2025年11月22日

第27回取材旅行 その20

გამარჯობა! (ガマルジョバ(こんにちは!)
僕らは4日前の夕方、ジョージアのトビリシに空路で戻りました。

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戻ってきました、夕暮れのトビリシ国際空港

ここからジョージア取材の後半です。
で、到着翌日に行ったのが、
ヒンカリ発祥地にほど近い山岳部のステパンツミンダ(旧名カズベギ)。
ここが前回お話しました2014年のリベンジなのですよ。
ギョーザ本でも触れていますが、あの時は出発直前に腰の爆弾が小爆発し、
キャンセルせざるを得なくなってしまったのです。

そこで今回は慎重に行動し、無事、ステパンツミンダに行ってきました。
まずご報告しなければならないのが取材対象のヒンカリ。
僕らの旅のパターンと申しますか、アゼルバイジャンのグバでもありましたけど、
せっかく念願の場所まで行ったのに、結果は空振り。
シーズンオフで飲食店が軒並みクローズしており、
現地での確認はできなかったのです。
しかし、ほど近いパサナウリやトビリシのレストランで、
原型に近いといわれる山ヒンカリをチェックしました。

pasanaurikhinkali_ge.jpg
パサナウリて食べたヒンカリ 見かけは街ヒンカリと同じ

で、肝心の結論は・・・
よけいわからなくなりました!

というのも現場で料理の歴史を調査した方なら肌で知っていると思いますが、
発祥地やオリジナルの特定は極めて困難なのですよ。
(ねぇ塚田さん、塩崎さん)
その理由は料理が常に変化し続けているものであること。
正確な記録がほとんどなく、
インタビューすると人の数だけ違う答えが返ってくること。
そして変化はA→B→Cのように単純な一方方向ではなく、
相互に干渉し合いながら波及していること、などなど。
とどのつまり、料理には物理の法則や数学の定理のような、
不変のルールがないのですよ。
ヒンカリは山間部の縁に当たるパサナウリが発祥地との説がありますけど、
その根拠は曖昧で、異論もたくさんありますしね。

ただ都会ではなく地方でスパイスやハーブを使わない、
シンプルなバージョンが生まれ、
トビリシやクタイシなど商業地域で複雑化していった痕跡は認められました。
その根拠は、かつて経済が貧弱で物流も限定的だった時代に、
限られた素材でヒンカリは生まれ、その後、素材の選択肢が増えるにつれ、
次第にレシピが複雑化していったという仮説は説得力があります。

但し、更なる謎は、「ヒンカリ」がジョージア語で意味がないこと。
アゼルバイジャンの麺料理、ハンギャルと音が似ていること、
ハンギャルもまた、アゼリー語で意味がないこと。

hangyal_az.jpg
アゼルバイジャンのハンギャル

そしてギャ、ギュ、ギョという音は、トゥルク系言語で顕著に見られることから、
中央アジア北部のトゥルク系民族がキャリアとして、
粉ものの総称であるヒンカル/ヒンカリ/ハンガル/カンガルという言葉と文化を伝え、
それがローカライズされ、固有名詞を持つ固有の料理になったのではないか?
そんな仮説も立てられるかと思いますが、
む〜・・・調べるたびに話がマクロになってしまう。

なんて頭をひねりつつも、
ま、そうまじめに考え込むなよ! と背中を叩いてくれたのがこの景色。

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標高5,033mのムツヴァリ(カズベギ山)

そう、ステパンツミンダまで来てトレッキングしないって手はありません。

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教会が経つ頂の直下はこんな道を歩きます

正直に言うと、ヒンカリ以上にこの11年間思い続けていたのが、ここでした。
一般的には自動車でゲルゲティ三位一体教会までさっと登ってしまいますが、

gerengetichurch_ge.jpg
頂上で僕らを迎えてくれた、天国に一番近いと言われるゲルゲティ三位一体教会

高低差約400メートル、距離片道約3キロほどの山道は人影もなく、
ほぼ僕らの貸し切り。
そして夕方はツアー客で混みあう教会も、午前中ならひっそりとしています。
まさに「ここまで来て良かった!」なひとときでした。

さて、感傷にふけっているのもここまでです。
明日はアルメニアのギュムリに移動ですからね。
無事に国境を越えられるかどうか、微妙なんですよ。
そう、僕らのパスポートには、宿敵アゼルバイジャンのスタンプが押されています。
僕のパスポートはスタンプがごちゃごちゃで見落とすかもしれませんが、
ともこのは今年の4月に更新したばかりで、
緑のアゼルバイジャンスタンプが目立ちまくっておりまして。
2014年のときは出国時に気付かれて、
それまでフレンドリーだったインスペクターからギロっと睨まれた一幕がありました。
「敵の友は敵」ルールが今回は採用されていませんように!

to be continued...

えーじ

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ゲルゲティタワーの前で もうすぐゴールだ!
posted by ととら at 07:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年11月18日

第27回取材旅行 その19

僕らは一昨日の昼過ぎ、長距離バスでバクーに戻りました。

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社会主義チックなデザインのグバのバスターミナル

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こんなマイクロバスに揺られて2時間半

結果から申し上げますと、グバでの取材は空振り。
イスラエルを除いて唯一といわれるユダヤ人の街、
通称「赤い町」にクルツなるギョーザのような料理があると聞き、
はるばる行ってはみたものの、ギョーザどころか飲食店そのものがない。

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独特な様式の邸宅が並ぶクルムズ・ガサバ(赤い街)

いや、生活臭さえ希薄なんですよ。食料品店すらないのですから。
そこで捜索範囲を広げ、グバの中心地にある飲食店をいろいろ調べたのですが、
これまた見つかるのはギューザやダシュバラなど、かつて知ったものばかり。
む〜・・・どうしたことかしらん? ともう少し掘ってみたら、
赤い町とグバの市街地は大きなクディヤルチャイ川で隔てられており、
双方の住民は橋を渡っての行き来をほとんどしていないそうな。

