2019年08月07日

ととら流の酷暑対策

先日、ハワイのオアフ島から来たというお客さまに、
日本の何処を訪れたのか尋ねたところ、

「東京と札幌です」

それじゃ涼しい札幌から戻りたくなかったでしょう?
と訊けば、

「ん〜・・・同じでしたよ」

とな? この暑い東京と同じ?

で、札幌の過去天気を調べてみれば、
なるほどここ1週間、
最高気温33度前後の日々が続いているじゃないですか。

北海道で関東並みの真夏日が連続か・・・

いやはや、もはや日本にいる限り、
「暑い!」という言葉に異議を唱える人はいなくなりましたね。

そこで暑さ対策は業界を超えた喫緊の課題。

僕らもこの時期は舞台裏を『旅の食堂ととら亭』から、
『フィットネスととら』にあらため、
独自のアイデアで過酷な環境を凌いでいます。

まずはメンタルから。

今朝の掃除のBGMは Aerosmith。
1曲目からアゲて行きます。
Van Halen や AC/DC なんかもいいですよ。

一転してランチタイムはインドネシアのクロンチョン。
この気怠いメロディーでいやがうえにもリゾート気分を盛り上げます。

そう、ここは東京じゃない。
バリ島のウブドなんだ!
いくら汗をかいたってへっちゃらさ。

と、すっかりトランス状態になったところで、
ランチが終わったら一日で最も暑い時間帯のジョギング。

これは体力だけではなく、精神的な効果も抜群ですよ。
軽い筋トレの後、走り出すと5分もすれば、
自分の名前すら思い出せなくなりますからね。

ああ、ここはインドのブッダガヤか?
それともヨルダンのペトラか?
蜃気楼の向こうに楽園が見えてきます。
(よい子の皆さんは真似しないように!)

そして水シャワーで汗を流したあとは、
先日もご紹介したようなエスニック料理の食事です。

あとは睡眠さえしっかりとれば、
クレイジーな東京の夏もなんとかやり過ごせるでしょう。

ま、僕の場合、日々の仕事以上に、
取材旅行のためのトレーニングとして、
こうしたマゾヒスティックな夏の日々を送っているのですけどね。
今年も酷暑のルクソールや北京で日ごろの成果が試されましたから。

え? ともこはどうしているんだ?

ああ、彼女はキッチンの仕事そのものが、
僕のやっているトレーニングに相当しているのですよ。
厚いコックコートを着て35度近い温度のキッチンに立ち、
1日14時間以上働いていますからね。

ただ、目的が少々違っておりまして。

取材旅行は同じですけど、
ともこにとってそれ以上に大切なのは・・・

ダイエット!

だ、そうでございます。

えーじ
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2019年08月04日

僕らの『新婚』旅行

と、あらたまって出かけた旅はないのですよ。
出会ってすぐ、ちょいちょい一緒に旅していたので。

でも、あれがそうだったね、と言える旅があります。
それは1998年6月に出かけた沖縄・八重山諸島を巡る旅。

ま、因習に則った出立ではありませんでしたから、
親からの資金援助など望むべくもなく、
移動手段も高価な飛行機ではありません。

二人して仕事を辞め、1台の大型バイクにキャンプ道具を積んで、
乗り込んだのは東京晴海埠頭発、那覇行きの長距離フェリー。
(当時は国内最長航路でした。乗船時間はなんと48時間!)
45日間かけて周ったのは、沖縄本島、石垣島、竹富島、西表島、由布島です。

時々、疲労が溜まって民宿や安ホテルに泊まったこともありましたが、
ほとんどはビーチでのキャンプです。
特に石垣島の米原キャンプ場は八重山諸島を巡る基点にしていたので、
出たり戻ったり合計10日間くらいいたかな?

コバルト色の澄んだ海、
聳え立つ積乱雲、
マングローブに寄せる波の音、
星をちりばめた夜空、
そこで出会ったゆかいな旅人たち・・・

あの頃の僕は35歳。ともこは28歳。
懐具合は出発した時からすでにカツカツでしたけど、
思えば、ととら亭に至る旅のスタイルのベースは、
あの時に形作られていたのかもしれません。

閑話休題。

先日、この夏休みに西表島へ行くというお客さまと話をしていた時、
かつて僕らが使った航路の殆どが、廃止されてしまったと聞きました。

なるほど調べてみれば、
いま沖縄にバイクを持って行くなら、
鹿児島まで走らなければフェリーに乗れないようです。
そしてその先、沖縄本島から石垣島までは、
もうフェリーがありませんでした。

