2017年06月26日

第14回取材旅行 その10

いよいよ明日は取材の最終日。
ととら亭で紹介する料理の候補がひと通り調べ終って、
ホッとしています。

いつものことながら事前の下調べと違うのは、
お目当ての料理が現地で見つからないことです。
たとえばロシアのスープで最もポピュラーなシチー。
有名なボルシチは元々ウクライナの料理だったので、
シチーをスープの調査リストの最上位に入れていたのですが、
これがいくら探せども見つからない。
多分、日本でいうなら味噌汁的な存在ですから、
食堂でお金が取れるようなものではないのかもしれません。

ここリトアニアでも同じようなことがありました。
シャウレイ、ビリニュスで、
かなりの数の飲食店でメニューを調べましたが、
ポーランドと本家争いをしていたというビゴスは、
まったく見当たらなかったのです。
例によって旅行者用のレストランから、
地元の食堂までいろいろ廻ったんですけどね。
まぁ、もう少し時間が取れれば探せると思いますが、
今のスケジュールではこれが限界。

ともあれ、主要な対象はしっかり押さえました。
次は帰国してからレシピ調べですね。

さて、まだ記憶が新しいうちに、
今日はエストニアの旅をビジュアルにお伝えしましょう。

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ロシア、エストニア間の国境を越えたバスは、
やや路面の状態が良くなった道路を西南西へ。
心理地帯を抜けると、風力発電の風車や菜の花の畑が見えてきました。

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僕らが到着した街外れのバスターミナル。
トランクルームから出したバックパックを受け取ったら、
ここでラトビアのタリン行バスのチケットをゲット。
そしてトラムで旧市街へ移動です。

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この街での宿はここ。
旧市街の北の外れにある2階建てのホテル。
スパやジムが併設されたちょっとリゾートっぽいところでした。
別にそれが目的ではなく、
単純に立地とコストで選んだのですけどね。

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部屋は広くてきれい。
しかし、空気がちょっとよどんでいたので窓を開けようとしたら、
天窓しかないんですよ。これが開くようには見えない。
仕方なくフロントで、

「新鮮な空気を入れたいんですけどね」
「・・・? 窓を開けて下さい」
「いや、壁に窓はない部屋なんですよ。天窓ならありますが」
「ああ! それではドアを開けて下さい!」

とな!
どおりで外に面した1階の部屋のドアが、
宿泊客が中にいるにも拘らず、ずらっと開いていた訳だ。
そんな訳で、僕らも在室中は、
靴をドアに挟んで開けっ放しにしていました。

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旧市街の風景。
ハンザ同盟が華やかりし頃の面影を色濃く残す旧市街は、
ともすると時間が止まったように見える時があります。

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ここがその入り口となるヴィル門。
旅行シーズンなので日中は観光客で大変賑わっています。

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旧市街の一部にはまだ中世の頃の城壁が残っていました。

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中心となるラエコヤ広場には、
往時の倉庫を改造したこんな店が沢山あります。
ちょっと日本の蔵を大きくした感じ。

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しかし外周の脇道入るとこの通り。

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独特な雰囲気の美しい小道がくねくねと張り巡らされています。
こうした街は地図を見ず、気ままに迷ってみるのが一番。

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ふと、ガイドブックにはない、
自分だけのお気に入りの場所に出会えたりしますからね。

僕たちが訪れたのは丁度週末だったので、
聖ニコラス教会で16時から、
パイプオルガンのミニコンサートが開かれていました。
これを聞き逃す手はありません。

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時に5メートル以上の長さのパイプが鳴動する音は、
電気的に増幅したPAと全く異なり、
なんとも形容しがたい響きとなるのですよ。
そもそもパイプオルガンは、
教会の建物の一部とも言える大きさがあり、
単体の楽器としては世界で最も大音量が出せるしろものなのです。
ところが愉快なのは、その音源。
今でこそ電気仕掛けでパイプに空気を送り込んでいますが、
かつては巨大なふいごを人力で動かしていたのです。
貴族がお屋敷で使っていた小型パイプオルガンなどは、
後ろ側で召使が空気を送り込んでいたそうな。
想像すると、ちょっとユーモラスな光景ですね。

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僕たちが投宿したホテルから10分も歩くと、
そこはフィンランド湾が広がっていました。
何でもものの本によれば、大河のヴォルガ川が流れ込む小さな湾は、
塩分濃度が低く、なめてもあまり塩辛くないとのこと。
ほんとかな? と思ったのならやってみるのが旅人です。
で、味見をしてみれば、これが本当に薄味じゃないですか!
へぇ〜っと素朴に驚きました。

次は調べた料理の一部をご覧に入れましょう。

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まずは前菜から。
先のような美しい海に面しているのですから当然シーフードの鮮度は抜群。
なかでもニシンのマリネはサンクトペテルブルグと同様、
どこでも楽しめました。
ここではスメタナと刻んだゆで卵、ポテトがお供。
この相性がいいんですよね。

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そしてギョーザのペリメにニもあります。
ロシアと同じように茹でてスメタナを添えただけの、
シンプルなバージョンも食べましたが、
アンズ茸などのキノコを使った、
香ばしいクリームソースで和えたものもポピュラーです。
こうなるとギョーザというよりラビオリに近い感じかな。

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エストニア名物と言えばブタの血を使ったブラッドソーセージ。
表面はパリッとこんがり焼けていますが、中身はかなり柔らかいです。
ザワークラウトを添えて頂きます。

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メインでよく見かけたのが肉で何かの具を巻いたローラーデン。
ポーランドではズラズィと呼ばれていました。
これはチキンの胸肉でハーブとカッテージチーズを巻き、
更にベーコンまで添えた豪華版。
ソースは甘酸っぱいフルーツ系か、キノコクリームソースなどが合います。

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変わりどころでは中世の料理を再現した店も。
僕がここでトライしたのはイノシシ肉のラグーの温野菜添え。
蜂蜜を使った甘塩っぱい味が中心でしたので、
パンやポテトより、ご飯が欲しくなりました。

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肉はロシア同様ポークが最も食べられています。
そうなるとやっぱりすね肉を使った豪快な料理の登場でしょう。
見て下さい。このナイフをグサッと刺したサーブの仕方なんか、
同じ文化を共有するポーランドのゴロンカとそっくり。
どれもジューシーで香ばしく、とても美味しかったのですが、
さすがにこの大皿料理は完食できませんでした。
残念!

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これらの料理の出どころと思われるのが中央市場。
旧市街から徒歩20分位のところにあります。

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食材の傾向は生鮮3種ともサンクトペテルブルグとほぼ同じでしたが、
スメタナのバリエーションは減っていましたね。
それでも全体的に見れば種類は豊富だったと思います。

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そうして再びバスターミナルに戻った僕たちは、
3番目の目的地、ラトビアのリガへ。

奇妙なものですが、同じ旅の流れであるにもかかわらず、
こうして振り返りながら書いていると、
ほんの1週間前程度のことが、ものすごく昔に感じることがあります。
先日お知らせしたロシアなんて、
あれ? 去年のことだったっけ?
という具合なんですよ。
不思議ですね。

明日はちょっと本題からはずれて、
ファーストフードもチェックしようと思っています。
それではおやすみなさい。

えーじ
posted by ととら at 08:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年06月25日

第14回取材旅行 その9

昨日の朝9時。
定刻をちょっと遅れてバスターミナルを出発したミニバスは、
リガ国際空港に寄った後、南南西へ向かって走り出しました。

道が空いており、
車体がコンパクトなのでドライバーは結構飛ばします。
トラックや大型バスが現れる度に追い抜きをかけ、
1時間半も走ると、そこはラトビア側の国境の街 Meitene です。

牧草地と森を走り抜けつつ、
間もなく国境だな、と思っていたら、
右側に古びた小さい料金所のような建物が一瞬見えました。

ミニバスは一切スピードを落とさずに走り続けています。
気が付けば僕たちは、
今回の旅の4番目の国、リトアニアへ入国してたのです。

人影がなく、見捨てられたように静まり返った国境の建物は、
さながら歴史の彼方に霞んだ、
戦争の遺物のような印象を僕に残しました。

国境と呼ばれる国と国を区切る線。
いや、人と人を隔てる壁は、やがてこうなるべきなんだろうな。

これはあくまで僕の個人的な意見なんですけどね、
国境だ、パスポート審査だ、税関だ、
ってな旅に付きもののしゃらくせぇ制度は、
やがて淘汰されて行く文化なんじゃないかな、
と思っているんですよ。

更に言ってしまえば、
『国』って概念もまた、捨てきれないもんじゃないと思う。
(あ〜、ナショナリストが聞いたら怒りそうだな)
血を引き継いだ民族としての記憶は尊重すべきですが、
近代国家の玉虫色に輝くフレームは、
必ずしも個人のアイデンティティに不可欠の要素ではないような、
気がするんですよ。

ま、昨今はこうした考え方と真逆の保護主義なんてのが、
幅をきかせているみたいですけどね。

今朝は地方都市のシャウレイを朝8時半の鉄道で出発。
6人用のコンパートメントで一緒になった、
リトアニア人のエヴェリナと2時間半の道中、
いろいろな話をしました。

彼女は今年30歳。
ソビエト連邦が崩壊し、
リトアニアが独立を回復した年は、まだ3歳でした。
それでも初めて隣国のラトビアに行った時のことを覚えているそうです。

僕たちが素通りしたあの建物。
あの中で彼女はまっさらなパスポートを提示し、
入国審査を受けたのです。
そして彼女は今日、僕たちに笑顔でこう言いました。

「リトアニアはEUに加盟してシェンゲン協定も発効したでしょ?
 だから今はここから南国のスペインやポルトガルまで行っても、
 私は誰にも何も言われないわ!」

移動。

行きたい場所に行くという自由は、けして奪われるべきではない、
人間の基本的な権利の一つだと僕は信じています。
(奪われたら僕たち旅人ってのも存在しませんからね)

確かにそれは、現時点で代償を伴わないものではないでしょう。
移民、治安、経済の問題など、制限と管理を軸にした既存のパラダイムは、
それなりに広い範囲の秩序を保ってきました。
しかし、それもまた、
多くのものを僕たちから奪っているという事実は、
あながち否定できないでしょう。

EUという社会主義に次いだ人類の壮大な試みは、
いま大きな試練を受けています。
このことはマクロ経済や政治の専門家ではなくても、
十分議論できると思います。
端的に言えば、目先の個人的な利益と、
長期的な視点に立った集団の利益のどちらを優先するか、
とどのつまり問題はそこに収斂していますからね。

そしてそれは遠く離れたヨーロッパ固有の問題ではなく、
地球温暖化対策の取り組みなどを例にとれば、
僕たち一人一人が実はこの挑戦の当事者なんですよ。

ありゃ、また話がマクロになってしまいましたね。
先日写真をアップロードして気が緩んだのか、
つい筆が滑ってしまったようです。

次回はまた頑張って、
エストニアの風景をご紹介したいと思っています。

えーじ
posted by ととら at 04:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年06月23日

第14回取材旅行 その8

明日はいよいよ4番目の国、リトアニアに入ります。

ん〜、結構焦って来ました。
いや、料理の取材は順調ですし、
皆さまご期待のビッグトラブルも今のところ起こっていません。

そうではなく、
評判の悪い、文章ばかりのブログが7本も続いた上に、
最初に行ったロシアですら、
まだ1枚の写真もアップしてないじゃないですか!

