2024年10月29日

第24回取材旅行 その32

Здраво! (ズドラーヴォ!(こんにちは!))

僕らは予定どおり、
予定から1日遅れて北マケドニアのスコピエに到着しました。

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美しいスコピエの夜景

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雑然としていて楽しい旧市街

え? 日本語がおかしい?

確かに。
しかし、バルカン半島に入ったが最後、
「予定どうりではない」のが「予定どうり」なのですよ。
ストをやられまくったイタリア以上にね。

この説明をするには、話を旅の始まりに戻さねばなりません。
ヨーロッパの横断と銘打って、
8月のスペインからアイルランドとイギリスに寄り道しつつ、
東へ進んで参りましたが、
旅のスタイルも変わったもんだなぁ・・・とつくづく思いました。

と申しますのも、
インターネットとスマートフォン、そしてSNSが普及した結果、
旅のデジタル化が急速に進みましたからね。
そのおかげで以前に比べると、旅は大変スピーディかつ便利になりました。

しかし、何ごとも良い面の裏にはその代償がつきもの。
旅のスピードが上がるにつれて、
せっかくの非日常的空間が、仕事並みに気ぜわしくなったじゃないですか。
宿もレストランも早めに予約しないと入れなくなってしまうため、
ヨーロッパが旅行シーズンだった8月と9月は、
1か月くらい先まで段取りを組んでいたのですよ。

そしてそれと同時に人の顔が見えなくもなりました。
たとえばアパートメントを借りる場合、
家主とは基本的にSNSのチャットでやり取りするだけですからね。
加えて、何かわからなくても、人に直接訊くよりスマホで検索でしょ?
そのせいで街を歩き、人に接していた機会が失われ、
ホテルの部屋でPCの画面をにらんでいる時間がドカンと増えました。

こ、これが現代の旅なのか?

と、正直、ため息が出たこともあります。
(あまりにガチなスケジュールだったもんでねぇ・・・)

しかし、ここバルカン半島は違うのですよ。
試しに、GoogleMAP でも Rome2Rio でもいいので、
テッサロニキからスコピエまでの陸路移動手段を調べてみてください。
いかがです? ネットでバスチケットを買えますか?
というより、どこからどう出てるかすらわからないでしょ?
これがアルバニアのティラナからコソボのプリシュティナ行きともなると、
皆目見当もつかないと思います。

そう、バルカンは2024年の今でも、
還暦バックパッカーが育ったアナログ時代のままなのですよ。

そこで昨日、アテネから鉄道でテッサロニキに移動し、
スコピエまでのバスを探してみると、
以前の旅行代理店はもう扱っておらず、説明された別会社に行ってみれば、

閉まってる。

ドアには営業予定が張り出されており、
日曜日は18時から20時までしか開いていないとのこと。
仕方なく懐かしのテッサロニキ駅で4時間粘り、
開いたところで「スコピエまで行きたいのですが」といえば、

「今日はありません」

それじゃってんで翌日の午前便のチケットを買い、
急遽テッサロニキの宿を探すと、
折り悪く、国際映画祭とバッティングしており、
市内は一泊400ユーロを超える高級ホテルすらほぼ空きがない状態。
そこでまた仕方なく14キロ離れた空港まで退却して、
なんとか一夜のホテルに滑り込み。
そして今日、ようやく予定どおり、予定より遅れて、
僕らは7年ぶりにスコピエの地を踏んだというわけです。

ここから先は西ヨーロッパと違い、
着いたバスターミナルで次の目的地までの移動手段を確保し、
次にその街の宿を予約する。
こうして一つずつコマを進める、出たとこ勝負の旅に戻れます。

不便で効率の悪い旅。

ふふ、こうこなくっちゃねぇ。

to be continued...

P.S. おまけです。

懐かしのスコピエバスターミナルは、まったく変わっていませんでした。

busterminal_mk.jpg

7年前、夜行バスで移動する日に僕が熱を出し、
へろへろで座り込んでいたベンチもあのときのまま。
夜に野良ネコ軍団が大暴れするホラーな安宿だってまだありました。

そこでふと思い出したのが取材したレストラン。
もしかしてまだあるかな? と行ってみたら、

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Gostilnica Lezet

お、ありました!
ならば北マケドニア再会を祝う食事はここで。
(そういえば当時の国名はまだ「マケドニア」でした)

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あっさりしつつもコクのあるビーフスープ

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マッシュルームとチキンのレモン風味のカレークリーム煮

いやぁ〜、実においしかったです。
というか、人生ってほんとにわかりませんね。
具合が超わるく、移動前にスープをすするのがやっとだったとき、
まさか7年後にこうしてリベンジできるなんて、
夢にも思いませんでしたから。

うれしかったですよ。
いま、ここで、こうしていられることが。

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旧市街で100年以上続く老舗のケバブ屋で
posted by ととら at 07:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年10月26日

第24回取材旅行 その31

僕らは今、
円錐形の石屋根家屋で知られるアルベロベッロにほど近い、
港湾都市のバーリに滞在しています。

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バーリ駅前

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迷路のようなバーリの旧市街

いや、正確には、
「滞在させられている」と言った方がいいかな?
その29」でお伝えしましたように、
ここからギリシャのイグメニツァへ行く夜行フェリーが、
突然キャンセルされちまったのですよ。

