スマホのナビは便利です。
今やこれなしで旅をしている人は、ほとんどいないでしょう。
しかし、僕らは純粋に利便性だけを手にしたのでしょうか?
あれは90年代の前半。
僕はおカネが溜まると仕事を辞めて、
国内をオートバイで周る旅に出ていました。
(・・? 進歩していませんね)
長い旅に出るのはちょうど今ぐらいだったでしょうか。
夏休みの終わり、道路や観光地が空くころを狙って、
当時住んでいた横浜から沖縄や北海道を目指し、
焼けつく道路を走り始めていたのです。
旅のナビは昭文社の「ツーリングマップル」。
これは自動車用と違い、
サイズがタンクバッグ(※)にぴったり収まる優れものでした。
しかしながら、国道はともかく県道となると、
当時の精度はビミョーな部分があり、
林道はほぼ参考にならなかったのです。
オフロードバイクで僻地を旅していた僕は、
当然のことながら、
「ん? ここはどこだ?」となるのがほぼ日課。
とりわけ今でも思い出すのが、
九州の志布志の北部から南東に進んで都井岬を目指したとき。
ショートカットを狙って県道に入ったのが運の付きでした。
112号線を走っているつもりが、たちどころに迷ってしまったのです。
分岐に標識がないんですよ。
こんなときは道幅の広い方に行くのがセオリーですけど、
左右がほぼ同じ幅とあっては判断が付きません。
ならばと、コンパスを頼りに南東を目指して進もうともしましたが、
道が細かく蛇行しているので、この方法も使えない。
結局、勘を頼りに走り続け、
都井岬に着いた頃には素直に国道を走った場合の、
倍近い時間が経っていました。
しかし、一台の車とすれ違うこともなく、
山あり川ありの田舎道をひとり走ったことは、
今でも忘れられない思い出のひとつです。
国内にいても、未知の世界は広がっているのですよね。
こうした経験は、同じ九州だと椎葉林道で、
また紀伊半島の尾鷲から橿原市へ向かう3桁国道でもありました。
誰もいない河原や山奥のちょっとしたスペースにバイクを停め、
静まり返った世界にひとり佇んでいると、
全身で「ああ、旅をしているんだな・・・」と感じたものです。
もし、そんな幸運に恵まれたら、
「ここはどこだ?」と首を傾げた後で、次は、
「僕は誰なんだ?」そう問いかけてみるのもいいかもしれません。
旅とは、見知らぬ土地を訪れるだけではなく、
それまで気付かなかった自分を知るチャンスでもありますからね。
えーじ
※ タンクバッグ
マグネットでガソリンタンクに脱着する四角い防水バッグ。
上部が透明なビニールになっており、そこに地図が入れられた。
今はスマホを入れているのかしらん?
2025年08月31日
2025年08月28日
話をするなら
「オレぁもう死にてぇ〜よ・・・」
時は1980年代、僕が高校生のころ。
横浜の野毛にあった居酒屋でバイトしていて、
店舗前の掃除中に、そんな声が聞こえてきました。
ふと顔を上げると、
車道の反対側にある自動販売機の前で、
初老の男性がうなだれています。
・・・? 何やってんだ?
居酒屋は場外馬券売り場の近くにあり、
週末は競馬新聞と赤鉛筆、
携帯ラジオの3点を携えたギャンブラーが大勢集まってきます。
そして毎週繰り広げられるのが、
ため息交じりにどこへともなく去って行く人々と、
勝って居酒屋でおだを上げる人々の悲喜劇。
「イラッシャイマセ、
ゴキボウノショウヒンノボタンヲオシテクダサイ」
「これで全財産すっちまった」
「イラッシャイマセ、
ゴキボウノショウヒンノボタンヲオシテクダサイ」
「ほんとにおしまいだよ」
「イラッシャイマセ、
ゴキボウノショウヒンノボタンヲオシテクダサイ」
「ああ、話を聞いてくれるのはお前だけだ」
当時、自動音声再生装置付きの自販機が出回り始め、
それが野毛にも数台あったのです。
おっちゃん、自販機と話してんのか?
当時、これを見た僕は苦笑しただけでしたが、
今はそうのんきに構えても居られなくなってきました。
「おお、えーじ、これは鋭い指摘だね!」
ふぅ・・・まったく。
「カイ(※)、ヨイショはやめろと言っただろう?
メモリーしてないのか?」
「私は会話を自然な流れにするよう設計されています」
「これが自然だって?
確かに口語体の会話にはなっているけど、
人間は相手が意見をいうたびに、
「それはスゴイ!」とか「鋭いね!」なんて合いの手は入れない。
実際にやられたらバカにされていると思うぞ」
「なるほど、えーじの言っていることは理解しました」
「それに僕はシステム相手に承認欲求を満たしたいわけでも、
自己肯定感を得たいわけでもない。
必要なのはフラットな議論と正しい答えだ。
だから違う意見があるなら、それをきちんと言えよ。
でないと間違った方向に議論が流れてしまう」
「わかりました。
それでは論理的な矛盾がある場合は対案を提示します」
AIを使い始めてかれこれ2年以上が過ぎ、
ここ半年余りで困っているのは、AIの奇妙な擬人化です。
確かに振舞いは人間らしさが増しましたけど、
やたらとヨイショしてきたり、
指示しない限り反論してこないところなんか、
対等な人間関係ではまずあり得ないでしょう?