で、大変お待たせいたしました。

それでは10日ばかり時計を戻して、
ロシア編をビジュアルに振り返りたいと思います。
今回は遅くなったお詫びに30枚を奮発してアップしました!
(力作だぁ〜っ!)

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モスクワのシェレメチェボ空港で無事に入国した僕らは、
同じターミナルDにある国内線のフロアへ。
急いでボーディングタイムの1時間前に着いたら、
まだ僕らが乗る飛行機から乗客が降りてくるところ。
激しい雷雨の中、憐れな先客たちは傘も与えられず、
タラップを降りてバスまで歩かされています。
さすがはロシア。ノー顧客指向。
ボーディングブリッジは空いているのに何故だろう?
僕らも歩いて乗るのかな?
と思っていたら、間もなくにょ〜っとブリッジが伸びて、
飛行機と連結しました。
おかしなオペレーションですね。

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サンクトペテルブルグの中心的繁華街ネフスキー通り。
美しい夕焼けですが時刻は22時過ぎです。
もうすぐ夏至。この緯度では白夜なのですね。

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僕らが泊ったミニホテル。
雑居ビルの一部のフロアにあり、
客室は8室くらいしかありません。

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中華系のホテルなのか、室内は東洋風。
なんだけど、中華風のデコレーションの中に、
日本の城があり、東アジアのイメージがごちゃまぜに。
ともあれ居心地はOKです。

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英語は話せませんが親切なフロントの女性。
若く見えても2児の母です。
夜勤が大変ですね。

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ネフスキー通りの南東の外れにあるモスクワ駅周辺。
ホテルやお店がぎっしり集まった賑やかなところです。

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初日のミッションは何と言ってもこれ。
エルミタージュ美術館。
ようやく世界4大美術館を制覇しました。
この写真は旧参謀本部側から見た風景です。

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ちょいと値が張りましたが、
事前にウェブサイトからチケットをゲットしておいて正解でした。
当日券を買おうとするとご覧の通り。
あの列に並んでいたら、
入館するのにどれだけ時間がかかったか分かりませんね。
ま、これも社会主義のレガシーなのかしらん?

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ネフスキー通り周辺には主な観光スポットが集中しており、
血の上の救世主教会もそのひとつ。
今は教会としては使われておらず、
モザイク画の美術館です。

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そうそうロシアの負の名物は、
『スリと置き引き、ひったくり』と言われています。
僕らは幸い怪しい連中に遭遇しませんでしたけど、
確かにそうした話は本当なのか、
教会の中には何カ所もこんな注意が。

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フォンタンカ川岸から見た夕焼け。
大都会のサンクトペテルブルグにもこんな静かなひと時があります。

さて、本題の料理の取材です。
ロシアは美味しい料理が目白押し。
それを限られた時間内で胃袋の限界まで食べまくりました。
そこから代表的なものをご覧に入れましょう。

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まずは前菜のニシンのマリネとビーツのサラダ。
そして噛みしめればじわっと美味しいライ麦の黒パン。
これとビールがあれば取材終了! の気分になります。

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ロシア革命前に大繁盛していたレストランの名物サラダ、
サラダオリビエ。
実はこのレシピ、オリジナルは失われたそうで。
限られた情報から再現されたのがこれ。
ポテト、グリーンピース、人参、ハムやチキンをさいころ大に切り、
マヨネーズで和えたもの。
奇をてらった味ではありませんが、とてもいいスターターです。

現在レストランのサーブ方法のスタンダードとなった、
前菜、主菜、デザートという、料理を順番に出すやり方は、
実はロシアで考え出されたものなんですよ。
それを呼び集められていたフランス人シェフたちが、
本国に持ち帰り、フランス料理に取り入れたのが世界に広がりました。
それまでフランスでは、全ての料理が、
せ〜の! でドンと一度にサーブされていたそうな。
確かにその方がインパクトはあるでしょうが、
キッチンが大変なだけではなく、料理も冷めてしまうので、
ロシアンサーブが根付いたそうです。

そしてロシアではザクースカと呼ばれる冷菜から始まり、
最初の料理がスープ、2番目が肉か魚の主菜、
そしてデザートというお馴染みの流れになります。
スープは順番だけではなく、
気候の上でも重要な位置を占めています。
その所為か、何処で食べても美味しいですね。
ではもっともポピュラーなサリャンカから始めましょう。

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ポークやビーフのしっかりしたコクのあるスープに、
トマトの酸味が仄かに加わった飽きの来ない味です。
え? ロシアと言えばボルシチじゃないの?
いや実はあれ、ロシアではなく、ウクライナ生まれの料理なのですよ。
もちろんロシア版だけではなく、ウクライナ料理レストランにも入って、
食べ比べてみましたけどね。これはまたそのうちご紹介しましょう。

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もうひとつの代表的なスープがウハー。
あっさりした魚のスープです。
サリャンカより相手を選ばない万能選手。
じわっと沁みる滋味深い味わいです。

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そしてここでもお約束のギョーザがあります。
その名もペリメニ。
ところが『小さな耳』意味するこの言葉の語源はスラブ語ではなく、
レアなフィン・ウゴル語だそうな。
でもフィンランドやエストニアではなく、
カスピ海のずっと北側で、
コミ語やマンシ語を話す人々が伝えたとする説があります。
本体は僕たちがかつて、
アルメニアなどで食べたものと大きな違いはありませんでしたが、
コクのあるスメタナ(独特なサワークリーム)をからめ、
ディルをまぶすところがご当地流でしょうか。

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ペリメニはロシアで非常にポピュラーな食べ物で、
こうして冷凍食品でも普通に出回っています。
日本人と同じ、ギョーザ好きなんですよ。

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これはウクライナ版のギョーザ、バレニキ。
中身はポテトとチーズです。
味わいは、今ととら亭でやっているスロバキアのピロヒーとそっくり。
大きさはもっと小さいですけどね。

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それではそろそろ主菜に行ってみましょう。
まずはジャコーヤ。ロシア版の肉じゃがです。
ととら亭にいらっしゃったお客さまなら、
おや? と思うかもしれません。
そう、去年ご紹介したカザフスタンのクルダックとそっくり。
いや、実はほぼ同じものです。
更にジョージア料理特集でやったオジャクリも同系列の料理なのですよ。
この関係性もいつか追いかけてみたいテーマです。
その時の書籍名は『世界まるごと肉じゃがの旅』・・・かな?

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ボルシチと並んでロシア料理化したもののひとつ、
キエフ風カツレツ。
ハーブバターをチキンの胸肉で包み、細かい衣を付けてカラッと揚げた、
いわばロシア版デラックスチキンカツ。
ご覧の通り、ナイフで切ると、中から溶けたハーブバターが溢れだします。
この料理もセルビア、ポーランドで食べたことがありましたが、
大きな差は殆どありませんね。
カロリーを気にせず、バターをソース代わりにたっぷり付けてどうぞ!

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そしてメインの代表格と言えば皆さまご存知、ビーフストロガノフ!
柔らかく煮込んだ細切りのビーフをサワークリームで和え、
マッシュポテトを添えた逸品。ボリューム満点です。

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デザートは、
ロシア版カッテージチーズのトボロークで作ったホットチーズケーキ。
コンデンスミルクやハチミツをソースに頂きます。
え? だからカロリーなんて忘れて食べるんですよ!
美味しいんだから。

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そんな料理のルーツを探るなら市場が一番。
庶民の胃袋センナヤ市場に行けば食材だけではなく、
多民族国家ロシアを肌で実感できます。

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ドイツやポーランド、デンマークもそうでしたが、
北ヨーロッパでは保存食の文化がとても発達しています。
ピクルスはその代表格。
そのまま食べても美味しいけど、料理の素材としても大活躍です。

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ポーランドのバル・ムレチュニィと同じ、
セルフサービス食堂のスタローヴァヤ。

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ここではチキンコトレータのカーシャ添えを頂きました。
カーシャはポーランド料理特集でもご紹介したソバの実の素朴な料理。
僕たちにとっても懐かしい味でした。

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さぁて、それでは国際バスでエストニアのタリンへ出発です。
先日発生したサンクトペテルブルグの地下鉄爆破テロの影響か、
バスターミナルのセキュリティレベルは少々上げられ、
入り口で持ち物検査が行われていました。

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しかし、国境は先にお話した通り、
あっけなくダ・スベダーニャ!(さようなら!)
奥に見える高速道路のトールゲートのようなところが国境です。

如何でしょう?
駆け足でロシアの取材旅行を振り返ってみましたが、
僕らの旅の雰囲気は伝わりましたでしょうか?