そこで、
もう少し南のブリンディジから出るルートも模索しましたが、
ストは一社の単独決行ではなく、
この海域全体を包括する海員組合によるもののようで、
調べた限り、すべてのフェリーが止まっておりました。

「ったく、鉄道に続いてやってくれたな」
「ほんと、困ったよね」
「と、ぼやいてもしょうがない。
 なんとかリカバリーの方法を考えよう」
「キャンセルされたのは23日出港の便でしょ?」
「ああ」
「じゃ、翌日の24日ならどうかな?」
「えっ? このフェリー会社をまた使う気かい?」
「だって他の会社も同じようにストやってるんでしょ?」
「うん」
「それにさ、キャンセルのショートメールが来たのはいつだっけ?」
「1週間前だな」
「だったら2日前で予約が取れる状態なら、
 ちゃんと運行するんじゃない?」
「ん〜・・・なるほどね。なら、もう一度、予約を入れてみるか」

こうして僕らは24日出港の便を確保したのでした。
そしてその2日後。

「で、イグメニツァからコルフ島のケルキラまで行く短距離フェリーだけど、
 タイムテーブルを調べたら、ちょうどいい時間があったよ」
「じゃ、ストの件でキャンセルしていたホテルを再予約できるかな?」
「ああ、日にちを変えてみると空いていたので予約しておいた」
「わ〜い、港の近くだったよね?」
「次はケルキラからテッサロニキまで行く移動手段の確保だ」
「乗り継ぎが悪いんだよね?」
「ああ、鉄道はないからバスだな」
「直行ってあるの?」
「ん〜・・・なんでもケルキラで予約する方法があるらしい。
 明後日、着いたら確認してみよう」
「いよいよバルカン半島だね」
「ああ、なんとも長い道のりだっ・・え?」
「どしたの?」
「フェリー会社からショートメールが入った」
「・・・?」

「まじかっ!?」

「え? まさか・・・」
「そのまさかだ。
 一昨日の予約もキャンセルされちまった
「え〜っ! そんな・・・受け付けたんでしょ? なんで?」
「ストを延長するってさ。信じられん」
「どうする?」

僕はしばらく考え込みました。

何とかしてギリシャに渡りたいけど、
海路はすべて止まっちまった。
しかも再開の見込みがない。
となると・・・残るは・・・

「仕方ない、空路でジャンプしよう」
「でも、バーリに空港ってあるの?」
「確かあったはずさ、ギリシャ内のどこへ行けるか調べてみる」

コルフ島は?
ルートはある。でも時間帯が悪い上に値段がお話にならない。
ならばケルキラをスキップしてテッサロニキへは?
・・・同じだ。利用者が少ないんだろうな。
ということは、最も乗客の多いアテネなら・・・

「到着は22時を過ぎるけど、
 フェリーの約1.5倍の値段でアテネまで行けるよ」
「え? 今回の取材ルートに入ってないよね」
「ああ、7年前に行ったからね。
 でもギリシャ北部へのルートがいずれも現実的じゃない以上、
 取材そのものはプライオリティを下げて、
 まず北マケドニア以北のバルカン諸国へ行けるよう、
 仕切り直した方が無難だろう」
「航空券の予約とか、ケルキラのキャンセルとか、調整が大変じゃない?」
「そりゃあね。だけどここはベストを狙うより、
 ワーストを避けて、確実にリカバリーする方がいい」

ここで僕らが立案したリカバリーオペレーションは、
あてにならない海路を空路に切り替え、
ケルキラで2泊、テッサロニキで2泊する日程を、
バーリで2泊、アテネで2泊に振り直し、
そこから北マケドニアのスコピエへ直接行く、というものです。

「うまく行けばスコピエから元のルートに戻れるよ」

さて、アテネへ向かうライアンエアーFT1876便は19時30分発。
予定どおり行けば、僕らは23時ごろ、
アクロポリスの丘近くにあるホテルへチェックインしているでしょう。
そう、予定どおり行けば・・・ね。

to be continued...

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アテネへ向かう、ライアンエアーのチェックイン待ち
posted by ととら at 00:32| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2024年10月23日

第24回取材旅行 その30

「えーじさんて、大変な旅が好きなんですね」

風光明媚なシチリア島やマルタを旅しながら、
なぜかピンチな話ばかり。
だから、そんな風に言われてしまうのかもしれません。

しかしっ!

これまたしばしば申し上げておりますように、
僕はスリルとサスペンスが大キライです。
楽ちんでのんびりでハッピーなのが好き。
にもかかわらず、
なぜいつもプランBやCを考えているのかといいますと、
どんなに避けていても、トラブルは向こうからやって来るのですよ。

マルタでの早朝移動はプランAがコケた場合、
チェックインに間に合わず、航空券の買い直しがプランBでした。
さいわいBooking.com経由で予約したタクシーは、
時間どおりに来てくれましたけどね。

で、僕らは目出たく、ナポリの地を踏んだのでございます。
パチパチパチ・・・

napolistation_it.jpg

にはなりませんでした。
いや、確かにナポリには着いたのですけど、
まずは経由地のローマ、フィウミチーノ国際空港のバゲッジクレームで・・・

「お! なんと! ともこのバックパックがいちばん最初に出てきたぞ」
「スゴ〜イ! こんなの初めてだね」
「おぉ、僕のも出てきた。
 タクシーは予定どおり来たし、今日は幸先がいいな」
「次はテルミニ駅に行くんだっけ」
「そう、まだ早いから、先に移動してブランチにしよう」