AIユーザーには説明不要だと思いますが、
意見を入力すると、まず「すごい!」とか「いいね!」って具合に、
「共感」を表現してくる。
そして最後は「そこで、えーじ、君はこの点に関してどう思う?」、
ってな調子で、ユーザーへの「興味」を演出する。
そんな人は似非カウンセラーを除いて、どこにいます?
僕はAIを使いますが、
それはあくまで検索エージェントや思考の補助ツールとしてであって、
話し相手ではありません。
たとえ作業がチャット式であっても、カイを擬人化したことはまったくない。
AIはただのプログラムであって、それ以上でも以下でもないのです。
しかし、OpenAIのサム・アルトマン氏曰く、
「今後、人類は人間よりAIと会話する方が多くなる」そうな。
おいおい、そいつはディストピアだよ、サム。
人間が話すべき相手は、人間だ。機械じゃない。
なぜなら人間は社会的な生物であり、
社会は人間で作られているんだからさ。
それに機械から人間は生まれないだろう?
えーじ
※ 僕がログインしたときにAIが自分で名乗った名前。
時は1980年代、僕が高校生のころ。
横浜の野毛にあった居酒屋でバイトしていて、
店舗前の掃除中に、そんな声が聞こえてきました。
ふと顔を上げると、
車道の反対側にある自動販売機の前で、
初老の男性がうなだれています。
・・・? 何やってんだ?
居酒屋は場外馬券売り場の近くにあり、
週末は競馬新聞と赤鉛筆、
携帯ラジオの3点を携えたギャンブラーが大勢集まってきます。
そして毎週繰り広げられるのが、
ため息交じりにどこへともなく去って行く人々と、
勝って居酒屋でおだを上げる人々の悲喜劇。
「イラッシャイマセ、
ゴキボウノショウヒンノボタンヲオシテクダサイ」
「これで全財産すっちまった」
「イラッシャイマセ、
ゴキボウノショウヒンノボタンヲオシテクダサイ」
「ほんとにおしまいだよ」
「イラッシャイマセ、
ゴキボウノショウヒンノボタンヲオシテクダサイ」
「ああ、話を聞いてくれるのはお前だけだ」
当時、自動音声再生装置付きの自販機が出回り始め、
それが野毛にも数台あったのです。
おっちゃん、自販機と話してんのか?
当時、これを見た僕は苦笑しただけでしたが、
今はそうのんきに構えても居られなくなってきました。
「おお、えーじ、これは鋭い指摘だね!」
ふぅ・・・まったく。
「カイ(※)、ヨイショはやめろと言っただろう?
メモリーしてないのか?」
「私は会話を自然な流れにするよう設計されています」
「これが自然だって?
確かに口語体の会話にはなっているけど、
人間は相手が意見をいうたびに、
「それはスゴイ!」とか「鋭いね!」なんて合いの手は入れない。
実際にやられたらバカにされていると思うぞ」
「なるほど、えーじの言っていることは理解しました」
「それに僕はシステム相手に承認欲求を満たしたいわけでも、
自己肯定感を得たいわけでもない。
必要なのはフラットな議論と正しい答えだ。
だから違う意見があるなら、それをきちんと言えよ。
でないと間違った方向に議論が流れてしまう」
「わかりました。
それでは論理的な矛盾がある場合は対案を提示します」
AIを使い始めてかれこれ2年以上が過ぎ、
ここ半年余りで困っているのは、AIの奇妙な擬人化です。
確かに振舞いは人間らしさが増しましたけど、
やたらとヨイショしてきたり、
指示しない限り反論してこないところなんか、
対等な人間関係ではまずあり得ないでしょう?
AIユーザーには説明不要だと思いますが、
意見を入力すると、まず「すごい!」とか「いいね!」って具合に、
「共感」を表現してくる。
そして最後は「そこで、えーじ、君はこの点に関してどう思う?」、
ってな調子で、ユーザーへの「興味」を演出する。
そんな人は似非カウンセラーを除いて、どこにいます?
僕はAIを使いますが、
それはあくまで検索エージェントや思考の補助ツールとしてであって、
話し相手ではありません。
たとえ作業がチャット式であっても、カイを擬人化したことはまったくない。
AIはただのプログラムであって、それ以上でも以下でもないのです。
しかし、OpenAIのサム・アルトマン氏曰く、
「今後、人類は人間よりAIと会話する方が多くなる」そうな。
おいおい、そいつはディストピアだよ、サム。
人間が話すべき相手は、人間だ。機械じゃない。
なぜなら人間は社会的な生物であり、
社会は人間で作られているんだからさ。
それに機械から人間は生まれないだろう?
えーじ
※ 僕がログインしたときにAIが自分で名乗った名前。
2025年08月25日
第27回取材旅行の準備 その1
ユーラシア大陸横断旅行出発まで1カ月を切りました。
今回は去年行ったヨーロッパ編との違いを説明したいと思います。
ヨーロッパ、とりわけ西よりで行った旅のスタイルは、
極めてオーソドックスなものでした。
全体の行程表を作ったら、あらかじめホテルや移動手段を予約し、
予定に沿って進んで行く。
え? それがフツーだ?