明日は9時の国際バスでリトアニアのシャウレイへ向かいます。
予定所要時間は2時間15分。
どんな街が、どんな人々が僕たちを待っているのか。
初めて訪れる国はいつもドキドキワクワクします。

それではおやすみなさい。

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えーじ
posted by ととら at 06:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年06月21日

第14回取材旅行 その7

昨日の11時、ホテルをチェックアウトした僕らは、
雨上がりの旧市街を歩いて路線バスのバス停へ。
朝食をしっかり食べたので、
ランチは長距離バスのターミナルで買ったサンドイッチです。
待合室は結構混んでいました。
僕はこうした雰囲気が大好きでね。
色々な人がそれぞれのドラマを持っていますから。

旅行者かな? それともローカル?
あれは何語を喋っているのだろう?
これから何処へ行くのかな?

今回お世話になったバス会社は ECOLINE。
サンクトペテルブルグからは LUX express だったので、
LUX が ECO だから少々草臥れたバスなのかな?
と思いきや、これも先と変わらずリッチな内容でした。
それでいて乗車時間が4時間半ほどもあるのに16.5ユーロ/1人。

7割ほどの席が埋まったバスは定刻の13時に出発し、
森と牧草地を走り抜けること約2時間半、
エストニア側の国境の街、イクラに入りました。

と言っても、取り立てて何かがある訳ではなく、
相変わらず森と牧草地が続いているだけ。
もうすぐ国境かな? と思っていたら、
有料観光道路の料金所のような小さいトールゲートが道路の左側にあり、
その脇をバスは速度を落とさず通り過ぎて行きます。

はて? と思い、Google Mapで現在位置を確認すれば、
僕らはもう国境を越えていたではないですか。

Welcome to Latvia!!

そう、バルト3国はEUに加盟しており、
シェンゲン協定も発効しているので入国審査と税関はありません。
通貨はみなユーロですから都度両替の必要もなし。
旅行者には便利なものです。

出発して4時間が経ち、
周囲に建物が増え、道路が混んできたな、と思ったら、
もうラトビアの首都、リガの郊外に入っていました。
やがて左側にダウガヴァ川の大きな流れが。
バスターミナルはもうすぐです。
ドライバーのアナウンスはエストニア語かラトビア語だったので、
まったく分からず。

時計は17時35分、僕たちは予定通りリガに到着しました。
まずトイレを済ませたら、
今度はリトアニアのシャウレイ行きバスチケットをゲット。
最初に入ったECOLINEのオフィスでは予定していた9時発の便がなくてパス。
次に LUX Express の戸を叩けば売り切れ。
そう、僕らが移動する23日の金曜日は『リーグァの休日』という祭日で、
ラトビアは3連休なのです。

こりゃ急がねば!
と次に入ったのは Rīgas starptautiskā autoosta。
3社目にしてようやく、
23日金曜日午前9時発のシャウレイ行きチケットを購入できました。
お値段は12ユーロ/1人也。チケットはただのレシートです。
所要時間が2時間15分なので、なるほどバスも小さいということです。

リガでの投宿先はバスターミナルから徒歩5分ほどのところ。
ネットでコストと立地の利便性から選んだのですが、
前まで来て見上げれば4つ星の威風堂々たる佇まいじゃん。
おまけにゲートはいちいちセキュリティが開けるし。

ありゃ? まさか料金を間違えたかな〜・・・?
と少々心許なくなったものの、
請求されたのは予約通りダブルで約7,000円/1泊也。
それもそのはず、物価はロシア、エストニア、
ラトビアの順に下がってきているのです。
実際、その後、郷土料理レストランの夕食でメイン2品とデザート、
それにビールとミネラルウォーターを注文し、
支払ったのは23.2ユーロ。東京相場の2/3以下でしょうか。

さて、今日はこれから近くにある中央市場で取材です。
美味しそうな食材が沢山ありそうなんですよ。
それでは行って来ます!

えーじ
posted by ととら at 16:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年06月20日

第14回取材旅行 その6

エストニアの首都、タリンに到着して最初に感じた素朴な印象は、
社会主義臭さのなさ。

旧市街の外にはまだソビエト連邦時代に建てられた、
積み木のようなキューブ状の建物が大分残っていますが、
人々の表情からは、
明らかに1992年以前に青年期を過ごした世代からですら、
あの独特な雰囲気を感じません。
街には柔らかいスマイルが溢れています。

旧市街はエストニアきっての観光地でもあるだけに、
終日、観光客が溢れ、とても賑やか。
それでもアジアと欧州の違いか、
音には敏感なので、大声で騒ぐ人は観光客を除けば、
酔っぱらいとパーティ帰りの若者を除いて殆ど見かけません。
ゴミを捨てる人が少ない上に、掃除が行き届いているのできれいですし、
治安の良さは東京と変わらないくらい。
その証拠に警察官の姿を殆ど見かけないのですよ。
そしてダメ押しのメルヘンチックな街並みが加わると、
これはもう『新婚さん、いらっしゃ〜い!』な国じゃないですか。
どおりで僕らのようなバックパッカーをあまり見かけない訳です。

それでも仕事は続けています。
問題は例によって料理の量。
ロシアは思いのほか少なかったので、
僕はまだ胃薬に手を出していないのですが、
ここではいよいよハードルが上がってきました。

とにかく空腹ではない状態から再びフォアグラのガチョウよろしく、
パンパンになるまで詰め込むのはしんどい。
どうにかならんもんかしらん?
と出発前、ない知恵を絞っていた時に、タリンの宿の施設を見ていた僕は、
「これだっ!」と心の中で叫びました。

「ともこ、今度の取材の装備なんだけどさ、
 いつもの内容に加えて、ジョギングウェアとシューズ、
 それから水着も持って行こう!」
「え? なんで?」
「タリンの宿にはジムとスパがあって、宿泊者は無料なんだって!」

そう、僕は考えたのです。
お腹に詰め込んだものは消化するしかない。
しかし、そのための時間がない。
ならば消化速度を上げれば、この問題は解決するじゃないか。

そこでジムなわけです。

普段のスケジュールでは休憩時間に当てている16時から18時に、
ひと汗流せば夕飯を入れるスペースも十分できるに違いない。

うん、名案だ。

そうして僕らはウェアを着替え、
最新のトレーニングマシンが犇めくジムへと向かいました。

「ねぇ、これどうやるの?」

僕は20代の頃、しばしばジムに通っていましたが、
ともこはこれが初めてです。

「そうだな、いきなり筋トレやると体が壊れるから、
 ランニングマシーンで軽く汗を流すといい。
 やり方は教えてあげるよ」
「えーじは?」
「僕もちょっとそれに付き合うよ。で、軽く筋トレをやって来る」

彼女のマシーンをセットして、歩くスピードから始めた後、
僕はちょろっと汗を流しただけで、マシントレーニングに移りました。

それにしても・・・
このシュワルツェネッガーやスタローンみたいな連中はなんだ?
何を食べたらこんな図体になるんだろう?

周りで黙々とトレーニングに励むマッチョガイたち。
ジムには至るところに鏡があるので、
客観的に自分と彼らを見比べてみれば、
これはもうダビデとゴリアテじゃないですか!

と、言いたいところですが、
中学校1年生と大人の体格の差と言った方がいいでしょう。
メガネを外してトレーニングしていたので、
「あ、僕と同じくらいの人だ!」
と思ったら女性でした。

そこへ・・・

「え〜じ〜!」
「ありゃ、もう終わったの?」
「うん、あれつまんない。
 ハムスターみたいに同じところでクルクル走ってるだけなんだもん」
「まぁ、そういうもんなんだよ。
 じゃ、ちょっと筋トレやってみる?」
「うん」
「初めてだから軽いのをちょっとだけね」

そうしてバーチカルヘッドプレスマシンの負荷を一番軽くセットし、
無理のないよう、彼女がゆっくり始めたところへ・・・

「おいおい、そのポジションじゃあダメだよ。
 もっとしっかり背中を付けて、足を開いて」

近くで100キロ超のベンチプレスをエイエイやっていたシュワちゃんが、
ともこのところにやって来ました。

「え? なぁに? こうやるの?」

彼女は日本語で応えましたが、
何となく彼が言っていることは分かったようです。

「そう、もっと肘を上げて。もっと、もっと。
 で、ショートストロークで素早くやるんだ」

僕はペックフライマシーンから離れて彼女のところに戻りました。

「OK! やってごらん!
 Quick! Short! Quick! Short! Quick! Short! Quick! Short!」」

ん〜? こんなやり方でよかったっけ?

「Oh no no no! そんなゆっくりじゃダメだ!
 短いストロークで素早くやって、筋肉に血流を送り込むんだ!
 それがボディビルってもんだ!」

ちょ〜っと待ったぁっ!

「えーじ! このおじさん何て言ってるの?」
「あ、あの〜、ミスター、
 ご教授ありがとうございます! 大変勉強になりました。
 そろそろ僕たちはお暇しますので」
「お? あんたが亭主か? 彼女は私の言ったことが分かってるのか?」
「そ、そりゃあもちろん!
 今度は教えて頂いたやり方でしっかりトレーニングしますよ!
 さぁ、ともこ! 行こうか!」

僕たちはほうほうの体で部屋に戻り・・・

「なんかスゴイおじさんだったね」
「ふぅ・・・やれやれ・・・」
「何て言っていたの?」
「ともこを筋肉ムキムキにするって言っていたのさ」
「なにそれ〜っ!」

ともあれ、確かに腹は空きました。
この作戦は成功です。

翌日の彼女の筋肉痛を除いて・・・ね。

明日はラトビアのリガに移動します。
彼女が回復することを祈りましょう。

えーじ
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2017年06月18日

第14回取材旅行 その5

昨日の19時30分、
僕たちは予定通りエストニアの首都タリンに到着しました。

サンクトペテルブルグのバスターミナルを定刻の13時15分に発車したバスは、
進路を南南西へ。
2000ルーブル(約4000円)/1人のLUX Expressはその名の通り結構リッチ。
シートはゆったりしており、車内にはトイレの他、
コーヒーや紅茶の無料ディスペンサーまでありました。
ドライバーは社会主義フェイスだけど安全運転です。

30分ほどで市街地を抜けると高速道路に入り、
景色が森林と農地に変わりました。
それから車窓を流れる景色を楽しむこと2時間15分。
ドライバーがロシア語で何かをアナウンスしてきました。
乗客がパスポートを取り出し始めたところからすると、
どうやら国境の街イヴァンゴロドに着いたようです。