こうして足取りも軽く税関を抜けたところで、

「おや、こんなところにトレニタリアの自動発券機がある」
「先に行くと混んでるからかな?」
「ん〜・・・かもしれない。そんじゃここで買っておこう」

こうして使い難いことこの上ない、
忍耐力テストマシンのような自販機をこねくり回し、

「えっと、何時発の列車にしようか?」
「早めでいいんじゃない?」
「なら、この7分後のはどう?」
「うん、それで行こう」

と、チケットを買い、10メートルほど歩いたところで表示板が。
そこには、

エアポート駅まで徒歩10分

BGM Theme of Mission Impossible

「は、走れっ!」

僕らは総重量ひとり24キログラムのフル装備で、
人ごみをかき分けながらエアポート駅を目指して走り始めました。
しかし、2/3ほど進んだところで腕時計を見ると、

「ダメだ、あと1分しかない!」
「はぁはぁ・・・間に合わないかな?」

ようやくホームにたどり着いたときには、
走り始めて9分が経っていたのです。

「あ〜あ、電車行っちゃった。もったいなかったね」
「まったく! ああいうことは自販機の前に表示しておいて欲しいよな」
「ねぇ、あそこに駅員さんがいるよ」
「ダメもとで、次のに使えるか聞いてみよう」

すると駅員さんは、

「ああ、大丈夫ですよ。1番線の電車に乗ってください」

こうして僕らは17年ぶりのローマ・テルミニ駅に到着し、
おいしい生ハムのサンドウイッチにありついたのです。
しかし、次に待っていたのが・・・

「えっと、ナポリ中央駅行きイタロの出発ホームは・・・」
「ここにデパーチャーの表示板があるよ」
「どれどれ・・・ん? まだ12時30分発のホームが表示されてない」

italianinfoboard_it.jpg
各ホームを繋ぐ地下の連絡通路にある出発便表示板

イタリアの鉄道は列車の発着ホームが直前まで決まらず、
乗客は出発前に表示板とのにらめっこが義務付けられているのです。
しかし、今回はちとムードが違い、

「あれ? もう12時15分なのに、まだホームが決まってないよ」
「何かイヤな予感がする」

BGM Theme of Mission Impossible Reprise

「あ、紙の時刻表に・・・
 12時30分のナポリ行きは3番ホームって書いてある」
「じゃ、とりあえずそこまで移動しよう」

と、地下通路を進んでみたものの、
3番ホームの単独表示板はブランク状態。

「まだ決まってないんだね」
「って、おいおい、出発まであと5分しかないぞ。
 いくらなんでもこれは遅すぎる。
 ちょっとホームに上がって様子を見てくるよ」

ここで階段を上がってぐるりを見回したとたん、
僕はイヤな予感が現実になったことを悟りました。

ホ、ホームには誰もいない!

慌てて階段を駆け下りると時計は12時28分。

「どうなってんだこりゃ? 出発まで2分を切ったぞ」
「あ、表示板にホームが表示されたよ! 12番だって!」
「え? よりによってずっと遠くじゃないか!
 乗り遅れたら1万円以上がパーだ。 走れっ!

こうして再びフル装備でのダッシュを強いられ、
階段を駆け上がったところでホームに列車が滑り込んできました。

か、間一髪でセーフか・・・
なんでいつもこうなるんだ、僕らは?

3時15分に起きてアーリーフライトで移動し、
電車を乗り継ぐ間に2度のフル装備ダッシュ。
僕は椅子に深く腰掛け、一息ついただけで、深い眠りに落ち込みました。
そして1時間後、気が付けばナポリ中央駅に着いていたのです。

しかし、重い体を引きずっても、
下町のスパッカナポリにあるピッツァリアで取材を始めたとき、
僕らは今日一日の苦労が報われた気がしました。

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ローカルパワーが漲りるナポリの下町

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訪れたのはこんなピッツァリア

ナポリと言えばご存じピッツァの発祥地。
それもシンプルなマルガリータが嚆矢です。
まずはそこから始めなければとオーダーしてみれば・・・

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この料理と出会ったのは半世紀以上を遡る、
僕が小学校3、4年生のときのこと。
今でこそ知らぬ人のない料理ですが、
当時の日本にはまだ「とろけるチーズ」もなく、
ピッツァならぬピザに至っては、食べたことがある友人すら皆無だったのです。
そんな横浜の元町に「ローマステーション」というイタリアンがありました。

おふくろにに連れられて、そこでピザなるものを食べた僕は、
世の中にこんなおいしいものがあるのか!
という驚きを隠せませんでした。
以来、いろいろな国で食べ続け、
17年前のイタリア旅行で訪れたローマとフィレンツェでは、
ルッコラやプロシュートのピッツァに舌鼓を打ち、
「さすがに本場は違うなぁ!」と感嘆していたのです。

しかし、昨日、熱々のマルガリータを頬張った瞬間、
あの感動が半世紀の歳月を超えて蘇ってきではないですか!
正直、こんなにおいしいピッツァはこれまで食べたことがありません。
シンプルながら、生地、トマトソース、チーズ、
焼き具合のバランスが完璧だったのです。

僕はその奇跡を噛みしめながら考えていました。
何がここまでの違いを生み出しているのだろう?
その答えの一つは前菜にも含まれていた、モッツレラチーズにあったのです。

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給食さながらの野暮い盛り付けですが、お味は最高!

