたとえるなら、
夏とは、青くさい葛藤であり、初めての経験と向き合った驚きであり、
力まかせの恋であり、いわゆる青春そのものでありました。

その渦中で常に僕の頭の中心にあったのは、

受験勉強・・・

ではなく、ガールフレンドです。
(この若かりし頃の選択は間違っていなかったと、
50歳を超えてなお確信しております)

幸いにして時代はそうしたリビドーボーイズに味方し、
部活か、バンドか、オートバイに乗るか、
このうちどれかひとつでもやれば、
ほぼ確実に彼女をゲットできたものです。
(勤勉な僕は3つすべてやったので獲得率100パーセントでした)

実にシンプルな、いい時代だったのですよ。

しかし、これだけ的を絞っても、
人生、想定外のことは起こるものです。

これが一番モテそうだな?

というだけのピュアな動機で入部したバスケットボール部は、
映画『フルメタルジャケット(※)』のリー・アーメイ扮する鬼教官が、
マザー・テレサかと思えるようなマッドコーチの君臨する世界。

現代の規範では考えられないでしょうが、
1年生はほぼ毎週のようにパンチ&キックを見舞われ、
2年生でそれが月数回程度に減り、
3年生になってようやく3カ月に1回くらいで許される、
そんなアタタなところでありました。

まぁ、暑かろうが寒かろうが、
朝から晩まで走らされること馬の如し・・・

お蔭さまでこの歳になっても、
酷暑の中で走って平気な体にはなりましたが。

そのあと入ったのはラグビー部。
動機は同じく、
当時、週刊少年マガジンで連載されていた、
小林まこと氏作『1・2の三四郎』でラグビーが取り上げられ、
(その前に中村雅俊氏主演のテレビドラマ『われら青春!』もありました)
にわかに女の子の間でも注目を浴びつつあったからです。

ところが、ここでも人生の想定外が若き僕を待っていました。

このスポーツ、テレビや漫画のイメージと異なり、
暑い、汚い、むさくるしいの3拍子揃った、
とてもではありませんが、
夏にやるべき運動ではなかったのです。

さて、バスケットボールで培った足の速さとステップのキレを買われ、
バックスの華、ウイングとしてデビューしたところまでは良かったのですが、
ほどなく練習のキツさからフォワードメンバーが次々と辞め、
いま以上にひょろひょろ体形だった僕が、
ロックやエイトなどのバックローのみならず、
フロントローのプロップやフッカー(ありえん!)までやらされる破目に・・・

ここで僕は人生で初めて『気絶』という経験を味わいました。

対校試合中、加速した敵バックスを正面タックルで仕留めたのですが、
コンタクト時に頭を強打し、気が付けば相手ともどもグラウンドで大の字に・・・
ま、あれは痛みを感じる間もなく意識が飛んでしまうので、
意外と気持ちのいいものでしたけど、
自分がどこで何をしているのか思い出すのに、
しばし時間がかかりました。

100パーセント純粋に、不純な動機ではじめたスポーツではありましたが、
振り返ってみると、本来の目的であった、
ガールフレンド以上の意味があったような気がしています。

陽炎が揺れる焼けついたグラウンド、
「マイボー! マイボー!」「出せっ!」
飛び交うチームメイトの声、
青空に高く上がる楕円球・・・

今はひとりで走っていますけど、
時おり、はるかな道の向こうで、
ラグジャーを着たあの悪ガキどもが手を振っているような気がします。

「えーじ! おせ〜ぞっ!」

ちっ、うるせぇな!
いま追いつくよ!

夏とは、おじさんになった僕にとっても、
こうした特別な季節のままなのかもしれません。

えーじ

※ フルメタルジャケット
1987年に上映されたスタンリー・キューブリック監督のベトナム戦争映画。
全体が海兵隊訓練所とベトナムでの2部に構成されており、
海兵隊訓練キャンプにおける過酷な訓練で登場するのがリー・アーメイ扮するハートマン軍曹。
posted by ととら at 10:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年08月07日

ととら流の酷暑対策

先日、ハワイのオアフ島から来たというお客さまに、
日本の何処を訪れたのか尋ねたところ、

「東京と札幌です」

それじゃ涼しい札幌から戻りたくなかったでしょう?
と訊けば、

「ん〜・・・同じでしたよ」

とな? この暑い東京と同じ?

で、札幌の過去天気を調べてみれば、
なるほどここ1週間、
最高気温33度前後の日々が続いているじゃないですか。

北海道で関東並みの真夏日が連続か・・・

いやはや、もはや日本にいる限り、
「暑い!」という言葉に異議を唱える人はいなくなりましたね。

そこで暑さ対策は業界を超えた喫緊の課題。

僕らもこの時期は舞台裏を『旅の食堂ととら亭』から、
『フィットネスととら』にあらため、
独自のアイデアで過酷な環境を凌いでいます。

まずはメンタルから。

今朝の掃除のBGMは Aerosmith。
1曲目からアゲて行きます。
Van Halen や AC/DC なんかもいいですよ。

一転してランチタイムはインドネシアのクロンチョン。
この気怠いメロディーでいやがうえにもリゾート気分を盛り上げます。

そう、ここは東京じゃない。
バリ島のウブドなんだ!
いくら汗をかいたってへっちゃらさ。

と、すっかりトランス状態になったところで、
ランチが終わったら一日で最も暑い時間帯のジョギング。

これは体力だけではなく、精神的な効果も抜群ですよ。
軽い筋トレの後、走り出すと5分もすれば、
自分の名前すら思い出せなくなりますからね。

ああ、ここはインドのブッダガヤか?
それともヨルダンのペトラか?
蜃気楼の向こうに楽園が見えてきます。
(よい子の皆さんは真似しないように!)

そして水シャワーで汗を流したあとは、
先日もご紹介したようなエスニック料理の食事です。

あとは睡眠さえしっかりとれば、
クレイジーな東京の夏もなんとかやり過ごせるでしょう。

ま、僕の場合、日々の仕事以上に、
取材旅行のためのトレーニングとして、
こうしたマゾヒスティックな夏の日々を送っているのですけどね。
今年も酷暑のルクソールや北京で日ごろの成果が試されましたから。

え? ともこはどうしているんだ?

ああ、彼女はキッチンの仕事そのものが、
僕のやっているトレーニングに相当しているのですよ。
厚いコックコートを着て35度近い温度のキッチンに立ち、
1日14時間以上働いていますからね。

ただ、目的が少々違っておりまして。

取材旅行は同じですけど、
ともこにとってそれ以上に大切なのは・・・

ダイエット!

だ、そうでございます。

えーじ
posted by ととら at 15:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年08月04日

僕らの『新婚』旅行

と、あらたまって出かけた旅はないのですよ。
出会ってすぐ、ちょいちょい一緒に旅していたので。

でも、あれがそうだったね、と言える旅があります。
それは1998年6月に出かけた沖縄・八重山諸島を巡る旅。

ま、因習に則った出立ではありませんでしたから、
親からの資金援助など望むべくもなく、
移動手段も高価な飛行機ではありません。

二人して仕事を辞め、1台の大型バイクにキャンプ道具を積んで、
乗り込んだのは東京晴海埠頭発、那覇行きの長距離フェリー。
(当時は国内最長航路でした。乗船時間はなんと48時間!)
45日間かけて周ったのは、沖縄本島、石垣島、竹富島、西表島、由布島です。

時々、疲労が溜まって民宿や安ホテルに泊まったこともありましたが、
ほとんどはビーチでのキャンプです。
特に石垣島の米原キャンプ場は八重山諸島を巡る基点にしていたので、
出たり戻ったり合計10日間くらいいたかな?

コバルト色の澄んだ海、
聳え立つ積乱雲、
マングローブに寄せる波の音、
星をちりばめた夜空、
そこで出会ったゆかいな旅人たち・・・

あの頃の僕は35歳。ともこは28歳。
懐具合は出発した時からすでにカツカツでしたけど、
思えば、ととら亭に至る旅のスタイルのベースは、
あの時に形作られていたのかもしれません。

閑話休題。

先日、この夏休みに西表島へ行くというお客さまと話をしていた時、
かつて僕らが使った航路の殆どが、廃止されてしまったと聞きました。

なるほど調べてみれば、
いま沖縄にバイクを持って行くなら、
鹿児島まで走らなければフェリーに乗れないようです。
そしてその先、沖縄本島から石垣島までは、
もうフェリーがありませんでした。

あの懐かしいルートを同じように旅するなら、
沖縄、石垣島間は貨物船でバイクを送り、
僕らは飛行機で行くしかないようです。

もう、あんな旅をする若者たちは、
いなくなってしまったのでしょうね。

帰ってからのことだけではなく、
明日のことすらまともに考えていなかった若者たち。

そう、おカネとか、安定した仕事や地位なんてものがなくても、
僕らの手には、自由と、いま、この瞬間があり、
ただそれだけで十分だった頃のお話です。

あれから21年。

青くさい旅人たちは社会にもまれて老い、
僕らも少しは大人になりました。

でも、ふと思うんですよ。
この酷暑の東京の空だって、
あの時を隔てた、
はるかな南の島の空まで続いているんじゃないかって。

航路が廃止されても、
島の様子が変わってしまっても、
僕らの旅は終わらない。

ishigaki1998jpg.jpg
In memory of 1998

えーじ
posted by ととら at 15:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年08月01日