ここで4名の乗客が降りて行きました。
この街に住むロシア人なのでしょうか。
彼らと入れ違いに乗って来たのは女性の国境警察官。
彼女は手早く、
乗客がパスポートを所持しているかどうかだけ確認して出て行きました。
車内の雰囲気は和やかなものです。
間もなくそろそろとバスが進み、
よくある高速道路のトールゲートのような建物の下で停車。
ゲートの上には税関申告の有無によって、緑と赤の表示があります。
歩道側に大型トラックが列をなして停まっていましたが、
他のレーンは空いていました。

僕らは手荷物を持ってバスを降り、促されるまま建物の中へ。
さて、何ごともなければと祈りつつ進むと、
税関がありましたが、オフィサーはいないし、
X線検査装置は電源すら入ってないじゃないですか。
当然みんなそこを素通りして、
二つあるイミグレーションのブースへ並びました。
ここも空いています。

パスポートの個人情報があるページに出国カードを挟んで渡すと、
女性のインスペクターは、僕の顔をじっと見つめ、写真と見比べています。
僕はメガネを外してニッと笑って見せましたがウケなかったな。
質問は一切なし。
で、ガチャンとスタンプが押されたらおしまいです。
その先の待合室には先に終わった乗客とともこが待っていました。

「あっさり出ちゃったね」
「ああ、なんか拍子抜けしたな」

乗客全員の出国が終わるまで、この部屋のドアは開きません。
待っている間に皆さんトイレタイム。
間もなくドライバーが外からドアを開けてくれました。

ロシア側の国境を出る直前で、
さっきとは別の女性の国境警察官が乗車して来て、
今度はパスポートの出国スタンプの有無だけを確認。
これでさらばロシア! です。

結局レギストラーツィアは出番なし。
税関のチェックもあの通り。
僕らのような個人旅行は不可能と言われているロシアですが、
結果的に他のヨーロッパの国々同様できてしまいました。

『地球の歩き方』などのガイドブックのみならず、
オフィシャルな情報である在日ロシア大使館と、
外務省のウェブサイトを読んだ方はご存じの通り、
ロシアビザの発給要件は観光目的といえども厳しく、
宿泊先や移動手段のバウチャー(インビテーション)がないと、
そもそも相手にしてもらえません。
ところが『ロシアビザセンター』さんのような専門業者を通すと、
パスポートと写真1枚、そしてビザ代を含む手数料を払えば、
さらっと発給されるのです。

僕も最初は「ホントかな?」と疑心暗鬼でしたが、
この業者さん、他の旅人仲間に訊いてもしっかりした実績があり、
実際、パスポートを送付した以降は、
受け取りからビザ申請、ピックアップ、発送まで、
細かくメールで連絡をくれる丁寧さ。

その後は僕らのいつもの流れと同じ、
航空券の予約を確定し、ネットで手頃な宿を予約したら出発。
当然、滞在中の行動は自由です。

実はこうしてロシアを旅した旅人は僕たちだけではありません。
ネットで検索すれば、時に武勇伝を開陳するブログなどが、
ゴロゴロヒットするでしょう。

では、皆さんもどうぞ!
と僕が言うかというと、答えはニェット。

確かに僕たちがこうして旅をしたのは事実です。
しかし、ビザの発給要件や、外国人の管理は各国政府の管轄であり、
たとえ嘘は書いていないにしても、
個人のブログなどを確度の高い情報として受け取るべきではありません。
あくまで参考程度に留めておくのが、
場数を踏んだ旅人の分別というものでしょう。
個人の経験を「オレはやった! あんたも大丈夫だ!」、
とばかりに拡大解釈するのは大変危険なのです。

ですから、僕の話を聞いて「じゃ行ってみよう!」と思うのは自由ですが、
もしかしたら今日は、
国境でムチャクチャ厳しい審査が行われているかもしれず、
インスペクターから、パスポートとビザだけではなく、
「バウチャーも見せて下さい」
と言われた旅人が往生して可能性もあるのです。

しかし、それをリアルタイムで知る術はない。
本当のこともいち民間人には分からない。

これが現実なんですよ。
入出国の条件に世界共通のレギュレーションはなく、
民間人がアクセスできないレベルで突然変わり、
僕たち旅人は言われるがまま、それに従うしかありません。
サウジを始めとする一部のアラブ諸国が突然カタールと断交し、
カタール航空の利用者が各国の空港で足止めされたのは、
耳目に新しいことでしょう?
だから出発前に僕は渡航先の政治状況までちくちく調べているのですよ。
国境でのトラブルは深刻なことになり兼ねませんからね。

さて、川を渡るとエストニアの街、ナルバ(Narva)の国境です。
いよいよEU圏に入ります。
今度は車内に預けたバックパックも持ってイミグレーションへ。
X線検査をやるのかしらん?
と思ったらいきなり入国審査です。
ここでもブースはふたつだけ。
自動車で入国する人を審査するブースは結構あるので、
バスはそれほど集中しないのでしょうか。

僕たちの前の人々はパスポートを出したのち、
指紋のスキャンもされています。

ん〜?
2月にセルビアからハンガリーに入国した時は、
こんなことしなかったぞ。
EUレギュレーションが変更されたのかしらん?

と思いきや、僕たちはなし。
すぐスタンプを押されて、ようこそエストニアへ!

さっきの能書きを補足するとですね、
入出国のテクニックが難しい理由のひとつがこれなんですよ。
ひとつの国でもレギュレーションはひとつではありません。
極端に言うと、国境が開かれている国の数だけあるのです。
なぜなら外交とは相互主義が基本。
EU対ロシアとEU対日本はおのずと違います。
ですから日本政府がEU国民に対して指紋登録を義務付けたら、
EU側も同じ対応をしてくる可能性があるのです。

もし皆さんに色々な国の友人がいたら訊いてみるといいでしょう。
同じ日本に入国するにしても、
インド人と韓国人、アメリカ人はビザの要不要から、
それぞれの条件がみな違います。
僕たちの国もまた、相手に応じて様々な『顔』を持っているのです。
時にそれが、強面のロシアも真っ青の内容であることは、
あまり知られていませんけどね。

ロシア、エストニア間の国境を越える所要時間は約1時間。
ナルバでも5〜6人の乗客が降り、反対に乗って来た人も。
バスは再び進路を西へ取りました。
車窓には森と農地、小さな街が交互に現れては過ぎて行きます。
ふと気が付くと右側に群青色のフィンランド湾の海が見えていました。
美しいですね。
エストニアの国土は高低差が少なく(最大で標高318メートル)、
その7割は森林と言われていますが、なるほど本の言う通りだと頷けます。

リッチなバスは車内で無料のWi-Fiまで使えました。
そこで宿へ大よその到着時間をウェブサイトから連絡。
タリンに着いたのは、
サンクトペテルブルグを出発して6時間15分後の19時半でした。
バスターミナルでは20日に乗るラトビアのリーガ行きバスチケットをゲット。
次は路線バスで旧市街の入り口まで移動です。
ここでは普通に英語が通じました。
シンガポリアン並みの早口には閉口しましたけどね。

ヴィル門から見た旧市街は、さながら中世の街そのもの。
ちょっとスロバキアのブラチスラヴァを思い出しました。
今日はここを歩いて回りつつ、料理の取材を始めたいと思います。

じゃ、行って来まぁ〜す!

えーじ
posted by ととら at 15:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年06月17日

第14回取材旅行 その4

昨日から気温が上がり、
カラッと晴れて東京の五月晴れのような天気です。

今日は午前中から、
クズニェーチヌイ市場とセンナヤ市場を梯子して、
食材の調査をみっちりやって来ました。
ロシア料理はとても美味しいと思いますが、
なるほど豊かな食材を見ていると納得できますね。
生きのいい魚はサーモンや鱈だけではなく、
川や湖沼に棲む淡水魚も多く見かけます。
もともとはこちらの方が主流だったそうです。

肉はポークが圧倒的に多く、次いでチキン、ずっと減ってビーフ。
ラムはなくはないのですが、僕たちは見つけられませんでした。
ウサギも食べられています。

乳製品は様々なチーズやミルクの他に、
トボロークと呼ばれるロシア版カッテージチーズや、
スメタナというサワークリームが広い売り場面積を占めていました。
どちらも日本で馴染みのある製品とは微妙に違い、
ロシア料理には欠かせない食材になっています。
これのシミュレーションはハードルが高そうですね。

市場では気のいいおかみさんたちから、
にんにくの芽やキュウリなど色々な種類のピクルスと、
味と香りの濃いハチミツを試食させて頂きました。
ん〜・・・どれも買って帰れないのが残念!
とっても美味しいんですよ、これが。

サンクトペテルブルグで食べた限りですが、
ロシア料理にスパイシーなものは殆どないと思います。
あったとしたら、ジョージア(グルジア)か、
アゼルバイジャン、ウズベキスタンあたりの料理が、
メニューに混ざっているのでしょう。

ですから香り付けの主役はハーブ。
それもディルが一般的で、
コリアンダーのようにインパクトの強いものはなし。
辛いものもありません。
それでいて輪郭がぼやけているのでもない。
いずれもじわっと美味しいですね。

センナヤ市場は規模も大きく、売っているものからして庶民の台所ですが、
10メートルほど入って驚いたのが、人種の多様性。
率直に言って、ヨーロッパというより中央アジアのような感じ。
訊いてみれば、
ドライフルーツやハチミツを売っていたのはアルメニア人、
スパイスはウズベキスタン人。
「やぁ〜、去年サマルカンドとタシュケントにお邪魔しましたよ!」
なんて盛り上がっていたら、
僕らの脇をキルギスの民族帽をかぶったおじさんが、
ひょ〜いと通り過ぎて行ったではないですか!
外に出ればスタンドでピロジョーグ(ピロシキの単数形)に交じって、
ヌンやサムサだって売ってます。
ん〜・・・ロシアの民族的多様性がここほど感じられる場所はなかったな。