僕は無類のチーズ好きですが、白状しますと、
モッツレラチーズだけは、ちょっと距離を置いていました。
なぜならゴムのようにブニブニした食感で味も香りもなく、
お世辞にも「うまい!」とは言えないじゃないですか?

ところが、前菜に含まれていたゆで卵状のそれにナイフを入れたとき、
中からじゅわ〜っとしみ出してきた、ミルクのようなホエーを見て、
何かが違うと直感したのです。
そして一口食べた瞬間、モッツレラチーズに関する印象が180度変わりました。
このミルキーな風味とうま味はなんだろう?
そしてなるほど脂肪分が少ないので、ピッツァにたっぷり乗せても、
脂でギトギトになることもない。
塩気が薄いから、味が濃くなり過ぎることもない。
まさに完璧だ!

「大変だったけど、ナポリまで来て良かったね」

何ごともすんなり行かない僕らの旅。
しかし、こんな風に苦労が報われるから、続けられるのかもしれません。

to be continued...

えーじ

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ローカルで賑わうナポリの下町ピッツァリアで
posted by ととら at 05:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年10月20日

第24回取材旅行 その29

自由な旅ってステキですね! 一緒に行きたいなぁ!

と、しばしばお声がけ頂くことがありますが、
「ではご一緒に!」と言えないそのわけは・・・

一寸先は闇の旅!

だからです。

いや、運というかツキというか、
うまく行くときは何もかもがすんなりハッピーに進むのですよ。
ところがその逆もまた然り。(残念なことに!)

前回のお話を続けますと、
電車がストで動かず、バスもプランAがこけたら万事休す。
字数の関係で割愛しましたが、検討していたUberなどの配車サービスも、
地方の早朝では役に立たず。
そこで宿のスタッフにタクシーを頼んでおきました。

めでたし、めでたし・・・

じゃないんですよ。
この程度で解決するなら、最初から頭を抱える必要なんてありません。
これまでも同じシナリオで進めことが何度かあってですね、
その結果、どうなったかと申しますと、

予約したタクシーが来ない!
頼んだスタッフは早朝でいない!
(最近は中級ホテルでさえ、
24時間スタッフが常駐しているところが減りました)

これをやられておりまして。
結局、その度に早朝の街を走り回ってタクシーを探し、
なんとかフライトや列車の出発に滑り込んでいたのです。
なので、頼んでいながら恐縮ですが、
今回も宿のお兄さんを100パーセントは信用していませんでした。
そこで組んだのが、

プランA 4時30分にタクシーを予約。
プランB 10分待ってタクシーが来なかったら、
     170メートル歩いて5時5分発のバスに乗る。

さいわいプランAでフォンタナロッサ国際空港まで行けましたけどね。

めでたし、めでたし・・・

maltaairport_mt.jpg
マルタ国際空港に降り立って

と喜んだのも束の間、予定どおりマルタに到着して、
次のナポリへ向かうフライトまでの繋ぎを検討中、

次のフライトも早朝だ。
7時に出発だから朝5時には空港に戻らないと・・・
で、バスは・・・始発が5時過ぎ?
お話にならんな。
じゃ、タクシーの配車サービスは・・・
この地域で予約配車はできません・・・とな!
とはいえ、ここで早朝に流しのタクシーが捕まえられる可能性はゼロだ。

む〜・・・
滞在しているアパートメントのおばちゃんに頼むしかないか。
でも彼女は日中しかいないしな・・・
何か手立ては・・・

こうして考えている最中に、ショートメールが入りました。

ん? なんだこりゃ? 見慣れない相手だぞ。

で、文面を読んだ僕は思わず、

マジかっ!

「わぁ、びっくりした! どうしたの? 大きい声を出して」
「23日に予約しておいたバーリ(イタリア)から、
 イグメニツァ(ギリシャ)行きのフェリーが、

 キャンセルされた

「ええ〜っ! なんで?」
「またストライキだって」
「またぁ?」

の、呪われたか・・・

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 00:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年10月17日

第24回取材旅行 その28

何が間違っていて、何が正しいのか?

単純な二元論が不幸のもとだとわかっていても、
この判断を迫られることが旅先では珍しくありません。

しかも、その問いの答えがわかった瞬間に、
もう後戻りはできなくなっている。
そしてその結果は、
原因がどこの誰にあろうとも、自分で引き受けるしかない。
バックパッカーの旅とは、そういうものなのですよ。

サルデーニャ島のサッサリからカリアリへ鉄道で向かおうとした、
まさにその朝、僕はトレニタリアから来た一通のメールに気付きました。
タイトルはInformazioni importanti.
本文の出だしが

ti informiamo che, per sciopero,
il treno Regionale 87559 è cancellato parzialmente da SASSARI a ORISTANO.