あの懐かしいルートを同じように旅するなら、
沖縄、石垣島間は貨物船でバイクを送り、
僕らは飛行機で行くしかないようです。

もう、あんな旅をする若者たちは、
いなくなってしまったのでしょうね。

帰ってからのことだけではなく、
明日のことすらまともに考えていなかった若者たち。

そう、おカネとか、安定した仕事や地位なんてものがなくても、
僕らの手には、自由と、いま、この瞬間があり、
ただそれだけで十分だった頃のお話です。

あれから21年。

青くさい旅人たちは社会にもまれて老い、
僕らも少しは大人になりました。

でも、ふと思うんですよ。
この酷暑の東京の空だって、
あの時を隔てた、
はるかな南の島の空まで続いているんじゃないかって。

航路が廃止されても、
島の様子が変わってしまっても、
僕らの旅は終わらない。

ishigaki1998jpg.jpg
In memory of 1998

えーじ
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2019年08月01日

だから景気が悪くなる

「ちょっと〜、何これ?」

先日の定休日、
アパートに帰って来たともこが入り口で渋い顔をしています。

「どしたの?」
「どうしたもこうしたもないわよ。
 こんなの履いてジョギング行ってたの?」

彼女が見下ろしているのは、
少々くたびれた僕のジョギングシューズ。

「え? なんかマズイ?」
「マズイって、ボロボロじゃん。
 靴の上の部分にまで穴があいてるし!
 底はすり減ってペラペラよ」
「機能的には問題ないけどな。
 雨さえ降らなければ水も入ってこないし」
「そういう問題じゃないでしょ!
 あっ、通勤用の靴もひど〜い!
 底がぱかぱか剥がれちゃってる!
 これじゃチャップリンの靴みたいじゃん!」
「あ〜、でもまだ履けるよ」
「そういう意味じゃなくて!
 お客さんにこんなの履いてるとこ見られたら、
 靴も買えない潰れそうなお店だって思われちゃうじゃない」
「そうかな?」
「そうよ!
 今度の定休日に新しいの買って来て。
 約束だよ!」

って言われてもなぁ・・・

oldshoes.jpg

む〜・・・そういえばこれ、いつ買ったんだっけ?
通勤用のメレルは・・・え〜っと4年くらい前・・・だったかな?
それ以来、アパートからお店までの通勤は、
いつもこれを履き続けているんですよね。

で、ジョギングシューズはというと・・・
5年以上前・・かな? 忘れちゃった。

実は僕、
靴は用途に合わせて1種類しか持ってないんですよ。
だからこの他に持っているのは、
取材旅行で使う市街地用とトレッキング用。
あとはオフのお出かけ用の5足だけ。

しかも、それを何年も履き続けてる。

そうか、
日本の経済はどんどん買って、
じゃんじゃん捨てる大量消費型だから、
消費増税うんぬん以前に、僕みたいなしけた消費者のせいで、
不景気になっちゃったのかもしれない。

こりゃいかん。

それじゃ、皆さんの迷惑にならないよう、
そろそろ靴を新調しなくちゃ。

と思い立ったものの困りました。
使えるものを捨てるわけにはいかないじゃないですか?
たとえば極めつけはこれ。

walabee.jpg

クラークスのワラビー。
高校生の時にバイト代を貯めて買ったものだから、
かれこれ37年くらい履き続けていることになります。

他にも、ツィードのジャケットや、コートなど、
10年から20年以上使い続けている現役年代物がいくつかあるんですよ。
どれも気に入ってる上に、まだ使えているので捨てる理由がありません。

でも、ともこに怒られちゃったことだし、
通勤用とジョギング用の靴だけは買い直そうかな?

これぞ、ととら流景気刺激策!

え? そんなの効果ない?

だろうね〜・・・

えーじ
posted by ととら at 14:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月28日

ととらな夏のマイブーム

関東地方でも遅ればせながら夏本番となりました。

そうなると、キッチンの温度は35度を超え、
今年も『フィットネスととら』の開店でございます。

いいですよ〜、
仕事をしながら無料でトレーニングもできちゃう。
砂漠や熱帯地方の取材に備えた体作りは、
こんな風にしてやっているのですね。

しかしながら問題もあります。

こう暑いとスタ丼みたいなコテコテ系を食べるのはちとつらい。
それからなるべく手間もかけたくないので、
さっと出来るものがいい。

で、頭を捻った最近のマイブームは・・・

「暑い時には熱い国の料理がいいよね!」

の、エジプト料理!