だから景気が悪くなる

「ちょっと〜、何これ?」

先日の定休日、
アパートに帰って来たともこが入り口で渋い顔をしています。

「どしたの?」
「どうしたもこうしたもないわよ。
 こんなの履いてジョギング行ってたの?」

彼女が見下ろしているのは、
少々くたびれた僕のジョギングシューズ。

「え? なんかマズイ?」
「マズイって、ボロボロじゃん。
 靴の上の部分にまで穴があいてるし!
 底はすり減ってペラペラよ」
「機能的には問題ないけどな。
 雨さえ降らなければ水も入ってこないし」
「そういう問題じゃないでしょ!
 あっ、通勤用の靴もひど〜い!
 底がぱかぱか剥がれちゃってる!
 これじゃチャップリンの靴みたいじゃん!」
「あ〜、でもまだ履けるよ」
「そういう意味じゃなくて!
 お客さんにこんなの履いてるとこ見られたら、
 靴も買えない潰れそうなお店だって思われちゃうじゃない」
「そうかな?」
「そうよ!
 今度の定休日に新しいの買って来て。
 約束だよ!」

って言われてもなぁ・・・

oldshoes.jpg

む〜・・・そういえばこれ、いつ買ったんだっけ?
通勤用のメレルは・・・え〜っと4年くらい前・・・だったかな?
それ以来、アパートからお店までの通勤は、
いつもこれを履き続けているんですよね。

で、ジョギングシューズはというと・・・
5年以上前・・かな? 忘れちゃった。

実は僕、
靴は用途に合わせて1種類しか持ってないんですよ。
だからこの他に持っているのは、
取材旅行で使う市街地用とトレッキング用。
あとはオフのお出かけ用の5足だけ。

しかも、それを何年も履き続けてる。

そうか、
日本の経済はどんどん買って、
じゃんじゃん捨てる大量消費型だから、
消費増税うんぬん以前に、僕みたいなしけた消費者のせいで、
不景気になっちゃったのかもしれない。

こりゃいかん。

それじゃ、皆さんの迷惑にならないよう、
そろそろ靴を新調しなくちゃ。

と思い立ったものの困りました。
使えるものを捨てるわけにはいかないじゃないですか?
たとえば極めつけはこれ。

walabee.jpg

クラークスのワラビー。
高校生の時にバイト代を貯めて買ったものだから、
かれこれ37年くらい履き続けていることになります。

他にも、ツィードのジャケットや、コートなど、
10年から20年以上使い続けている現役年代物がいくつかあるんですよ。
どれも気に入ってる上に、まだ使えているので捨てる理由がありません。

でも、ともこに怒られちゃったことだし、
通勤用とジョギング用の靴だけは買い直そうかな?

これぞ、ととら流景気刺激策!

え? そんなの効果ない?

だろうね〜・・・

えーじ
posted by ととら at 14:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月28日

ととらな夏のマイブーム

関東地方でも遅ればせながら夏本番となりました。

そうなると、キッチンの温度は35度を超え、
今年も『フィットネスととら』の開店でございます。

いいですよ〜、
仕事をしながら無料でトレーニングもできちゃう。
砂漠や熱帯地方の取材に備えた体作りは、
こんな風にしてやっているのですね。

しかしながら問題もあります。

こう暑いとスタ丼みたいなコテコテ系を食べるのはちとつらい。
それからなるべく手間もかけたくないので、
さっと出来るものがいい。

で、頭を捻った最近のマイブームは・・・

「暑い時には熱い国の料理がいいよね!」

の、エジプト料理!

というのはコマーシャル。

舞台裏の賄いはなんとタイ料理です。

なかでも登場頻度が高いのは、ととら風カオマンガイ。
これ、海南鶏飯を祖とするタイの屋台飯の定番で、
簡単スピーディにできるわりに美味しくて栄養満点なのですよ。
今日はそのレシピをちょろっとご紹介しましょうか。

【材料(2人前)】

 鶏もも肉    2枚
 ネギ      青い部分 2本
 ショウガ    薄切り20グラム
 ナンプラー   適量
 ライム     1個(レモンでもOK)
 青トウガラシ  1本を薄くスライス(お好みで)
 日本酒     50cc
 水       1.5カップ

【作り方】
1。鍋に水、日本酒、ネギ、ショウガ、鶏もも肉入れて煮立てます。
2.沸騰したら弱火にしてそのまま15分煮ます。
3.火を止めて冷まします。
4.鶏もも肉を取り出し、食べ易い大きさにスライスします。
5.煮汁をもう一度火にかけ、沸騰したら火を止めてナンプラーで味を整えます。
6.小鉢にライムを絞り、同量のナンプラーと混ぜ、
  好みで青トウガラシの薄切りを入れます。
7.平皿にご飯とチキンを盛り、項番6のタレを添えてサーブします。
  もちろん項番5で作ったスープも忘れずに!

いかがです?
失敗しようがないくらい簡単でしょ?
実はこの脇役のタレが絶妙でね、
暑さでげんなりしている時でも食欲が出ること請け合いです。

きちんと栄養バランスを取るなら簡単なサラダを作り、
その上にスライスしたチキンを盛ってパクチーを散らすといいですね。
実際、僕らはそんな風にして食べています。

この簡単なタレ、いろいろ応用がききまして、
たとえばタイ風カルパッチョなんかも簡単に出来ます。

1.玉ねぎを薄切りにして水にさらします。
2.買ってきた刺身と項番1のオニオンスライスをボウルに入れ、
  先のタレで和えます。
3.パウチ―を散らして出来上がり。

これなら作るのに10分もかかりませんよ。
ご飯のおかずによし、ビールのつまみにもまたよし。
ぜひお試しを!

えーじ
posted by ととら at 16:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月24日

最初の一杯と最後の一杯

2010年3月3日17時55分。

あの日、あの時は、
僕たちにとって忘れられない時間でした。

「外に誰かいるよ」
「え!? もう?」

旅の食堂ととら亭がいよいよ5分後に船出します。

僕たちにとって、最初のお客さんは誰だろう?
そして最初に注文を頂く料理は?

あれから9年余が経っても、
あの思い出は色褪せることがありません。

そして多分、最初のお客さまと同じように、
最後のお客さまもまた、忘れることがないのでしょう。

今日、僕たちのフェロー、『喫茶ハレの日』が閉店します。
7年に渡り、野方で共に荒波を越え続けた仲間を見送るのは、
同じ独立した経験を持つ経営者として、
言葉にならないものがあります。

それは多分、店が違っても、
自分の夢が形になっていったときの喜びや、
地図のない世界を旅する不安を共有していたからなのでしょう。

しかし旅人としては、また別の思いもあります。
ひとつの旅の終わりは、次の旅の始まりでもありますから。

けんちゃん。

最初に淹れた一杯のコーヒーと同じように、
最後に淹れる一杯の思い出を持って、
君の新しい旅が始まるんだね。

いってらっしゃい。
次もまた、君らしい、いい旅を。
またどこかで会おうぜ!

ともこ & えーじ
posted by ととら at 14:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月23日

旅と政治

この両者は一見、無関係のようですが、
実は僕らのようなバックパッカーの場合、
訪れる国の気候や為替相場以上に、無視できない繋がりがあるのですよ。

と申しますのも、
各種入出国手続きに始まり、現地での移動から宿泊、飲食まで、
すべからく現地政府の『見えざる掌』の上で行わざるをえないのですから。

その『見えざる掌』とは法。
これが気を付けないと実に厄介でして。

こちらの感覚でいうと、
それがいかに不合理かつ理不尽なことでも、
僕らはそれに従わなければならない。
違反には想像を超えた厳しい罰則が待っていたりします。

そこで僕が旅の準備段階から入念に調べるのは、
現地政府の独裁性のレベル。

一党独裁型政治体制のベトナムやキューバ、中華人民共和国、北朝鮮だけではなく、
たとえ『民主主義』を謳う国でも、
事実上、野党の活動が不当に制限されていたり、
大統領や首相が三権の長の人事権を掌握したりしている国の場合は、
権力が一部に集中し、政府の活動が不透明化しているので要注意なのです。

また、そうした国の政府は、おしなべて本当の自分を知られることを嫌い、
かつ、自己イメージ以外のイメージを強く否定してきますから、
街中で写真を撮るにも、カフェで雑談するにも、
日本でならしなくていい注意を払わなければなりません。

でもね、
それが『旅先』であり続ける限り、
僕らにとって、どんな不便や不都合も一時の我慢でやり過ごせるのですよ。

しかし、これが『訪れる国』ではなく『帰る国』となると、
話が大きく変わって来ます。

そう、ロン毛の若僧だった頃はあまり気になりませんでしたが、
社会人となり、
何かといろいろな名目で税金を払わなければならない立場になったら、

ん? それってなんか変じゃない?

だけではなく、

年金問題みたいに、
おいおい、そりゃひどいじゃないか!

なことが、みるみる目につき始めたじゃないですか。

小さなレストランを営む一人の旅人が、選挙公報を読み込み、
ブログで時に堅苦しい話をするのも、そんな理由があったからなのです。

昨日も参議院選挙の泣ける投票率を取り上げましたが、
たとえ民主主義が導入されていても、
特に立法府への白紙委任状はヤバイ。

自分の意見を代弁する候補者がいないのであれば、
自分で立候補するのは難しくても、せめて白票を投じなくちゃ。
戦略的に政党バランスを変えるって方法だってある。
『政治不信』は選挙に行かないことの理由にはならないと僕は思う。

僕たち個々人が、
自分の頭で考えることを止め、
沈黙した先に待っていたのは何だったのか?
その答えを知るには、
この国の近代史を振り返るだけでも十分でしょう?