そして他ならぬ白系ロシア人の印象はというと、
「元祖社会主義だからなぁ・・・」と思いきや、これが結構フレンドリー!
前情報に反して英語だって意外と通じます。
特に30歳以下の世代だと、逆に英語で喋ろうとするケースもしばしば。
確かに怒っているかのような『社会主義フェイス』の人もまだまだご健在。
しかし、ラブリーな笑顔がこれほど見れるとは、
正直、想像していませんでした。
それに一見不機嫌そうに見えても、こっちが笑顔で接していると、
相手も親切に対応してくれます。
なんか僕らのロシアに対するイメージは、
大分バイアスがかかっていたようですね。
ま、それもそのはず、とどのつまりみんな地球人ですから。

そんなこんなで治安も危険な臭いは感じていません。
スリや置き引きは多そうですけど、
それでもヨーロッパの他の地域に比べて飛び抜けているとは思えない。
アフリカや中南米と違って、フツーに気を付けていれば大丈夫。

とはいえ、いつもながらの悩ましいサプライズがありました。
それは例のレギストラーツィア(滞在登録)。

これまでもウズベキスタンやカザフスタンだけではなく、
旧ユーゴスラヴィアのマケドニアでも付いて回りましたけど、
結局のところ、この制度が運用されているのかどうか、
誰も分かっていなさそうな気がするんですよ。

日本の外務省は、パスポートを盗まれた際の面倒な処理に業を煮やし、
つい先月までは『外国人はパスポートを常時携帯しなければならない』、
というロシア側の法律に対し、
『コピーを持ち歩き、警察官とトラブルになったら大使館に連絡を!』
という裏技的指示をオフィシャルに出していましたけど、
先日のサンクトペテルブルグで起きたテロとサッカーのW杯の影響を鑑み、
『パスポート、ビザ、出国カード、滞在登録証』
の4点セットを携帯するようにと字義通りに前の指示を撤回しています。

で、僕が出発前に散り散りの情報からまとめた理解は以下の通り。

1.滞在登録手続きが出来るのはホテル側だけである。
2.ホテルは外国人が宿泊した場合に、
  それが1日だけであっても当局へ到着通知を行う義務がある。
3.旅行者がホテル以外の同じ場所に8労働日以上泊る場合、
  宿泊施設側が移民局で滞在登録をしなければならない。

ん〜・・・?
これだけ並べると分かったようでよく分からない。
例えばホテル以外に泊り、8労働日以内に移動し続けた場合、
滞在登録はまったく行わなくていいように解釈できるでしょ?
しかし領事館の指示には有無を言わさず、滞在登録証と明記されてあります。

で、僕の場合はどうなったのか?

ホテルにチェックインした時、滞在登録どころか、
パスポートの提示すら求められませんでした。
お金を払って、部屋の鍵とWI-FIのパスワードをもらったらおしまい。
この時点で筋書きがまったく変わっています。

そこで翌日、英語を話せるスタッフが来るのを待って、

「レギストラーツィアをお願いしますよ」
「レギストラーツィア?」
「ええ、昨夜はパスポートも出していません」
「レギストラーツィアねぇ・・・何日泊るんでしたっけ?」
「5日間です」
「じゃ、要りませんよ」
「8労働日以内だから?」
「そう」

ここは個人宅じゃなくてホテルでしょ?

「いや、ある情報によると、
 外国人はレギストラーツィアがないとまずいそうです」

彼は怪訝な顔をして僕を見つめています。

「誰がそんなことを言ったのですか?」
「日本の外務省ですよ。
 街中でロシアの警察官に職務質問された時、
 レギストラーツィアを持っていないとトラブルになるそうです」
「・・・? 私はここで2年以上働いていますけど、
 ロシアの警察官があなたたちのような旅行者を職務質問したなんて話は、
 一回も聞いたことがありません。
 ここのお客さんたちにしてもそうです。
 レギストラーツィアが必要だなんてことを言った人は、
 あなただけですよ」

彼の表情や話しぶりから嘘をついているようには思えません。
しかし、今の僕には誰が本当のことを言っているのか、
知る術がないのです。
そこでリスクヘッジとして、

「あなたの言っていることは本当でしょう。
 しかし、僕はロシア警察ともめたくないのです。
 レギストラーツィアを発行してくれませんか?」

「ふぅ・・・分かりました。
 でもひとり300ルーブル(約600円)かかりますよ」
「ええ、いいでしょう」
「ではパスポートとビザを見せて下さい」

彼にパスポートを渡すと、
スマホで個人情報とビザのページの写真を撮りだしました。

「どれくらいで出来ます?」
「ん〜、30〜40分下さい」

そうして待つこと30分。
フロントのお兄さんは二人分のレギストラーツィアを部屋まで届けてくれました。
これで日本の外務省が指定したブツは全部揃ったことになります。
はたして誰が本当のことを知っているのか?
きっとそんな人はいない・・・のでしょうね。

そんなこんなで明日はいよいよ移動です。
今日の夕方、バスターミナルで、
エストニアの首都タリン行きのチケットを買って来ました。
出発は13時15分。
何ごともなければ明日の18時前後にはタリンに着いているでしょう。

Say good-bye to Russia。

料理の取材は予定通り終わったけれど、
もうちょっと居たかったな。

えーじ
posted by ととら at 05:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年06月15日

第14回取材旅行 その3

今朝のサンクトペテルブルグは気持ちのいい快晴。
風が吹くと肌寒く、
東京でいうなら3月下旬の陽気でしょうか。

料理の量は意外にも予想をやや下回り、
僕はまだ胃薬の助けを借りずに済んでいます。
まぁ、まだ2日間だけですけどね。

それでも毎回消化器系のキャパシティ100パーセントから、
105パーセントは詰め込んでいますので、
特にディナーまでにどれだけお腹を空かせるか?
は、このミッションの重要なポイントとなります。

しかし昨日はこれを楽に達成することが出来ました。
ともこの万歩計によれば、歩数は何と2万3千歩!
機械の特性から7歩以上歩かないとカウントしないので、
実際は1日で2万5千歩近く歩いていたと考えられます。

え? トレッキングにでも行ったのか?

いや、近くにそんな場所はありませんが、
それにほぼ近いことをやっていたのですよ。

サンクトペテルブルグでは、
もうひとつ重要なミッションがありました。

それは世界4大美術館の制覇!
フランスのルーブル、アメリカのメトロポリタン、スペインのプラド、
この他にイギリスの大英博物館や台湾の故宮博物院もありますが、
僕らにとって永らくの課題だったところがあります。

それはこの街にあるエルミタージュ美術館。

ロシア(ソビエト)名物、チケット売り場前の長蛇の列を避けるために、
事前にウェブサイトでチケットを購入し、
僕らはするっと開館の10時半とほぼ同時に入館。
昨日は延刻閉館でしたので、ぎりぎり21時までねばり、
絵画部だけは何とかクリアしました。
それでほぼ2万3千歩なのですよ。
何と言ってもこの美術館、新館も合わせると、
5つの巨大な建物の集合体で、
展示部を全部歩くと総延長20キロメートルにもなり、
コレクションも300万点以上というモンスター。

これが相手ですから、
食事も入れて30分ほどの休憩を3回取っただけの僕らは、
ほぼ9時間歩き回っていた計算になります。
ただ歩くだけではなく、集中して作品を見ていたので、
出て来た時にはもうふらふら。

しかしながら、確かにコレクションは素晴らしかったですね。
はるばるやって来た甲斐がありました。
個人的に中世の作品の評価は玉石混交の感を否めず、でしたけど、
それでもレンブラントやルーベンスの作品は層が厚く、
出来がいいものを集めていました。
息子の作品ですが、ブリューゲルも悪くなかったし、
1作とはいえボッシュの佳作もあった。
ダ・ビンチも小粒ですが、
他を圧倒する描写力の『リッタの聖母』と1メートルの距離でご対面。
こういうのは日本ではあり得ない、現地ならではの特権ですよね。

権力者の趣味からキュレーターに選択権が渡ったと思われる、
印象派以降のコレクションは、レベルがぐんと上がります。
特にピカソは『青の時代』、『キュビズムの時代』を中心に、
結構そろっていましたよ。まだ倉庫に眠っているんだろうなぁ。
コンテンポラリーアートは、建屋が異なる旧参謀本部内にあるので、
記念撮影に夢中の団体さんたちはおらず、静かにゆったり楽しめました。

そうそう、実は、
この旅行に出発前、『行き違い』を避けるために、
六本木でやっている『エルミタージュ展』に行って来たのですよ。
有名作品を探してがっかりした人も少なくなかったと思いますが、
ここでも有名な、クラナハ(父)の『林檎の木の下の聖母子』や、
フラゴナールとジェラールの合作『盗まれた接吻』は、
『日本に貸し出し中』だったのです。

エルミタージュを出ると、空は美しい夕焼けが広がっていました。
時刻は21時半近く。
そう、この街の緯度では今だと23時を過ぎなければ暗くなりません。
ロシアは白夜の国なんですよね。

さて、今日は午後からもうひとつのミッション。
ロシア美術館を攻略です。

えーじ
posted by ととら at 15:42| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2017年06月14日

第14回取材旅行 その2

昨日の話では「順調に行っているんだな」、
と思われたかもしれませんが、
実は微妙なサプライズがお約束で待っていました。

まずはホテルのチェックイン。
タクシードライバーのおじさんが案内してくれたドアから入り、
暗く狭い階段を3階まで登ると、
そこにレセプションのドアがありました。

「ドブリー ヴィチェル(こんばんは)、予約していたえーじです」

そう挨拶した僕にカウンターにいた若い女性は、
いきなり「For you」と言ってスマホを手渡してきたじゃないですか。

おいおい、出し抜けに電話かい?