というのはコマーシャル。

舞台裏の賄いはなんとタイ料理です。

なかでも登場頻度が高いのは、ととら風カオマンガイ。
これ、海南鶏飯を祖とするタイの屋台飯の定番で、
簡単スピーディにできるわりに美味しくて栄養満点なのですよ。
今日はそのレシピをちょろっとご紹介しましょうか。

【材料(2人前)】

 鶏もも肉    2枚
 ネギ      青い部分 2本
 ショウガ    薄切り20グラム
 ナンプラー   適量
 ライム     1個(レモンでもOK)
 青トウガラシ  1本を薄くスライス(お好みで)
 日本酒     50cc
 水       1.5カップ

【作り方】
1。鍋に水、日本酒、ネギ、ショウガ、鶏もも肉入れて煮立てます。
2.沸騰したら弱火にしてそのまま15分煮ます。
3.火を止めて冷まします。
4.鶏もも肉を取り出し、食べ易い大きさにスライスします。
5.煮汁をもう一度火にかけ、沸騰したら火を止めてナンプラーで味を整えます。
6.小鉢にライムを絞り、同量のナンプラーと混ぜ、
  好みで青トウガラシの薄切りを入れます。
7.平皿にご飯とチキンを盛り、項番6のタレを添えてサーブします。
  もちろん項番5で作ったスープも忘れずに!

いかがです?
失敗しようがないくらい簡単でしょ?
実はこの脇役のタレが絶妙でね、
暑さでげんなりしている時でも食欲が出ること請け合いです。

きちんと栄養バランスを取るなら簡単なサラダを作り、
その上にスライスしたチキンを盛ってパクチーを散らすといいですね。
実際、僕らはそんな風にして食べています。

この簡単なタレ、いろいろ応用がききまして、
たとえばタイ風カルパッチョなんかも簡単に出来ます。

1.玉ねぎを薄切りにして水にさらします。
2.買ってきた刺身と項番1のオニオンスライスをボウルに入れ、
  先のタレで和えます。
3.パウチ―を散らして出来上がり。

これなら作るのに10分もかかりませんよ。
ご飯のおかずによし、ビールのつまみにもまたよし。
ぜひお試しを!

えーじ
posted by ととら at 16:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月24日

最初の一杯と最後の一杯

2010年3月3日17時55分。

あの日、あの時は、
僕たちにとって忘れられない時間でした。

「外に誰かいるよ」
「え!? もう?」

旅の食堂ととら亭がいよいよ5分後に船出します。

僕たちにとって、最初のお客さんは誰だろう?
そして最初に注文を頂く料理は?

あれから9年余が経っても、
あの思い出は色褪せることがありません。

そして多分、最初のお客さまと同じように、
最後のお客さまもまた、忘れることがないのでしょう。

今日、僕たちのフェロー、『喫茶ハレの日』が閉店します。
7年に渡り、野方で共に荒波を越え続けた仲間を見送るのは、
同じ独立した経験を持つ経営者として、
言葉にならないものがあります。

それは多分、店が違っても、
自分の夢が形になっていったときの喜びや、
地図のない世界を旅する不安を共有していたからなのでしょう。

しかし旅人としては、また別の思いもあります。
ひとつの旅の終わりは、次の旅の始まりでもありますから。

けんちゃん。

最初に淹れた一杯のコーヒーと同じように、
最後に淹れる一杯の思い出を持って、
君の新しい旅が始まるんだね。

いってらっしゃい。
次もまた、君らしい、いい旅を。
またどこかで会おうぜ!

ともこ & えーじ
posted by ととら at 14:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月23日

旅と政治

この両者は一見、無関係のようですが、
実は僕らのようなバックパッカーの場合、
訪れる国の気候や為替相場以上に、無視できない繋がりがあるのですよ。

と申しますのも、
各種入出国手続きに始まり、現地での移動から宿泊、飲食まで、
すべからく現地政府の『見えざる掌』の上で行わざるをえないのですから。

その『見えざる掌』とは法。
これが気を付けないと実に厄介でして。

こちらの感覚でいうと、
それがいかに不合理かつ理不尽なことでも、
僕らはそれに従わなければならない。
違反には想像を超えた厳しい罰則が待っていたりします。

そこで僕が旅の準備段階から入念に調べるのは、
現地政府の独裁性のレベル。

一党独裁型政治体制のベトナムやキューバ、中華人民共和国、北朝鮮だけではなく、
たとえ『民主主義』を謳う国でも、
事実上、野党の活動が不当に制限されていたり、
大統領や首相が三権の長の人事権を掌握したりしている国の場合は、
権力が一部に集中し、政府の活動が不透明化しているので要注意なのです。

また、そうした国の政府は、おしなべて本当の自分を知られることを嫌い、
かつ、自己イメージ以外のイメージを強く否定してきますから、
街中で写真を撮るにも、カフェで雑談するにも、
日本でならしなくていい注意を払わなければなりません。

でもね、
それが『旅先』であり続ける限り、
僕らにとって、どんな不便や不都合も一時の我慢でやり過ごせるのですよ。

しかし、これが『訪れる国』ではなく『帰る国』となると、
話が大きく変わって来ます。

そう、ロン毛の若僧だった頃はあまり気になりませんでしたが、
社会人となり、
何かといろいろな名目で税金を払わなければならない立場になったら、

ん? それってなんか変じゃない?