と苦言を呈しつつも、僕は今回の選挙だけではなく、
先般行われた統一地方選挙における中野区の結果は、
一定の前進があったと思っているのですよ。

それは政党バランスの改善です。

自民党だけで定数の半数を超える議席を持たせるのは、
日本の民主主義がまだ未成熟な50パーセント+1型に留まる限り、
独裁性を高めてしまうので公共の利益に反してしまいます。

他党との連立による政権は、そのリスクを減らし、
政治の透明性を確保するだけではなく、
与党を構成する政治家を謙虚にするという意味でも、
一定の効果が期待できるでしょう。

できれば3党で連立するくらいのバランスが、
日本の民主主義の成長過程では好ましいのではないか?
くらいに僕は考えているのですよ。
国会の議論は時に小学校のホームルームレベルになることがありますからね。
(ホント、ヤジを飛ばしたり、人の話を遮るのはやめましょう)

最後に偉そうなことをひとつ加えさせて頂きますと、
新しい参議院で議席につく政治家さんたちに取り組んで頂きたい課題は、
『妥協』という言葉の意味を、あらためて議論することかな?

これは避けて通るべき思想的、政治的敗北のラベルではなく、
価値観を異にする人々が、国々が、共存して行く上で必要な、
人類の叡智のひとつなのだから。

えーじ
posted by ととら at 15:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月22日

民主主義の先輩として

昨日行われた参議院選挙の投票率は・・・

48.80パーセント・・・か。

世界では民主主義を勝ち取ろうと命がけで戦っている国もあれば、
与えられた選挙権を有権者の半数以上が自主的に放棄する国もある。

「あんたは日本人かい?
 日本は民主主義の国なんだろう?
 我々はいま、その民主主義を取り入れようとしているんだ!」

こう言われて苦笑するしかない僕の気持ち、
お分かり頂けますでしょうか?

えーじ
posted by ととら at 11:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月20日

50パーセント+1の先へ

「あんたは日本人かい?
 日本は民主主義の国なんだろう?
 オレたちはいま、その民主主義を取り入れようとしているんだ!」

2013年2月。
ジャスミン革命の発端の地、チュニジアのチュニスで、
道行く人から唐突にそんな言葉を投げかけられました。
それも別の機会に別の人から2度も。

「みなさんなら出来ますよ。頑張って下さい!」

僕は握手に応えながらそう言ったものの、
実のところ、心中、微妙なものがありました。

確かに、一部の特権階級が支配する社会より、
民主主義の社会の方がいい。
でもね、それは即座に社会全体の幸福を約束するものではないんだよ。

僕は喉まで出かかったこの言葉を、
ぐっと飲みこんでその場を後にしたのです。

そう、改革に燃えるチュニジア人が言ったように、
日本は70年以上前から民主主義を導入しています。
しかし、今さら僕が言うまでもなく、
日本人がこの社会システムを使いこなしているとは、
お世辞にも言えないでしょう?

多数決で意思決定を行う。
この原則は正しい。

しかし全員一致などという結果は滅多にありませんよね?
ですから議決の後にはほとんどの場合、
意見を受け入れらず、取り残された少数派がいる。
そして僕たちのやっている民主主義は、それを無視して憚らない。
さながらひとつの勝敗型ゲームのように。

だってしょうがないじゃない?
あの人たち負け組なんだから。

そうかな?

ここに欠けているのは、自分たちとは違う意見を持つ人々への、
共感と敬意なのではないか?

これは国会審議の中でも具体的に見て取れます。

感情をむき出しにした与野党の対立と攻防。
飛び交うヤジ。
メディアまで参戦した揚げ足取り。

ここで忘れられているのは、日本は代表民主制の国であり、
国会議員はいずれも多くの有権者の代表であり、
また僕たちの希望や意見の代弁者でもあるということです。

ですから、
「xxxヤメロ!」とか「打倒xxx!」というのは、
xxxに誰の名前が入るにせよ、そのxxx議員を国会に送り込んだ有権者、
つまり、同じ同胞に向かって「お前たちの意見になんか聞く耳もたん!」
というのと同じことなのですよ。

ここでも欠けているのは、国会議員同士の敬意なのではないか?
お互い一個人ではなく、有権者に選ばれた責任ある代表者なのですから。

もうひとつ、僕が外国で歯切れ悪くなるのは、
有権者としての行動です。
もうそろそろ、

学校の先輩だから、とか、

同じ町内に住んでいるから、

うちの地域に利益をもたらしてくれるから、

ではなく、国政選挙であれば、

日本のあるべき姿とは?
世界の中でどのように振る舞うべきなのか?

という視点に立ち、
自分で考えて、自分の意見を持って投票する。

選ぶ者、そして選ばれる者が、たったこれだけでも変われれば、
いま、ここにある問題の、多くが解決へ至るレールに乗るのではないか?

僕はそんな思いで、
昨日、期日前投票に行って来ました。

少しは、この国が変わるかな?

うん、その可能性はあると思います。
これを読んでいるあなたが明日、投票所へ行けば。

えーじ
posted by ととら at 16:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月17日

第18回取材旅行 その14 最終回

あいやぁ〜・・・今年もやっとここまで来ました!

僕たちの1年間の仕事の波は、
11月上旬に行く研修旅行に始まり、そこから年末年始の繁忙期、
冬のメニュー変え、冬の取材旅行、決算、春のメニュー変え、
ゴールデンウィーク、夏の取材旅行、夏のメニュー変え・・・

絶え間なく続くビッグイベントを乗り越え、
この7月の連休が終わったところで、
はぁ〜・・・ようやく今年も上期が乗り切れたな・・・
と、ひと区切りつくのです。

ここから9月の連休までが、
年間を通じて最も時間的な余裕のできる時期。
今はあれこれ予定を詰め込まず、
とりあえず、読書の時間をもう少し取ろうかな?
くらいに考えています。

さて、その前に、ここまでの締めくくりとして、
夏の取材旅行をまとめておかなければなりませんね。

今回訪れたのは中国の東北部とモンゴル。
準備編でお伝えしたミッションその1は、
『日本ギョーザの源流を探る』でした。

取材地はハルビン、長春、瀋陽、北京の4都市。
そこで胃袋の限界まで餃子を食べ続けて分かったのは、
瀋陽で食べた煎餃(チェンジャオ)が、焼くという加熱方法、
焼いた面を上にする盛り付け方の点で、
日本ギョーザに最も近かった、ということです。

しかしながら、ここで一足飛びに、
『日本ギョーザは瀋陽タイプが伝わったのだ!』とは言えません。
なぜなら、
煎餃は餃子を主に売り物とする専門店以外では見かけておらず、
主流は圧倒的に茹で型の水餃(シュイジャオ)だったからです。
煎餃の通時的な位置づけがはっきりしない限り、
確率的にもなんとも言えないでしょう。

では、最も一般的に食べられている水餃に起源を求めるなら、
皮の厚みの点でハルビン型が最も近いのですが、
ここでも時間的なギャップの問題は避けて通れません。

なぜなら、
もし日本ギョーザが中国の東北部に展開していた、
関東軍や満州開拓団の引揚者が伝えたのだとしたら、
その時期は太平洋戦争が終わった1945年前後が中心となるので、
約74年もの時間差がありますからね。

ん〜・・・
この辺はいずれも水餃と煎餃の通時的な変化をどのように調べるか?
その方法を考えることが次の課題でしょう。

次はミッションその2、
『モンゴルギョーザと中国餃子の関係を調べる』です。
取材対象はボーズとバンシ。
このふたつ、ボーズの方は料理名からして、
包子(パオズ)と呼ばれていた頃の餃子が伝わった可能性が高いのではないか?
これは中央アジアにギョーザとして伝わった饅頭(マントゥ)が、
変名後の中身のない肉まん状態であることからも、
裏付けられているではないかと考えられます。

しかし、では『モンゴルのギョーザはすべて中国起源のものである』
と言いきれるかというと、これまた断言するには材料が足りません。
その不足した材料とは、もうひとつのギョーザであるバンシの出どころ。

バンシという料理名にはモンゴル語としての意味がなく、
かつ中国語(北京語)にも該当する語がないと分かった次の疑問は、
その語はいったいどこから来たのか? です。

そこで、その手掛かりは中国餃子が生まれたとされる華北平野、
そこに多く住んでいた満州族が持っているのではないか?
次はそこをつついてみる価値がありそうですね。

こうして駒を進めた今回の取材旅行。
例によってひとつの答えがふたつの疑問を生み出してしまいましたが、
そもそも2週間の旅で答えが見つかるとは考えていませんでした。

僕らの旅は、まだこの広大な星の上で点を打つ程度のものなのですよ。
その点と点がどんな線で結ばれるのか?
そしてその線が描く絵は、いったいどんなものなのか?

残された次の課題に取り組みつつ、
探し続けて行きたいと思っています。

mn_us.jpg

See you on the next trip!!