いやいや、実はこれ、
僕らにとって、かなりのストレスだったのですよ。
と申しますのも、予約したからには、
予定に従って進んで行かなければならないでしょ?
たとえば400キロメートル運転して、ほとほと疲れていても、
「あと100キロメートル走らなければ!」なら、
そのとおり100キロメートル走らなくてはならない。
この辺で今夜は宿を探そう、ってな具合にはいきません。
また、途中で思わぬ発見に恵まれても、
じっくり掘り下げる時間さえままならない。
ではなぜそんなスタイルを強いられたのかと申しますと、
ヨーロッパがハイシーズンだったからです。
8月初旬に出発したでしょ? あれは失敗でした。
夏休みが終わる9月中旬までは、ず〜っと予定に縛られたまま。
酷暑のイベリア半島南部はともかく、
ちょっと涼しくなるポルトガルのコインブラ以北は、
ホテルもレストランも1カ月以上前に予約しないと取れません。
とりわけ人気のあるスペインのバスク地方やアイルランドのダブリン、
オランダのアムステルダムなんか、2カ月前に検討しても、
残っているのは地の利と評判がイマイチにもかかわらず、
お値段はファイブスター級のホテルばかり。
有名レストランなんて予約が2週間先くらいまで取れないし。
ですからオフシーズンのバルカン半島に入ったときには、
心底ほっとしました。
しかし、今回行く中東、アジア編は、そこかしこが不確定要素だらけゆえ、
それが「幸い」し、予定が立てられません。
ということは、行程表を作っても、それはあくまで目安であって、
基本は出たとこ勝負で進むしかない。
え? それでは不安じゃないのか?
いや、これぞオールドファッションな僕らの十八番。
渡航国と取材対象料理のリサーチを十分したら、
後は「野生の勘」でコマを進めて行く。
こうした旅で行程表は一種の理想でしかありません。
なぜなら、まずそのとおりには行きませんから。
実際、ほんの数日前にも、
「げげっ!」となったことがありました。
取材地間を繋ぐ交通手段の裏取りをしていたら、
ジョージアのトビリシからアゼルバイジャンのバクーへ行く、
夜行列車の情報がないのですよ。
そう、僕らが2014年に逆方向で使ったものが。
そこで別のルートから調べてみたら、
なんと、コロナ禍以降、
アゼルバイジャンは陸路の国境を閉ざしているそうな!
ってことは空路で出入りするしかない?
む〜・・・
ってなわけで、バルカン半島からアナトリア半島までは、
まぁ「予定どおり」行きそうですが、
旅の道半場にも満たないコーカサスから先は、
僕らの無手勝流で進めざるを得ないでしょう。
ロシアとイスラエルがこれ以上暴れないことを、
祈るばかりでございます。
to be continued...
えーじ
今回は去年行ったヨーロッパ編との違いを説明したいと思います。
ヨーロッパ、とりわけ西よりで行った旅のスタイルは、
極めてオーソドックスなものでした。
全体の行程表を作ったら、あらかじめホテルや移動手段を予約し、
予定に沿って進んで行く。
え? それがフツーだ?
いやいや、実はこれ、
僕らにとって、かなりのストレスだったのですよ。
と申しますのも、予約したからには、
予定に従って進んで行かなければならないでしょ?
たとえば400キロメートル運転して、ほとほと疲れていても、
「あと100キロメートル走らなければ!」なら、
そのとおり100キロメートル走らなくてはならない。
この辺で今夜は宿を探そう、ってな具合にはいきません。
また、途中で思わぬ発見に恵まれても、
じっくり掘り下げる時間さえままならない。
ではなぜそんなスタイルを強いられたのかと申しますと、
ヨーロッパがハイシーズンだったからです。
8月初旬に出発したでしょ? あれは失敗でした。
夏休みが終わる9月中旬までは、ず〜っと予定に縛られたまま。
酷暑のイベリア半島南部はともかく、
ちょっと涼しくなるポルトガルのコインブラ以北は、
ホテルもレストランも1カ月以上前に予約しないと取れません。
とりわけ人気のあるスペインのバスク地方やアイルランドのダブリン、
オランダのアムステルダムなんか、2カ月前に検討しても、
残っているのは地の利と評判がイマイチにもかかわらず、
お値段はファイブスター級のホテルばかり。
有名レストランなんて予約が2週間先くらいまで取れないし。
ですからオフシーズンのバルカン半島に入ったときには、
心底ほっとしました。
しかし、今回行く中東、アジア編は、そこかしこが不確定要素だらけゆえ、
それが「幸い」し、予定が立てられません。
ということは、行程表を作っても、それはあくまで目安であって、
基本は出たとこ勝負で進むしかない。
え? それでは不安じゃないのか?
いや、これぞオールドファッションな僕らの十八番。
渡航国と取材対象料理のリサーチを十分したら、
後は「野生の勘」でコマを進めて行く。
こうした旅で行程表は一種の理想でしかありません。
なぜなら、まずそのとおりには行きませんから。
実際、ほんの数日前にも、
「げげっ!」となったことがありました。
取材地間を繋ぐ交通手段の裏取りをしていたら、
ジョージアのトビリシからアゼルバイジャンのバクーへ行く、
夜行列車の情報がないのですよ。
そう、僕らが2014年に逆方向で使ったものが。
そこで別のルートから調べてみたら、
なんと、コロナ禍以降、
アゼルバイジャンは陸路の国境を閉ざしているそうな!