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荒涼としたクディヤルチャイ川

確かに地域のみならず、各家々は高い塀に取り囲まれ、
敷地内は一切見えない構造になっています。
そう、見るからに閉鎖的な感じ。

なのですが、出会った人々は真逆のキャラクター。
東洋人は珍しいのか、とにかく目が合うと話しかけられますからね。
僕も片言のアゼリー語で挨拶を返していました。
40歳以上の人はあまり英語が通じませんけど、
「たぶん、こう言っているのだろう」という直感コミュニケーションで、
「ヤポンです、ヤーポン!」
「そうか、日本人か、よく来たな!」こうしてときには握手まで。
取材はできませんでしたが、心やさしいローカルたちに囲まれていると、
それだけで来て良かった、と思えてきます。

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ケバブ屋のスタッフとセルフィー

また、バクーとのコントラストはアゼルバイジャンを理解するのに、
たいへん役に立ったことも触れておかねばなりません。
人間だってよそ行きの顔だけではわからないでしょ?
物価ひとつをとっても中央と地方では倍近い開きがありましたし。

そう、アゼルバイジャンは産油国ですが、湾岸諸国とはだいぶ違っています。
オイルマネーは主に公共事業等に投資され、国民は納税の責を負っているのですよ。
よって普通に働いていますから、肉労も外国人任せではなく、
移民労働者はあまり見かけません。
そうした意味で、経済は地に足が着いている感じ。

また、ムスリムが多いとはいえ、
ソビエト時代に宗教を否定した過去があるので、
民族的に近いトルコのように、アザーンが聞こえても音は小さめ。
結婚も父権的に決められるのではなく、基本的に自由恋愛だそうな。

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バクーのシンボル、フレームタワーに隣接するシャヒドラー・メスジディ
超広角レンズで撮ったので歪んでます

前回触れた街の変化は、
やはり新型コロナのパンデミックが大きく影響したようです。
ロックダウンによる収入減で多くのホテルや飲食店が廃業を余儀なくされ、
その空席を利用して再開発が加速。そして国家のショーケースとなる、
きらびやかな旧市街や繁華街が生まれたのです。

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イルミネーションがまぶしいネザミ通り界隈

しかし、再開発が進み、街が華やかになれば、
多様性と画一化が入れ替わるトレードオフは避けられません。
今回僕らが入った飲食店の幾つかは、さながらチェーン店のように、
内装から料理、サーブの仕方まで、驚くほど多くの共通点が見られました。
そうなると、最初はフレンドリーに感じていた接客も、
どこかマニュアル的な臭いがしてきて・・・

oldcityrestaurants_az.jpg
旧市街の再開発されたレストラン通り

もちろんこれはバクーに特化した現象ではなく、
日本でも全国的に見られる傾向ですけどね。
ととら亭のある葛飾区も区役所の移転に伴って立石の再開発が進み、
ごちゃっとした商店街の個性ある個人店が姿を消そうとしています。
そう、地権者を除き、再開発ともなればテナントの賃料が上がり、
さまざまな新しい規制も重なって、
もはや個人が出店するのは現実的ではなくなってしまいますからね。
で、結果的に開発が終わると、そこは大手企業のチェーン店が並んでいる。
ほら、日本全国、駅前の風景はどこも大同小異でしょ?

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確かに11年ぶりのバクーは以前に比べて繁栄していると思います。
しかし、同時に所得格差が広がり、多様性が失われつつある。
社会の発展とは何か? それに紐づく、僕ら個人の幸福とは何なのか?
いや、消費文化の本質って何なのだろう?
夕暮れのカスピ海に面した臨海公園を歩きながら、
僕らはそんなことを話し合っていました。

さて、今日は午後の便でジョージアへ戻ります。
これまた2014年のリベンジとなるステパンツミンダ(カズベギ)へ。
かの地はジョージアのギョーザ、ヒンカリの発祥地なんですよ。
トビリシやクタイシバージョンとの違いはいかに?
今回は腰の爆弾を爆発させないよう、気をつけねば!

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 15:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年11月15日

第27回取材旅行 その18

Salam! (サラーム(こんにちは!)
少々日にちが開いてしまいましたが、
僕らは11月11日、今回の旅11番目の渡航国、
アゼルバイジャンの首都、バクーに空路で入りました。
日本との時差はジョージアと同じくマイナス5時間。

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45分のフライトタイムで降り立ったヘイダル・アリエフ国際空港
お世話になったのはアゼルバイジャン航空

ちょっと変則的なルートですよね?
ジョージアの取材を中断してジャンプしましたから。
当初は「準備編」でお伝えしましたように、ジョージアの取材をすべて終えたのち、
トビリシから鉄道でバクーに入るという計画でした。
ところが新型コロナパンデミックでアゼルバイジャンの陸路国境が封鎖されて以来、
今でもそのままなのですよ。つまり空路以外では入出国できない。
そこでトビリシから「行って来い」とならざるを得なくなってしまったのです。

ともあれ、空路でのアゼルバイジャン入国はスムーズでした。
未だVISAが必要とはいえ、アライバルビザが取れるようになりましたし。
しかもこれ、VISAというより、入出国カードを専用端末で申請する程度のもの。
キーボードがちょっと変わっていて、@マークを入力する際、
ん? シフトキーはどれ? と戸惑った以外、操作も簡単。
で、最後は入力内容のサマリーがレシート状に印刷されておしまい。
それを持ってパスポートコントロールへ行けば、
あっさりスタンプを押してくれます。

11年ぶりのバクーは祭日の夜だったこともあって、その盛り上がりの激しいこと。
以前は「石油がある分、まぁジョージアやアルメニアより元気かな?」
程度の印象だったのが、ウクライナ紛争の石油特需と、
アルメニア紛争における劇的な勝利もあって、
景気は絶好調! という羨ましい状況。
街は去年のアルバニアを超える「イケイケムード」に満ちていました。

ところが翌日の昼の取材でレストランに入ったとき、
「・・・?
 ここはメニューだけではなく、内装が昨夜入った店とそっくりだな」
料理が出てきたら、盛り付けやホール担当のサーブの仕方まで、
奇妙なほど、昨夜の店と似ているじゃないですか。

もしかして、チェーン店?