ともこ & えーじ
posted by ととら at 15:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月12日

第18回取材旅行 その13

昨夜はエジプト料理特集の初日。

取り上げた4種類の料理それぞれにご注文を頂き、
お客さまの反応を見て二人ともほっとしました。
絞り込んだ料理の再現にはいつも以上に自信がありましたけど、
僕たちの自己評価と皆さんの客観的な感想は別ものですからね。

今回はその料理だけではなく、
店内でディスプレイしている現地の写真にも手応えを感じています。
実は旅行に出る前に作った取材計画には、料理以外に撮影も含まれていまして。
メニューやディスプレイで使うために、
どこでどのような写真を撮るのか、あらかじめある程度は決めているのですよ。

しかしながら、天候や現地の治安状況などで、
考えていたような写真が撮れない場合も少なくありません。
エジプトもまた例外ではなく、
場所によってはカメラそのものが取り出せないような状況もありました。
まぁ、結果的にはシャッターチャンスに恵まれ、
僕たちの旅の雰囲気が、よく描写できたのではないかと思っています。
特にカウンターにディスプレイした市場の人々の写真は自信作なのですよ。
____________________________________

さて、メニュー変えが一段落したところでまたしても頭の切り換えです。
エジプトとモンゴルは文化的にも気候的にもかけ離れていますからね。
それじゃ、ちょいと精神を集中して・・・行ってみましょうか!

mn_road01.jpg

ウランバートルは大きな市街地ですが、
(大都市・・・ではないと思う)
それでも自動車で30分も走れば周囲の景色が一変します。
僕たちが向かっているのはテレルジという郊外の地域。

mn_camproad.jpg

ここでの目的のひとつはゲルに泊ること。
そこで訪れたのがツーリストキャンプです。
ウランバートルから東北東へ50キロメートほどの距離なので、
バスでも行けるかしらん?
と最初は考えていたのですが、
イヤな予感があってピックアップサービスをお願いしました。
現地まで来てみるとその予感は的中。
テレルジは街というより、まさしく地域で、
広大な丘陵地帯にキャンプサイトが点在しているのですよ。
で、バス停から僕らが予約したところまでは、
ゆうに5キロメートル以上の距離がありました。
幹線道路からさらに写真に写っているような道の奥だったのです。

mn_geru.jpg

おお、これこれ!
せっかくモンゴルまで来たのだから、
こういうトラディショナルなゲルに泊ってみたかった。
最近のトレンドはなんとバス、トイレ、バルコニー付きなのですけど、
それでは僕たちにとって意味がありません。
やっぱりこうでなくちゃ!

mn_geru02.jpg

入った内部はご覧の通り。思いのほか広いですね。
中央部では僕が立ち上がっても頭上に余裕があります。
中心に薪ストーブが置かれ、
ローテーブルが一つあったので仕事をするにも便利。
照明は、さすがに電気が来ていました。
まぁ、これは遊牧民のテントも最近は発電機やソーラーパネルで、
ある程度の電化はされているそうですから同じかな?
テントの材質は羊毛のフェルトです。
トレッキングやツーリングでよくテント泊していた僕らからすれば、
これはもう限りなく家に近いですね。
それもそのはず、ゲルとはモンゴル語で『家』の意味ですから。

mn_oboe.jpg

キャンプサイトは小高い丘を背にしており、
荷物を置いた僕らは誰もいない道なき道で、
ショートトレッキングを楽しみました。
そこで見つけたのが『オボー』。
これは日本の道祖神にも近いもので、
丘の上や峠道に石を積み、土地の守護神を祀ったもの。
チベット仏教が伝来する以前からある古い信仰のひとつです。

mn_cclass03.jpg

ここでのもうひとつのミッションはクッキングクラス。
これ、本来は研修旅行で参加するものなのですが、
今回は一般的な飲食店だと、
調理関係者に英語でインタビューするのが難しかったので、
ここならうまく情報が引き出せるのではないか、と考えたわけです。
場所はキャンプサイト併設レストランのキッチン。

mn_cclass04.jpg

先生はモンゴル人の女性シェフ。
彼女は英語を話さないので右の青年が通訳してくれました。
といっても、彼のスキルも怪しく、
頼みの綱はやっぱりスマートフォン・・・か。
時代は変わりましたね。

mn_cclass02.jpg

で、こちらからリクエストした料理は、
もちろんモンゴルギョーザのバンシとボーズ。
お〜、さすがギョーザを作り慣れているともこ料理長。
余裕の笑顔じゃないですか。

mn_cclass01.jpg

出来ました〜!
左がバンシ、右がボーズ(ブーズと聞こえます)。
中身の肉は一般的にラムが主流ですが、今回はビーフ。
それに玉ねぎのみじん切りと塩とブラックペッパー、水のみのシンプルな具。
両者の違いは大きさのみ。
加熱方法はバンシが基本的に茹で、ボーズは蒸します。
予想通り、ボーズは中国の包子(パオズ)が伝播したものだとのこと。
語音からしてこれはその通りでしょう。

しかし新たな謎になってしまったのがバンシ。
これはモンゴル語で意味がないとのことでした。
ということは借用語。
英語が堪能なキャンプサイトのマネージャーは、
バンシもまた中国から伝わったものではないかと言っていましたが、
それをととら亭に来ている中国人のお客さま2名(漢族)に確認すると、
バンシに対応する北京語はないそうで。

ん〜・・・どこからどう借りて来たんだ?
もしかしたら餃子発祥の地域と考えられる華北平野に多く住んでいた、
満州族の言葉かもしれませんね。
宿題になってしまいました。

mn_restaurant03.jpg

今回、僕たちがモンゴルで取材していた場所の多くは、
こうしたローカルレストラン。
ウランバートル駅の北側には、こうしたお店がたくさんありました。
中にはオーナーが日本贔屓で碁に詳しく、
来日経験があった方も。

mn_milkbansh.jpg

バンシやボーズは幾つかのバリエーションがあり、
他のギョーザ文化圏で見かけなかったものの一つがこれ、
バンシタイツァイ。
なんとミルクティーにバンシが入っているのです。
一瞬、うげ・・・と思いましたが、
砂糖が入っているわけではなく、茶の味も薄いので、
ミルクスープギョーザに近いかな?
やさしい味で温まります。

mn_friedbuuz.jpg

これはモンゴル版煎餃(チェンジャオ)とも言えるシャルサンボーズ。
ボーズを焼いたものです。食べ方としては明らかに亜流でした。
ローカルしか来ないような飲食店では、僕らが見た限り、
焼きタイプは見かけませんでした。
でも、ボーズ屋は至る所にあったので、偶然かもしれませんが。

mn_huushuur.jpg

そして国民的な料理ともいえるホーショール。
これは2ミリほどの厚さに伸ばした小麦粉の生地で、
ラムの叩き肉(挽肉ではありません)を包み、油で揚げたもの。
熱々でかぶりつくと肉汁がじゅわっと出てきます。
中身の材料は基本的に先のバンシやボーズと同じ。

それにしても困ったのはボリュームでした。
これね、ひとつに入っている肉の量が80グラム前後はあるのですよ。
それが『1人前』で5個でしょ?
他の料理も食べなければならなかったので、
ともこがひとつ、僕がふたつでギブアップ。
え? 現地の人たちはどうなんだって?
もちろん彼、彼女らは完食ですよ。
同じモンゴロイドとは思えない食べっぷりでした。

mn_noodle.jpg

モンゴルでは麺もよく食べられています。
この麺、種類としては日本でいう『うどん』に近いですね。
写真は中でもポピュラーなツォイワン。
中国の炒麺(チャオミェン)が伝わったものと言われています。
最初、中央アジアのラグマンに近いのかな?
と思いましたが、スパイス感はまったくなく、
シンプルなラム肉、野菜入り焼うどんという感じ。
これも美味しかったのですが、量が多すぎて・・・

mn_griash.jpg

ギョーザと並んで重要な取材対象だったゴリヤシ。
なんとハンガリーのグヤーシュが伝わったものだと言われています。
もしかてハンガリー人(マジャール人)がかつてウラル山脈の南西部に住み、
遊牧生活を送っていた時にモンゴル人と接点を持ったのか?
と思いましたが、ことの真相は、ぜんぜん新しく、
社会主義時代にハンガリーに留学した人々が伝えた可能性が高いとか。

で、どんな風にローカライズされていたかというと、
肉がビーフからラムに、パプリカがトマトに置き換わり、
グヤーシュで基調となるスパイスのキャラウェイが完全に抜かれていました。
そして供し方は、ライスとガロニの野菜が加わり、
一種の定食となっていたのです。
いまではランチタイムの定番だそうで。
オリジナルとは似ても似つかないものになってたものの、
これはこれで悪くなかったですね。

mn_schnizzel.jpg

もうひとつ面白い料理をご覧に入れましょう。
これ、なんだと思います? カツレツなんですよ。
正確にいいますとシュニッツェルです。

日本でもほぼ和食と化したカツレツ。
そのルーツはイタリアのミラノ風カツレツ(Cotoletta alla milanese)
に遡るという説があり、僕もその線で調べています。
これがイタリアの北方で国境を接するオーストリアを経由した際に、
シュニッツェル(Schnitzerl)という名で語変換が起こり、
この名前で広がったルートがあるのですね。