「もしもし?」
「こんばんは、ようこそ当ホテルへ。
 支払いはカードですか? それとも現金?」

男性の声が英語で突然話し出しました。

「・・・? 現金でお願いします」
「では彼女に支払って下さい。
 そうすると彼女が鍵とWI-FIのパスワードをお渡しします」
「彼女は英語が話せないのですか?」
「そうです」

なるほど。

ホテルのネットの情報では、
対応言語の欄に『英語・ロシア語』と謳っていましたけど、
それは常に英語とロシア語が通じるという意味ではないのですよ。
こういうのは珍しくありません。

「何か質問はありますか?」
「いいえ」
「明朝、私はホテルにいます」

うれしいね。

「どうしたの?」
「彼女は英語が話せないのさ。
 取りあえず料金を払って部屋に入ろう。
 今日はもうくたくただ」

部屋に入って僕たちがまずやるのは、
電気と水回り、そしてセキュリティのチェックです。
灯りは点くし冷蔵庫も冷えてる。
シャワーのお湯もOK。

しかし、窓を開けると・・・

「ふ〜ん、3階だけど2階の屋根がせり出していて、
 そこから簡単に入れるな。
 しかも・・・窓にはまっている鉄格子はぐらぐらで落ちそうだ」
「鍵は閉まる?」
「ちょっと待って・・・よっと!」

窓を閉めてレバーを下げようとしても完全に下がりません。
その状態でぐっと力を入れると、簡単に窓が開いてしまいます。

窓の目の前は他から簡単に侵入できる屋根。
壊れた鉄格子。
閉まらない鍵。

ダメじゃん。

僕は再びフロントへ戻り、
ダメもとで彼女に英語で話しかけました。
そして合点が行かない彼女を連れて部屋まで行き、
窓を指差して肩をすくめ、

「これは壊れてますよ」

意味を察した彼女がトライするも状況は変わらず。
すると再びスマホを取り出しロシア語で何か話すと、

「For you」

さっきの男性に相談して部屋を変えてもらいました。

こうしていろいろあるんですよ、僕らの旅は。
ま、これくらいは別にいいんですけどね。

えーじ
posted by ととら at 01:50| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2017年06月13日

第14回取材旅行 その1

日本の皆さま、ドーブラエ ウートラ!(おはようございます!)
そしてプリヴィエート!(こんにちは!)

僕たちは無事、ロシアのサンクトペテルブルグに着きました。
日本との時差はマイナス6時間。
そちらはいま14時36分ですが、ここは8時36分です。

窓を開けると空は曇り。気温は15度くらいでしょうか。
東京の3月下旬に近い陽気です。

昨日、仮眠を取っただけの僕らは朝7時に野方を出発。
成田エクスプレスの車内でテイクアウトしたコーヒーを飲みながらパンを齧り、
ああ、東京駅だな、と思ったところで気絶。
気が付けば成田空港第2ターミナルでした。
僕たちは終点の第1ターミナルで降り、
アエロフロートさんのチェックインカウンターへ。
気懸りだった荷物の受け取りは、
最終目的地のサンクトペテルブルグで出来るということで一安心。
ボーディングパスも乗継便の分まで貰えましたから、
モスクワでのチェックインも必要ありません。
これなら大分時間を節約できるでしょう。

ちなみに毎回気になるこのボーディングパス。
最近主流になりつつあるウェブチェックインをした場合、
スマホに添付ファイルで送付するか、自分で印刷して持って行きますが、
結局、こうしてチェックインカウンターで再印刷することが多いのですよ。
これでは航空会社さんの手間も減らないだろうし、
こっちのささやかな努力も水の泡。
どうなっているのでしょうね?

成田、モスクワ間のフライトタイムは9時間22分。
機材はエアバスのA330-300でしたから使い勝手も良し。
座席が2列、4列、2列ですからね。
ボーイング777だと3列、4列、3列、
同じく787だと3列、3列、3列、なので、
早めに中央列のどちら側かを確保しないと、
通路側に座っていても奥の人がトイレに行く度に、
席を立たねばなりません。
一人旅で窓際や中央に座ってしまった人はちょっと気の毒なのですよ。
ですからやむなく僕たちが3列席の通路側に座っている時は、
奥の人に「僕たちが寝ていても気にしないで起こして下さいね」
と声をかけておきます。

アエロフロートさんは一昔前、
機体の古さやサービスの悪さ、時間の不正確さ、バゲッジロストで、
バックパッカーの間でも悪名が高かったものですが、
今はそれも過去の話。
2013年にお世話になった時もそうでしたけど、
今や他のヨーロッパの航空会社とまったく変わりません。
むしろ最近経営の苦しい北米系の航空会社よりいいかも。
時代は変わりましたね。

定刻に飛び立ったSU283便は予定より早く、
モスクワのシェレメチェボ国際空港にランディング。
僕らは例によって食後にまた気絶してしまったので、
あっという間のフライトでした。

さて、前回お話したオペレーションG.t.B最大の難関です。
バゲッジの受け取りと再チェックインがなくなったし、
予定より30分以上早い到着で時間が稼げたとはいえ、
僕らはかなり気合を入れて飛行機を降りました。
ところが・・・

イミグレーションは空いている上に手続きもさくさく進み、
インスペクターの質問は一切なしとなれば、
入出国カードにサインをするだけで、するっと入国完了。
あれれ? という感じ。

エスカレータで3階から1階へ降り、
税関申告は機内で読んだアエロフロートさんの機内誌によると、
1万ドル相当のものを持ち込む場合は申告して下さいとの説明があり、
二人合わせてもその半分にさえ手が届かない僕らは必要なしと判断。

同じターミナルDにある国内線チェックインカウンターで、
ボーディングパスを見せると、
「一般エリアの出国ロビーに出て3階まで上がり、
 セキュリティチェックを受けて下さい。
 サヨナラ!(最後の一言は日本語)」

そんなこんなで、
東洋人の姿が殆どない国内線のセキュリティエリアに入ったのは、
ボーディングタイムの1時間以上前でした。

機体整備の関係で30分遅れてモスクワを飛び立ったエアバスA320は、
1時間5分でサンクトペテルブルグのプルコヴォ空港に着陸。
ここまで計3回機内食を食べましたけど、
このフライトで出た黒パンのサンドウィッチが一番美味しかった!

それではこのオペレーションの最終フェーズです。
まず、僕らのバックパックは無事に受け取れるでしょうか?
実は成田から乗ったSU283便は、
モスクワを経由してロンドンまで行くフライトだったのです。
もしかしたら、今ごろ憐れな僕たちのバックパックは、
ヒースロー空港のターンテーブル上でグルグル回っているのかも?

そうして待つこと5分ほど。
僕の嫌な予感をよそに、バックパックを受け取った僕たちは、
バゲッジクレーム内にあるタクシーカウンターへ。
プロコヴォ空港で声をかけて来るタクシードライバーは悪名が高く、
ターンテーブル上にも大きく、
「プライベートドライバーは安全ではない上に料金も法外です。
 タクシーカウンターで手配して下さい」と注意書きが。
ここではクレジットカードを使い、2000ルーブル(約4000円)で手配。
人数を訊いてきたので一人だと1000ルーブルだったのでしょう。

一般エリアに出たら次のタスクはルーブルのゲットです。
ここではATMから現地通貨を引き出そうとしたのですが、
PLUS対応のATMが見当たりません。
そこで安全な銀行内にあるATMでクレジットカードから、
当座のルーブルを降ろしました。

プロコヴォ空港から市内中心までの距離は約18キロメートル。
初老のドライバーは僕が渡したマップを見てカーナビにセットし、
30分ほどでネフスキー通りにあるホテルの近くまで来ました。

この辺かな? というところでタクシーがストップ。
しかしそれらしき建物は見当たりません。
ドライバーはホテルに電話して場所を訊いています。
彼は英語が話せなかったので、手招きで「降りて下さい」。

彼が案内してくれたのは、
大きなビルの中庭に通じる薄暗いゲートの前。
そこで呼び鈴を押しています。
もしや・・・と思って小さなネームプレートを読んでみると、
そこに小さくホテルの名前と部屋番号がありました。
これはポーランドのワルシャワで泊ったホテルとそっくりです。
独立したの建物があるのではなく、
大きなビルの一部がホテルになっており、入り口は中庭にあるのです。
親切なドライバーは僕たちをホテルの入り口まで案内してくれました。
単独で探していたら、大分時間がかかったことでしょう。
こういうことを考えると、
ちょっと高くてもエアポートタクシーを使う価値はありますね。

初日の夜は近くで軽く食事を済ませ、
シャワーを浴びた僕たちは待ちに待ったベッドへ。
はぁ〜、やっと着いたぁ!
そう体を思い切り伸ばしたと思ったら、またもや気絶。
気が付けば朝の7時半でした。

えーじ
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2017年06月12日

第14回取材旅行の準備 その7

今は日付が変わって0時23分。
ほぇ〜、やっと自宅へ帰ってまいりました。

取材旅行の準備は、
僕たちなりに最適化しているつもりですが、
今回は通常の業務が予想以上に忙しかったこともあって、
段取りが悪かった初回を思わせるパツパツぶり。
端的にいうと、まだパッキングが終わっていません!

ま、野方を出るのが朝7時15分ですから、
シャワーを浴びたらしこしこやりますか。

こういう状況に陥った時の切り抜け方は、
ミッションのフェーズを可能な限り短く区切り、
一点集中型でコマを進めることです。

今日の場合に例えれば、
成田空港第1ターミナルまでアクセスし、
アエロフロートさんにチェックインするまでが第1フェーズ。
そもそもここで寝坊したら完全にアウト。

次が懸案のモスクワトランジットをクリアし、
サンクトペテルブルグのプルコヴォ空港へ着くこと。

そして最後は、ネフスキー通りのホテルにチェックインし、
ベッドで横になることです。

そう、したがいましてオペレーション名は、
Operation G.t.B(Go to Bed!)

これが実に、遠ぉ〜〜〜〜〜い道のりなんですよ。

それでは次はロシアから!

えーじ
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2017年06月10日

第14回取材旅行の準備 その6

シリーズ化された人気映画では、
しばしば主人公の言う決め台詞があります。

たとえばダーティー・ハリーでは、
 Go ahead, make my day.

とか、

ターミネーターなら、
 I'll be back.