と思って調べてみたら驚きました。
僕らが投宿したホテルのあるイチェリ・シェヘル(旧市街)はいわずもがな、
バクーの中心部に入っている大箱の店は、業種にかかわらず、
ほとんどが政府系企業の運営だそうな。
どおりで客数を超えるような人数のスタッフがいるわけです。

気になったのは、それが新規出店ではなく、従来の店が買収されて、
経営が入れ替わったという情報。
そこで2014年の取材で通った店に行ってみたら・・・

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Before Kafe ARAZ

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After ARAZ Terrace

ありゃ〜・・・ご覧のとおり、まったくの別物になっていました。
あのときはいかにもコーカサスの老舗、という佇まいだったのが、
内装はコンテンポラリーに、メニューはファミレス風に、

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スタッフの振る舞いはマニュアル的に様変わりしているじゃないですか。
そしてそれは、入った3店すべてに共通しているとは。

なんでも、原油価格が暴落した2010年代初頭から、
政府の肝いりでバクーは国家のショーケースとして再開発が進み、
今ではディスニーランドのようになってしまったそうで。

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ピカピカに磨きこまれていますが これはホテルのロビーではありません
道路を渡るためのアンダーパスです

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2014年のバクー港

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11年の後のバクー港 写真ほぼ中央のタワーや奇抜な建築物を見ると、
なんだか湾岸諸国っぽくなってきました

この辺のディープなネタはまたいずれお話しましょう。
ただ、料理取材の観点では歓迎すべき変化もありました。
かつては取材前にいろいろ調べても、
いざ現地に行くと「あれもない、これもない」で、
メニューのバリエーションが乏しく、困ったね〜・・・だったのが、
今ではメニューブックが分厚い豪華なレシピ本風に様変わり。
なかでもちょっと離れたシェキの料理まで、
バクーで食べられるようになったのは、うれしい驚きでした。

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スウィートドルマ
牛肉とドライフルーツをキャベツの葉で巻いて煮込んだもの
干しブドウがいいアクセント

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グバ風ギューザ
グバではギューザも中身の肉がさらに上乗せされてボリューム満点
これにヨーグルトを添えていただきます

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ビレッジチキン・ガバルマ チキンのザクロソース煮
フルーツを使った料理がかなり増えました
いずれも見た目に反して甘みが抑えられ、上品な酸味と塩気のバランスがグッド!

さて、僕らは今、バクーから190キロほど北上したところにある、
QUBA(グバ)に滞在中。ここは首都のけれん味とは無縁の、
素顔のアゼルバイジャンが感じられます。人も素朴ですんごくいい感じ。
僕らはこういう街が大好きです。

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市場の取材で この後、ザクロ売りのおじさんがともこにチュッ!

今日はこれから川向うにあるユニークなユダヤ人街で、
クルツ(クルツェ)なるギョーザを取材予定。
ところがどこで食べられるのか、情報がかなり限られておりまして。
はてさて、どうなることやら。
ま、いつものことですが、結局、足を使って探すしかないんですよね。
それでは行ってきます!

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 22:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年11月13日

「自由な旅のレシピ」第10回(下)がアップ!

ポーランドのワルシャワを出発したこの長い旅も、
アゼルバイジャンのバクーまで進んできました。
そしてこの先、ゴールであるタイのバンコクを目指すわけですが、
日本との文化のギャップは、東に行けば行くほど大きくなってきます。
実はこれ、トラブルが起こる可能性と、その難易度にも比例しておりまして。

ちょっと前に「この旅は比較的スムーズに進んでいます」といいましたけど、
それはノントラブルだという意味ではありません。
トラブルは今のところ大きなものこそないものの、
中小レベルなら毎日起こっています。
ですから「比較的スムーズ」というのは、
「あまり手こずらずにリカバーできてきます」ということなんですよ。

言い換えると、「毎日、全身で勉強しています」という意味でもあります。
トラブルとそのリカバー、すなわちトラブルシューティングは、
現場で経験し、体で覚えるしかありませんからね。
そして、それは個人旅行のルーキーも経験を積んだ旅人も同じ。
実際、僕らも昨日はほぼ終日ビザ関連のトラシューに振り回されており、
まだ継続中ですし。

かもめの本棚online「自由な旅のレシピ」
第10回(下) 旅のトラブルシューティング 〜避ける〜

前回に続き、今回もそうしたトラブルに僕らがどう対処しているか?
そのリアルな例をお話しましょう。
また、数日か数週間後には、先ほど触れたビザ関連のトラブルの結末も、
ご報告できると思います。
はてさて、どうなることやら・・・

でも、これが旅なんですよ。

えーじ
posted by ととら at 15:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年11月09日

第27回取材旅行 その17

გამარჯობა! (ガマルジョバ(こんにちは!)
僕たちは一昨日の14時ごろ、
この旅10番目の渡航国ジョージアに入りました。
9月25日にポーランドのワルシャワを出発して以来、
東へ1400キロメートルほど進み、日本との時差は5時間に縮まっています。

georgianborder01_ge.jpg
ジョージア側 アナログな両替屋が建ち並ぶサルピの国境

と、その前にトルコのゴールデンコースのお話をするべきなのですが、
あまりにもいろいろあり過ぎて時間が足りません。
そこでご存じの方も多いパムッカレとギョレメはスキップさせていただき、
因縁のアヴァノスのリベンジをお話しましょう。