ってことは空路で出入りするしかない?
む〜・・・
ってなわけで、バルカン半島からアナトリア半島までは、
まぁ「予定どおり」行きそうですが、
旅の道半場にも満たないコーカサスから先は、
僕らの無手勝流で進めざるを得ないでしょう。
ロシアとイスラエルがこれ以上暴れないことを、
祈るばかりでございます。
to be continued...
えーじ
2025年08月22日
同業者へのシンパシー
業界外から見ると、
飲食店同士は商売敵だと思われることが多いのですが、
少なくとも僕の周りでは、野方、柴又ともに仲がいいです。
とりわけお互いが個人事業主で、しかも一代目だったりすると、
同じような経験をしているからかもしれません。
先日も、業界では大先輩の「蕎楽 たか木」さんに行ったときのこと。
年季の入った店は古くても磨き上げられており、
ファサードからして実によく考えられた作りでした。
いわゆる「素人の作り」でも「業者に丸投げ」でもない。
オーナーの「思い」が全面的に感じらます。
ランチタイムで混んでいましたから、
挨拶はせずに帰ろうと思ったのですが、
偶然ホールに出てきた奥さまと話をしたら、
わざわざ板場からご主人まで出てきてくれました。
「ごちそうさまでした。いいお店ですね」
「やぁ、もう40年もやってるから店も体もガタガタだよ」
「立地もすばらしいじゃないですか」
「ああ、まる1年間探したからね。
本当は自宅の近くでやりたかったけど」
短いやり取りでしたが、僕は彼の言葉に深く頷いていました。
店に入る前、立地や外観を見たときから、
僕の心は、野方までたどり着き、店を作った頃に戻っていましたから。
そう、僕らも出店地を決めるには、
2年間のフィールドリサーチをやっていたのです。
自分の物件を購入した柴又のケースでは、自ずとより慎重になり、
その期間が2年間を超えていましたし。
そして自分の頭の中にあったイメージが形になって行くプロセスは、
大きな感動をもたらしたに違いありません。
40年前のご主人と奥さまが、この建物を見上げて感じた達成感が、
今でもこの場に残っている気がします。
もちろん事業のスタートは開業してからです。
しかし、その後に続く困難を乗り越える力と自信は、
開業までに切り抜けた修羅場の経験が与えてくれるものなのですよ。
「おいしかったね!」
「ああ、長旅から帰ったらまた行こう」
帰りの自動車の中で、僕らはお腹も心も満ち足りておりました。
えーじ
飲食店同士は商売敵だと思われることが多いのですが、
少なくとも僕の周りでは、野方、柴又ともに仲がいいです。
とりわけお互いが個人事業主で、しかも一代目だったりすると、
同じような経験をしているからかもしれません。
先日も、業界では大先輩の「蕎楽 たか木」さんに行ったときのこと。
年季の入った店は古くても磨き上げられており、
ファサードからして実によく考えられた作りでした。
いわゆる「素人の作り」でも「業者に丸投げ」でもない。
オーナーの「思い」が全面的に感じらます。
ランチタイムで混んでいましたから、
挨拶はせずに帰ろうと思ったのですが、
偶然ホールに出てきた奥さまと話をしたら、
わざわざ板場からご主人まで出てきてくれました。
「ごちそうさまでした。いいお店ですね」
「やぁ、もう40年もやってるから店も体もガタガタだよ」
「立地もすばらしいじゃないですか」
「ああ、まる1年間探したからね。
本当は自宅の近くでやりたかったけど」
短いやり取りでしたが、僕は彼の言葉に深く頷いていました。
店に入る前、立地や外観を見たときから、
僕の心は、野方までたどり着き、店を作った頃に戻っていましたから。
そう、僕らも出店地を決めるには、
2年間のフィールドリサーチをやっていたのです。
自分の物件を購入した柴又のケースでは、自ずとより慎重になり、
その期間が2年間を超えていましたし。
そして自分の頭の中にあったイメージが形になって行くプロセスは、
大きな感動をもたらしたに違いありません。
40年前のご主人と奥さまが、この建物を見上げて感じた達成感が、
今でもこの場に残っている気がします。
もちろん事業のスタートは開業してからです。
しかし、その後に続く困難を乗り越える力と自信は、
開業までに切り抜けた修羅場の経験が与えてくれるものなのですよ。
「おいしかったね!」
「ああ、長旅から帰ったらまた行こう」
帰りの自動車の中で、僕らはお腹も心も満ち足りておりました。
えーじ
2025年08月19日
「自由な旅のレシピ」第7回がアップ!
去年の長旅から、
旅のやり方も変わったな・・・と思うことが増えました。
その最大の変化はスマホの普及。
とにかく何かとこれでやらねばならないのですよ。
今まで紙でやっていた税関申告から、
飲食店で人間に注文していたことまで。
まったく、なんて世の中になったんだ・・・
とお困りのアナログな旅人のために、
ちょっとノウハウをまとめてみました。
かもめの本棚online「自由な旅のレシピ」
第7回(上) スマホを持って出かける旅 出発前
第7回(下) スマホを持って出かける旅 現地で
知らない国を旅することも、思えは新しいチャレンジです。
スマホもそのひとつと考えて、ここで挑戦してみましょう!