そのひとつがブルガリア。
ととら亭でも紹介したことがあるブルガリアのシュニッツェア
これはオリジナルどころかウィンナーシュニッツェルとも違っており、
なんとチキンの挽肉のピカタになっていたではないですか。

そこでモンゴルです。
先のゴリヤシと同じく、社会主義時代のパイプから、
モンゴルはブルガリアとも関係がありました。
その文化的交流を裏付ける物証のひとつがこの料理かもしれません。
モンゴルではブルガリアのシュニッツェアの肉がチキンからビーフに置き換わり、
ヨーグルトではなく、グレービーソースが添えられていたのです。
同じ政治的なつながりでも、ソビエトバージョンにはならなかったのですね。
ソビエト、ポーランドでは Cotoletta alla milanese の語の前半で伝わり、
(日本も同じですね)
ソ連型コトレットは、日本でいうメンチカツレツになっていたのですから。

mn_restaurant01.jpg

さらにローカル色が濃い場所として市場の食堂にも行ってみました。
しかし、これは探すのがちょっと難しい。
ナラントールザハの外周部を歩いていると、なにやらいい匂いがしてきたのですが、
飲食店と思しき店はどこにも見当たりません。
そこでくんくん匂いの元を辿って行けば、どうやらこの奥に飲食店がありそうです。

mn_restaurant02.jpg

そこで狭い通路に入ってみると・・・
ありました! 字義通り、鼻で探したローカル食堂。
もちろん英語のメニューはなく、イングリッシュスピーカーもゼロですが、
壁に写真入りメニューがあったので一安心。
「サイバイノー(こんにちは)!」の挨拶以降はボディランゲージで注文完了です。
人気店なのか、お客さんがひっきりなしに出入りし、テイクアウトも盛況でした。

mn_lunch.jpg

僕がオーダーしたのはゴリヤシ、バンシュタイシュル(ギョーザスープ)、
ニースレル・サラート、マントゥのセット。
まだ紹介していないものを説明するとですね、
ニースレル・サラートは直訳すると首都サラダ。
これはソビエトからサラート・オリヴィエを端とする、
サラート・ストリーチヌィが伝わったものと考えられます。
かつてはレストランエルミタージュの看板料理と言われた、
幻のサラダだったようですが、
いまでは普通のポテトサラダになってしまいました。
で、興味深いのはマントゥ(写真右下)です。
これは中身のない中華まんじゅうのようなものですが、
ここにモンゴルへ中国から餃子が伝播した時期を見定めるキーがあるのですよ。

なんと、中国の餃子(ジャオズ)はかつてマントゥと呼ばれていました。
この古い時期にトゥルク系の人々に伝わったと思われ、
トルコを始め、ウズベキスタンなど中央アジアの国々から、
アルメニア、モルドバではマンティ、マンティーヤなど、
マントゥ系の名前で根付いています。(詳しくは拙著をご参照くださいませ)

興味深いのは、
中国でマントゥと呼ばれた食べ物が包子(パオズ)と変名したこと、
さらに饅頭(マントゥ)という言葉が消えたのではなく、
中身のないパン状の食べ物を指すようになったことです。
つまり、この語変化を念頭に置くと、
モンゴルにギョーザが伝播したのは、
トゥルク系よりも遅れた語変化後の時期ということになるのではないか?
市場のローカル定食の一皿が、その仮説を裏付けているとは。
ん〜、盛り上がって来たぜ!

mn_airport.jpg

と、俄然エンジンがかかってきたところで時間切れ。
この気持ち、分かります?
あらたな謎とそのヒントを前にして撤収しなければならないのですからね。
でも、だから旅には終わりがないのですよ。

ウランバートルのチンギスハーン国際空港は、
街の中心から南西に自動車で20分ほどの場所。
ボーディングゲートが4つしかない小さな空港でした。

mn_aprest.jpg

早朝のフライトだったので、朝食はチェックイン後にカフェで摂りました。
ここで残りのトゥグリクを全部使い切り、
僕たちは帰途についたのです。

そうそう、帰りの機内で僕の頭にあったのは、
帰国して始めるととら亭の再起動ではなく、
次回のモンゴルの取材計画でした。

to be continued...

えーじ


mn_airmeal.jpg

おまけです。
これは・・・イマイチ。
ミアットモンゴルさん、次回に期待しています!
posted by ととら at 15:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月10日

エジプト料理特集が始まります!

僕にとって頭脳労働の種類は、ふたつしかありません。

それは反復的なルーチン作業か、
ゼロから何かを創り出すクリエイティブな作業か。

子どもの頃から得意なのは後者の方なのですが、
だからと言って、
いつでもどこでもすいこら出来るわけではありません。

まず睡眠時間をしっかり取って頭のコンディションを整えることが大切。
寝不足で疲れていると、いくら考えても出てくるのはノイズばかりですからね。

そしてコーヒーでメインシステムを起動させて、
静かな環境にお気に入りのチルアウト系かジャズのBGMが流れると、
ようやく心の白紙にイメージが浮かび上がって来るのですよ。

まさにこうした状態で、
昨日の朝からシャッターを下ろしたお店にこもっていました。

やっていたのは旅のメニュー変え。

ところが、時々、先の条件が満たされていても、
この仕事が難しくなることがありまして。

その難関とは頭の切り換え。

やるとなれば、対象に感情移入するほど深くダイブするのは、
ある意味、旅と同じでして。
ほら、先日もなかなか頭がウランバートルから東京に切り替わらないって、
お話をしていたでしょう?

今回は旅から帰ったばかりでしたし、
おまけにビジュアルレポートも書いていたので、
東京にいても頭をちょくちょくモンゴルにリンクさせていました。
そこから2日間でエジプト料理特集に切り替えねば!
というのは、帰国しての精神的な環境適応以上に難しい。
モンゴルとエジプトは文化的にも気候的にもかけ離れていますからね。

で、昨日の午前中は、どうにも調子が上がらず、
エジプト関連の資料や写真を見返しながら、
意識のベクトルをなんとか変えようと、じたばたしておりました。

え? リリースが遅れる伏線を張ってるのかって?

違いますよ〜!
その遅れを深夜で取り戻し、なんとかここまでまとめてみました。

エジプト料理特集

ほんの半年前の旅でしたが、
いま振り返ってみても、ホント、感慨深い日々だったなぁ、
としみじみ思います。
エジプトもまた、
未だ消化しきれない、たくさんのことを教えてくれましたから。

今回、再現した料理は気張って4つ。
この一皿一皿を通して皆さんと旅の記憶をシェアできたら幸いです。

えーじ
posted by ととら at 18:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月08日

第18回取材旅行 その12

ん〜・・・
ザミンウードからの夜行列車移動に続き、
後半のビジュアルレポートモンゴル編は1回でまとめようとしたのですけど、
やっぱり無理がありました。

なにせ肝心の写真が絞り込んでも43枚あったもので。
(実際に撮影したのはモンゴルだけで856枚)

そこで2回に分割し、
今日はウランバートルを中心にお伝えしようと思います。

mn_citycentre.jpg

とその前に、
モンゴルの概略からお話した方がいいかもしれません。
意外と近くて遠い国ですからね。
面積は日本の約4.1倍、しかし人口は東京都民の約1/4(約324万人)という、
日本とはかけ離れた人口密度の薄い国です。
確かに前回ご覧いただいた大草原の風景を思い起こすと、
なるほどそうだろう、という気がしてきますよね?
ところがその人口の約1/3以上に相当する約1300万人が、
ここウランバートルに住んでいるとなると、
これまた首都の事情は変わってきます。
中心となるスフバートル広場の周囲はこんな風に、
ビルが立ち並んでいました。

mn_traffic.jpg

当然、ところによって道路は大渋滞。
プリウスなどのハイブリッド車がだいぶ走ってはいましたが、
これらの排気ガスに加え、暖房で使われる化石燃料の煤煙で、
冬のウランバートルの大気汚染は深刻なレベルになっているそうです。

mn_ubstationrain.jpg

しかしながら新宿のような高層ビル群に埋め尽くされているかというと、
そういうわけでもなく、スフバートル広場周辺を除けば、
人口と経済規模に応じた社会主義時代のレガシーが広がっていました。
僕らが到着したウランバートル駅は街の南西のはずれにあり、
周辺はどちらかというと所得の低いローカルタウンです。

mn_hotel01.jpg

で、予約していたホテルが消滅していたため、プランBで泊ったのがここ。
駅の北側200メートルくらいのところにあります。
1泊朝食付きのダブルルームが日本円で約3,560円也。
窓枠やシャワールームのドアが壊れていましたが、
居心地はけっこう良かったです。

mn_money.jpg

通貨はトゥグリク。(TgもしくはMNTで表します)
物価はウランバートルで東京相場の1/4程度でした。
それもそのはず、モンゴル人の平均月収は約81,500円。
これは日本人の23.8パーセントに相当します。
でも収入格差は日本より少ないのですよ。

mn_apart.jpg

ホテルの周囲には、
こうした社会主義時代からある古いアパートがたくさん残っていました。
いずれも老朽化が進み、ご覧のような外観です。
何年も修繕していないのでしょうね。
夜になると外灯が少なく初日はちょっと怯みましたが、
僕らが行動した範囲で治安に不安を感じることはありませんでした。

mn_street01.jpg

昨年は6.9パーセントもの経済成長率をマークしているとはいえ、
こうした路地が錯綜する街を見ていると、
実体経済の中身は伴われていないような気もします。
あ、これは日本も同じでしたね!
(でしょ? 麻生さん!)