これ、実は前回のリンクのはるか前、2007年に遡ります。
そう、拙著ギョーザ本の第1章、トルコ編エピソードのひとつなのですよ。
キノコ岩で知られるパシャバーから見えるアヴァノスまでの距離を見誤り、
荒野を歩きだしたのはいいものの、行けども行けども近付かない。
結局、1時間程度で着くつもりが、かかった時間は倍以上。
夕方に出発するローズバレーのツアーを申し込んでいた僕らは、
結局マントゥを食べただけで、アヴァノスからとんぼ返りとなったのでした。

avanosrotaly_tr.jpg
アヴァノスの街 このロータリーが2007年のゴールでした

しかし、今回は体調も良く、天候にも恵まれ、
しっかりこの街を味わうことができました。
また何より、丘の上から18年前に、
とことこ歩いた荒野を俯瞰したのは感慨深かったです。

avanoswalk_tr.jpg
黄色の線が歩いたルート 若気の至りでございます

望遠レンズ越しにあの頃の僕らが見えるような気がしてね。
また、ギョレメの極端な変わりように比べて、
当時の面影を色濃く残すアヴァノスの素朴な表情が嬉しかったです。
まるで時間を遡って、あの時やり残したことができたような経験でした。

さて、そんな感傷にふける間もなく、
ギョレメに戻った僕らはホテルに預けたバックパックを受け取り、
バスで約1時間のカイセリオトガル(バスターミナル)へ。

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地方空港並みの巨大なバスターミナル

2019年の冬にはここから南東部の街、アダナへ向かいましたが、
今回の目的地はジョージアとの国境にほど近いホパ。
これが概ね920キロメートル先のかなたの上、
乗車時間は僕らの旅歴で最長となる16時間超!

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最短ではなく北回りで黒海沿いを走るルート

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夜行バスはホテル代が節約できますし、空いてきたので2シート独占・・・

しかしながら座っているだけとはいえ、
寝るのもご覧の状態ですから、ほとほと草臥れました。
ともあれ、ここでも弱音を吐いている暇はありません。
この日のゴールは国境を越えてその先にあるジョージアのバトゥミ。
それも必要な情報はネット上でもかなり薄い。
ホパのオトガルから先は、旅人の勘頼みの、ほぼ出たとこ勝負です。

hopabusterminal_tr.jpg
ホパのオトガル ほとんど満席で出発したバスも、
ここで下りた乗客は僕たちを含めてたった4人 お出迎えは大きな野良犬たち

まずはトルコ側の国境の街、サルプまでどうやって行くか?
未確認情報ではドルムシュ(ミニバス)が、どこかから出ているそうな。
しかし、その「どこか」がどこかわかりません。
で、そんなときはどうするか?
Googleで検索? AIに聞く? 違います。
現場で人に聞くのです。それもたどり着くまで何人でも。

とは言ったもののトルコもここまでくると、ほとんど英語が通じない。
なるべく若い人に聞いても反応はかなりビミョー。
そうなったら相手のわかる単語を並べてシンプルに行きましょう。
ニカっと笑顔(これが大切)を浮かべ「メルハバ! ドルムシュ、サルプ?」
こうして陸橋下のドルムシュだまりにたどり着き、
ようやくサルプ行きの車を見つけました。

hopadormusstop_tr.jpg
ホパのドルムシュ乗り場
呼び込みの声 ケバブの臭い うろつく野良犬 クラクションの音

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ホパから約20分先にある、雑然としたサルプのトルコ側イミグレ前
陸路の国境って独特なムードなのですよ

ラッキーだったのはトルコ出国、ジョージア入国ともにスムーズだったこと。
税関もイージーなX線スキャンだけで「ようこそ!」。
またジョージアの通貨ラリが税関にあったATMで、
さらっとゲットできたのも助かりました。
それも手数料はたった6ラリ(約340円)で。
ヨーロッパでは法外な手数料(4万円分引き出して8000円とか!)
を要求されましたからね。

で、最後はジョージアイミグレの間に待機していたマルシュルートカの料金交渉。
(旧ソビエト圏の国々で使われているミニバスの呼称。旅人の通称はマルシュ
 内容、システムともにドルムシュと同じ)
バトゥミの中心までは約8キロほど。それがたったひとり2ラリでした。
立ち乗りぎゅうぎゅうで庶民感満点。

batuminightscape_ge.jpg
ジョージアらしからぬ街のバトゥミ 外資が流れ込み、経済特区状態だそうな

明けて今日も再びマルシュ乗り場探しで、すったもんだがありましたが、
(特別な建物があるわけではなく、ただの路上なんですよ)
軽くリカバーしつつ、僕らは次の取材地のクタイシへ。

marsh01_ge.jpg
ドルムシュ、マルシュはこんな感じ みんなでこの狭い空間をシェアします

この5日間、夜行2本を含むハードな移動と、
たくさんのタスクをこなしましたので、今日の午前中はオフです。
そして明日は再びマルシュに乗り、いよいよ11年ぶりのトビリシへ。
ずいぶん変わったらしいですよ。でも、その変化が楽しみです。

to be continued...

えーじ

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バトゥミの港から眺めた黒海の朝焼け 水がすごくきれいでした
posted by ととら at 18:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年11月06日

「自由な旅のレシピ」第10回(上)がアップ!