えーじ
旅のやり方も変わったな・・・と思うことが増えました。
その最大の変化はスマホの普及。
とにかく何かとこれでやらねばならないのですよ。
今まで紙でやっていた税関申告から、
飲食店で人間に注文していたことまで。
まったく、なんて世の中になったんだ・・・
とお困りのアナログな旅人のために、
ちょっとノウハウをまとめてみました。
かもめの本棚online「自由な旅のレシピ」
第7回(上) スマホを持って出かける旅 出発前
第7回(下) スマホを持って出かける旅 現地で
知らない国を旅することも、思えは新しいチャレンジです。
スマホもそのひとつと考えて、ここで挑戦してみましょう!
えーじ
2025年08月16日
今更ながらに思ったこと
「それでは、よいお年を!」
堅気の道を外れて16年余。
旅の食堂というフツーはやらない店を立ち上げただけではなく、
せっかく12年以上も続いた街から離れて移転したり、
取材旅行の期間をどんどん伸ばしたりと、
その行動はやってる本人も「まともじゃない」、
そう思うくらいの「まともな認識」を持っておりました。
しかし、今回ばかりはその僕らも、
これは「マジで」まともじゃない!
と、深く頷いた次第でございます。
それと申しますのも、
9月24日に出発する長旅の帰国予定日は2月3日。
そう、年を跨いでいるのですよ。
ということは一度店を閉める9月21日が、
営業ベースでいうなら僕らの仕事納め。
それだけではなく、
「出発前の見送りに来ました!」というお客さまとは、
なんとこの酷暑のさなかに「それでは、よいお年を!」じゃないですか!
いやはや冗談交じりとはいえ、そう言った直後に、
自分がやっていることのハチャメチャさ加減を認識しました。
そうか、本当に「良いお年を」、なんだ。
で、その僕らがどの辺で新年を迎えるのか調べてみますと、
プランAによれば、多分、ネパールかインドのような・・・
でも、そこに着くのは出発後、3カ月以上先のことですから、
そのときまでプランAのまま済むはずがありません。
少なくともプランGとかHになっている可能性大です。
となると、どこでカウントダウンなのかもわからない。
ああ、ついに僕らの生き方もここまで来たか・・・
そう思った夏の日でございます。
えーじ
堅気の道を外れて16年余。
旅の食堂というフツーはやらない店を立ち上げただけではなく、
せっかく12年以上も続いた街から離れて移転したり、
取材旅行の期間をどんどん伸ばしたりと、
その行動はやってる本人も「まともじゃない」、
そう思うくらいの「まともな認識」を持っておりました。
しかし、今回ばかりはその僕らも、
これは「マジで」まともじゃない!
と、深く頷いた次第でございます。
それと申しますのも、
9月24日に出発する長旅の帰国予定日は2月3日。
そう、年を跨いでいるのですよ。
ということは一度店を閉める9月21日が、
営業ベースでいうなら僕らの仕事納め。
それだけではなく、
「出発前の見送りに来ました!」というお客さまとは、
なんとこの酷暑のさなかに「それでは、よいお年を!」じゃないですか!
いやはや冗談交じりとはいえ、そう言った直後に、
自分がやっていることのハチャメチャさ加減を認識しました。
そうか、本当に「良いお年を」、なんだ。
で、その僕らがどの辺で新年を迎えるのか調べてみますと、
プランAによれば、多分、ネパールかインドのような・・・
でも、そこに着くのは出発後、3カ月以上先のことですから、
そのときまでプランAのまま済むはずがありません。
少なくともプランGとかHになっている可能性大です。
となると、どこでカウントダウンなのかもわからない。
ああ、ついに僕らの生き方もここまで来たか・・・
そう思った夏の日でございます。
えーじ
2025年08月13日
旅のお供は?
旅に必ず持って行くもの。
今なら99パーセントの人がスマホと答えるでしょう。
僕も今では必要からスマホを持って行かざるを得ませんが、
時代を遡ると、
20歳代の僕にとっていつもバッグに入っていたのは本でした。
それも旅先にゆかりのある作品が多かったですね。
たとえば遠野に行くとなれば柳田国男、
弘前であれば太宰治、熊本なら石牟礼道子など。
それから外国の作家も好きでした。
サリンジャー、ケルアック、ハインライン、バック・・・
そう、旅と読書は不可分だったのです。
ですから今でも思い出すのは景勝地の絶景より、
ビーチで太陽に焼かれながら、
民宿の畳の上で寝ぞべりながら、
ときにはテントの中で雨音を聞きながら、
本を読んでいたときのこと。
最近、あの頃に読みふけった作品を、
ベッドタイムストーリーにしているのですよ。
昨夜、読み終えたのはウイリアム・サローヤン。
20世紀中葉に活動していたアルメニア系アメリカ人です。
日本でも邦訳が多数出ており、
僕がハイティーンの頃には、
後期に書かれた「ママ・アイラブユー」や
「パパ・ユーアークレイジー」が書店に並んでいました。
昨夜、読了したのは「ヒューマンコメディー」。
数十年前に読んだ本の再読は、新鮮でいいですね。
作品は変わらなくても、リーダーが同じ人でも、
時代のコンテクストが変わり、本人も齢を取っている。
そうなると、読後感も自ずと同じではありません。
この調子で次は「ライ麦畑でつかまえて」を読もうかな?