だけではなく、

年金問題みたいに、
おいおい、そりゃひどいじゃないか!

なことが、みるみる目につき始めたじゃないですか。

小さなレストランを営む一人の旅人が、選挙公報を読み込み、
ブログで時に堅苦しい話をするのも、そんな理由があったからなのです。

昨日も参議院選挙の泣ける投票率を取り上げましたが、
たとえ民主主義が導入されていても、
特に立法府への白紙委任状はヤバイ。

自分の意見を代弁する候補者がいないのであれば、
自分で立候補するのは難しくても、せめて白票を投じなくちゃ。
戦略的に政党バランスを変えるって方法だってある。
『政治不信』は選挙に行かないことの理由にはならないと僕は思う。

僕たち個々人が、
自分の頭で考えることを止め、
沈黙した先に待っていたのは何だったのか?
その答えを知るには、
この国の近代史を振り返るだけでも十分でしょう?

と苦言を呈しつつも、僕は今回の選挙だけではなく、
先般行われた統一地方選挙における中野区の結果は、
一定の前進があったと思っているのですよ。

それは政党バランスの改善です。

自民党だけで定数の半数を超える議席を持たせるのは、
日本の民主主義がまだ未成熟な50パーセント+1型に留まる限り、
独裁性を高めてしまうので公共の利益に反してしまいます。

他党との連立による政権は、そのリスクを減らし、
政治の透明性を確保するだけではなく、
与党を構成する政治家を謙虚にするという意味でも、
一定の効果が期待できるでしょう。

できれば3党で連立するくらいのバランスが、
日本の民主主義の成長過程では好ましいのではないか?
くらいに僕は考えているのですよ。
国会の議論は時に小学校のホームルームレベルになることがありますからね。
(ホント、ヤジを飛ばしたり、人の話を遮るのはやめましょう)

最後に偉そうなことをひとつ加えさせて頂きますと、
新しい参議院で議席につく政治家さんたちに取り組んで頂きたい課題は、
『妥協』という言葉の意味を、あらためて議論することかな?

これは避けて通るべき思想的、政治的敗北のラベルではなく、
価値観を異にする人々が、国々が、共存して行く上で必要な、
人類の叡智のひとつなのだから。

えーじ
posted by ととら at 15:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月22日

民主主義の先輩として

昨日行われた参議院選挙の投票率は・・・

48.80パーセント・・・か。

世界では民主主義を勝ち取ろうと命がけで戦っている国もあれば、
与えられた選挙権を有権者の半数以上が自主的に放棄する国もある。

「あんたは日本人かい?
 日本は民主主義の国なんだろう?
 我々はいま、その民主主義を取り入れようとしているんだ!」

こう言われて苦笑するしかない僕の気持ち、
お分かり頂けますでしょうか?

えーじ
posted by ととら at 11:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月20日

50パーセント+1の先へ

「あんたは日本人かい?
 日本は民主主義の国なんだろう?
 オレたちはいま、その民主主義を取り入れようとしているんだ!」

2013年2月。
ジャスミン革命の発端の地、チュニジアのチュニスで、
道行く人から唐突にそんな言葉を投げかけられました。
それも別の機会に別の人から2度も。

「みなさんなら出来ますよ。頑張って下さい!」

僕は握手に応えながらそう言ったものの、
実のところ、心中、微妙なものがありました。

確かに、一部の特権階級が支配する社会より、
民主主義の社会の方がいい。
でもね、それは即座に社会全体の幸福を約束するものではないんだよ。

僕は喉まで出かかったこの言葉を、
ぐっと飲みこんでその場を後にしたのです。

そう、改革に燃えるチュニジア人が言ったように、
日本は70年以上前から民主主義を導入しています。
しかし、今さら僕が言うまでもなく、
日本人がこの社会システムを使いこなしているとは、
お世辞にも言えないでしょう?

多数決で意思決定を行う。
この原則は正しい。

しかし全員一致などという結果は滅多にありませんよね?
ですから議決の後にはほとんどの場合、
意見を受け入れらず、取り残された少数派がいる。
そして僕たちのやっている民主主義は、それを無視して憚らない。
さながらひとつの勝敗型ゲームのように。

だってしょうがないじゃない?
あの人たち負け組なんだから。

そうかな?

ここに欠けているのは、自分たちとは違う意見を持つ人々への、
共感と敬意なのではないか?