日本を出発して1か月半が経ちました。
ここまでは割合スムーズに進んでいます。

とはいえ、それは「トラブルの定義」にもよりますけどね。
たぶんトラブル慣れしてしまって、
釣銭をちょろまかされた、
国境警察にカメラをしまっているのを、
逆に撮影していると勘違いされて警告された、
青空カフェでのんびりしていたら小鳥に「爆撃」された、
程度は、「よくあること」と考えてカウントしませんから。

ともあれ、慣れるといっても、
必ず僕らのように「うげ〜っ!」って経験を積み上げなければならない、
というわけではありません。
そこで今回はなるべく「楽に慣れる」方法をお話したいと思います。

かもめの本棚online「自由な旅のレシピ」
第10回(上) 旅のトラブルシューティング 〜選ぶ〜

最高のトラブルシューティングテクニックとは何か?
個人旅行をしてみたいけど「何かあったらどうしよう・・・」
と心配されている方はぜひご一読を!

えーじ
posted by ととら at 05:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年11月04日

第27回取材旅行 その16

東西に長いアナトリア半島。
そこで僕らは西から東へ向かっているわけですが、
せっかくですから、1度くらい、
トルコ旅行のゴールデンコースをやってみよう!

というわけで、スタートのチェシュメと次のイズミルはともかく、
セルチェクではエフェソス遺跡を訪れ、
そして今日はパムッカレの足掛かりとなるデニズリに到着しました。

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しかしコースこそ同じとはいえ、移動手段はちと違うかもしれません。
一般的にはチャーターしたツアーバスかな?
その点、僕らはコスト最優先ですので、
まずイズミールからはトルコで初めて乗る鉄道です。

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イズミールのバスマネ駅

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普通列車の車内 なんと全部指定席

これが席も広くけっこう快適でした。
加えて1時間半も乗ったのに、料金は二人合わせて185リラ(約700円)!

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セルチュクでは到着早々ラブリーなローカルガールたちと出会い

セルチュク駅は場所も使い勝手も良く、すぐ目の前が目抜き通りの繁華街。
僕らが到着した土曜日は市が立ち、地方都市とは思えない盛り上がりでした。

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いやはや主客転倒かもしれませんが、
小さいながらもセルチュクの街は実に中身が濃く、
エフェソス遺跡を別にしても十分楽しめるところではないですか。

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雰囲気のいい飲食店が並ぶ駅前の繁華街

もちろん広大な遺跡も素晴らしい。

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アルテミス神殿跡からセルチュク城塞を臨む 夕暮れのひととき

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遺跡の中心となるケルスス図書館

しかし、アトラクションで見た、
往時のエフェソスの再現CGにはちょっと考えさせられました。
途中、英華を誇っていたころのシーンで、
こんなナレーションが流れたのですよ。

「エフェソスの人口の半分は奴隷。
 エフェソス人が働くわけありませんからね」

エフェソスが栄えたのは紀元前400年ごろ。
しかし、歴史は繰り返すと申しますか、
イヤな仕事を他人に押し付けるだけではなく、
労働そのものから逃れようとする傾向は、
2400年以上が経った今でも変わらないのですね。

そういえば、いつぞや20歳代の方とこんな話をしたことがあります。

「おカネはゼロだと困ってしまうけど、
 あればいいってもんじゃないと思わないかい?」
「何でですか?」
「おカネは手段であって目的ではないだろう?
 だから目的があって、初めて意味のあるものになるんだよ」
「はぁ・・・」
「たとえば突然10億円が転がり込んでもしょうがない」
「え! 僕は欲しいですよ!」
「じゃ、君はそれを使って何をするんだい?」
「そうっすね・・・えっと・・・」
「・・・?」
「えっと・・・おもしろおかしく生きていきます!」

民衆が求めるのは「パンとサーカス」・・・か。

エフェソス遺跡には、アレキサンドリアに並ぶ、
かつての世界三大図書館の一つ、ケルスス図書館がありますけど、
その正面には娼館があったのですよ。
人ごみを離れて小さく仕切られた部屋を通り抜けていたら、
往時の人々の声が聞こえたような気がしました。
「科学や技術は進歩する。しかし、人間の本質は変わらない」

っと、固い話はこれくらいにして、ここでも取材はやってますよ。
掘り出し物はこれ。

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ベイヤン

もともとはルコ南東部、ギュザンティップ発祥といわれる、
ピリ辛で濃厚なヒツジのスープ。
ガーリックも効いていてガツンと来る一品です。
トルコ料理は一般的にマイルドなので、
アダナケバブと並び、ベイヤンはちょっと異色の存在ですね。
今回のルートには入っていませんが、
いつかギュザンティップにも行ってみたいと思いました。

さて、明日はお約束のパムッカレを訪れ、
19時頃にデニズリオトガルに戻って夕食。
その後、夜行バスでカッパドキアの入り口、
カイセリオトガルへ向かいます。
このルート、実は2019年のリベンジなのですよ。
今度は二人そろって万全の体調で行かねば。
詳しくはこちらを → 第17回取材旅行番外編 その2

to be continued...

えーじ

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取材の合間に路肩のチャイハネで やっぱりトルコはチャイですね
posted by ととら at 05:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年11月01日

第27回取材旅行 その15

Merhaba!(メルハバ(こんにちは!)
僕らは一昨日の午前中、ギリシャのキオス島から、
対岸に位置するトルコのチェシュメに小型フェリーで到着しました。

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こんな船で約45分の航路 雲ひとつない快晴の朝に出港しました

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今回の旅で9番目の国、トルコに上陸

奇しくも当日はトルコの建国記念日にあたる「共和国記念日」。
短い乗船時間でしたが、
海上の国境線を越えたあたりでトルコ語のアナウンスがあり、
「何だろ?」と思っていたら、乗客乗員そろって拍手!
目が点の僕らをしり目に次は勇ましい軍歌調の曲が流れるや、
みんなで手拍子しながらの大合唱が始まったではないですか。
そこで僕らも合わせて手拍子参加。
すると前の席に座っていたお兄さんが振り返り、