そうそう、変わらないことといえば僕の読書癖。
バイクの旅からバックパッカーへ転身したときの、
問題のひとつがこれでした。
本って、1、2冊ならどうということはありませんけど、
数週間分ともなると結構かさばる上に重いでしょう?
ライダー時代は旅先の古本屋でゲットし、
読み終わると売るか、ゆうぱっくで自宅に送っていたのです。
しかし、海外となると、そうもいきません。
それでもかつてはどっさり本を持ち、
ともこに怒られたことがよくありました。
ま、こっそり彼女のバックパックに入れておいたのですから、
無理もありませんけど。
その救世主となったのが電子書籍。
「本は紙」派の僕も、ここは妥協せずにはいられませんでした。
いかんせん、数か月分の本をバックパックに入れたら、
いや、入ったとしても、
重量超過で飛行機代が跳ね上がりますからね。
それに旅先でさくっと本がダウンロードできるのも魅力です。
バックパッカーになってからは、
移動中の機内や船内、空港や駅での乗り換え待ちが読書タイム。
今回も繋ぎの悪い移動が多いでしょうから、
たっぷり楽しめると思います。
えーじ
今なら99パーセントの人がスマホと答えるでしょう。
僕も今では必要からスマホを持って行かざるを得ませんが、
時代を遡ると、
20歳代の僕にとっていつもバッグに入っていたのは本でした。
それも旅先にゆかりのある作品が多かったですね。
たとえば遠野に行くとなれば柳田国男、
弘前であれば太宰治、熊本なら石牟礼道子など。
それから外国の作家も好きでした。
サリンジャー、ケルアック、ハインライン、バック・・・
そう、旅と読書は不可分だったのです。
ですから今でも思い出すのは景勝地の絶景より、
ビーチで太陽に焼かれながら、
民宿の畳の上で寝ぞべりながら、
ときにはテントの中で雨音を聞きながら、
本を読んでいたときのこと。
最近、あの頃に読みふけった作品を、
ベッドタイムストーリーにしているのですよ。
昨夜、読み終えたのはウイリアム・サローヤン。
20世紀中葉に活動していたアルメニア系アメリカ人です。
日本でも邦訳が多数出ており、
僕がハイティーンの頃には、
後期に書かれた「ママ・アイラブユー」や
「パパ・ユーアークレイジー」が書店に並んでいました。
昨夜、読了したのは「ヒューマンコメディー」。
数十年前に読んだ本の再読は、新鮮でいいですね。
作品は変わらなくても、リーダーが同じ人でも、
時代のコンテクストが変わり、本人も齢を取っている。
そうなると、読後感も自ずと同じではありません。
この調子で次は「ライ麦畑でつかまえて」を読もうかな?
そうそう、変わらないことといえば僕の読書癖。
バイクの旅からバックパッカーへ転身したときの、
問題のひとつがこれでした。
本って、1、2冊ならどうということはありませんけど、
数週間分ともなると結構かさばる上に重いでしょう?
ライダー時代は旅先の古本屋でゲットし、
読み終わると売るか、ゆうぱっくで自宅に送っていたのです。
しかし、海外となると、そうもいきません。
それでもかつてはどっさり本を持ち、
ともこに怒られたことがよくありました。
ま、こっそり彼女のバックパックに入れておいたのですから、
無理もありませんけど。
その救世主となったのが電子書籍。
「本は紙」派の僕も、ここは妥協せずにはいられませんでした。
いかんせん、数か月分の本をバックパックに入れたら、
いや、入ったとしても、
重量超過で飛行機代が跳ね上がりますからね。
それに旅先でさくっと本がダウンロードできるのも魅力です。
バックパッカーになってからは、
移動中の機内や船内、空港や駅での乗り換え待ちが読書タイム。
今回も繋ぎの悪い移動が多いでしょうから、
たっぷり楽しめると思います。
えーじ
2025年08月10日
Deep blue in our heart
「石垣島に行ってきました!」
先日、若手の新婚さんに、こんな土産話を聞かせてもらいました。
「ということは川平湾だね?」
「そうです」
「もうずいぶん前だけど、僕らも石垣島に行ったことがあってさ。
でも滞在してたのは、もうちょっと北にある米原ビーチだ」
「あ、行きましたよ!」
「なんと! 君たちが?」
「ええ、ほら!」
と見せてもらったのは、紛うことなき、あの米原の海の写真。
それも海中です。
あれから四半世紀以上が経ちますけど、
あの独特な青を忘れたことはありません。
サンゴ礁のリーフから出たところに広がっていた、
吸い込まれるように深い青の世界。
そこへ飛び出した時の感覚は、
さながら虚空に漂うような感じ、とでもいえましょうか。
最初にやってくるのは、すべての繋がりが途切れたような不安。
足元には何もありませんからね。
しかし、体の力を抜いて、ただ身を任せていると、