mn_toyokoinn.jpg

建築途中のビルと言えば、平和通りで東横インを見かけました。
走る車の9割が日本製と言われ、
ちょっと洒落たレストランでは日本人ビジネスマンの姿もあったことから、
日本との経済的なパイプは細くないのでしょうね。

mn_corporate.jpg

しかしながらこうしたボードを見ていると、
両国関係の軸足はハードよりソフトのような気もします。
貿易は輸出入ともに大きく中国に依存し、
日本は輸入相手としてはロシアに次ぐ第3位。
JICAさんの支援内容を見てみると、
鉱物資源の開発やインフラ整備より、
環境、医療、教育にポイントを置いていることが分かります。
ODAのあり方も変わって来ましたね。

mn_temple.jpg

翌日は再建されたガンダン寺へ行って来ました。
これ、僕も取材が決まって下調べをするまで知らなかったのですけどね、
モンゴルはソビエトに次ぐ、史上2番目の社会主義国だったのですよ。
ということは・・・『宗教は毒』ということになりまして、
当時の寺院はことごとく破壊されてしまっただけではなく、
僧侶たちも粛清の対象となってしまいました。
なので今あるこうした寺院は1992年に民主化されて以降、
再建されたものがほとんどなのです。

mn_mani.jpg

その弾圧された宗教とはチベット仏教。
これはネパールなどでも寺院で見かけるマニ車です。
側面にマントラ(真言)が刻まれており、右回りに回転させると、
回転した数だけお経を唱えたのと同じ功徳があると言われる便利もの。
実はモンゴルとチベット仏教の関係は深く、
ダライ・ラマという称号は、モンゴルのアルタン・ハーンから、
チベットで1543〜88年に在位したスーナム・ギャツォ、
(ダライ・ラマ3世)に贈られたものなのですよ。
で、なるほどその意が、
ダライ(大海(モンゴル語))+ラマ(師(チベット語))となったのですね。
さらにダライ・ラマ4世となったユンテン・ギャツォは、
アルタン・ハーンの曽孫にあたるモンゴル人。

mn_panda.jpg

閑話休題。
真面目なお話が続いたのでクイズです。
上の写真のキリル文字はなんと書いてあるのでしょう?
答えは文字の右側に・・・

mn_zaha02.jpg

さて、飲食店に次いで僕たちの取材場所と言えば市場。
民主化されてショッピングモールなども増えたとはいえ、
やはり庶民の生活を支えているのは大小さまざまな市場です。
これはウランバートル最大級のナラントール・ザハの入り口。

mn_zaha01.jpg

この市場は生鮮というより衣料品から家具などの生活雑貨が中心です。
中にはモンゴルならではの商品を扱うエリアがありました。
そう、馬具や放牧用品です。
あ、なぜか西洋式のキャンプ用品もたくさん売っていたな。
ゲルがあるのにナイロンテントなんて使うのかしらん?

mn_market01.jpg

生鮮系は市内中央に近いメルクーリ・ザハの担当ですね。
規模はそれほど大きくありませんが、食料品はひと通り揃っています。

mn_vegetable.jpg

新鮮な野菜や肉がところ狭しと並んでいました。
質、鮮度ともに抜群。買って帰りたい!
しかし野菜の殆どは中国から輸入しているのですよ。
そもそもモンゴル人は今でも野菜はあまり食べないので。
その反面、肉食う人ゆえに、
ラムを中心とした肉類のグレードはさすがでした。
この辺は『地球でオオカミの次に肉を食べているのは自分たちだ!』
と豪語するカザフ人とも共通していますね。

mn_market02.jpg

おっと、日本とのパイプはこんなところにもありました。
中国、韓国とならんで日本の食材もけっこう充実しています。
これなら長期滞在も苦になりませんね。

mn_fish.jpg

少ないながらも鮮魚の取扱いだってあります。
と言っても内陸国ですから基本は淡水魚。
ん〜・・・ちょっと種類は・・・分からないな。

mn_frozenbuush.jpg

最近は一人暮らしや忙しい共働きの家庭が増えたのか、
日本と同じく、冷凍食品も一般的になっていました。
で、やっぱりありましたね。
ボーズとバンシ。

mn_cheese.jpg

しかし、モンゴルらしさを一番感じる食品は、
なんと言ってもチーズでしょう。
遊牧民が持つ乳を使った食品製造技術は極めて高いレベルなのですよ。
ウシだけではなく、ヒツジ、ヤギ、ウマそしてラクダまで、
その採乳時期と成分特性に合わせた様々な乳製品が作られています。

mn_milkseller.jpg

そしてこと乳製品に関してなら、
工場ではなく各家庭、つまり遊牧民のゲルで作られているので、
街角にはこうした『即席直販所』が現れます。
これはミルクではなく、馬乳酒かもしれないな。

mn_cheeseguy.jpg

市場でチーズのサンプルを買おうとしていたら、
片言の英語が話せる親切なお兄さんが、各種類を少しずつ分けてくれました。
で、お代はどうなるのだろう?
明らかに相場を知らない外国人なのだからふっかけて来るかな?
と思ったら、値段からしてまったくのローカルプライス。
こういうところもモンゴリアンらしいですね。
バイラルラ(ありがとう)!

さて、次回はゲルに泊ったテレルジのキャンプと、
ととら亭ならではのチョイスで取材した、モンゴル料理をご紹介します。

お楽しみに!

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 22:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月05日

第18回取材旅行 その11

取材旅行から戻って4日が経ちました。

不思議なもので、
ようやく旅人モードが日常モードに変わったと思ったら、
今度は、

「え? 5日前はまだウランバートルにいたのか?」

そんな具合に旅の経験が、
実際に流れた時間以上の彼方に行ってしまったような気がしています。
ま、これも毎度のことで、
渡航地と東京の文化的、気候的ギャップが大きいと仕方がないのですよ。

それでいて、現地で目の前にしていたにもかかわらず、
気付かなかったことが、じわっと思い浮かんで来る。

ああ、あれはそんな意味だったのかもしれないな・・・

こうした旅のフラッシュバックは、
人間の記憶のメカニズムを解明する、
いい手掛かりになるのではないかしらん?
そんな風に思えてなりません。

特にこうして写真を整理しながらブログを書き始めると、
なおさら奇妙な気分になってきます。

では頭が10日ちょっと前の時間にシンクロしたところで、
ザミンウードからウランバートルへ至る、
鉄道の旅に戻ってみましょう!

mn_zustation01.jpg

ひやひやしながら中国・モンゴル間国境越えた僕ら。
ザミンウード駅横の駐車場でバスを降ろされて、
やっと肩の力が抜けました。
駅舎は中国と大きく違い、バスターミナル?
と見紛いかねない佇まい。
でも、どこかほっと安心できる雰囲気がここにはありました。

mn_zutown01.jpg

この小さな駅が中心の、それこそゲートウェイでしかない街なので、
駅前もまたご覧の通り。観光地的な要素はまったくありません。
でも食堂やスーパーマーケット、ATMなど、
旅人に必要なものはあらかた揃っているのでけっこう便利。

mn_zustation03.jpg

駅舎の隣には不釣り合いにモダンな建物が。
これはモンゴル鉄道の事務所で1階が待合室、
2階にチケット売り場があります。
駅舎より広く、居心地がいいので、雨の時の待機場所にはいいかもしれません。
僕はここでダウンロードしたe-チケットが本当に使えるのかを確認。
と申しますのも、
ウランバートルに住む、会ったこともないモンゴル人ベンダーに、
ウェブ経由で購入してもらったものなのですよ。
結果はOK。

mn_banshitaisyul.jpg

出発まで2時間近くあるので、ちょっと早い夕食に行きました。
入ったローカル食堂はファーストフードっぽい作り。
カウンター上にある写真入りのメニューを見ながら先払いで注文します。
分かり易いからモンゴル語が読めなくても心配ありません。
さっそく取材を始めて頼んだのがバンシタイシュル。
これは直訳するとギョーザスープです。
バンシとはモンゴル語でやや小ぶりのギョーザのこと。
エレンホトで食べた水餃とほぼ同じものでした。
思えばあの店もモンゴル系でしたしね。
これが濃厚なラムのスープに入っています。
でも、モンゴルらしさを感じたのはバンシ以外の具から。
ラムのコマ切れ肉がどっちゃり入ってるのですよ!
もうスープというよりシチューのような感じ。
ん〜、まさしく肉食う人たちの料理なのね。
ボリューム満点です。

mn_food01.jpg

もう一品は細切り肉を炒めたシャルサン・マフタイ・ホールガ。
ちょんもり野菜とライスが付いて定食風になっています。
肉はラムが主流ですが、バンシと被るのでこれはビーフバージョンです。
味付けは塩のみのシンプルテイスト。
以上の2品でお代は日本円にすると450円くらい。
中国に比べても物価がぐんと下がりました。
それもそのはず。日本と平均収入で比較すると、
モンゴルは4分の1強くらいなのですよ。
ですから僕らに安い食事も彼らには普通の価格になります。

mn_zustation02.jpg

うう・・・お腹がパンパンになったところでスーパーに行き、
車内で食べるパンと水を調達。
ホームに行くと列車が来ており、乗客もぼちぼち集まって来ていました。
みなさんかなりの荷物。ほとんどがモンゴル人だと思います。
パッと見渡して欧米系、もしくはバックパッカーの姿はゼロ。