「日本の方ですよね?」
「え? なんでわかりました?」
「僕はターキッシュエアラインズのキャビンクルーなんですよ。
 イスタンブール、東京便に乗務していたことがあるので、
 日本の方は見ただけでわかります」

いいですね、国境を越えた途端にこの盛り上がり。
そして、この温かい雰囲気にトルコ人気質を感じました。

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小さなチェシュメ港 左端の平屋がイミグレーションの建物
この国境越えはギリシャ出国、トルコ入国ともにあっさりスルー

チェシュメは小さな港町。夏は海水浴客で賑わうそうですが、
シーズンオフの10月下旬はこうした祭日を除くと静かなようです。

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祝日でそこかしこにトルコ国旗と
ハンサムな建国の父、ムスタファ・ケマル・アタテュルクの肖像が

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チェシュメの繁華街には大勢の人が繰り出していました

EU圏でギリシャは物価が安い方ですが、
トルコに入ったとたん、さらにがくんと落ちました。
たとえばここで泊まったホテル、
ダブルできれいな部屋が1泊二人で約4,700円です。
昨秋の西欧での大散財が噓のよう。
いちばん泣けたのがダブリンのホステル(ホテルより格下)に、
一泊35,000円で泊まらざるを得なかったこと。

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中東でよくあるシンプルなホテル

トルコは日本以上にインフレで苦しんでいるとはいえ、
それでも大衆食堂のロカンタに行けばお腹いっぱい食べても、

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写っている料理と飲み物全部を合わせて約2,000円くらいです。
しかもすんごくおいしいし。パンだって食べ放題。

さて、僕らがいま滞在しているのは、
チェシュメから東へ80キロメートルほど離れたイズミル。
移動はバスで1時間半ほどでした。

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チェシュメの街はずれにあるオトガル(バスターミナル)

ところが到着直前にちょっとサプライズ。
終点はイズミルオトガルと思っていたのですが、
マップ上はそこまでまだ10キロ近くあるところでバスが停まり、
乗客がぞろぞろ降りだしたじゃないですか。
そしてドライバーさんは僕らに「終点だよ」とな?

で、放り出されたのはいいのですけど、
当然、「ここどこ?」ってなりますよね?
周囲を見渡すと運よく地下鉄のサインがあり、駅名はFahrettin Altay。
とりあえず改札まで行ってみれば、これはM1線で、
僕らの目的地İzmir Basmaneまで行くのがわかりました。
問題は乗り方で、1回券は売っておらず、イスタンブール同様、
損した感むんむんのメトロカードを買わねばなりません。
しかし、この不評にようやく行政が重い腰を上げたのか、
クレカのタッチで乗れるようになっていました。
(そういえば日本はまだね?)
おかげでプランBはプランAのショートカットになり、
僕らは予定より早く次のホテルにチェックインできたのです。

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イズミルはチェシュメ以上に大きな港町

次なるミッションが軍資金のゲット。
通常の海外旅行であれば、ほとんどクレカで決済しますよね?
しかし数か月に及ぶ旅でこれをやると、
ブラックカードユーザーでもない限り、
カードの上限に引っかかってしまいます。
また、まだまだキャッシュしか使えないケースも珍しくないので、
僕らは支払方法を分散し、クレカにデビットカードと、
ATMで自分の口座から現地通貨の引き出し、
そして米ドルと日本円からの両替の4本立てで支払いをしているのです。

ここで難しいのがATMからの現地通貨引き出し。
EU圏では最近べらぼうな手数料を取る銀行が増えておりまして。
10パーセントを超えることも当たり前。
さらに設定されている為替レートは相場を無視した涙もの。
極悪な例だと20パーセント以上持って行かれます。
コンバージョンを拒否することで、
ある程度まっとうな引き出しに持ち込めるケースもありますが、
しばしばトランザクションエラーと偽って、
この対抗策を拒否してくるケースがありまして。
今回も比較的評判のいいHalkbankやZiraat BankasıのATMを試すも、
「ブルータス、お前もか!」の状態。
そこで両替屋に行ったら日本円に対応していたので、
米ドルは温存し、日本円をトルコリラに替えました。
最近また円安が進んでいますけど、そんな為替の微々たる影響より、
ATMの手数料の方がはるかに深刻なのですよ。

こうして準備が整った僕らが突撃したのがイズミールの旧市街。
ここはイスタンブールのエジプシャンバザール脇のごちゃごちゃした部分と、
グランバザールを合体させて、さらに巨大化させたようなところ。
モロッコのマラケシュのメディナ同様、
一足踏み入れたが最後、すぐどこにいるか分からなくなります。
しかし、それがおもしろい。

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さまざまな業種が集まっており、ここで生活用品のすべてが揃います

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威勢のいい声が飛び交う生鮮売り場

足の向くまま、気の向くまま探検し、
疲れたらお洒落なカフェでチャイかトルココーヒーで休憩。

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ケバブのいい匂いが漂い、おいしそうな飲食店もたくさんあります。
おっと、取材も忘れちゃいませんよ。市場で食材を調べた後は、これです。

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イスミルといえば、ととら亭でも紹介したことのあるイズミルキョフテ。
なんですが、ここでサプライズの第2弾。
探しても探してもないんですよ、これをやっている店が。
トルコではかつてアダナでアダナケバブ、ブルサでイスケンデルケバブ、
カイセリで極小サイズのマントゥと、
それぞれ発祥地で食べ比べながら現物確認をやっていましたが、
なぜか料理名に地域名を冠したイズミルキョフテが、
イズミルのどの飲食店でもメニューにない。

そこでお店の人に聞いてみると、なぜか皆さん、ばつの悪い表情になり、
「あ、ああ、それは今日ありません」とか、
「キョフテ・ギュヴェチ(鍋焼きキョフテ)にジャガイモを入れたら同じだよ」
などと気のない答え。

なぜだ?