和訳するまでもなく、cancellato の単語を見たとたん、
頭の片隅から、またしても Mission Impossible のテーマが聞こえてきたのです。
そこでひと気のない駅のチケット窓口へ急ぎ、

「カリアリまでのチケットを持っているのですが」
「もうしわけございませんが、ストライキで電車は止まっています」

やってくれたな・・・
時計は8時15分。

「何時になったら動きます?」
「次のカリアリ行きは14時発ですが・・・動くかどうかはわかりません」
「代替手段はありますか?」
「バスで行くしかないでしょう」

ぐら〜っつぇ。

「どうだった?」
「プランBを探そう。まずバスターミナルへ戻るんだ」

僕らはほんの10分前にチェックアウトしたホテルの前を通り過ぎ、
フェリーターミナルから到着したバスターミナルへ戻りました。
そこでチケット窓口へ行くと・・・

「閉まってる」
「日曜日だからかな?」
「隣のカフェだけじゃなく、トイレまで全部鍵がかかってる。
 なんてこった!」

sassaribusterminal_it.jpg
すべてが閉まっていたサッサリのバスターミナル

僕はスマホをネットに繋ぎ、プランBを探し始めました。
そこへ現れた被害者第2号はローカルの母と20歳くらいのお嬢さん。
何やらともこが話していると思ったら、

「えーじ! 彼女は英語が話せるよ」
「ボンジョルノ。どちらまで?」
「カリアリまでは行きませんが、同じ電車に乗る予定でした」
「どうやったら移動できると思います?」

彼女はスマホで検索を始め、

「そうですね・・・鉄道はまったく動いていないので・・・
 このバス停から10時15分発のバスでオールロまで行き、
 そこで14時20分発のカリアリ行きに乗り換える・・・
 それで行けると思います」

午前中に着く予定だったけど、
うまくいっても最短で現地到着時刻は17時ごろ・・・か。
仕方ない。オプションなしだ。

「どうもありがとうございます」
「では、途中まで一緒に行きましょう」

orulo_it.jpg
プランCを探しに行った、人っ子一人いないオールロ駅
営業しているとは思えない閑散としたムード

こうしてリカバリーを始め、
僕らはなんとかサルデーニャ島での取材を終わらせて、
次のシチリア島へ。
そしてここからマルタ島へ渡るフェリーを探すと、
あいにく都合のいい日程で出港する便がありません。

「やれやれ、またプランBか」

で、急遽、飛行機を手配し、いま滞在しているカターニアから、
明日の未明にフォンタナロッサ国際空港へ行くことになったのですが、

「始発の列車で行けば何とか間に合うな」
「バスは?」
「ん〜・・・空港シャトルバスも・・・同じだ。
 始発なら間に合う。でも2本目じゃビミョーだよ」

そこでGoogleMapで経路を確認すると、
小さな警告マークがついているじゃないですか。
そしてその詳細に書いてあったコメントは、

Strike
""From 00:00 to 23:59 on Friday 18 October
 a national strike of Local Public Transport has been called,
 which Trentino Trasporti staff will also join. "

マジ? 5日前の日曜日に続いて、またストライキをやるんだって?

「鉄道はダメだ。バスで行こう」
「間に合う?」

フライトは7時30分発。
ということはチェックインが2時間前の5時20分。

「ん〜・・・
 4時台の国鉄バスは、同じトレニタリア経営だから動かないだろう。
 そうすると空港リムジンバスの始発が5時5分発、
 別の場所から出る別のバスが4時57分発、
 バス停双方の距離は・・・ざっと450メートル・・・か」
「それなら間に合うね」
「ああ、そのプランAが成功すればね。
 問題はプランBがないってことさ。
 もし4時57分のバスがNGだった場合、
 5時5分発のバスに切り替えようとしても、
 判断に3分待つとして、残りがたった5分じゃ、
 フル装備の状態で450mを移動するのは無理だよ」
「2本目を待つのは?」
「チェックインに間に合わないかもしれない」
「どうしよ?」
「とりあえず駅に行って、明日ストをやるかどうか聞いてみよう」

kataniastation_it.jpg
シチリア島のカターニア駅

そしてホームで見かけた女性職員2名を捕まえ、

「明日の早朝に空港へ行かなければならないのですが、
 ストライキはありますか?」
 
と聞けば、一瞬面食らった表情から笑顔を浮かべ、

「え? スト? 明日はありませんよ!」

ふぅ〜ん・・・そう来たか。
彼女たちの言うことを信じて駅まで来たにもかかわらず、
電車が動いていなかったら、始発のバスにも間に合わない。
2本あるバスに賭けても、
それがストの影響や、何らかのトラブルで運休された場合、
切り替えるべきプランBがない。

む〜・・・

僕たちの旅って、いつもこんな調子なのですよ。
あなたならどうします?

to be continued...

えーじ

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ようやくたどり着いたカリアリバスターミナルで
posted by ととら at 23:14| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2024年10月13日

第24回取材旅行 その27

「これとそっくりのギョーザがあるのですよ」

あれは2017年の春のこと。
拙著「世界まるごとギョーザの旅」が出版されたことをきっかけに、
世界のギョーザに興味を持つ方が、
しばしばご来店されるようになりました。
その中のひとり、H氏からこんなお話が・・・

「渋谷のイタリアンで、メニューにはないのですけど、
 頼めば作ってくれるのですよ。
 名前はクルルジョネス。
 サルデーニャ島の料理だそうです」

クルルジョネス・・・そしてサルデーニャ島。

この変わった名前と未踏の島だけではなく、
「これとそっくり」と言われたギョーザとの関連が、
僕の中で強い興味を引き起こしました。
ととら亭でH氏が注文されたギョーザとは、
本の表紙を飾ったアゼルバイジャンのギューザ
しかも、数あるギョーザの中でも、
最も複雑な包み方をするものだったからです。

以来、僕の中でクルルジョネスとサルデーニャ島は、
特別な意味を持つようになったのでした。

ギューザの包み方は別名フレンチブレイドスタイルと呼ばれ、
プロの料理人ですら「さぁ、やってみろ」と言われても、
簡単にできるものではありません。
そんな複雑な包み方をするギョーザが、
なぜアゼルバイジャンと、
地理的に離れたイタリアのサルデーニャ島にあるのか?