これは国会審議の中でも具体的に見て取れます。

感情をむき出しにした与野党の対立と攻防。
飛び交うヤジ。
メディアまで参戦した揚げ足取り。

ここで忘れられているのは、日本は代表民主制の国であり、
国会議員はいずれも多くの有権者の代表であり、
また僕たちの希望や意見の代弁者でもあるということです。

ですから、
「xxxヤメロ!」とか「打倒xxx!」というのは、
xxxに誰の名前が入るにせよ、そのxxx議員を国会に送り込んだ有権者、
つまり、同じ同胞に向かって「お前たちの意見になんか聞く耳もたん!」
というのと同じことなのですよ。

ここでも欠けているのは、国会議員同士の敬意なのではないか?
お互い一個人ではなく、有権者に選ばれた責任ある代表者なのですから。

もうひとつ、僕が外国で歯切れ悪くなるのは、
有権者としての行動です。
もうそろそろ、

学校の先輩だから、とか、

同じ町内に住んでいるから、

うちの地域に利益をもたらしてくれるから、

ではなく、国政選挙であれば、

日本のあるべき姿とは?
世界の中でどのように振る舞うべきなのか?

という視点に立ち、
自分で考えて、自分の意見を持って投票する。

選ぶ者、そして選ばれる者が、たったこれだけでも変われれば、
いま、ここにある問題の、多くが解決へ至るレールに乗るのではないか?

僕はそんな思いで、
昨日、期日前投票に行って来ました。

少しは、この国が変わるかな?

うん、その可能性はあると思います。
これを読んでいるあなたが明日、投票所へ行けば。

えーじ
posted by ととら at 16:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月17日

第18回取材旅行 その14 最終回

あいやぁ〜・・・今年もやっとここまで来ました!

僕たちの1年間の仕事の波は、
11月上旬に行く研修旅行に始まり、そこから年末年始の繁忙期、
冬のメニュー変え、冬の取材旅行、決算、春のメニュー変え、
ゴールデンウィーク、夏の取材旅行、夏のメニュー変え・・・

絶え間なく続くビッグイベントを乗り越え、
この7月の連休が終わったところで、
はぁ〜・・・ようやく今年も上期が乗り切れたな・・・
と、ひと区切りつくのです。

ここから9月の連休までが、
年間を通じて最も時間的な余裕のできる時期。
今はあれこれ予定を詰め込まず、
とりあえず、読書の時間をもう少し取ろうかな?
くらいに考えています。

さて、その前に、ここまでの締めくくりとして、
夏の取材旅行をまとめておかなければなりませんね。

今回訪れたのは中国の東北部とモンゴル。
準備編でお伝えしたミッションその1は、
『日本ギョーザの源流を探る』でした。

取材地はハルビン、長春、瀋陽、北京の4都市。
そこで胃袋の限界まで餃子を食べ続けて分かったのは、
瀋陽で食べた煎餃(チェンジャオ)が、焼くという加熱方法、
焼いた面を上にする盛り付け方の点で、
日本ギョーザに最も近かった、ということです。

しかしながら、ここで一足飛びに、
『日本ギョーザは瀋陽タイプが伝わったのだ!』とは言えません。
なぜなら、
煎餃は餃子を主に売り物とする専門店以外では見かけておらず、
主流は圧倒的に茹で型の水餃(シュイジャオ)だったからです。
煎餃の通時的な位置づけがはっきりしない限り、
確率的にもなんとも言えないでしょう。

では、最も一般的に食べられている水餃に起源を求めるなら、
皮の厚みの点でハルビン型が最も近いのですが、
ここでも時間的なギャップの問題は避けて通れません。

なぜなら、
もし日本ギョーザが中国の東北部に展開していた、
関東軍や満州開拓団の引揚者が伝えたのだとしたら、
その時期は太平洋戦争が終わった1945年前後が中心となるので、
約74年もの時間差がありますからね。

ん〜・・・
この辺はいずれも水餃と煎餃の通時的な変化をどのように調べるか?
その方法を考えることが次の課題でしょう。

次はミッションその2、
『モンゴルギョーザと中国餃子の関係を調べる』です。
取材対象はボーズとバンシ。
このふたつ、ボーズの方は料理名からして、
包子(パオズ)と呼ばれていた頃の餃子が伝わった可能性が高いのではないか?
これは中央アジアにギョーザとして伝わった饅頭(マントゥ)が、
変名後の中身のない肉まん状態であることからも、
裏付けられているではないかと考えられます。

しかし、では『モンゴルのギョーザはすべて中国起源のものである』
と言いきれるかというと、これまた断言するには材料が足りません。
その不足した材料とは、もうひとつのギョーザであるバンシの出どころ。