不安は次第に自由へと変わって行きます。
あの体験を、初めての長い旅で感じたことは、
今から思うと、僕らの未来を暗示していたような気がします。
ととら亭に至る僕たちの生き方は、
沖縄から南西諸島をオートバイで周った旅で生まれた、
そう言ってもいいから。
確か45日間の旅でかかった費用は、
二人分で総額40万円に満たなかったでしょう。
半分以上がキャンプでしたからね。
でも、旅に必要なのはおカネ以上に、時間と情熱なんですよ。
それさえあれば、後は工夫次第でどうにかなるものです。
一生懸命働いて、おカネが溜まったら、仕事を辞めて旅に出る。
その繰り返しが、「ととら亭」というスタイルに行き着きました。
変わったことといえば、
移動手段と行き先だけかもしれません。
ああ、そういえば、あの旅も夏だったなぁ・・・
えーじ

1998年の米原ビーチで
僕の髪がともこと同じくらい長い
先日、若手の新婚さんに、こんな土産話を聞かせてもらいました。
「ということは川平湾だね?」
「そうです」
「もうずいぶん前だけど、僕らも石垣島に行ったことがあってさ。
でも滞在してたのは、もうちょっと北にある米原ビーチだ」
「あ、行きましたよ!」
「なんと! 君たちが?」
「ええ、ほら!」
と見せてもらったのは、紛うことなき、あの米原の海の写真。
それも海中です。
あれから四半世紀以上が経ちますけど、
あの独特な青を忘れたことはありません。
サンゴ礁のリーフから出たところに広がっていた、
吸い込まれるように深い青の世界。
そこへ飛び出した時の感覚は、
さながら虚空に漂うような感じ、とでもいえましょうか。
最初にやってくるのは、すべての繋がりが途切れたような不安。
足元には何もありませんからね。
しかし、体の力を抜いて、ただ身を任せていると、
不安は次第に自由へと変わって行きます。
あの体験を、初めての長い旅で感じたことは、
今から思うと、僕らの未来を暗示していたような気がします。
ととら亭に至る僕たちの生き方は、
沖縄から南西諸島をオートバイで周った旅で生まれた、
そう言ってもいいから。
確か45日間の旅でかかった費用は、
二人分で総額40万円に満たなかったでしょう。
半分以上がキャンプでしたからね。
でも、旅に必要なのはおカネ以上に、時間と情熱なんですよ。
それさえあれば、後は工夫次第でどうにかなるものです。
一生懸命働いて、おカネが溜まったら、仕事を辞めて旅に出る。
その繰り返しが、「ととら亭」というスタイルに行き着きました。
変わったことといえば、
移動手段と行き先だけかもしれません。
ああ、そういえば、あの旅も夏だったなぁ・・・
えーじ
1998年の米原ビーチで
僕の髪がともこと同じくらい長い
2025年08月07日
すんなり行かないその訳は
先日お話したユーラシア大陸横断旅行のルート。
ご覧になられた通り、不自然なまでに複雑です。
しかし、これは僕らのせいではありません。
とにかく、そこいら中でドンパチやっているでしょ?
その影響で入れない地域が多いのですよ。
おかげで本来はすべて陸路で進む予定が、
何カ所か空路でジャンプしなければならなくなりました。
まず、最初に遠回りを余儀なくされたのがキプロス。
地図を見れば明らかなように、
トルコからフェリーで渡れば世話はありません。
ところが南北に分裂した領土問題から、
ギリシャ系住民が住む南側の主権を認めるEUや日本は、
先の最短ルートを認めていないのですよ。
となると、僕らの行程ではギリシャから空路で入るしかない。
そこでテッサロニキ → ラルナカ → アテネという具合に、
「行って来い」ルートとあいなったのでございます。
ま、北側にはニコシアで歩いて入るつもりですけどね。
この方法ならどちらにも角が立たないようなので。
次がイラン。
かねてから料理取材候補の上位だったにもかかわらず、
国際情勢が不安定でなかなか入れない。
そこで今回はチャンスだ! と意気込んだところに、
イスラエルとアメリカが攻撃をしかけてしまいました。
核を巡る奇妙な不均衡については後日触れるつもりですが、
今や中東はこの両国のやりたい放題ですね。
というわけで、本日現在の情勢であれば、迂回するしかないでしょう。
最終的には11月下旬のアゼルバイジャン到達時点で判断したいと思います。
で、アフガニスタンは・・・
ここはもう、タリバンが政権をとっている間は無理でしょう。
敵対しているのがISですし。お話になりません。
それからミャンマー。
民主化勢力への弾圧が強まり始めたころから、なかなか入りにくくなり、
特に陸路での入出国は今もリスクが高いままです。
仮にチャンスがあれば、
インドのミャンマー大使館はニューデリーなので、
VISAはバングラデイッシュのダッカで取るしかないかな?
ん〜・・・どうだろう?