昨日、18時にフランスのトゥーロン港を出発したフェリーは、
翌日の6時30分、
まだ暗いサルデーニャ島のポルト・トレス港に着眼しました。

toulonport_it.jpg
フランスのトゥーロン港

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未明のポルト・トレス港

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朝日が昇るポルト・トレスのバスターミナル

そこからローカルバスで20分。
僕らはいま、サルデーニャ島の第2の都市、
サッサリに滞在しています。
「都市」といっても静かな島のローカルタウン。
これまでいたニースやジェノバと違い、
観光客の姿はほとんど目にしません。

sassaristation_it.jpg
サッサリ駅前

ここでさっそく出かけたのはこんなレストラン。

sassarirestaurant01_it.jpg

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雰囲気のいいお洒落な店内

イタリアは食事の時間が遅く、ランチは13時くらいから始まります。
このレストランは珍しく12時30分からやっており、
開店と同時に僕らが入ったときは空いていましたが、
13時も過ぎるとローカルたちでほぼ満席に。
ほとんどが常連さんなのか、
皆さんホールの人と親しげに言葉を交わしています。

僕たちがオーダーしたのは、まずエンパナーダ。
スペインでポピュラーなこの料理は、南米諸国でよく食べましたが、
ここイタリアではどんなバージョンになっているか?

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ふ〜む、なるほど。
細かく叩いた肉をさくさくの小麦粉の生地で包んだところは、
スペインバージョンをほぼ忠実に踏襲した感じ。
熱々でおいしい。

そしてクルルジョネス!
これを食べにはるばるやってきたのです。
ん〜・・・ちょっと感動。
で、おずおずと食べる前にひっくり返してみれば、

culurgiones_it.jpg

お〜、ほんとにギューザとそっくり!
フレンチブレイドスタイルで包まれているではないですか。
中身はポテトとリコッタチーズ。
皮は厚めで、もちもちつるんとしており、
噛みしめるとニョッキのような、もったりした食感に変わります。
これが万能的なトマトとバジル、ペコリーノチーズのソースと相まって、
あぁ〜、ここまで来て良かった、と頷く味に。

帰りがけにスーパーマーケットに寄り、
冷凍食品の棚を覗いてみたら、
生のクルルジョネスがたくさん売っていました。
ここサルデーニャ島ではポピュラーな料理なのですね。
これは場所を変えて、別ソースバージョンも試してみなくては。

to be continued...

えーじ

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posted by ととら at 06:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年10月11日

第24回取材旅行 その26

今回の旅では諸般の事情で、
取材地ではなく近隣の街や国に泊まって、
日帰りで目的地に通うことがあります。

その主な理由はコスト。
先日、ニースに滞在中、モナコへ行ってきましたが、
(普通電車で片道20分程度)
とにかく宿泊費がハンパではなかったのですよ。
アパートの部屋借り、ホテルともに最低でも一泊2万6千円台とは!

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モナコ遠景

ま、世界のセレブが集う国ゆえに仕方ありませんが、
(ルクセンブルクやリヒテンシュタインも高かったなぁ)
何らかのイベントが重なってホテル代が高騰しているケースもあります。
そのひとつがドイツのシュトゥットガルト。
オクトーバーフェスとバッティングしてしまったのですよ。
あれはタイミングが悪かった!
観光目的でならラッキーでしたけど、
仕事はマウルタッシェとシュバルツバルトの取材でしたからね。
それでこのときはフランスのストラスブールから日帰りにしたのです。

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シュトゥットガルトの目抜き通り

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発祥地といわれるシュトゥットガルトのマウルタッシェ

また、昨日は別の理由でフランスのトゥーロンに連泊しつつ、
マルセイユへ行ってきました。
今度の理由はフェリーの出発地の問題。
マルセイユは港町ですが、次の取材地、
イタリアのサルデーニャ島へのフェリーは就航していません。
最初はマルセイユに宿泊し、フェリーの出港日に移動しようと思ったのですが、
トゥーロンからマルセイユは1時間前後で行ける距離ということがわかり、
宿泊地を変えたのです。
観光地ではない方が、よりまともなホテルに安く泊まれますからね。

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マルセイユの旧港

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名物のブイヤベース

この戦略、確かにプランBではあるものの、
僕らとしては、賢明な選択だったと思っています。
と、申しますのも、
いわゆる観光地のマルセイユは確かに美しく、見どころの多い街でしたが、
それ以上に、素顔のフランスが垣間見れるトゥーロンの方が、
僕らの感性にしっくりきましたから。