バンシという料理名にはモンゴル語としての意味がなく、
かつ中国語(北京語)にも該当する語がないと分かった次の疑問は、
その語はいったいどこから来たのか? です。

そこで、その手掛かりは中国餃子が生まれたとされる華北平野、
そこに多く住んでいた満州族が持っているのではないか?
次はそこをつついてみる価値がありそうですね。

こうして駒を進めた今回の取材旅行。
例によってひとつの答えがふたつの疑問を生み出してしまいましたが、
そもそも2週間の旅で答えが見つかるとは考えていませんでした。

僕らの旅は、まだこの広大な星の上で点を打つ程度のものなのですよ。
その点と点がどんな線で結ばれるのか?
そしてその線が描く絵は、いったいどんなものなのか?

残された次の課題に取り組みつつ、
探し続けて行きたいと思っています。

mn_us.jpg

See you on the next trip!!

ともこ & えーじ
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2019年07月12日

第18回取材旅行 その13

昨夜はエジプト料理特集の初日。

取り上げた4種類の料理それぞれにご注文を頂き、
お客さまの反応を見て二人ともほっとしました。
絞り込んだ料理の再現にはいつも以上に自信がありましたけど、
僕たちの自己評価と皆さんの客観的な感想は別ものですからね。

今回はその料理だけではなく、
店内でディスプレイしている現地の写真にも手応えを感じています。
実は旅行に出る前に作った取材計画には、料理以外に撮影も含まれていまして。
メニューやディスプレイで使うために、
どこでどのような写真を撮るのか、あらかじめある程度は決めているのですよ。

しかしながら、天候や現地の治安状況などで、
考えていたような写真が撮れない場合も少なくありません。
エジプトもまた例外ではなく、
場所によってはカメラそのものが取り出せないような状況もありました。
まぁ、結果的にはシャッターチャンスに恵まれ、
僕たちの旅の雰囲気が、よく描写できたのではないかと思っています。
特にカウンターにディスプレイした市場の人々の写真は自信作なのですよ。
____________________________________

さて、メニュー変えが一段落したところでまたしても頭の切り換えです。
エジプトとモンゴルは文化的にも気候的にもかけ離れていますからね。
それじゃ、ちょいと精神を集中して・・・行ってみましょうか!

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ウランバートルは大きな市街地ですが、
(大都市・・・ではないと思う)
それでも自動車で30分も走れば周囲の景色が一変します。
僕たちが向かっているのはテレルジという郊外の地域。

mn_camproad.jpg

ここでの目的のひとつはゲルに泊ること。
そこで訪れたのがツーリストキャンプです。
ウランバートルから東北東へ50キロメートほどの距離なので、
バスでも行けるかしらん?
と最初は考えていたのですが、
イヤな予感があってピックアップサービスをお願いしました。
現地まで来てみるとその予感は的中。
テレルジは街というより、まさしく地域で、
広大な丘陵地帯にキャンプサイトが点在しているのですよ。
で、バス停から僕らが予約したところまでは、
ゆうに5キロメートル以上の距離がありました。
幹線道路からさらに写真に写っているような道の奥だったのです。

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おお、これこれ!
せっかくモンゴルまで来たのだから、
こういうトラディショナルなゲルに泊ってみたかった。
最近のトレンドはなんとバス、トイレ、バルコニー付きなのですけど、
それでは僕たちにとって意味がありません。
やっぱりこうでなくちゃ!

mn_geru02.jpg

入った内部はご覧の通り。思いのほか広いですね。
中央部では僕が立ち上がっても頭上に余裕があります。
中心に薪ストーブが置かれ、
ローテーブルが一つあったので仕事をするにも便利。
照明は、さすがに電気が来ていました。
まぁ、これは遊牧民のテントも最近は発電機やソーラーパネルで、
ある程度の電化はされているそうですから同じかな?
テントの材質は羊毛のフェルトです。
トレッキングやツーリングでよくテント泊していた僕らからすれば、
これはもう限りなく家に近いですね。
それもそのはず、ゲルとはモンゴル語で『家』の意味ですから。

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キャンプサイトは小高い丘を背にしており、
荷物を置いた僕らは誰もいない道なき道で、
ショートトレッキングを楽しみました。
そこで見つけたのが『オボー』。
これは日本の道祖神にも近いもので、
丘の上や峠道に石を積み、土地の守護神を祀ったもの。
チベット仏教が伝来する以前からある古い信仰のひとつです。

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ここでのもうひとつのミッションはクッキングクラス。
これ、本来は研修旅行で参加するものなのですが、
今回は一般的な飲食店だと、
調理関係者に英語でインタビューするのが難しかったので、
ここならうまく情報が引き出せるのではないか、と考えたわけです。
場所はキャンプサイト併設レストランのキッチン。

mn_cclass04.jpg

先生はモンゴル人の女性シェフ。
彼女は英語を話さないので右の青年が通訳してくれました。
といっても、彼のスキルも怪しく、
頼みの綱はやっぱりスマートフォン・・・か。
時代は変わりましたね。