その他、パキスタンも隙あらばと狙っていますが、
現状では何とも言えませんね。
ついこの前も因縁のカシミールでドンパチやってましたし。
ここもインドのダラムサラからゴアへ向かって南下する際、
アッタリ=ワガ国境を越えてラホールに行ければな、
と思っていますが、ギリギリまで接近しての判断でしょう。
最後に、時期的な問題で見送ったのが中国の西郡。
プランAではキルギス東部から陸路で入り、
ウイグル自治区で取材後に南下してチベット自治区を縦断し、
ネパール北部へ抜ける予定でしたが、
この辺を通過するのが12月中旬の冬季ですから、
標高4000メートル級のルートは封鎖されているようで。
(これを見据えて、キナバル山で身体能力テストをやったのですよ)
さらに入境許可を得るにあたって、
鬼門の両地域のピンポイント指定は許可が下りにくいらしく、
当たり障りのない西安などを含めるとなると、
旅行期間が足りなくなる問題も発生します。
というわけで、きれいなルートだったプランAは、
次第に迂回路が割り込み始め、
今の複雑なルートになってしまったのです。
ま、これとてこのまま最後まで行ける可能性は極めて低く、
たぶん、コーカサスから先は字義通りの出たとこ勝負となるでしょう。
いや、出発までまだ50日くらいありますから、
その間に当該エリアの情勢が急変することも十分考えられます。
皆さん、仲良くしてください。
いま、僕が言えるのはこれだけなのですよ。
えーじ
ご覧になられた通り、不自然なまでに複雑です。
しかし、これは僕らのせいではありません。
とにかく、そこいら中でドンパチやっているでしょ?
その影響で入れない地域が多いのですよ。
おかげで本来はすべて陸路で進む予定が、
何カ所か空路でジャンプしなければならなくなりました。
まず、最初に遠回りを余儀なくされたのがキプロス。
地図を見れば明らかなように、
トルコからフェリーで渡れば世話はありません。
ところが南北に分裂した領土問題から、
ギリシャ系住民が住む南側の主権を認めるEUや日本は、
先の最短ルートを認めていないのですよ。
となると、僕らの行程ではギリシャから空路で入るしかない。
そこでテッサロニキ → ラルナカ → アテネという具合に、
「行って来い」ルートとあいなったのでございます。
ま、北側にはニコシアで歩いて入るつもりですけどね。
この方法ならどちらにも角が立たないようなので。
次がイラン。
かねてから料理取材候補の上位だったにもかかわらず、
国際情勢が不安定でなかなか入れない。
そこで今回はチャンスだ! と意気込んだところに、
イスラエルとアメリカが攻撃をしかけてしまいました。
核を巡る奇妙な不均衡については後日触れるつもりですが、
今や中東はこの両国のやりたい放題ですね。
というわけで、本日現在の情勢であれば、迂回するしかないでしょう。
最終的には11月下旬のアゼルバイジャン到達時点で判断したいと思います。
で、アフガニスタンは・・・
ここはもう、タリバンが政権をとっている間は無理でしょう。
敵対しているのがISですし。お話になりません。
それからミャンマー。
民主化勢力への弾圧が強まり始めたころから、なかなか入りにくくなり、
特に陸路での入出国は今もリスクが高いままです。
仮にチャンスがあれば、
インドのミャンマー大使館はニューデリーなので、
VISAはバングラデイッシュのダッカで取るしかないかな?
ん〜・・・どうだろう?
その他、パキスタンも隙あらばと狙っていますが、
現状では何とも言えませんね。
ついこの前も因縁のカシミールでドンパチやってましたし。
ここもインドのダラムサラからゴアへ向かって南下する際、
アッタリ=ワガ国境を越えてラホールに行ければな、
と思っていますが、ギリギリまで接近しての判断でしょう。
最後に、時期的な問題で見送ったのが中国の西郡。
プランAではキルギス東部から陸路で入り、
ウイグル自治区で取材後に南下してチベット自治区を縦断し、
ネパール北部へ抜ける予定でしたが、
この辺を通過するのが12月中旬の冬季ですから、
標高4000メートル級のルートは封鎖されているようで。
(これを見据えて、キナバル山で身体能力テストをやったのですよ)
さらに入境許可を得るにあたって、
鬼門の両地域のピンポイント指定は許可が下りにくいらしく、
当たり障りのない西安などを含めるとなると、
旅行期間が足りなくなる問題も発生します。
というわけで、きれいなルートだったプランAは、
次第に迂回路が割り込み始め、
今の複雑なルートになってしまったのです。
ま、これとてこのまま最後まで行ける可能性は極めて低く、
たぶん、コーカサスから先は字義通りの出たとこ勝負となるでしょう。
いや、出発までまだ50日くらいありますから、
その間に当該エリアの情勢が急変することも十分考えられます。
皆さん、仲良くしてください。
いま、僕が言えるのはこれだけなのですよ。
えーじ
2025年08月04日
僕が来た道、君が行く道
「今度、引っ越すことになりました」
ととら亭に何度も来てくれて、
お互い顔と名前を知り、
やがて、旅立って行った若者たち。
その背中を見送りながら、
僕は新しい旅人の幸福を祈ります。
君たちは、僕が行けない未来まで進むことができる。
そこがどんな世界か、自分の目で見ておいで。
そしていつか、再会したときに、
その話を聞かせて欲しい。
僕が君たちの知らない世界のことを話したようにね。
えーじ
ととら亭に何度も来てくれて、
お互い顔と名前を知り、
やがて、旅立って行った若者たち。
その背中を見送りながら、
僕は新しい旅人の幸福を祈ります。
君たちは、僕が行けない未来まで進むことができる。
そこがどんな世界か、自分の目で見ておいで。
そしていつか、再会したときに、
その話を聞かせて欲しい。
僕が君たちの知らない世界のことを話したようにね。
えーじ