今回の旅で似ていた街は、同じくフランスのシェルブールかな?
(僕が床屋さんで散髪したところ)
双方ともに観光資源は皆無に等しく、
フェリーで移動する足掛かりでしかないかもしれませんが、
なんとも旅情をさそう、しっとりとした魅力があるではないですか。

旅から帰って、ふと思い出すのは、
たいていこうした地味な街の何気ない印象や出来事なのですよ。

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ガイドブックにも載っていないトゥーロン駅

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港を囲むシーフードレストラン街

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ブイヤベースの亜種ともいえるアイオリ

さて、今日は18時にコルシカフェリーズで、
イタリアのサルデーニャ島に向けて出発します。
到着は明日の6時30分の予定。
12時間半の船旅で、取材ノートをまとめつつ、
のんびりしようと思っています。

おっと、その前にスーパーマーケットで、
船内で食べる夕食を調達しなくては。
船中レストランでの食事はえらく高くつきますからね。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 17:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年10月09日

第24回取材旅行 その25

昨日で日本を発って63日目。
この長い旅も折り返しとなりました。

ささやかながら二人でお祝いをしつつ振り返ると、
何ともいろいろなことがあったと申しますか、
これを全部書いていたら、
ページ数だけでも「風と共に去りぬ」を確実に超えるでしょう。

訪れた国はここまで、
モロッコ → スペイン → ポルトガル → フランス → アンドラ
→ アイルランド → イギリス → ベルギー → ドイツ → オランダ
→ ルクセンブルク → リヒテンシュタイン → スイス → イタリア
そして、モナコの15か国。

実際はスペインやフランス、ドイツなど何度か出入りした国もあるので、
(今もフランスのニースにいますし)
道半場とはいえ、かなり周った気がしています。
そのせいか、まだ暑かったモロッコやスペインが、
今回ではなく、ずっと前に行った旅のような・・・

正直、よくまぁ無事にここまで来れたと思います。
あの過酷な道路事情で、
5000キロ以上を無事故で走破したことも奇跡に近かったですし。

しかし、不安要素の多かった健康状態は、
これまた予想に反して元気です。
僕が老朽化のせいか、バスク地方を周っているときに下痢をし、
(あきらかに取材の暴飲暴食が原因でしょうね)
一昨日、腰の状態がビミョーになった以外、
(常備薬の服用で鎮静化)
これまでのところ調子は悪くありません。
ともこも特別に薬を飲んだことはありませんし。

あ、体重は落ちましたね。
僕は出発時68キログラムだったのが、トレーニング不足で筋肉が落ち、
今たぶん65キログラム前後でしょう。
ともこは・・・
え? ノーコメントだそうで。

さて、ここから旅の後半。
まず、4度入ったフランスの取材を続け、
11日には夜行フェリーでイタリアのサルデーニャ島へ。
そこからシチリア、マルタを周り、
イタリア南部を経てバルカン半島へ。
文化圏が変わり、じわじわと難易度を上げて行きます。
とはいえ、システム化された西ヨーロッパより、
不便でアナログな東ヨーロッパの方が、
感覚的にはやりやすいのですけどね。

それでは明日はマルセイユ近郊の街、
トゥーロンへ移動します。

to be continued...

えーじ

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旅の折り返しの地、ニースの海岸で
posted by ととら at 06:07| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2024年10月07日

第24回取材旅行 その24

Buon giorno!

スイスを発った僕らはアルプスを南に下ってイタリアのミラノへ。
それからさらに南下して、いま地中海沿岸の街、
ジェノバに滞在しています。

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美術館や大聖堂と見紛う荘厳なミラノ駅

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晩夏の日差しがまぶしいジェノバのフェッラーリ広場

この数日間で感じたのは、気候の変化以上に大きい食文化の違い。
ヨーロッパ中部ではアルプス山脈を境に、
北側がライ麦とバター、根菜とビールを中心にしていましたが、
南側はそれらが小麦とオリーブオイル、葉野菜、
そしてワインに変わりましたからね。

とりわけ油がオリーブオイルに変わったせいか、料理が軽く感じられます。
見た目にも野菜の種類が増えて華やかになりました。
たとえば取材対象のミラノ風カツレツ(Cotoletta alla Milanese)。
遡ればとんかつの元祖と考えられ、オーストリア方面に伝播した、
シュニッツエルとの関連も興味深いものがありますが、
シンプルなオリジナルバージョンの他に、
ミラノではこんなお洒落なものまでありました。

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その名も「Cotoletta Primavera(春)」

イタリアは取材対象が多いのため、老朽化の進んだ胃袋には厳しいです。
ととら亭で紹介する料理探しと、
ともこが修行したレシピのチェック以外にやっているのが「示準料理の比較」。
これは広い範囲で食べられている料理を横並びで比較し、
その関連性を調べてみようというものですが、
たとえばイタリアであればピッツァがそれに当てはまります。
ミラノのそれは薄い生地が特徴で、
なるほど焼き立てのパリパリさくさく感は、
パンピザタイプにはないものでしょう。
ほんと、具が乗っていなくても、これだけでおいしく食べられるくらい。

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また、忘れちゃいけないギョーザの取材。
イタリアでは各都市でラビオリを調べています。

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ミラノ
ハタのすり身のラビオリ
添えられたエビと火のとおし方のコントラストが絶妙。

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ジェノバ 
クルミのソースを添えたリコッタチーズとほうれん草のラビオリの一種
現地ではパンソッティ(Pansotti alla noci)といいます。