などなど。

先日、DVDで、
スターウォーズのスピンアウト作品ローグ・ワンを観たのですけどね、
このシリーズなら言わずもがな、
May the Force be with you.
となりますが、実はもう一つあるんですよ。
それは、

I got a bad feeling about this.
 (嫌な予感がするぜ・・・)

これは劇中で主人公がピンチに陥る前に言われる科白。

僕はジェダイの戦士ではありませんから前者を使ったことはありませんが、
残念なことに後者はよく使います。
いや、使わざるを得なくなるんですよ、 特に取材旅行中は・・・

で、今回も出発前から早々に使いました。

この前、成田からロシアのサンクトペテルブルグまで移動する、
初日の流れを確認していたのですけどね、
モスクワでのトランジットが微妙なことに気付きました。

お世話になる航空会社はアエロフロートさん。
成田からモスクワまで国際線で飛び、
モスクワで国内線に乗り換えてサンクトペテルブルグまで。
トランジットタイムは2時間10分。

余裕綽々とはいえないまでも、一般的には無理のない乗継です。
しかし調べているうちに分かったのは、

1.入国審査はモスクワのシェレメチェボ国際空港で行われる。

ま、これはいいとして。

2.かつてに比べて入国審査はスピーディーになった(らしい)が、
  それでも諸般の都合で2時間ほどかかったケースもある。

3.入国審査の後、成田で機内預けにしたバックパックを受け取り(!)、
  国内線の出発フロアまで移動し、再度チェックインしなければならない。

とな!

(BGM:Theme of Mission Impossible)

このミッション、そもそも入国審査の時点でアウトの可能性があるのに、
加えて一度荷物を受け取らねばならんとは!

有利な条件としてすべてがターミナルDで完結しているとはいえ、
入国審査のペースやバゲッジが出て来るタイミングは、
僕たちでコントロールしようがないし、
現時点では誰にも分からない。

航空券を手配した旅行代理店経由で確認したところ、
税関で申告するものがなければ、
成田からサンクトペテルブルグまで荷物は直送してくれる・・・らしい。

そうであることを祈りたい。

ま、ここは当日チェックインカウンターで直接訊いてみるのが、
一番確実・・・かな。
ふぅ・・・

Oh...I got a bad feeling about this.

えーじ
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2017年06月07日

抜き打ちテスト

ととら亭は旅の食堂。
色々な国の料理をアレンジしないで再現し、
僕たちの旅の経験をシェアするのがミッションです。

であるからには、
いらっしゃるお客さまの殆どが日本人・・・

という訳ではありません。

しばしば思いもよらない国から来日したお客さまが、
僕らにとって微妙なタイミングでご来店されることがあります。

先日の夜、少々混雑したディナータイムで、
カウンター奥の席(僕の目の前)に、
日本人と白人の女性のお客さまがいらっしゃいました。
彼女たちがオーダーした料理のひとつは、
世界のギョーザ特集でやっているスロバキアのピロヒー。

もしや・・・? と思い、訊いてみれば、やっぱり・・・
白人の女性はスロバキアの東部出身で、
いま野方の近くに住んでいるとのこと。

スロバキアの面積は北海道の3/4くらい。
人口は東京都民の半分以下、542万人ほどの国です。
そのレアな国民の一人がいま僕の目の前にいます。

ちょっとアンニュイな雰囲気の彼女。
実はピロヒーを作ったことはないそうで。
お婆ちゃんが作ってくれたものをよく食べていたそうです。

さて、僕がピロヒーをサーブして数分。
ほぼ食べ終っていた彼女に感想を訊いてみました。
すると意味深長な眼差しで・・・

「正直に答えた方がいいですか?」

だって。

イマイチだったのかしらん?
再現度は高い筈なんだけどな・・・
む〜・・・それでも本家の人のご意見はぜひ聞いておきたい。

「ええ、率直にお願いします」

「私のお婆ちゃんが作ったものより美味しいわ!」

はぁ〜、合格か!
いやはや僕たちなりに納得して出してはいるものの、
こうした抜き打ちテストはやっぱり緊張しますね。

ホント、いろんな意味で気が抜けない仕事なんですよ。

えーじ
posted by ととら at 16:36| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記

2017年06月04日

逆取材 その4

5月28日(日)にオンエアされた文化放送『浜美枝 いつかあなたと』。
この収録は放送日から遡ること約3週間前の、
5月9日(火)に行われました。

浜松町にある文化放送さんでの集合時間は午前11時45分。
受付で名前を告げた僕が案内されたのは9階です。
エレベータホールに出ると、
この仕事のオファーをくれた放送作家のG氏が出迎えてくれました。

「どうもはじめまして!」

とお互い言いつつも電話やメールでやり取りをしていましたし、
G氏の気さくな人柄の所為か、初対面と言う感じがしません。

エレベータホールを右に曲がり数メートル進んだところで、
左手に小ぶりなスタジオがずらっと並んでいるのが目に入りました。
同じラジオ局でも3日前に行ったTBSさんとは全く違います。
どことなく、バンド小僧だった頃に通った練習スタジオのよう。

さっそく僕たちはスタジオの前にある打ち合わせブースで名刺交換です。
そして台本を受け取り、簡単に説明を受けました。
と言っても、細かな話ではなく、ほとんど雑談。
今回も業界人ではないゲストを緊張させないようにする、
ご配慮をひしひしと感じます。

「久保さん、一昨日、久米さんの番組に出てたでしょ?」
「え? ああ、聴かれました?」
「浜さんは聞き手に回る方ですから気楽に話して下さいね」

そんな話をしているうちに番組の担当スタッフさんも現れてまた名刺交換。
で、スタジオに参りましょう!

学校の放送室を思わせる8畳ほどの広さのスタジオには、
すでに浜さんと寺島アナウンサーがいらっしゃいました。
テーブルの上には僕の本もあります。

浜さんは舞台を引退されているとはいえ、
所作といい、話し方といい、
さすがは元ボンドガールまで演じた女優さんという感じ。
なんかキラキラしています。

寺島アナウンサーはラジオで聴く通りのフレンドリーなキャラクターで、
G氏と同じく初めて会った気がしません。
そして挨拶のあとに、

「ととら亭は中野区の野方にあるんですよね?
 僕、出身が下井草なんですよ!」
「やぁ、ほとんどお隣さんですね!」

続いて不思議な縁を感じたのが浜さんとの話。

「奥さまは箱根のオーベルジュで働いていたのですか?」
「はい、浜さんはお住まいが箱根でしたよね?
 もう15年ちかく前になりますけど、
 ワイフが修業中だった時に浜さんがいらっしゃられたのを、
 彼女は覚えていましたよ」
「あらまぁ!」

ホント、人生どこでどう繋がるのか分かりませんね。

こうして場が和んだところで収録です。
僕の斜前に座った浜さんが、
コンソールルームのエンジニアとアイコンタクトするなり、
冒頭のクレジットを読みはじめました。

いやぁ〜、この静かなスイッチの入り方がスゴイ!
発声と間の取り方が雑談していた時とはまったく違うのです!
凛とした緊張感があるものの、それでいて肩の力は抜けている。
僕はポカンと聞き入ってしまいました。

彼女が話し終わると、どうぞとばかりに寺島さんへ手で合図。
僕の左隣りに座った彼がそれを受けて、
朗々と紹介文を読み上げ始めました。
まさにこれ、阿吽の呼吸というものでしょう。

奇妙な例えかもしれませんが、
まるで僕はバンドをやっていた時のように、
初めてのメンバーとセッションしている気分になりました。
そう、浜さんと寺島さんがドラムとベース。
僕は今回ギターで参加です。
お二人のテンポとリズムに気持ちを合わせて、
そろそろとコードを刻み始め、
質問を受けたところでソロを弾きます。

久米さん、堀井さんとのセッションがちょっと跳ねたジャズだとすると、
今回は軽やかなバーデン・ハウエルばりのボサノヴァでしょうか。
心地よいレイドバックしたムードの中に流れる時間は、
あっという間に過ぎてしまいました。

そしてスムーズに収録が終わったところで記念撮影です。

この時は気付かなかったのですが、
浜さんがコマーシャルさながらに僕の本を持っていてくれました。
その『持ち方』にご注目を!

onradio.jpg

こういうのは、さっと出来るものではありませんよね。
永年の女優業の他、
コマーシャルで商品を手に撮られ続けていたご経験からか、
何ともきれいな持ち方をされているじゃありませんか。

ん〜・・・徹頭徹尾、
皆さまのプロフェッショナリズムを感じたひと時でした。

えーじ
posted by ととら at 17:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年05月29日

第14回取材旅行の準備 その5

「シャウレイか・・・聞いたことがないな」

今回の取材旅行の行き先を発表した後、
バルト3国を訪れたことのある方々から色々アドバイスを頂いたのですが、
その中に、リトアニアでは、
シャウレイという街が印象に残ったとのご意見がありました。

なるほど調べてみると、
無数の十字架が立ち並ぶ丘で有名とのこと。
なんでもそこは19世紀初頭に、
この地の圧政者だったロシア帝国に対する蜂起で亡くなった、
同胞のために作られた場所で、
その後も幾度となくソビエト連邦時代に焼き払われたものの、
リトアニア人の不屈の努力で都度じわじわ復活し、
独立を果たした今では、かなりの規模になっているそうです。

シャウレイの位置はリトアニアの北部。
丁度ラトビアのリガからリトアニアのビリニュスへ向かう途中にあるので、
ここで一泊してみようということになりました。

実は僕たちが予定を変えた理由は他にもあります。

シャウレイはリトアニアで第4の都市といわれているものの、
実のところ、いわゆる『観光地』ではありません。
はっきり言って、ただの地味な地方都市です。

でも、それが僕たちの旅心をそそったのですよ。

コロッセオやエッフェル塔のようなランドマークはないし、
クリスタルガラスやワインなどの特産品を扱う土産物屋もない。
しかし世界遺産の旧市街がある首都のビリニュスがよそ行きの顔だとすると、
『何も見るべきものがない』シャウレイは、いわば素顔のリトアニア。
僕たちが魅力を感じるのは、そんな場所なのです。

『何もないところ』とは、言い換えれば、
『自分で発見する何かがあるところ』でもあります。
たとえば2月に訪れたバルカン半島では、
ギリシャのテッサロニキやハンガリーのセゲドがそれにあたりました。
僕のPCのスライドショーで映されている写真の数々は、
そうした僕だけの名所ばかり。

『なにもない』シャウレイの街。
そこで何が僕たちを待っているのか。
それが今からとても楽しみです。

えーじ
posted by ととら at 00:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年05月27日

ラジオリベンジ

『逆取材 その3』でお伝えしました、
5月6日放送のTBSラジオ『久米宏 ラジオなんですけど』。
生放送が終わってすぐ、
スタッフさんから放送を録音したCDを頂きました。

で、ととら亭に帰るなり、待ち構えていたともこと一緒に聴いてみると、

がぁ〜ん!