mn_zustation05.jpg

これ、なんて書いてあるか分かります?
キリル文字をラテン文字に変換すると『Zamin uud - Ulaanbaatar』、
つまり『ザミンウード ー ウランバートル』。
行き先表示がこうなので、読めないと、どこ行きなのか分かりません。
事前のお勉強が必要な理由のひとつです。

mn_zustation04.jpg

さて、乗車時間はまだですが、
20両以上もある長い車列で迷うのは避けたい。
そこで今のうちに自分のコーチを探しておきましょう。
僕らが乗るのは7号車。
目の前にあるのは・・・9号車か。
で、右側は・・・10号車、ということは左に行けばいいんだな。

mn_tarain03.jpg

出発は18時4分。
30分前にコーチのドアが開き、
たくましい体格の女性の車掌さんが降りてきました。
彼女を一目見て思い出したのは、
アゼルバイジャンからジョージアへ行く夜行列車で会った車掌さん。
同じたくましい体格&社会主義フェイスの女性で、
命令調の話し方からロッテンマイヤーさんと呼んでいました。
でも、今回はやさしかったな。怒られませんでした。
列車に乗り込んだら今度は11番コンパートメントを探します。

mn_tarain01.jpg

おお! いいじゃん!
北京西からウランチャブまで乗ったものとは雲泥の差。
僕らのベッドは Lower なので4人コンパートメントの下ふたつ。
これが使い勝手最高なのですよ。ですから Upper は人気がありません。
ともこは早速くつろいでのんびり。
国境越えは疲れましたからね。
同室だったのは、ウランバートル在住の20歳代前半の新婚さん。
言葉は通じませんでしたけど、あまりのラブラブさ加減で分かりました。
お幸せに!

mn_tarain02.jpg

車両の端にはこんな給湯器があります。
いつでも熱湯が使えますからお茶のほか、
カップラーメンを食べている人の姿も。
そういえばこの仕掛け、アゼルバイジャンやカザフスタンなど、
他の旧社会主義国で乗った鉄道にもあったな。
ソビエト標準なのかしらん? 便利でいいです。

mn_trainview03.jpg

ほぼ定刻に列車は発車し、10分も走ると車窓から見える風景はご覧の通り。

mn_trainview02.jpg

草原、そして草原、また草原。真っ直ぐな地平線。
日本では北海道ですら見られない光景でしょう。
単調と言えばそうですが、見ていて飽きません。
この大地の標高が1200メートル前後もあるとは、
まさに地球の大きさが感じられますね。
あれ、新婚さんは抱き合って眠っちゃった!

mn_trainview04.jpg

時折、こうした小さな街で停車します。
でも荷物の上げ下げや人の乗降の気配はなし。
単線の通過待ちかもしれません。

mn_trainview01.jpg

列車は20両以上の長さ。これは7号車から先頭方向を見たところ。
後はカーブだと最後尾が見えないくらいです。

mn_sunset02.jpg

時刻はまもなく20時。
はるかな地平線に太陽が沈んで行きました。
雲の下から抜けた光が神秘的な直線を描いています。

mn_sunset01.jpg

美しい。
いや、そんな平坦な言葉じゃ言い表せない感動がここにはありました。
ホントはね、料理や文化以上に、
皆さんとシェアしたいのは、こうした瞬間なのですよ。
この星に生まれてよかった。
そしてちっぽけな僕らもまた、広大なこの星の一部であり、
果てしない宇宙の一部でもある。
その一体感が感じられます。

mn_windmil.jpg

この寝台列車の寝心地は格別でした。
朝まで爆睡して目覚めれば、外は青空と緑の草原が。
街が近いのか風力発電の風車が見えます。

mn_ubview02.jpg

時折、遊牧民のゲルがありました。
時代を感じるのは自動車の存在。
街まで家畜を売りに行く足は、
今や馬車ではなく、ピックアップトラックなのですね。

mn_ubview01.jpg

時刻は8時。天気は快晴。
終点のウランバートルはもうすぐです。
乗客たちが荷物をまとめ始めました。
進行方向をみれば草原の先にビル群が。

mn_ubstation.jpg

8時45分。
僕らを乗せた夜行寝台列車は定刻にウランバートル駅へ到着。
首都にもかかわらず小ぶりで可愛らしい駅舎です。
さぁ、忘れものをしないように気をつけて、
列車を降りたら駅で朝食を食べましょうか。

mn_ubstcafe.jpg
___________________________________

いかがでしたか?
モンゴルのローカル鉄道の旅。
ダイジェスト版なので、うまく伝わらなかったかもしれませんが、
こういうところに僕らの旅の本質があるような気がしています。

それがまた旅人モードから日常モードへ戻る、
大きな妨げにもなっているのですけどね。

僕が普段見上げる空は狭いからなぁ・・・

それでは次はウランバートルとテレルジの風景をご覧いただきましょう。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 17:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月02日

ととら亭再起動 201907

ただいま〜!

帰って参りました、梅雨真っ只中の東京。
昨日の13時30分。
僕らを乗せたミアットモンゴルOM501便は、
定刻より10分早く成田空港に着陸。
新宿までの乗り継ぎも良かったので、
僕らは16時半頃、無事に野方へ戻りました。

飛行機を出るなり感じたのは空気の湿度。
ウランバートルは標高が1300メートル前後あり、
大陸性気候ということもあって、
体感的には東京でいうと4月上旬くらい。
からっと乾いていましたから、この空気感の違いは大きいですね。

早朝4時起きの帰路でしたが、時差が1時間しかなく、
温度差もあまりなかったので環境適応はすんなり行っています。
昨夜はあまり片付けや再起動準備には手を付けず、
早めに休んだので二人とも元気いっぱい。
今朝は8時ごろお店に来てコーヒーを飲んだ後、
怒涛の再起動に突入しました。

こういう時のともこは頭の切り換えが早いので、
もうすっかり野方での仕事モード全開です。
今もキッチンで仕込みをやりまくっています。
こういう時は無口なんですよ。信じられないでしょ?

僕はというと、対称的なスロースターター。
コーヒーを啜りながら、
1時間ほどの読書とメディテーションで頭の回転を上げつつ、
ビジネスメールのチェックからスタート。
ランダムにタスクを書き出し、
優先順位を判断して、ひとつずつ潰し始めました。
前半が頭脳労働系で昼食の後、頭がへたったら肉労に切り替えます。

ま、こうして頭と手は動かし始めたものの、
やっぱり例によって、気持ちというか、感覚というか、
旅人モードはなかなか日常モードに戻らないんですよね。
今回、比較的に気候風土は近かったのですけど、
やはり文化はまったくと言っていいほど違っていましたから。

モンゴル人は僕らと同じ人種でありながら、
その精神的バックグラウンドに遊牧文化を持ち、
近代化への第一歩は社会主義でした。

中国は香港、北京、上海など、
一般的な観光地に多くの日本人が訪れているとはいえ、
素顔の街を移動して感じた率直な印象は、
古来、関係の深い隣人とはいえ、
アフリカや南米以上に異質なものだったのです。

この辺はぜひ皆さんとシェアしたいと思っていますので、
またあらためてお話しますね。

さぁ、営業は明日のランチから再開です。
モンゴルのビジュアルレポートも、もう少々お待ちを。

えーじ
posted by ととら at 11:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年06月30日

第18回取材旅行 その10

おはようございます。

いやぁ、昨夜のブログは失礼しました。
なんとか昨日の日付で書いておきたかったので、
写真がインサートされていないまま、
強引にアップロードしたのですよ。

昨夜から泊っているのは、
ウランバートルの中心にある中の上レベルのホテル。
僕らの旅で恒例になった、最後の一点豪華主義的チョイスです。
なんのご配慮からか分かりませんが、
チェックインして部屋に入ってみれば、
そこはダブルとシングルが廊下で連結されたゴージャスな部屋。
しかもシングルの方だけでも僕らのアパートより広く、
机に応接セットまであるじゃないですか!