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で、こちらからリクエストした料理は、
もちろんモンゴルギョーザのバンシとボーズ。
お〜、さすがギョーザを作り慣れているともこ料理長。
余裕の笑顔じゃないですか。

mn_cclass01.jpg

出来ました〜!
左がバンシ、右がボーズ(ブーズと聞こえます)。
中身の肉は一般的にラムが主流ですが、今回はビーフ。
それに玉ねぎのみじん切りと塩とブラックペッパー、水のみのシンプルな具。
両者の違いは大きさのみ。
加熱方法はバンシが基本的に茹で、ボーズは蒸します。
予想通り、ボーズは中国の包子(パオズ)が伝播したものだとのこと。
語音からしてこれはその通りでしょう。

しかし新たな謎になってしまったのがバンシ。
これはモンゴル語で意味がないとのことでした。
ということは借用語。
英語が堪能なキャンプサイトのマネージャーは、
バンシもまた中国から伝わったものではないかと言っていましたが、
それをととら亭に来ている中国人のお客さま2名(漢族)に確認すると、
バンシに対応する北京語はないそうで。

ん〜・・・どこからどう借りて来たんだ?
もしかしたら餃子発祥の地域と考えられる華北平野に多く住んでいた、
満州族の言葉かもしれませんね。
宿題になってしまいました。

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今回、僕たちがモンゴルで取材していた場所の多くは、
こうしたローカルレストラン。
ウランバートル駅の北側には、こうしたお店がたくさんありました。
中にはオーナーが日本贔屓で碁に詳しく、
来日経験があった方も。

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バンシやボーズは幾つかのバリエーションがあり、
他のギョーザ文化圏で見かけなかったものの一つがこれ、
バンシタイツァイ。
なんとミルクティーにバンシが入っているのです。
一瞬、うげ・・・と思いましたが、
砂糖が入っているわけではなく、茶の味も薄いので、
ミルクスープギョーザに近いかな?
やさしい味で温まります。

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これはモンゴル版煎餃(チェンジャオ)とも言えるシャルサンボーズ。
ボーズを焼いたものです。食べ方としては明らかに亜流でした。
ローカルしか来ないような飲食店では、僕らが見た限り、
焼きタイプは見かけませんでした。
でも、ボーズ屋は至る所にあったので、偶然かもしれませんが。

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そして国民的な料理ともいえるホーショール。
これは2ミリほどの厚さに伸ばした小麦粉の生地で、
ラムの叩き肉(挽肉ではありません)を包み、油で揚げたもの。
熱々でかぶりつくと肉汁がじゅわっと出てきます。
中身の材料は基本的に先のバンシやボーズと同じ。

それにしても困ったのはボリュームでした。
これね、ひとつに入っている肉の量が80グラム前後はあるのですよ。
それが『1人前』で5個でしょ?
他の料理も食べなければならなかったので、
ともこがひとつ、僕がふたつでギブアップ。
え? 現地の人たちはどうなんだって?
もちろん彼、彼女らは完食ですよ。
同じモンゴロイドとは思えない食べっぷりでした。

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モンゴルでは麺もよく食べられています。
この麺、種類としては日本でいう『うどん』に近いですね。
写真は中でもポピュラーなツォイワン。
中国の炒麺(チャオミェン)が伝わったものと言われています。
最初、中央アジアのラグマンに近いのかな?
と思いましたが、スパイス感はまったくなく、
シンプルなラム肉、野菜入り焼うどんという感じ。
これも美味しかったのですが、量が多すぎて・・・

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ギョーザと並んで重要な取材対象だったゴリヤシ。
なんとハンガリーのグヤーシュが伝わったものだと言われています。
もしかてハンガリー人(マジャール人)がかつてウラル山脈の南西部に住み、
遊牧生活を送っていた時にモンゴル人と接点を持ったのか?
と思いましたが、ことの真相は、ぜんぜん新しく、
社会主義時代にハンガリーに留学した人々が伝えた可能性が高いとか。

で、どんな風にローカライズされていたかというと、
肉がビーフからラムに、パプリカがトマトに置き換わり、
グヤーシュで基調となるスパイスのキャラウェイが完全に抜かれていました。
そして供し方は、ライスとガロニの野菜が加わり、
一種の定食となっていたのです。
いまではランチタイムの定番だそうで。
オリジナルとは似ても似つかないものになってたものの、
これはこれで悪くなかったですね。