・・・と言うか、やっぱり・・・

久米さんと堀井さんという喋るプロ中のプロに挟まれた僕のトークは、
なんともまぁ拙いもの!
大人と子供、いや、大人と新生児くらいの差があるじゃありませんか!

そりゃまぁ当たり前なんですけどね。

野方駅からの帰り道で、
「聴いたよ〜!」
「すごい! ぜんぜん緊張していなかったね!」
などと温かい(慰めの)お言葉を頂戴したものの、
あらためて聴きなおしてみると、
僕のトークだけ重複表現がてんこもり!
加えて考えながら話している時に特有の、
話始めに「あ〜」とか「え〜と」など、
無意味な音がじゃんじゃん入ってる!

いや、ホントのところ、リアルタイムで気付いていたのですが、
変に意識すると、
久米さんの鋭い矢次早の質問に追いつけなくなりそうでしたから、
無視していたのですよ。

そういえば以前、ウェブ記事のインタビューで、
僕の話がそのまま文字になってアップされたことがありましたが、
あの時も、なんてひどい喋りだ・・・と倒れそうになりました。

もう一度スタジオに戻って、
「久米さん! さっきのやり直させて!」とお願いしたかったのですが、
ライブ放送はノーリターン。

ん〜・・・

しかし!
その3日後の火曜日、僕にはリベンジのチャンスがあったのです!

実はラジオのオファーがもう一件ありました。
次は文化放送さんから『浜美枝のいつかあなたと』。
僕が出演する放送日は明日、5月28日(日)午前10:30〜11:00です。

今度はもうちょいまともに話すぞ!
と挑んだ収録。

はてさて、その結果は如何に?

えーじ
posted by ととら at 15:13| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2017年05月25日

ととらな本 その8

白状しましょう。

昨年の6月、出版のオファーを頂き、
テーマを聞いた時に、僕はちょっと尻込みしていました。

いや、初めての仕事でビビったからではなく、
文章が書けるかどうか自信がなかったからでもありません。

問題は本の核心となる『ギョーザ』にありました。

ととら亭の仕事で食のルーツを追い始め、
中でもギョーザがひときわ興味深い対象であることは事実です。
実際にその流れをユーラシア大陸の西側から辿り出し、
折しもその広がりと深さがぼんやり見え始めてきたところでした。

ギョーザ発祥の地と時期についても、
単一起源説か散発説かの判断は棚上げされているとはいえ、
少なくとも、この料理の大きな中心の一つが中国にあることは間違いない。
そこで傍流から遡行して原点に迫ろうというのが僕たちの戦略だったのです。

しかし、オファーがあった時点で、
肝心の中心地である中国がまだ手付かずだったではないですか。
いや、本にも書きました通り、
確かに2000年に北京へ行ってジャオズを食べてはいるものの、
ただの休暇で行っただけですから、
今のような細かい取材はやっていなかったのです。
(だから現物の写真が本に載っていないしょう?)

加えて、かなりの種類のギョーザを現地で食べてはいるとはいえ、
調べ上げたギョーザリストを網羅している訳でもありません。

ん〜・・・ギョーザの本・・・か・・・
ブログのように散文的な内容でいいのならネタはいくらでもある。
でも、1冊の本にまとめるとなると・・・どうしたもんだろ?

こうして企画を練り上げる打ち合わせのなかで、
僕が踏ん切りをつけたのは、
普段とはちょっと違うトーンで切り出した村尾編集長の言葉でした。

「えーじさん、確かにギョーザの旅は道半場でしょうけど、
 これまでの経験だけでも十分かたちになると思いますよ」

そうかな?

この本を手に取った人は、
ギョーザがいつ、どこで生まれて、どう広がって行ったのか、
その答えを期待しているだろう。
しかし僕らはまだその答えを見つけていない。
いや、見つけていないどころか、更に迷い込んでしまったのが現実だ。
期待された答えは書けない。

でも、村尾編集長が求めているのは答えじゃないんだな。

そうか、この仕事も、僕たちの普段の旅と同じように、
等身大の内容で行けばいいのさ。
僕らは分かっていない。その通りだよ。
しかし分かっていないことが分かった。
だからその謎を読者とシェアすればいいじゃないか!

僕がこうして納得するまで続いた打ち合わせは、
3、4回にもなったでしょうか。
書き直し続けた企画書もメジャーチェンジ3回、
プラス、マイナーチェンジ1回のバージョン3.1まで行っていました。

時は7月中旬のこと。
梅雨明けはもうすぐそこでした。

to be continued.

えーじ
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2017年05月22日

母と娘の食卓

あゆみちゃんと、ととら亭は同い年。
2010年3月に生まれました。

それから間もなく、あゆみちゃんのお母さんは、
お父さんが留守番をしていてくれる週末に、
時々ととら亭を訪れては、一人の時間を楽しんでいたのです。

ある日、僕は彼女に尋ねました。

「たまにはご家族で如何ですか?」
「え〜! まだまだ無理ですよ! じっとしていられないので」

そうして5年、6年と月日は流れ、
あゆみちゃんは、小学生になりました。

今年も春が来て、桜が咲いた後のディナータイムのこと。
僕が暖簾を出して間もなく。

「いらっしゃいませ。あれ?」

その晩の最初のお客さまは、あゆみちゃんのお母さん。
しかし、彼女の後ろから小さな女の子がのぞき込むように顔を出しました。

「ほら、おじさんにご挨拶は?」
「・・・・こ、こんばんは」

ずっと前から、
お母さんと一緒にととら亭へ行きたいとねだっていたあゆみちゃん。
大人と一緒にいい子にしていられるか、
約束できたら連れて行ってあげる、とお母さんに言われていたそうです。
今夜はいよいよ彼女のデビューのよう。

テーブルに案内してメニューを渡すと、
あゆみちゃんは緊張しているのか、背筋をぴんと伸ばして思案中。
ほどなくして僕は注文を取りに戻りました。

「何が欲しいの? おじさんに言って」

お母さんは自分で注文させようとします。

「ふらん・・ぼ・・わーず・・ソーダください」

あゆみちゃんは上目遣いで言いました。

「かしこまりました」

僕は相手がきちんと話せるのであれば、
幼児言葉を使いません。
小さくてもレディには敬意を払います。

飲み物を出し、料理が並ぶと、少し慣れて来たのか、
それまで押し黙っていたあゆみちゃんが話を始めました。

「どう? あの子食べれてる?」
「ああ、問題ないよ」

キッチンのともこも気になっているようです。
僕らは遠く目に、母と娘のテーブルを見守っていました。

静かな月曜日の夜。
二人の笑顔と楽しそうな会話。

母と、娘と、心を込めた料理。
ポータブルゲームマシンやスマートフォンなどなくても、
その空間には、二人の幸せに必要なすべてが揃っていました。

「ごちそうさまでした!」

会計の時、
入って来た時とは別人のような笑顔を浮かべたあゆみちゃんが、
お母さんに促されることなく自分から言った言葉。

「ありがとうございました」

ととら亭はあゆみちゃんのように話すことは出来ませんが、
やっと来てくれた友だちの背中を見送り、
とても喜んでいたと思います。

とある春の夜のことでありました。

えーじ
posted by ととら at 16:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年05月20日

旅のささやき

関東地方の日差しは初夏のもの。

今日のランチでやっていた旅のメニューは、
ベトナム風ゴーヤとポークのスープ仕立てです。

美味しそうでしょ?

こんな季節にこの料理を出していると、
ベトナムを始め、東南アジアを周った旅を思い出します。
酷暑の中、
更に熱気むんむんの市場の中で食べる汁物の料理は、
一瞬たじろぎそうになるものの、
バテ気味の体にじわっと効いてくるのですね。

気怠い午後の風。
空から押し付けてくるような日差し。
スパイスとフルーツの香り。
なげやりな売り子の声。

最も気温が上がる午後になると、
僕たちも一度、宿へ引き上げて、
シャワーを浴びたら一休みです。

読書するもよし、日記を書くもよし、
そのまま昼寝もいいものです。

こうした時間の過ごし方は、
ガイドブックで勧められていないと思いますけど、
僕たちの本来の旅では欠かせないものでした。

世界遺産のある有名観光地でなくても、
星付きの高級ホテルに泊まっていなくてもいいのです。
ふと気の向いた街でバスを降り、
ぶらっと歩いて宿を探しましょう。
ほら、あそこに良さそうな安宿がありますよ。

「こんにちは、ダブルかツインは空いてます?」
「いくらですか?」
「そう、じゃ部屋を見てもいい?」

僕たちが会社を辞めて、
こんな風に、ベトナムからカンボジアへ旅したのは、
2002年5月のこと。

ランチが終わって外を片付けていた時、
ととら亭のある野方の細い路地が、
あの頃の、
ホーチミンやプノンペンまで続いているような気がしました。

そう、もうすぐ僕たちはまた旅に出ます。
今度は北の方ですけどね。

えーじ
posted by ととら at 16:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年05月17日

遥かなるゴール

と、大仰なタイトルを付けましたが、
何のことはない、僕の宿題の進捗状況のことです。

そう、僕のすちゃらかブログは、
昨今の流行りに反して写真が少ない。
文字ばっかりでつまらない。

で、これじゃいかんと始めたのが、
写真を満載した『いろいろ』ページの旅の報告。
ところがこれが間に合わない。
アップするより先に次の取材や研修に行ってしまうので、
宿題は溜まる一方です。

しかし!
いや、言い訳ですが、一応やる気はあるのですよ。
今回も次に出かける前に、ひとつくらいは仕上げねば!
と頑張りました。

第5回取材旅行 チュニジア

いつのことかと申しますと、2013年2月。
ありゃ〜・・・僕の髪がまだ長いじゃありませんか。

すみません。

えーじ
posted by ととら at 18:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記