僕はすぐフロントに戻って「何か間違えてない?」と訊けば、
英語を話すスタッフはにっこり笑って「It's yours.」。
マジですか?
だって予約しておいたのは、
一泊朝食付きで約4,250円の『バジェットツインルーム』ですよ。
む〜・・・いいのかしらん?
と思いつつも、せっかくなのでご厚意に甘えることとしました。

で、ここまでは良かったのですが、
このレベルのホテルになると欧米系のお客さんがほとんど。
となると、皆さんなんらかの通信機器を持っているので、
回線がプアーな場合、夕方以降、特に21時過ぎからは、
インターネットにほとんどアクセスできなくなってしまうのですよ。
案の定、昨夜の23時過ぎは、
今は懐かしきモデム級のスピードになってしまいました。

というわけで、今日は予定を変更して、
午前中にエクスプレスサービスでビジュアルレポートをアップします。

cn_uranchubstation.jpg

ウランチャブ駅に到着したのは5時15分ごろ。
今にも雨が降って来そうな曇天で肌寒く、
僕らはダウンウェアを出して防寒対策ばっちり。
さすがに内モンゴル自治区までくると駅舎も小さくなりましたね。
そこかしこに見えるモンゴル文字が、
別の国に入ったかのような印象を与えます。

cn_uranchubbs.jpg

日中は賑やかであろう駅前も、
さすがにこの時間となると閑散としています。
僕らはまだ眠りから覚め切らない大通りを横切り、
駅の斜前にあるシャッターの降りたウランチャブ長距離バスターミナルへ。
ここの情報は日本語はおろか、英語で検索してもまったく見つかりませんでした。
ターミナルの建物はこんな感じ。
6時になるとシャッターが開きます。
ちなみにバスターミナル左端にある公衆トイレが開くのは6時半。
ターミナルに入れば中にトイレがありますのでご安心を。

cn_ticketbooth.jpg

バスターミナルに入ってすぐ正面にあるチケット売り場は、
6時40分から開きます。

cn_busterminal01.jpg

チケット売り場から左へ進むとすぐセキュリティチェックがあり、
その先にある待合室はこんな感じ。
奥にトイレがありますからね。

cn_ticket.jpg

そして手に入れたエレンホト行きバスチケットがこれ。
フリーシートです。バスは8時に出発。
5時間半ほどの所要時間で2回トイレ休憩がありますが、
バスの中にはトイレがないので、ターミナルで済ませておきましょう。
それから大きな荷物を入れるラゲッジスペースは、
まったく掃除されていない上に水も入ってくるので、
ザックカバーは必須です。

cn_bus01.jpg

バスはかなり老朽化の進んだ年代物。

cn_bus02.jpg

それでも無事に乗り込めてほっと一息です。

cn_road01.jpg

バスは走り始めると間もなく市街地を抜け、
こうした草原を走り続けました。
時折、小さな町で停車しては乗客の乗り降りがあります。
そとは雨。僕らはほどなく眠りに落ちて・・・

cn_road02.jpg

途中で給油のためにガソリンスタンドで停車。
道路に出て見えるのはこんな風景です。
乗客は喫煙やトイレ。
そうそう、ここが『あのトイレ』です。
ここで用が足せたあなたは、ととらな旅でも大丈夫。
挑戦してみます?
詳しくはともこに直接訊いてみてください。

cn_erenhotbusstation.jpg

13時半ごろ、ようやく着きました国境の街、エレンホト。
長距離バスターミナルはこんな感じです。
右側にホテルが隣接されているので急遽泊まるようになったときは、
そこで値段を訊いてみるのもいいでしょう。
歩いて宿を探すのは現実的ではありません。
この周辺にはあまり旅人のニーズに応えるものはありませんから。

cn_erenhotnightviw.jpg

エレンホトはザミンウードに比べれば大きな街です。
これはホテルの部屋から見た風景。

cn_erenhotstation.jpg

鉄道でアクセスした場合はここに着きます。
エレンホトの駅。
ウランチャブからだと1日に2便しか来ませんので、
列車が来ていないときは日中でも閑散としています。

cn_erenhotstreet02.jpg

駅前もこの通り。
社会主義仕様の殺風景な大通りでした。

cn_erenhothotel03.jpg

ここで泊まったのがこんなホテルです。
羽振りの良かった時代に建てたのでしょうね。
街と同じくとにかく何でも造りが大きい。
1階のロビーなんて舞踏会が開けるくらいの広さがありました。
でも、お客さんもスタッフもぽつぽつ。
当然、メンテナンスは手が回りませんから、
人目につかない部分はだいぶ傷んでいました。

cn_erenhothotel01.jpg

それでも部屋は広くてきれいで快適。
この内容で1泊朝食付きで約2,800円なり。
僕らでも泊まれるわけです。
ここはバスターミナルや駅、飲食店街にも徒歩でアクセスしやすく、
スタッフもラブリーでお勧めです。

cn_erenhothotel02.jpg

朝食はビュッフェスタイル。
ちなみにここまでくると内容はご覧のとおり完全に中華です。
しかし微妙にモンゴルの気配が感じられました。
写真の左側に映っている白い飲み物。
これはミルクではないのですよ。
モンゴルで飲まれているミルクティー。
その実体は、かすかに紅茶の味のするホットミルクでした。
これを皆さん、ごくごく飲みます。
ん〜、だから骨太なのかな?

cn_shogi.jpg

中国では路地裏をぶらついていると、
よくローカルが集まって将棋を打っている光景に出会います。
ここエレンホトでもそう。
プレイヤーはもちろん二人ですけど、
その周りギャラリーが囲み、熱い議論と声援が上がっています。
面白そうだな。

cn_erenhotapart.jpg

社会主義的にデフォルメされた街ですが、
近寄ってみれば建物の傷みはこの通り。
収入格差が世界レベルでも高い国なので、
この辺の所得は全国平均を下回っているのかもしれませんね。

cn_erenhotstreet01.jpg

ちょっと裏道に入るとこんなですから。

cn_roadjoke.jpg

社会主義と言えば官僚主義、官僚主義と言えば縦割り組織。
横並びの組織間の意思疎通は糸電話レベルになっているのが定石です。
その目で見える例がこれ。
なんか変だと思いません?
そう、横断歩道が描かれているのですが、
その先は植栽が植わっていて歩道に入れないのです。
おちゃめですね。
また、道路に端に向かって緩いアールがつけられておらず、
道幅に対して排水口がぜんぜん足りていないので、
雨が降ると道路は字義通り海のようになります。
効率と合理性を追求しているようでいて、
結果はこうなんですよ。

cn_erenhotstreet03.jpg

とまぁ全体的に観るべき場所もなく、殺風景な計画都市なのですが、
中央部にはこんな風に商店や飲食店の並ぶ界隈があります。
ここに来れば旅人の要は一通り揃っています。

cn_restaurant02.jpg

僕たちが入ったのはこんなモンゴル&チャイニーズレストラン。
画面左側に書いてあるのがモンゴル文字です。
スタッフもほとんどモンゴル系チャイニーズでした。

cn_ramtomatostew.jpg

なるほど当然のことながら、それは食文化にも表れています。
これはトマトの入ったビーフシチュー。
スパイス感はまったくありません。
濃厚な肉の旨味とトマトの酸味が楽しめます。

cn_ziaozu06.jpg

で、餃子ですよ。
完全に変わっていました。
皮と大きさこそ同じですが、
中身はラムの荒いひき肉と玉ねぎ、塩程度のシンプルなもの。
中国というよりカザフスタンのマンティに味はそっくりです。
でも食べ方は醤油、酢が出てくるハーフ中華スタイル。
なるほどね〜。この変化は予想通りでした。

cn_erenhotbusstation02.jpg

さて、昨日着いたバスターミナルに戻ってきました。
今度は入り口を入って右側にある国際線待合室。
建物は新しくてピカピカですけど、
ウランチャブのように売店や飲食店はありません。
事前に別の場所で腹ごしらえし、
水などの調達も済ませてから来た方がいいですね。

cn_erenhotbusstation03.jpg

ターミナルの裏側には国内線のバスがたくさん停まっていました。
ザミンウードまでしか行かない国境を越えるだけのバスは、
行き先が書いていない車両だったので、事前に乗る人を見つけ、
後に付いていった方が確実です。
もちろん乗り込む前にチケットを見せて確認するのも忘れずに。

僕らがバスに乗り込もうとした矢先、強烈な雷雨がやってきました。
これが不吉な前兆でなければいいのですが。
ま、うまくいけば1時間半後には国境を越えて、
モンゴルのザミンウードに着いています。
時刻は13時30分。
バスは定刻に出発しました。

__________________________________

さて、この旅も現地最終日となりました。
今日はウランバートルで最大の市場、
ナラントールザハとその周辺で取材の仕上げを行います。

いやぁ、いつにもまして、今回の旅も密度の濃いものとなりました。
日本ギョーザのルーツ、モンゴル料理と中華料理の関係、
それだけではなく、社会主義とは、遊牧民と農耕民の違いとは、
民族のノンバーバルな行動様式とは、国境とは、
それから僕らの国、日本がかつて戦った戦争とは。
実にさまざまなことを考えさせられ、
目の前の現実から教えられる日々でもありました。
その個々のお話は、またあらためてしたいと思っています。

明日はアーリーチェックアウトして、
7時45分発ミアットモンゴルOM501便で帰途につきます。
予定通り行けば日本時間13時40分には成田空港に到着しているでしょう。

それでは次は梅雨の東京から!

to be continued...

えーじ

__________________________________

「ちょ、ちょっと待って!
 あたしもブログ書いたから打ってよ!」
「え? 今しがた丁度まとめたばかりなのに」
「いいじゃない、せっかく書いたんだから。
 読者さんたちだってあたしのブログの方が読みたいはずよ」
「・・・? まったく・・・もう少し早く原稿出してよね」
「えーじ速いから、ちゃちゃっと打てるでしょ?」
「はいはい・・・」

というわけで、
遅ればせながらともこさんが現地からお伝えします。

__________________________________

ともこです!

今回の旅は移動が多かったこともあって、
いつも以上にあっという間に感じました。
料理の、特にギョーザについての取材はもちろんですが、
私にとっての収穫は、旅人としてひとつ成長できたかな? ということ。

世界は広くて、
違う価値観があるのが当たり前と思える自分であり続けたいと、
あらためて思いました。

__________________________________

・・・? もういい? 終わり?
じゃ、アップロードしちゃうよ。

まったくもう・・・

それでは次は本当に東京から!

えーじ
posted by ととら at 11:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記