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もうひとつ面白い料理をご覧に入れましょう。
これ、なんだと思います? カツレツなんですよ。
正確にいいますとシュニッツェルです。

日本でもほぼ和食と化したカツレツ。
そのルーツはイタリアのミラノ風カツレツ(Cotoletta alla milanese)
に遡るという説があり、僕もその線で調べています。
これがイタリアの北方で国境を接するオーストリアを経由した際に、
シュニッツェル(Schnitzerl)という名で語変換が起こり、
この名前で広がったルートがあるのですね。

そのひとつがブルガリア。
ととら亭でも紹介したことがあるブルガリアのシュニッツェア
これはオリジナルどころかウィンナーシュニッツェルとも違っており、
なんとチキンの挽肉のピカタになっていたではないですか。

そこでモンゴルです。
先のゴリヤシと同じく、社会主義時代のパイプから、
モンゴルはブルガリアとも関係がありました。
その文化的交流を裏付ける物証のひとつがこの料理かもしれません。
モンゴルではブルガリアのシュニッツェアの肉がチキンからビーフに置き換わり、
ヨーグルトではなく、グレービーソースが添えられていたのです。
同じ政治的なつながりでも、ソビエトバージョンにはならなかったのですね。
ソビエト、ポーランドでは Cotoletta alla milanese の語の前半で伝わり、
(日本も同じですね)
ソ連型コトレットは、日本でいうメンチカツレツになっていたのですから。

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さらにローカル色が濃い場所として市場の食堂にも行ってみました。
しかし、これは探すのがちょっと難しい。
ナラントールザハの外周部を歩いていると、なにやらいい匂いがしてきたのですが、
飲食店と思しき店はどこにも見当たりません。
そこでくんくん匂いの元を辿って行けば、どうやらこの奥に飲食店がありそうです。

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そこで狭い通路に入ってみると・・・
ありました! 字義通り、鼻で探したローカル食堂。
もちろん英語のメニューはなく、イングリッシュスピーカーもゼロですが、
壁に写真入りメニューがあったので一安心。
「サイバイノー(こんにちは)!」の挨拶以降はボディランゲージで注文完了です。
人気店なのか、お客さんがひっきりなしに出入りし、テイクアウトも盛況でした。

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僕がオーダーしたのはゴリヤシ、バンシュタイシュル(ギョーザスープ)、
ニースレル・サラート、マントゥのセット。
まだ紹介していないものを説明するとですね、
ニースレル・サラートは直訳すると首都サラダ。
これはソビエトからサラート・オリヴィエを端とする、
サラート・ストリーチヌィが伝わったものと考えられます。
かつてはレストランエルミタージュの看板料理と言われた、
幻のサラダだったようですが、
いまでは普通のポテトサラダになってしまいました。
で、興味深いのはマントゥ(写真右下)です。
これは中身のない中華まんじゅうのようなものですが、
ここにモンゴルへ中国から餃子が伝播した時期を見定めるキーがあるのですよ。

なんと、中国の餃子(ジャオズ)はかつてマントゥと呼ばれていました。
この古い時期にトゥルク系の人々に伝わったと思われ、
トルコを始め、ウズベキスタンなど中央アジアの国々から、
アルメニア、モルドバではマンティ、マンティーヤなど、
マントゥ系の名前で根付いています。(詳しくは拙著をご参照くださいませ)

興味深いのは、
中国でマントゥと呼ばれた食べ物が包子(パオズ)と変名したこと、
さらに饅頭(マントゥ)という言葉が消えたのではなく、
中身のないパン状の食べ物を指すようになったことです。
つまり、この語変化を念頭に置くと、
モンゴルにギョーザが伝播したのは、
トゥルク系よりも遅れた語変化後の時期ということになるのではないか?
市場のローカル定食の一皿が、その仮説を裏付けているとは。
ん〜、盛り上がって来たぜ!

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と、俄然エンジンがかかってきたところで時間切れ。
この気持ち、分かります?
あらたな謎とそのヒントを前にして撤収しなければならないのですからね。
でも、だから旅には終わりがないのですよ。

ウランバートルのチンギスハーン国際空港は、
街の中心から南西に自動車で20分ほどの場所。
ボーディングゲートが4つしかない小さな空港でした。

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早朝のフライトだったので、朝食はチェックイン後にカフェで摂りました。
ここで残りのトゥグリクを全部使い切り、
僕たちは帰途についたのです。

そうそう、帰りの機内で僕の頭にあったのは、
帰国して始めるととら亭の再起動ではなく、
次回のモンゴルの取材計画でした。

to be continued...

えーじ


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おまけです。
これは・・・イマイチ。
ミアットモンゴルさん、次回に期待しています!
posted by ととら at 15:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記