と調べて驚きました。
この料理、イズミルがかつてギリシャ人の都市スミュルナだった時代に、
ギリシャ人やアルメニア人などトルコ人以外によって考案され、
それがトルコ各地に地方料理として拡散。
しかし、希土戦争の結果、大規模な住民交換でトルコ人以外がこの地を去り、
外国人への反感から現地では料理まで消えてしまった、との説が。

この経緯、実は僕も以前から知っており、どちらが元祖かは別として、
ギリシャで昨年、イズミル(地名)・キョフテ(ミートボール)の別名である、
スミュルナ(地名)・スズカキヤ(ミートボール)を調べていたのです。
ところがイスタンブールやアダナなど、
他の街のロカンタでは定番となっているにもかかわらず、
まさか発祥地でほぼ消滅しているとは思いませんでした。

そこで足を棒にしてようやく見つけたのが先の写真の一品。
雰囲気のいい老舗のロカンタで、味も素晴らしかったのですが、
この経緯を考えながら食べていたら、微妙な気分になりました。
そう、料理って、文化であり、歴史そのものなんですよ。
たとえそれが悲しいものであってもね。

さて、明日はトルコで初めて鉄道に乗り、
エフェソス遺跡に近いセルチュクに移動します。
ああ、11月に入ったんだなぁ・・・

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 04:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2025年10月29日

第27回取材旅行 その14

Καλημέρα!(カリメーラ(おはようございます)
僕らは昨日の20時にギリシャのピレウス港を夜行フェリーで出発し、

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狭い港内でフェリーが行き交うピレウス港

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一番安い切符は・・・ご覧のとおり
でもBlue Star Ferryは快適でした 売店も充実

「定刻どおり」朝の4時半、キオス島の港に放り出されました。

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方やご覧のとおりのキオス港
未明に開いていたのは写真左の2軒のカフェだけ

定刻どおり・・・といってもねぇ。
こんな時間じゃホテルにチェックインできないし、
フル装備のバックパックを背負って観光ってわけにもいきません。
そこで取りあえずカフェに入って朝食を。

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ここのコーヒーとチーズパイは実においしかった!
バリスタは70歳超えの女性
てきぱきした動きが圧巻 見習いたい

ほんと、困るんですよ。こういうわけのわからない時間に到着すると。
空港なら雨風をしのげますし、安全に仮眠をとることだってできます。
しかし、まだ暗い早朝の港でポイっとされちゃ、どうしようもない。
それでもいいことだってあります。

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たとえば、こんな朝焼けが見れたりね。
ギリシャは都合4回目ですけど、実は皆さんと違って島を訪れるのは初めて。
なるほどいいものですね。
それもサントリーニ島のようなビッグネームではなく、
シーズンオフにキオス島ってどこの国? みたいなマイナーな島に来るのも。

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岩山を背景に古い街並みと青い海

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遺跡を改造した風車

今日はギリシャの祝日(オヒ・デー(参戦記念日)。
それにあやかったわけではありませんが、
実は僕らにとってもお祝いなんですよ。それは・・・

ヨーロッパ横断完了記念日!

そう、昨年から始めたユーラシア大陸横断の旅。
パート1がヨーロッパの横断で次が中東からアジア・・・
のはずが、何かとつまずいてパート2のスタートはポーランドに。
そんなわけで今回、ギリシャの東の外れ、
キオス島がヨーロッパのゴールなんですよ。

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海の向こうに見えるのはトルコ 小型フェリーでたった40分の距離

今日はヨーロッパの最終日。
うまく言葉にできませんが、やっぱり感じ入るものがありますね。
仕事の成果だけではなく、ただの旅人として、
すばらしい経験になりましたから。

もちろん楽しいことばかりではありません。
手間と努力の甲斐なく、
「なんじゃこりゃ〜っ!」な目に遭うのもよくあることですし。
しかし、困難でも未経験なテーマにチャレンジしたからこそ、
今の達成感と感動があるようにも思えます。

去年の夏、スペインのアルヘシラスから始まった、
ヨーロッパ横断を振り返り、
素朴に思えるのは、「やってよかった」ということ。

ああ、単純過ぎるかもしれません。
でも、そのとおりなんですよ。
旅人ってのは、そういう生き物ですから。

さて、明日は8時のフェリーで対岸のトルコ領、チェシュメに渡ります。
新しい旅の始まり。
見たこともない世界に踏み込んでみましょう。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 05:39| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2025年10月26日

第27回取材旅行 その13

Merhaba!(メルハバ(こんにちは!)

え、挨拶が間違ってる? いや、これでいいのです。
キプロスを南北に分断するグリーンラインの南側はギリシャ系ですが、
北側はトルコ系のテリトリー。
そう、キプロスは紛争当事国なのでした。
しかもこの深刻な問題は、未だ解決の目途が立っていません。
かいつまんで説明しますと、

1.4〜12世紀のビザンツ帝国時代、
  キプロスにギリシャ正教が広まり、住民の大半がギリシャ系に。

2.16世紀後半、オスマン帝国がキプロスを征服。
  トルコ人の入植がはじまる。

3.19世紀後半、オスマン帝国が衰退。

4,1925年 キプロスがイギリスの植民地となる。

5.1930〜50年、ギリシャ系がギリシャとの統一を要求し、トルコ系と衝突。

6.1974年 ギリシャ系がクーデターにより統一を試みるが、
  トルコ軍が北部へ侵攻し、国土の約4割を掌握する。

7.1983年 北部が「北キプロス・トルコ共和国」として独立を宣言。
  しかし、承認したのはトルコのみ。

こうした経緯からグリーンライン(緩衝地帯)で南北が分断され、
以後、国連による統一交渉が繰り返されるも、進展はいまだ見られず。

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南キプロスにあるホテルの屋上から見た北キプロスの旧市街
公式ルートなら入ることはできますが宿泊はできません
バレるとEUに戻れなくなるかも