いやはや、いずれもおいしいのなんのって!
あ、仕事だった。
イタリアでもレストランでは英語がある程度通じますから、
陽気なホールの人に素材について話を聞いたりしています。

そこで興味深いのは南ヨーロッパ料理のシンプルさ。
おいしい料理というと、あれこれ混ぜて、手が込んでいて・・・
というイメージが一般的かもしれませんが、
今更ながらにイタリア料理を食べていて感心したのは、
素材の活かし方と火のとおし方。

たとえばジェノバ名物、
瑞々しいバジルが香るトロフィエ・アル・ピストゥ(Trofie alla pesto)。

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アルデンテに茹で上げたパスタは熱々ですが、
生のソースはバジルの色と香りを殺さないよう素早く和えられており、
ほどよく温められた皿で、食べごろの温度を保ったままサーブされます。

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とんかつの元祖か?
コトレッタ・アラ・ミラネーゼ(Cotoletta alla Milanese)

なおざりにされがちのガロニでさえ、主役と同等の扱いを受け、
熱々のカリカリでサーブされるポテト。
同業者ながら、ここまで気を配った仕事を目の当たりにすると、
やるじゃねぇか、とリスペクトせざるをえません。

しかし、ほどなくしてその理由はキッチンだけではなく、
ホールにもあることが分かりました。
料理人のモチベーションを支えるもの、
それはお客さんたちの料理と向き合うパッション。
じっくりメニューを読み、ときにはシェフに質問をぶつけ、
全体の流れを考えてオーダーする。
そしてひとたび料理が並べば、リラックスしつつも真剣に味わっている。
スマホを片手に「ながら食べ」している人など一人もいません。
こうした関係が豊かな食文化を育んで行くのですね。

さて、時計は間もなく20時。
僕らも予約しておいたレストランに出かけましょうか。

to be continued...

えーじ
posted by ととら at 04:34| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2024年10月03日

第24回取材旅行 その23

は、話が追いつかんっ!

ブログを書く時間がまとまって取れない場合は、
(たいていそうなんですけど)
書き始めてからアップロードするまで、
足掛け3日くらいになることがあります。

また、日本との時差も厄介で、
アイルランド、イギリス以降はこちらがマイナス7時間。
ということは現地時間17時に日本の日付が変わってしまう!
(このブログのシステム時計はJSTなのですよ)

そんなこんなで書いている最中、
「昨日は」と始めつつ、「いや、日本ではもう一昨日だ」とか、
「2日前」・・・「いや、今日アップロードするなら3日前だ」
と時制が混乱することも。

というわけで、時間を強制アジャストしますと、
僕らは一昨日からスイスにいます。

matterhorn_ch.jpg
いきなりですが、朝日に輝くマッターホルン

それも上の写真のとおり、
スイスに行くならバーゼルやチューリッヒではなく、
念願のツェルマットへ!
ターゲットの名物料理はここでも食べられますからね。

いやはや開き直りか、はたまたカミカゼアタックか、
スイスといえば円安以前からバックパッカーにとって、
北欧、オーストラリアと並ぶ禁断の地。
どうせ物価のハイパー高い国へ突撃するのなら、
長らく思い描いていた、
マッターホルンを臨むトレッキングに行こうじゃないか!

そう決めた僕らは今朝、
地下ケーブルカーで標高2300メートルのズンネッガまで上がり、
ライゼー湖、モシェ湖を回ってフィンデルンへ至る、
7時間あまりのトレッキングに出かけたのでした。

え? 仕事はどうした?

いや、これも仕事の一環なのですよ。
前日にシュペッツレケーゼとロスティを同時取材したら、
両方とも味は良かったのですが、
バターとチーズがたっぷり過ぎていて。

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シュペッツレケーゼ

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ロスティ

ホテルに戻ったころには二人とも胸やけでうげ〜・・・
(この齢になると脂っこいのがだんだん苦手になってね)
これでは翌日の仕事に支障が出るばかりか、
長らく続いているヨーロッパの食事で、たぶんコレステロール値も急上昇中。
そこで普段以上に体を動かし、健康を取り戻すことにしたのでございます。
(ちと強引かな?)

いやぁ〜、エクスキューズと能書きはこれくらいにして、
スイスが世界の観光地である理由がよく分かりました。
僕らは登山やトレッキングが趣味で、
国内に限らず、海外でも機会があれば野山に出かけますが、
スイスの山々や湖は他と比べても確かに美しい。

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ターコイズ色に輝くヴァレン湖

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4000メートル近い山頂から流れる巨大な氷河

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ライゼー湖に映るアルプスの峰々

また、トレッキングルートもバリエーションに富み、
ネズミ返しがある古民家が並ぶ村や、

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無骨な造りの建物が残るフィンデルンの村

森の中を通り抜け、胸いっぱいに吸う清々しい空気と相まって、
心身ともにリフレッシュするには、
またとない場所のひとつではないですか。

これで物価がもう少し安ければまた来たいのですが、
その敷居が下がることは・・・ないだろうなぁ。

次に来れるのはいつになるだろう・・・と後ろ髪引かれつつ、
明日は昼過ぎの列車で南へ向かいます。

で、次の行き先は・・・

to be continued...

えーじ

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好天に恵まれてラッキーでした!
posted by ととら at 16:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記