それでもグリーンラインの一部に相互通行ができるチェックポイントが作られ、
条件付きで人の行き来ができるようになりました。

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ラドロ通り北端にある南キプロス側のチェックポイント

南側から行きますと、最初に南キプロス側でパスポートチェックが行われ、
20メートルほどの緩衝地帯(国連軍がひっそりと監視している)を歩くと、
北キプロス側のパスポートチェックがあります。
公式には国境ではありませんから、パスポートもスキャンされるだけ。

たった、50メートルほどを歩くだけでも、
双方の立場とメンタリティの違いが肌で感じられます。
そう、比較的柔和な南とピリピリした北。
(チェックポイントの撮影も北は厳禁です)
しかし、この異様な空間を抜けると、突然ムードはトルコ一色に。

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チェックポイントを抜けて30メートルも歩けばご覧のとおり

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街並みの雰囲気が南とはがらっと変わります。

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アート感覚は北にもあり、こんなゴッホの警鐘的ウォールアートも
ん〜、トルコ人にもゴッホの人生に興味を持つ人がいるのですね
この絵の意味、わかります? ヒントはゴッホが持つ酒瓶のラベルに

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小隊宿跡を使ったお洒落なミニアーケード、ビュユック・ハンも美しい

通貨も当然、ユーロではなくトルコリラになります。
(ユーロも実質上流通していますけどね)
街行く住民の表情にも緊張感は読み取れません。
このコントラストが印象的でした。

ユニークなのがランドマークにもなっているセリミエ・ジャーミー。

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これがご覧のとおり、もともとキリスト教の聖ソフィア大聖堂だった建物に、
ミナレットを増設し、内部の祭壇を取り壊してがらんどうにした、
ハイブリッドなモスク。
そういう意味ではイスタンブールのアヤソフィアやブルーモスクも同じ。
もともとはビザンツ時代に建てられたギリシャ正教の教会ですからね。
ただ、レフコシアの教会はゴシック様式だったので、
より教会っぽさが際立っています。
場所によっては偶像として削り取られるはずのレリーフも残っていたりして。

そうそう、ここでの僕らのミッションはこれ。

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Pirohu

そう、ここにもギョーザがあったのですよ、それもマントゥではなく、
その名もピロフ! ここで「えっ?!」となったあなたはギョーザ通。
この名はスロバキアのピロヒーとそっくりではないですか。
そこで置いてある店を北キプロスで探し出し、食べてさらにびっくり。
名前こそ似ていますが、モノはほとんど共通点がありませんでした。
要約しますと、カッテージチーズを包んだ小型のラビオリを茹で、
ヨーグルトとモッツレラチーズに似た、
ハルオーミをシュレッドして振りかけたもの。
いったいどこでどう伝わり、ここまでレシピが変化したのか、
今のところ皆目見当がつきません。
いやはや、また宿題をもらっちゃいましたね。

そんな取材をしつつ、日常的には旅に出て1か月。
そろそろ散髪しなければ。
というわけで行ってまいりました、ホテルの裏通りにあったバーバー。

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気のいいギリシャ系のおじさん二人が切り盛りしていて、
ローカル色もご覧のとおり。
主にバリカンを使って25分で仕上げる早業です。
お代は12ユーロ(約2,100円)。さっぱりしました。

さて、今日の昼前、
レフコシアから空港にほど近いラルナカに移動しました。
ここで、またしても災い転じて福となす。
投宿したのはリゾートホテルの安い部屋で、
14時のチェックインに合わせて行ってみると、

「たいへん申し訳ございません。
 本日大変混みあっておりまして、
 まだお部屋の準備ができておりません」
「おやおや。で、僕らはどうすればいいですか?」
「ロビーで今しばらくお待ちいただけますでしょうか?」
「ああ、構いませんよ」

と僕らの旅ではトラブルに入らないレベルのことだったのですが、

「お待ちいただく間、お飲み物はいかがでしょうか?」
「え? あ、そうですか、では・・・」

安い客なのにかたじけないねぇ、
ウェルカムドリンクまで頂いちゃって・・・

そしてさらに20分ほど待っていると、

「あと15分お待ちいただけますでしょうか?
 お詫びにより良いお部屋をご用意いたしますので」

そうして部屋まで行ってみると、

「見て見て、すご〜いっ!」
「うひゃ〜、オーシャンビューの部屋じゃん」

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窓の外にはこんな光景が 青いエーゲ海がまぶしい

40分程度のチェックイン待ちにしては、たいへんなご褒美でした。
昨日まで泊まっていた部屋の3倍くらいの広さがあるし。
さらにラルナカでは天気に恵まれ、ソルトレイクまで足を延ばしたら、
なんと広大な大塩湖が僕らだけの貸し切り!

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波のように見える大地は乾いた塩です

なんでこんな素晴らしいところに誰も来ないんだろう?
ここで僕らは大塩湖に沈む夕日をぼ〜っと見るという、
おカネでは買えない贅沢な時間を楽しんだのでありました。

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さぁ、ここで英気を養ったら、明日はギリシャに戻り、
ピレウスから夜行フェリーでキオス島に向かいます。
そこて対岸のチェシュメに渡ればもうトルコ。
昨年から始めたヨーロッパの横断が終わり、
いよいよ難易度の上がる中東に入ります。
だんだん盛り上がってきました。
気合を入れて行かねば!

to be continued...

えーじ

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ラルナカのビーチで (水着を持ってくればよかった!)
posted by ととら at 06:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記